今月はこれで18本目のアップ、先月は33本アップしている。毎月25~30くらいが平均値だろう。このところ昼寝の回数が増えた。起きていると体がなんとなくけだるく横になっているうちに寝ている。

 オヤジが大腸癌の手術のあと床暖房のあるリビングで横になっていることが多くなった。癌細胞の増殖にエネルギーが奪われ衰弱してくると散歩すら億劫になる。リビングのドアの1cmの段差に脚をとられて転倒したことがあった。思ったように脚が持ち上がっていないのである。反応速度も遅くなっていたから、手が出ずに顔から突っ込む。だれも自分がそういう風になるとは思わないだろう、だけど家を建てるときには自分のためにバリアフリーを考えるべきだ。
 2年で再手術だったが、肝臓へ癌が転移しただけでなく骨にも肺にも広がっており、再手術は「アケトジ」だった。肝臓は衣服の上から触ってみたらまるで板が入っているかのように硬くなっていた。
 退院してから二ヶ月ほどは散歩にも出られない様子。たまたま、自転車に乗って曙町交差点から市総合文化会館前まで来たときに、オヤジによく似た人が帽子のつばを持ち上げて店を仰いでいるところをみた。誰だろうと近づくとオヤジだった。
「散歩できるんだ」
 あのときオヤジがなんと応えたかは思い出せない。それからときどき散歩していた。散歩できるようになってから2ヶ月ほどで市立根室病院へ入院して亡くなった。釧路市立病院で再手術してから6ヶ月の命だった。希望通りに、みんなに看取られて静かに亡くなった、平成5年9月のことだった。「根室の土になる」そういっていた。

 こんどはebisu自身の話である。昨夏に比べると、また一段と体力が落ちた。筋力を維持しようと木刀の素振りと四股踏みをはじめた。最初は素振り200回、四股踏み50回くらいだったが、100回、20回に減り、そして途切れ途切れになっている。億劫なのである。生徒に勉強しろと言いつつ、自分の気力の衰えには抗しがたいと弁明している、なんとも情けない。
 今年の夏は雨ばかりで、鬱陶しい。体力の低下が気力の衰えとなっているようだ。後3年半、私塾を続けようと思っていたが、身体に訊いてみたら「どうなるのかわからぬ」との返事。
 肺の機能が衰えて、呼吸が年々浅くなっている。鉄欠乏性貧血だから、酸素の運搬能が健常人に比べて小さい。浅い呼吸でさらに酸素を吸収しづらくなっているのでそれがよくわかる。
 3ヵ月毎の定期検査では癌再発の兆候はまったくないが、肺機能の低下は自覚症状としてある。体力低下が老化によるものなのか、歩かないので足の筋力低下によるものなのか不明だ。何しろ初めて「老人」になったのだから、経験のないことはわからないものだ。(笑)
 老化によるものなのかそれともなにか進行性の病気によるものなのかの判断がつけにくいから、躊躇しているうちに病気が重くなるのだろう。いやなことは先延ばししたいのは人間の性(さが)。自分のことは棚に上げても、生徒には「いまやるべきことを先にやれ」と言い切る。彼ら・彼女たちは残り時間が莫大にあるから、いまやるべきことをやれば、将来の負担が小さくなる。

 さて、どうしたもんかのう、歩けるところまで歩き、これ以上は無理と判断したら切りのよいところで私塾はやめることになろうが、まだしばらく大丈夫だろう。(笑)

 蓮如上人の「白骨の御文」は手厳しい。
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それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
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 体力の低下に合わせてブログのアップ頻度も勝手に低下している。きつかったら数ヶ月休止や、頻度が週1くらいに落ちることがあるかもしれない。身体の声を聞きながら、マイペースでいこう。

#3399より
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 門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 一休宗純の狂歌だったと思うが、調べてみたが、83年に読んだ西田正好著『一休 風狂の精神』(講談社現代新書477)には見当たらない。こちらの道歌が載っていた。

 門松は 冥土の旅の 一里塚 馬駕籠もなく 泊まり屋もなし

 正月になって新しい年を祝うが、人生の時間は確実に過ぎ、残り時間が短くなっていく。人生の旅には、馬や駕籠(かご)という便利な乗り物はないし、休むことのできる旅館もない、ただただ死へ向かってたんたんと進むのみである。また一年残り時間が少なくなったという道しるべの門松を通り過ぎてしまった、めでたいなんて浮かれる気分にはなれぬ。
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 今日もまた雨である。南下していた台風10号が反転して、関東へ向かっている。


*#3399 アルツハイマー型認知症の発症は防げる? Aug. 27, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27


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