< 道教文協学力テストの問題点 >
北海道の中学校で実施している学力テストは全道平均値すら算出されていないいい加減なものである。もちろん偏差値も出ていないから、それぞれの学校内の平均値と順位しかわからない。これでは、自分の学力が全国レベルでどれくらいは知る由もない。
今はどうなっているかわからないが、40年前の東京都の公立中学校で実施される学力テストでは、東京都全体の偏差値も、その学校の偏差値も、個人ごとの偏差値も表示されていた。参加人数も十数万人いただろうから、そのまま大学進学の目安にもなった。
東京都の場合で言うと、難関大学進学を考える親は子どもを小4から進学塾へ通わせ、中高一貫校を受験させる。中高一貫校では1年前倒しで授業をやり大学受験に備える。学力の高い生徒を集めるから、1.3倍速の授業が標準になる。
そういう事情があるから、首都圏の子どもたちと大学受験で競争することになる生徒はどんなに遅くても中学時代に自分の全国レベルでの学力を確認する必要があるとわたしは思う。
全道の公立中学校が、時代錯誤の北海道教育文化協会学力テストを採用することで、子どもたちは自分の学力を知る機会を奪われているように見える。
*北海道教育文化協会
http://www.ho-bunkyo.jp/p51
<根室の子どもたちは高1の進研模試で全国レベルの学力を知る>
根室の子どもたちは根室高校普通科に入学して、7月に進研模試を受験して初めて、偏差値と全国レベルでの自分の順位や通う学校の学力レベルを知る。この10年間ほどでさらに学力が低下したいまでは、中学校で学年5番程度でも、高校生になって進研模試を受けると全国偏差値50以下(真ん中よりも下)というのが普通になってきた。根室市内の中学校の上位10%が全国レベルでは平均値よりも低いのだから、中学校の学力テストの学年順位は全国模試の偏差値とは大きくかけ離れている。中学校で生徒が自分の全国レベルでの学力を知れば、その後の勉強の仕方が違ってくる。
高校では全国模試の偏差値を使わないと進路指導ができないことは常識だろう。大学進学率は全国平均では50%、根室は15~20%程度。全国レベルの難易度のテストを実施したら、数学の平均点は20点以下になりかねないから、全国レベルの難易度とかけ離れた授業をしている道内の公立中学校で全国模試を実施するのははなはだ困難であることも事実。
< 全国レベルの学力テスト:Z会Vテスト >
Z会の「Vテスト 7月受験型」をいう全国テストを受験した中2の生徒がいるので、初めて「Vテスト成績表」を見た。五科目の全国平均値と偏差値が表示されているのは全国レベルのテストでは常識、もちろん「英数国」三科目合計点の偏差値も、五科目合計点の偏差値も載っている。
北海道の五科目受験者は173人、全国では5495人だから、受験者数は少ない。
中学生は「チャレンジテスト」をやっている生徒が多く、「Z会」は少ない。両方を比べると、後者のほうが学力の高い生徒が集まっている。
偏差値60だと上位16%であるが、参加している生徒の学力が高いので、実際の中学生全体の学力分布を想定すると、上位5%くらいになるだろうと推測している。このテストで偏差値60なら、根室の中学校では学年トップの座に安住できる。逆から見ると、根室の中学校でやったテストの半分が学年トップでも、大学受験偏差値では100人中16番目くらいということ。根室の中学校で学年トップを目指していたら、難関大学合格は覚束ない。
高校の進研模試には公立高校普通科の7割ぐらいが参加しており、大学受験をしない生徒も多数含まれており、私立中高一貫校の学力の高い生徒たちが受験しないので、上位層が薄く下位層が厚いという特徴がある。私立中高一貫校の生徒は一年先をやっており、進度が合わないから、Z会のVテストに参加していないはず、この点ではZ会のVテストと進研模試は同じ欠点を持っている。学力下位層が参加していないところがZ会Vテストの特徴だろう。
そういうわけで、Z会「Vテスト」の偏差値を進研模試の偏差値に読み換えるには10以上加点していいのではないか、河合塾の偏差値なら+5かと考えている。
< 国語力アップの重要性とその方法 >
ところで、このテストを受験した生徒は国語の偏差値が他の科目に比べて8程度低い。論説文の読解は得点が9割を超えているから、小説と短歌の読解力をアップしなければならない。
小説や短歌を読んでもイメージがわかないので、本を読まない。楽しくないのだから仕方がないが、濫読しなければ読解スキルが上がらない。
具体的な事例を挙げると、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
それがどうしたの?こういう次第だ。俳句を受け止める日本的情緒が育っていない。森閑としたお寺の境内にある池に蛙が飛び込んだ音が一瞬響いて、また元の静けさに戻っている。座禅して呼吸を整えながら瞑想すれば、数分でイメージした風景の中に自分をおくことができる。座禅と呼吸法を指導したほうが速いのかも知れない。慣れたら時空を超えて脳に特定のイメージを結ぶことも、消すこともできる。
詠み手と入れ替わって時空を超えて古池のふちにたたずむ自分がイメージできたらこの俳句が味わえたといってよいのだろう。
心の中心に日本的情緒が育っていなければ短歌や俳句はわからないから、中高生のうちに古典文学を読み、心の中心に日本的情緒を育むことは大事なことだ。
この生徒は国語が苦手だったので、少し背伸びするような良書を選び2年半音読指導をしてきた。
斉藤隆『声に出して読みたい日本語①』⇒『声に出して読みたい日本語②』
⇒音読破シリーズ『坊ちゃん』⇒『走れメロス』⇒『銀河鉄道の夜』⇒『羅生門』⇒『山月記』⇒『五重塔』
⇒斉藤隆『読書力』(岩波新書)、藤原正彦『国家の品格』、
と読み進んできた。そろそろレベルを上げる必要を感じている、次のテクストは『すらすら読める風姿花伝』である。原文と格調の高い林望現代語訳を交互に音読するつもりだ。その次あたりで『福翁自伝』を採り上げたいが・・・。
昨日の授業で、斉藤隆の最新刊『日本人は何を考えてきたのか』(祥伝社)を150ページまで読み終わった。中学生としてはトップレベルだが、折り返し地点の先読みにまだ問題があるし、語彙も不十分だ。このままでは、高校生になってから隘路に入り込むことになるから、テクストのレベルをもう一段階あげなければならない。
学力テストで国語が90点取れても、難易度の高い進研模試では偏差値55程度だろうから、センター試験の国語の得点を85%にまでアップするためには、苦手の小説と古典を読み慣れておく必要がある。
(目標はセンター試験で数学と英語で90%、国語が85%)
言葉から風景や読んだ人の心をイメージするためのトレーニング・テクストとして昨日『日本の古典を読む④万葉集』(小学館)を1ヶ月間預けた。
毎日ひとつだけ意味を理解して繰り返し声に出して読み、言葉から風景や心象イメージをつむぐトレーニングを課した。
採録した歌にはすべて現代語訳や注釈がついているから、それを読めば意味はわかる。
詠物歌は季節の風物を読んだものだが、情景がイメージできるようになってほしい。相聞歌は恋の歌だから、恋心がまだ芽生えていない中学生にはわかりにくいし、共感をもって読むことはかなわないだろう。それでも大人の恋がどういうものであるのか短歌を通して知っておくことは無駄ではない。(笑)
この時代は、気の利いた歌も読めないような男は教養がある美女には相手にしてもらえないのである。
1ヶ月のトレーニングで、言葉から具体的なイメージをすこしは脳につむぐことができるようになるだろうか?
70% 20%
北海道の中学校で実施している学力テストは全道平均値すら算出されていないいい加減なものである。もちろん偏差値も出ていないから、それぞれの学校内の平均値と順位しかわからない。これでは、自分の学力が全国レベルでどれくらいは知る由もない。
今はどうなっているかわからないが、40年前の東京都の公立中学校で実施される学力テストでは、東京都全体の偏差値も、その学校の偏差値も、個人ごとの偏差値も表示されていた。参加人数も十数万人いただろうから、そのまま大学進学の目安にもなった。
東京都の場合で言うと、難関大学進学を考える親は子どもを小4から進学塾へ通わせ、中高一貫校を受験させる。中高一貫校では1年前倒しで授業をやり大学受験に備える。学力の高い生徒を集めるから、1.3倍速の授業が標準になる。
そういう事情があるから、首都圏の子どもたちと大学受験で競争することになる生徒はどんなに遅くても中学時代に自分の全国レベルでの学力を確認する必要があるとわたしは思う。
全道の公立中学校が、時代錯誤の北海道教育文化協会学力テストを採用することで、子どもたちは自分の学力を知る機会を奪われているように見える。
*北海道教育文化協会
http://www.ho-bunkyo.jp/p51
<根室の子どもたちは高1の進研模試で全国レベルの学力を知る>
根室の子どもたちは根室高校普通科に入学して、7月に進研模試を受験して初めて、偏差値と全国レベルでの自分の順位や通う学校の学力レベルを知る。この10年間ほどでさらに学力が低下したいまでは、中学校で学年5番程度でも、高校生になって進研模試を受けると全国偏差値50以下(真ん中よりも下)というのが普通になってきた。根室市内の中学校の上位10%が全国レベルでは平均値よりも低いのだから、中学校の学力テストの学年順位は全国模試の偏差値とは大きくかけ離れている。中学校で生徒が自分の全国レベルでの学力を知れば、その後の勉強の仕方が違ってくる。
高校では全国模試の偏差値を使わないと進路指導ができないことは常識だろう。大学進学率は全国平均では50%、根室は15~20%程度。全国レベルの難易度のテストを実施したら、数学の平均点は20点以下になりかねないから、全国レベルの難易度とかけ離れた授業をしている道内の公立中学校で全国模試を実施するのははなはだ困難であることも事実。
< 全国レベルの学力テスト:Z会Vテスト >
Z会の「Vテスト 7月受験型」をいう全国テストを受験した中2の生徒がいるので、初めて「Vテスト成績表」を見た。五科目の全国平均値と偏差値が表示されているのは全国レベルのテストでは常識、もちろん「英数国」三科目合計点の偏差値も、五科目合計点の偏差値も載っている。
北海道の五科目受験者は173人、全国では5495人だから、受験者数は少ない。
中学生は「チャレンジテスト」をやっている生徒が多く、「Z会」は少ない。両方を比べると、後者のほうが学力の高い生徒が集まっている。
偏差値60だと上位16%であるが、参加している生徒の学力が高いので、実際の中学生全体の学力分布を想定すると、上位5%くらいになるだろうと推測している。このテストで偏差値60なら、根室の中学校では学年トップの座に安住できる。逆から見ると、根室の中学校でやったテストの半分が学年トップでも、大学受験偏差値では100人中16番目くらいということ。根室の中学校で学年トップを目指していたら、難関大学合格は覚束ない。
高校の進研模試には公立高校普通科の7割ぐらいが参加しており、大学受験をしない生徒も多数含まれており、私立中高一貫校の学力の高い生徒たちが受験しないので、上位層が薄く下位層が厚いという特徴がある。私立中高一貫校の生徒は一年先をやっており、進度が合わないから、Z会のVテストに参加していないはず、この点ではZ会のVテストと進研模試は同じ欠点を持っている。学力下位層が参加していないところがZ会Vテストの特徴だろう。
そういうわけで、Z会「Vテスト」の偏差値を進研模試の偏差値に読み換えるには10以上加点していいのではないか、河合塾の偏差値なら+5かと考えている。
< 国語力アップの重要性とその方法 >
ところで、このテストを受験した生徒は国語の偏差値が他の科目に比べて8程度低い。論説文の読解は得点が9割を超えているから、小説と短歌の読解力をアップしなければならない。
小説や短歌を読んでもイメージがわかないので、本を読まない。楽しくないのだから仕方がないが、濫読しなければ読解スキルが上がらない。
具体的な事例を挙げると、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
それがどうしたの?こういう次第だ。俳句を受け止める日本的情緒が育っていない。森閑としたお寺の境内にある池に蛙が飛び込んだ音が一瞬響いて、また元の静けさに戻っている。座禅して呼吸を整えながら瞑想すれば、数分でイメージした風景の中に自分をおくことができる。座禅と呼吸法を指導したほうが速いのかも知れない。慣れたら時空を超えて脳に特定のイメージを結ぶことも、消すこともできる。
詠み手と入れ替わって時空を超えて古池のふちにたたずむ自分がイメージできたらこの俳句が味わえたといってよいのだろう。
心の中心に日本的情緒が育っていなければ短歌や俳句はわからないから、中高生のうちに古典文学を読み、心の中心に日本的情緒を育むことは大事なことだ。
この生徒は国語が苦手だったので、少し背伸びするような良書を選び2年半音読指導をしてきた。
斉藤隆『声に出して読みたい日本語①』⇒『声に出して読みたい日本語②』
⇒音読破シリーズ『坊ちゃん』⇒『走れメロス』⇒『銀河鉄道の夜』⇒『羅生門』⇒『山月記』⇒『五重塔』
⇒斉藤隆『読書力』(岩波新書)、藤原正彦『国家の品格』、
と読み進んできた。そろそろレベルを上げる必要を感じている、次のテクストは『すらすら読める風姿花伝』である。原文と格調の高い林望現代語訳を交互に音読するつもりだ。その次あたりで『福翁自伝』を採り上げたいが・・・。
昨日の授業で、斉藤隆の最新刊『日本人は何を考えてきたのか』(祥伝社)を150ページまで読み終わった。中学生としてはトップレベルだが、折り返し地点の先読みにまだ問題があるし、語彙も不十分だ。このままでは、高校生になってから隘路に入り込むことになるから、テクストのレベルをもう一段階あげなければならない。
学力テストで国語が90点取れても、難易度の高い進研模試では偏差値55程度だろうから、センター試験の国語の得点を85%にまでアップするためには、苦手の小説と古典を読み慣れておく必要がある。
(目標はセンター試験で数学と英語で90%、国語が85%)
言葉から風景や読んだ人の心をイメージするためのトレーニング・テクストとして昨日『日本の古典を読む④万葉集』(小学館)を1ヶ月間預けた。
毎日ひとつだけ意味を理解して繰り返し声に出して読み、言葉から風景や心象イメージをつむぐトレーニングを課した。
採録した歌にはすべて現代語訳や注釈がついているから、それを読めば意味はわかる。
詠物歌は季節の風物を読んだものだが、情景がイメージできるようになってほしい。相聞歌は恋の歌だから、恋心がまだ芽生えていない中学生にはわかりにくいし、共感をもって読むことはかなわないだろう。それでも大人の恋がどういうものであるのか短歌を通して知っておくことは無駄ではない。(笑)
この時代は、気の利いた歌も読めないような男は教養がある美女には相手にしてもらえないのである。
1ヶ月のトレーニングで、言葉から具体的なイメージをすこしは脳につむぐことができるようになるだろうか?
70% 20%
日本人は何を考えてきたのか――日本の思想1300年を読みなおす
- 作者: 齋藤 孝
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2016/03/01
- メディア: 単行本