確定数値では2014年に政府債務残高は1212兆円、IMFの推計値では2016年末には1262兆円となる。GDP比では249%に達する。終戦直前のGDPに対する国債残高比率は260%だった。
(政府債務残高には地方自治体の債務も含まれている。国債や地方債の他に短期証券や借入金がある)
*日本政府債務残高の推移
http://ecodb.net/country/JP/imf_ggxwd.html

 巷には、国債残高は国民にとっては資産の増加だから、政府の借金の増大は国民の資産の増加で、マクロ経済学的にはまったく問題がないとのたまう者がうようよいる。

 こんな幼稚な議論にだまされぬように、自分の頭でよく考えてみてもらいたい。
 年収500万円のあなたが豪邸を建てたくて1.25億円の借金をしたと仮定しよう。
(実際には年収500万円の借り手に銀行が1.25億円の融資はしない、住宅ローンの融資審査がある。)
 建った家は実に住み心地がいいが、借金返済はどうするのだろう?返済不可能で、自己破産必定である。
 そこへ、誰かが「あなたの借金は銀行の貸付債権であるから、借金をいくら増やしても何も問題はない」とささやいたら、あなたはどう反応するだろうか?
 借金は連帯保証の判をついた息子と娘、そして孫が支払うことになる。

 「政府国債残高の増大は政府債務の増大であると同時に、それを購入した国民や金融機関の債権の増大だから、何の問題もない」、そういうことをいう、会計学者はこの国にも世界中のどこを探しても一人もいない。
 そういうことを言う者は、簿記や会計学に無知なマクロ経済学者や会計学や経済学に無知なほんの一握りの評論家に限定されている。まともな、経済学者や評論家はそういう議論はしない。

 政府というものは元々無責任である。首が回らなくなるときには自分が政権の座についているわけではないから、無責任にいくらでも借金を増やす。借金をして使った人たちは、借金返済に責任を持たぬ。借金返済するのは、ずっと後になって政権を担う人たちだが、その前に破綻すれば借金をゼロ(国民が保有する国債は紙切れと化す)にリセットできる、それが財務省の描いているシナリオだろう。無責任の極みだ。

 ほんとうは富士山の大噴火や、首都圏で直下型の大地震が起きたとき、原子力発電所がメルトスルーを起こして放射能がばら撒かれたとき、それらの大災害の後の復興資金としてお金を貯めておかなければならないのに、膨大な借金を平気で積み上げ続けるのは狂気の沙汰としか言いようがない。

 北海道東部では四百年に一度の大地震と20-30mの大津波(5500年間で15回の大津波が来襲した、これが地層調査から判明した事実である)の危険期間にすでに突入しているし、首都圏直下型の地震も1923年の関東大震災から93年が過ぎて、60年周期を30年も過ぎて大きなエネルギーが蓄積されてしまっている。東南海大地震は明日起きても不思議ではない。
 日本列島は地震と火山噴火による災害を繰り返している。むしろ自然災害が起きるのが常態である。日本列島に住んでいる限り、いつでも、どこでも大災害に見舞われる危険と隣り合わせに生活しているということだ。

 そういう自然大災害に備えて、お金を蓄積すべきなのに、1200兆円を超える借金を政府が積み上げてしまっている。政府が借金を返済できなくなれば、国民や金融機関や日銀が保有している膨大な国債は紙切れと貸す。そういう経験を日本人は終戦後にしているが、次の世代に伝え損なったようだ。
 巷に流布している「国債の増加は国民の資産の増加であるから問題ない」という、たわごとを信じたら、いつか終戦直後に起きたことが再び起きる。

 何がきっかけで、いつそうなるかは、経済学が経験科学である限り、誰にもわからない。経済学者も財政学者も評論家も、ことが起きてから以前から知っていたかのごとく「理路整然」としたり顔で解説するだろう。

 ここからが結論である。7月には参議院選挙がある。わたしたちはどういう国を創りたいのか、それを選挙の争点にしなければならない。災害に備えて資金を蓄積する国にするのか、借金を増やし続けて財務省のシナリオどおりに、一気にリセット(国債が紙切れと化す)してしまう未来へ進み続けるのかという選択である。
 少子高齢化が加速し、人口はすでに長期減少時代に入っているから、国民所得は逓減していく。いま国の未来に関わるビジョンが問われている、子どもたちや孫たちのために、わたしたちはどういう国を創るのか?
 わたしは健全な保守主義がよいと思っている。グローバリズムのTPPには反対である。どういう経済社会がいいかというと、強い管理貿易で生産拠点を国内に取り戻し、職人仕事を大事にする経済社会である。「労働からの解放を」希求するマルクスの『資本論』とは公理公準が異なる。すでに、「資本論と21世紀の経済学」カテゴリーで書いた。


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