<追記情報>
10月24日夜11時55分

 ①異次元の金融緩和、②財政出動による景気回復、③成長戦略がアベノミクス三本の矢だった。
  三番目の成長戦略が見えないまま、安倍総理は第2ステージを公表した。肝心の成長戦略がうまくいかないから、看板を架け替えたのだろう。ろくに議論もなされず、安保法制によって武器輸出が成長戦略に組み込まれた。成長戦略の正体はこれだったのか、大きな経済政策の転換でもあった。安全保障と成長戦略の問題は「#3148 日本の安全保障と経済学」で論じた。
 これから日本では軍需産業の発言権が増大し続けることになる。米国はそうした装置を経済に組み込んでしまっているから、つねに世界のどこかで戦争を起こし、武器を消費しなければ経済が成り立たぬ国、10万人の人員を要するエシュロンを使って情報収集、マスコミ操作を繰り返し、戦争を仕掛け、大量に武器を消費し続ける。軍需産業は癌組織のように正常細胞を侵食し続ける。米国は戦争をやめられない強固な経済構造を作り上げてしまった。
 「美しい日本」という看板をかなぐり棄てて、軍需産業が政権を左右するような国に安倍総理はしたいのだろうか。
 どういう経済社会を築くのか、国民はいま一度しっかり考えるべきだ。そのための材料としてわたしは「資本論と21世紀の経済学」を弊ブログで今年1月に公表した。

 安倍総理はお金はよく使った。年間予算は100兆円規模に膨れ上がり、借金は膨れ上がり続けている。国債残高は1000兆円を超え、政府財務残高は1232兆円に達した。日本国債の評価もランクがひとつ下がり、中国や韓国よりも格下になった。国際的に見ると日本政府財政政策への評価が下がり続けている。日本政府財政はレッドゾーンに入りつつあるというのが国際的な評価である。
*http://ecodb.net/country/JP/imf_ggxwd.html

 新三本の矢は
①GDP600兆円
②出生率1.8
③介護離職ゼロ

 アベノミクス「三本の矢」には①②はもとより、③も(滑ってしまったが)曲りなりにも達成策が提示されていた。「新三本の矢」で問題は、どれもスケジュールを明示した具体的な達成プランがないこと。これでは、安倍政権の次の3年間は政策評価ができない。「やっています(いつかできます)」と言えばいい。

 老人介護の現状や介護離職について安倍総理はちっともご存じないようなので、個人的な経験を交えて、現実の姿を書き留めておきたい。

 この十年間で50万人が介護離職をしたといわれている。最近数年間は年間10万人に増えている。団塊世代が介護が必要になり、介護離職がピークを迎えるのは、あと10年目くらいからだろう。このままでは10年間ほどは介護離職が年間数倍の50万人程度まで増えかねない。
 政府の老人医療政策が施設介護を減らし、在宅介護を増やす方向に舵を切ってからもう十年以上が経過した。

 介護療養型病床は2006年3月に3038施設、127,000ベッドあったが、2014年4月には1532施設、71,328ベッドに、4割削減された。介護保険制度を導入する前には介護施設を充実すると約束したにもかかわらず、介護保険制度が実際に導入されたら、4割もベッド数を削減した。民間企業がこんなことをしたら、詐欺罪で訴えられるだろう。介護療養型病床と医療療養型病床を合わせて38万あったが、厚生労働省は15万(その後あまりにも実情に合わないとして22万に修正)まで減らす政策を進めている。在宅介護の奨励はこういうからくりで推し進められているのである。老人人口はまもなく現在の3倍ほどになるから、同じレベルのサービスを維持しようとしたら100万ベッド必要になる。
 北海道だけデータを挙げておこう。2013年には療養型必要病床数は23,500であるが、2015年には3倍強の72,100になる。

*「2025年の医療機能別必要病床数の推計結果(都道府県別・医療機関所在地ベース)」10ページ
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/shakaihoshoukaikaku/chousakai_dai5/siryou1.pdf


 介護離職を減らすのではなく、加速・増大する方向へ老人医療政策の舵を切っておいて、いまさら「介護離職ゼロ」なんてよく言ったものだ。療養病床を50万に増やし、予算をつけるべきだ。自分で食べられなくなった老人には、尊厳死や安楽死を認めるべきだ、政府がもくろむ医療費削減には絶大な効果がある。逃げずにそういう議論をすべき。
 胃に穴を開けたり、胸の動脈に管をつけて生きながらえるのは無理がある、食が細って食べられなくなりやせ細って死んでいくのは苦しくない、自然な死に方である。昔はそうして自分の家で多くの老人が家族に看取られて死んでいった。昔の老人の自然な死に方を見直してもいいのではないか?わたしはそういう死を選択する当事者のつもりで書いている。

 老人医療政策がこのままでは介護離職で日本経済は30年にわたり大きなダメージを受け続けることになる。人口縮小と高齢化の加速は、日本経済を縮小させつつある。そうして現実を素直に認めない経済政策をいつまでも続け、成長を夢見ていると、日本経済は政府財政破綻で早晩クラッシュする。ツケは全国民の金融資産で贖(あがな)われることになるだろう。
 日本人が保有する1300兆円の金融資産なんて、夢幻のようなものであることは、基礎学力があれば簡単にわかること。そのほとんどが政府財政赤字で消えているのがまだ見えていない国民が多い。ある日突然に現実になり、誰の目にも見えることになる。

 わたしは根室高校を卒業してから、東京の大学へ進学しそのまま東京で就職した。40歳を過ぎたころから、毎年根室へ1度は帰省していた。親父もお袋も、「東京へ行って息子の世話になるつもりはない、根室の土になる、それでいい」そう言い続けた。姉と妹からも連れて行かないでと言われた。死に目に会えなくなるというのである。両親も子どもたちや孫、ひ孫に看取られての死を望んでいた。
 頼まれて常務理事として横浜の療養型病床の病院建て替えの仕事をしたことがあったので、施設介護が必要な段階になれば、300ベッド弱のその病院に入れることはできたが、姉妹と両親自身の反対であきらめざるを得なかった。
 自立して暮らせなくなれば、長男のわたしが女房を連れて根室へ戻らざるを得ない状況が生まれていた、これも運命、両親の希望と姉と妹の希望そして現実を受け入れた。

 親父は焼き肉店をやっていたときの常連客の一人であったO医院のお父さん先生に大腸癌を見つけてもらい、釧路市立病院で手術をして2年後に再発、2度目の手術は「アケトジ」、全身転移ですでに手遅れ、平成5年に市立根室病院でターミナルケアを受けてなくなった。それからお袋の一人暮らしがはじまった。
 15年ほど前に帰省して数日過ごし、東京へ戻る朝、お袋は門の外まで出てきて見送ってくれた。目から大粒の涙がこぼれていたのをみて驚いた。あんなに気丈だったお袋が、声も出さずにぼろぼろと涙をこぼしてタクシーに乗るわたしを見送っていた。あのときに根室へ戻ってこようと決心した。
 もともと、漠然と50歳を過ぎたらふるさと根室へ戻るつもりをしていたから私自身には自然な選択ではあった。人生を勉学の季節、一生懸命働く季節、世のため人のために働く季節と三つの季節に分けて考えていたから、ああ、ついに三番目の季節が訪れたのだなと思った。

 わたしに限らず、東京の生活を棄ててふるさと(の根室)へ戻って親の介護をする者は離職せざるを得ない。二重生活になるから、東京の住居を維持するのもお金のかかる話だ。管理組合に支払う管理費、東京で使う車の維持費や保険料、電話料金、NHK放送受信料、電気ガス料金、固定資産税など、毎月結構な出費になる。

 在宅介護を奨励するなら、そういう選択をしたものたちが、年老いた両親と共倒れにならぬような社会保障政策が必要であるが、そういうものはまったくなく、「自己責任」となる。
 だから、生活破綻を起こしたり、介護に疲れて子どもが親を殺すなんてことが増え続けている、問題はどんどん深刻さを増している。介護離職どころか、介護疲れ、生活破綻で、子どもが親を殺すという悲惨な事例が全国で相次いでいる。
 親の介護が必要になり、50歳くらいになってふるさとへ戻って再就職が可能な人は稀で、在宅介護は親子共倒れになりかねないリスクをはらんでいる

 迷いがなかったわけではないから、戻ってくるまで3年ほどかかった。戻って一緒に暮らすと目の前にいるお袋は年々老いていった。吹雪くと玄関前が吹き溜まりになり、引き戸が開かなくなる。外に出られなくなるので、極端に怖がった。親父が亡くなってから、一人暮らしの冬は数日外に出られないことがあったのだろう。
 数年たつころ認知症も始まった。最初は「まだらボケ」で認知症だとは気がつかなかったが、じきにレビー症候群の症状が出始め、認知症がはっきりそれとわかる形をとり始める。下(シモ)の始末も自分ではできなくなった。書くのをためらうようなことが起きる、後始末に女房には苦労をかけた。長男の女房はしんどいものだ。
 徘徊が始まると、2階で寝ていると下で歩き回る音がする。ガタン、と音がして、そのあと静かになる、心配で寝ていられない、様子を見に降りる。台所とお風呂・トイレへの通路の戸に鍵の仕掛けを取り付けた。仏間と玄関の間にも鍵を取り付けた。お袋は寝ている八畳間と仏間とトイレ・お風呂へ自由にアクセスできるから、夜中に歩き回る。最初のうちは「空けて!」と戸をドンドン叩いた。「わたしも寝るから、ここは朝まで空けられない」とその都度言っても、理解できない。台所はガスが使えるから危ない。夜中にな大きな鍋にいっぱい味噌汁を作りガスがつきっぱなしになっていたことがあった。気づいたのは夜中の2時だったが、お袋は朝だと勘違いしていた、昼夜逆転とはそういうこと。鍋いっぱいに作った味噌汁は、直に吹き零れてガスの炎を消してしまう。プロパンは重いから床にたまり、冷蔵庫のスィッチが入れば引火してしまう。そういうことがあったので、夜中は鍵をつけて閉じ込めざるを得なかった。閉じ込めるほうも辛い、理屈と感情は別物で罪悪感との戦いになる。
 鍵をつけた後は、こちらの神経が階下の物音に集中し続けてしまう。
 心配で見に行ったらベッドから抜け出し、仏間で倒れていたことがあった。一人では起き上がれず、冬だとそのまま朝まで気がつかなければ、低体温で死んでしまう。昼夜逆転で夜動き回るから、介護しているほうは寝られなくなる。仕事をしているから、眠れないと体力がどんどん奪われ、こちらが疲れ果てて死にそうになる。スキルス胃癌の手術をした後の数年間の介護は本当に命がけだった。
 結局、認知症の介護施設(北浜町のグループホーム)でお世話してもらった。たまたま空きができたのである。親身な介護でありがたかった。最後は脳梗塞を起こし、精神科の病院でお世話になって、子どもたち、孫たち、そしてひ孫に看取られながら静かに息を引き取った。永年住んだ根室で家族に看取られながら逝きたいというのは、多くの老人たちの切実な願いである

 書くと簡単なようだが、施設介護に移行するまでを繋ぐ在宅介護はほんとうに大変で、介護するほうも命がけ、そして体力的にも精神的にも追い詰められてしまう。中標津でも殺人事件が起きたし、全国各地で、在宅介護に疲れ果てて、心中する事件や殺人事件が相次いでいる。こういう現実を直視したら、「介護離職ゼロ」なんて浮世離れした戯言(たわごと)にしか聞こえない。

 根室の高校生は48年前のわたしのように、大半がふるさとを離れて進学し、戻ってこない。両親が老いれば、介護の問題が起きる。東京で居を構えていても、両親を引き取り、同居して在宅介護するほど居住スペースに余裕のある人はすくないだろう。環境が激変するとほとんどの老人は急速に老いたり、認知症(ぼけ)が進んでしまう。田舎暮らしの老人が、都会で体力を維持したり、人間関係をあらたにつくるのはほとんど困難。だから、年老いた両親を都会に呼び寄せるのも、死期を早めることと同義だから胸が痛む。根室から東京へ引っ越して最後の数年を暮らすのは、根室言葉で言うと「あずましくない(居心地が悪い)」のである。

 要介護4になると、自立は無理で、施設介護が必要になる。しかし、政府は医療費を抑制するためにこの十数年間で療養型病床群のベッド数を10万ベッドも減らしてきた。2006年には介護療養病床と医療療養病床あわせて38万ベッドあったが、政府はそれを22万にまで減らすつもりで老人医療政策を推し進めている。政権は自公連立⇒民主党⇒自公連立と変わったが、老人医療については一貫して療養病床を減らし続けた。老人人口の激増が始まっているというのに、療養型病床を激減させ、在宅介護を強いているのである。このような政策を続けるのは、いくらなんでも無理だ。
 療養病床の病院の大半が、精神科へ転換を余儀なくさせられた。医師の配置や看護婦のスキルの問題があり、療養病床の病院を総合病院へ転換するのは事実上不可能である。
 精神科は看護師の配置が少ないから、「拘束」や薬での「抑制」をせざるを得ない。それは身体の機能を一気に低下させ、認知症を加速し、死期を早める。精神病院での老人介護は50年も前に社会問題になっている。小説『恍惚の人』でそういう老人医療の現状への批判がおきた。反省を踏まえて、療養型病床群のベッド数を確保したはずだが、この十数年間、政府はベッド数を徹底的に減らして、50年前に戻してきた。「介護離職ゼロ」、どこの国の話なのか、わたしにはまるで現実感がない。

 根室には隣保院という療養型病床群の施設があった。ベッド数は75床あったが2006年に閉院して今はない。市立根室病院建て替えに当たって、職員からも要望の強かった療養病床を設計段階から排除し、根室は療養病床のない全国に稀な市となった
*「~人生の黄昏~介護保険・福祉関係速報 2nd Season 」
http://yburn.dtiblog.com/?mode=m&no=293

 「#1010 療養病床の問題:市立根室病院建て替え-084. Apr. 26, 2010」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-26


 一部の自民党国会議員に受け継がれてきた健全な保守主義はどこへ行ったのだろう?こんなに極端に一方向へと流れてしまって復元能力を失った自民党は、1955年11月の保守合同で成立以来以来初めてではないか?結党以来最大の危機を迎えているといってよいだろう。
 介護離職ゼロは成長戦略と同じ運命ではないのか、安倍総理は絵空事を声高に叫ぶのがお好きのようだ。

 "介護離職ゼロ!"

 政治はしっかりした経済学を政策の背景に据えなければとんでもないものになるということ。

 出でよ、健全なる保守主義を標榜する覚悟ある政治家たち。日本のとるべき経済政策および経済学はすでに論じてあるので、下記のURLをクリックしてお読みいただきたい。


<余談:療養病床数ゼロの根室> 10/25 0時追記
 北海道の療養病床は人口100人当たり、0.55ベッドである。これをベースにして計算すると、根室の療養病床数は160ベッドとなる。実際にはゼロだから、根室の老人医療がどれほど貧困かわかるだろう。根室の老人は、家族に看取られずに、他の地域の療養型病院で亡くなる老人が増えることになる。
 家族の誰にも看取られずに死ぬのは寂しすぎる。死ぬときぐらいは、ふるさとで家族みんなに看取られるという幸せな最期を迎えさせてあげようではないか

*都道府県別療養病床数
http://todo-ran.com/t/kiji/12076



 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15

 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-01-1

 #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01


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