SSブログ

#3231 日本人の労働観の特異性と新しい経済学の創造 渡部昇一氏の論 Feb. 7, 2016 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

<追記情報>
7日12時半 パリ講和会議での人種差別撤廃案提出について追記


 西欧経済学の根底には、労働=苦役という概念が潜んでおり、それが公理公準となってアダム・スミスの『諸国民の富』やディビッド・リカードの『経済学及び課税の原理』、カール・マルクス『資本論』が体系ができていることはすでに論じた。
 こうした西欧の経済学に対して、日本的な職人仕事観を経済学の公理に措定した新しい経済学についても弊ブログカテゴリー「資本論と21世紀の経済学」で詳論した。

 渡部昇一氏が『日本、そして日本人の夢と矜持』(2010年、イーストプレス社刊)の中で西欧の労働観と日本人の労働観を対置して論じ、日本人の労働観がこれからの世界にとって重要なメッセージとなると書いている。日本がなすべきことはそうした労働観に基づく経済学を構築し、そういう経済社会を日本が実現して世界に向けて発信することである。やって見せるのが一番いい。彼は宗教が労働観の違いを生んでいると主張しているが、まさにその通りだ。

 彼の著作から長い引用をしようと思う。思わぬところから、職人仕事観に基づく経済学の援軍が現れた。渡部氏は日本的職人仕事観を公理とする経済学の成立を知らない。
 弊ブログのカテゴリー『資本論と21世紀の経済学』の該当箇所も比較して読んでいただけたら幸いである。

『日本、そして日本人の夢と矜持』p.309-314
=================================
 西洋人にとって労働とは罰

 さて、日本人がメッセージとして後世に伝えるべき第三の日本文化の精神として、勤労に対する考え方、すなわち「日本人の労働観」が挙げられるだろう。
 私はかねてから、それぞれの民族が勤労に対して持っている概念は、多くの場合、その民族の歴史的イメージ、すなわち「刷込み」と大いに関係があるのではないか、という仮説を抱いてきた。
 そして、その刷込みの出発点になったのは、多くの場合、その宗教の経典の中で描かれた「極楽」あるいは「楽園」の描写であると、私は見ている。
 たとえば、旧約聖書を共通の経典とするユダヤ教、キリスト教、イスラム教の中において描かれているのは、パラダイス、すなわち楽園であり、労働なき世界であった。
 ここにはアダムとイブなる男女がいるが、彼らは仕事はしていない。いつも快適な気温に保たれた世界であるから切るものもいらないし、食べるものは樹から果物を穫ればよい。
 しかし彼らは禁断の木の実(知恵の実)を食べて髪の怒りに触れ、楽園を追放されてしまう。その罰として、男は額に汗して労働することを命じられた。また、女は男に服従し、子どもを産むことを命じられた。
 この旧約聖書を読んだ信者たちが、労働に対してどのようなイメージを持つであろうか。答えは分かりきっている。
 すなわち、労働は罰であり、苦痛であり、彼らにとってほんとうの幸福とは楽園で遊ぶことなのである。
 仏教においても「極楽」のイメージははすの花の上に静座している姿である。お寺の庭の池みたいなところが、極楽なのだ。
 極楽を求めた平安朝の人が、宇治に平等院を建てたのは、極楽のイメージに浸るためであった。そのイメージは、美しい静寂であった。

 "エデンの園"への挑戦

 だが、信仰心が厚く、神を畏れる敬虔なこころが明確な時期には、旧約聖書の文化圏の人たちにしても労働は当然のことと、それを真正面から受け取って熱心に働いた。女も、結婚式で男に服従を誓い、子を産むことを女の務めと考えた。
 ことにプロテスタントにおいては、仲立ち役の教会を廃止して、神の視線が信者ひとりひとりに注がれるとしたため、神の怒りにふれ、地獄に落ちぬよう、彼らは一生懸命に働いたのである。
 そして、このプロテストタントたちの勤勉さがヨーロッパに資本主義を成立させたのは、よく知られているようにマックス・ウェーバー(ドイツの社会学者)が『プロティスタンティズムと資本主義の精神』で指摘したとおりである。
 だが、このような敬虔な信仰心は、なかなか続くものではない。
 神を畏れる心が減っていくとともに、人間に課せられた罰など、なるべくなら受けたくないという気持ちが強くなってくるのは当然の流れだであろう。結局、男はなるべく楽をして、働かない方向へ流れ、また、女性のほうも男に服従するのはいやだ、子どもも産みたくないという方向に流れていったわけである。
 そして、自分にとって都合のいいイメージだけが残った。つまり、人間の理想はパラダイスにあるのだから、できるかぎり仕事もせずに男女が戯れているような生活が正しい、という考えの出現である。
 この考え方をもっともストレートに表現したのが、いわゆるヌーディスト・クラブであろう。
 男も女もアダムとイブのように裸になり、仕事もしないで、果物を食べる―この、いかにも旧約聖書的なイメージは、いくら日本人にアメリカ崇拝の気分があったとしても、まったく受け容れられなかったが、エデンの園の刷込みのない日本人にとって、これは当然の話である。


 「神様ですら働く」と考える日本人の勤労意識

 これに反して、日本では、高天原で神々は労働をしていたのである。
 しかもその労働は、神様だけができるような特殊技能や知的労働ではなく、当時の日本人がやっていたのと同じ仕事であった。
 具体的にイメージしにくい聖書のゴッドと違って、日本の神々はアンスロポモーフィックな(人間の形をしていると表象されるような)ものなのである。日本の神様は、「崇敬される先祖の霊」とでも言ってよいであろう。だから、その崇敬される先祖の姿を具体的に表象しやすいのである。『古事記』を読むと、日本の主神である天照大神が機織小屋を持っていたという記述が書かれている。天照大神は女神であるから、これはじぶんでも機を織っていたと解釈すべきであろう。また、ほかの男神たちも田畑を耕していたことが、ちゃんと書かれている。
 すなわち、太古に刷込まれた日本人のイメージとしては、労働というものは神様もする、というものであった。したがって、労働を卑しいとか労働が罰であるという発想は、日本人の体質には合わないのである。
 このすり込みが今も生き続けていることは、失業や定年で仕事がなくなった状況を、多くの日本人が最も不幸な出来事として感じることに、何よりも象徴されていると思う。
 日本のビジネス社会の中では、窓際族になるということほど同情を集める事態はないが、欧米人たちは「あくせく働かなくて給料がもらえるのだから、そんなにいいことはないではないか」と受け取るのが一般である。
 現代の日本では、労働時間の短縮が叫ばれているが、仕事を嫌悪する気持ちより、仕事を喜ぶ気持ちの方が貴重であるという事実は、いつの時代になっても変わらないことであろう。その意味で、「神様ですら働く」と考える日本人の労働観は、先に述べた自然観や宗教観と並んで、これからの世界にとって重要なメッセージとなると思われるのである
=================================

 日本人が共有する伝統的な仕事観、そして信用第一の商道徳は、幕末以来すでに160年間世界中から褒め称えられ、広がり続けている。
 21世紀に日本がなすべきことは、グローバリズムの片棒を担ぎ、経済格差を大きくすることではなく、貿易を制限して職人仕事観や信用第一の日本的商道徳に基づく経済社会を構築して、開発途上国にそれを伝えることである。あらゆる産業が日本には揃っているから自立型経済圏を構築可能だ。それを世界中に広めたら、人種平等を経済の仕組みから支えることになるだろう。日本は1919年のパリ講和会議の国際連盟委員会で、人種差別撤廃提案を行い、賛成11票、反対5票で過半数を制したが、米国大統領ウィルソンが全会一致でないことを理由に不採択とした。米国は国内問題から、英国はオーストラリアやインドを植民地にしていたから人種差別撤廃提案は都合が悪かった。その後1924年に米国で排日移民法が成立している。
 雨後のたけのこのように自立型経済圏が増殖すれば、量的な経済成長の必要がなくなり、経済格差が縮小し、グローバリズムは消滅する。第2次世界大戦を戦ったことで、敗戦はしたが、その後アジアの各国は独立戦争を戦い抜き、白人帝国の植民地から脱した。
 人口縮小時代に突入した日本はこれからもうひとつ世界史を変える大きな役割を果たすことになる。日本人の夢と矜持がそこにある。21世紀を拓く経済学の理論的基礎はすでに明らかにしたから、以下のURLをクリックしてお読みいただきたい。世界に向けて初めて日本が発信する経済学である。


       3097-2 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-1

6.
<公理系書き換えによる21世紀の経済学の創造> …14 
 ○ 資本論の公理系の析出
 
 ○ 公理系書き換えによる新しい経済学の創出
7. <経済学体系構成原理は四つ> …19           


      70%       20%      
 
日本経済 人気ブログランキング IN順 - 経済ブログ村教育ブログランキング - 教育ブログ村

日本、そして日本人の「夢」と矜持(ほこり)

日本、そして日本人の「夢」と矜持(ほこり)

  • 作者: 渡部 昇一
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2010/01/15
  • メディア: 単行本

nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 2

tsuguo-kodera

 働けることは楽しい、幸せであるとの論、当然だと思います。でも、それなりの研究者が本にしてくれていたとはしりませんでした。ありがとうございます。偉そうですみません。
 もっとも私は小学生の時、毎日、取っ組み合いの喧嘩を学校でしていました。蹴らない、ひっかかない、髪を引っ張らない、ゲンゴツで頭や顔を殴らない、頭付きをしない、首を絞めないなど、ほとんどプロレスの禁止わざと同じようなルールがありました。
 ルール違反をした人はクラス中から反省するまで相手にされなくなりました。一種のいじめのようなものでしょうが、謝って反省すれば元通り仲良しになれたのです。
 でもシャツは毎日のようにやぶれができ、母は黙って修繕してくれました。喧嘩は一番の毎日のイベントのようなものでした。私の考え方の基本に小学校の時の生活が潜んでいるのは間違いありません。
 算数の勉強も自習だけ、一番進度が速いと自己満足できたので、他の人より余計に3倍いろいろなドリルや教科書を自習しました。これも遊びだったのです。他の教科もです。
 会社に入り新人時代は一人で新しい有限要素法の逆マトリックス演算プログラムを作りました。一人でやったので1か月程度で一応完成、北大や九州大のシステムに営業は寄与できたと言っていました。これも面白いからやっただけ。
 ところがだんだん部下が増え、人使いをさせられ始めたのです。人を使うのは下手だった、一人でやるなら上手かったのでしょう。部下ができ、仕事の領域だけが広がると仕事が面白くなくなったのです。
 人を育てるのは大変、良いと思える手法は逆効果。出世だけを望んでいる人もいれば、本当に世のため人のためを思っている人も、少ないがいるのです。
 ほとんどの人に同じように教育効果はあるのですが、出世を考える人の方がメリット大だったのかもしれません。当然出世するわけです。
 私の人を見る目がないだけなのでしょう。その繰り返しが何度も続いているのです。今でもかもしれません。
 さてまとめです。今の首相も有名な元四番バッターも仕事が好きなのです。ノーベル賞学者さんもこの本の通りで仕事をしてきたのでしょう。
 でも、仕事が好きと世のためになるとは別でしょう。神様も怒りで鉄槌を下す。地震雷火事親父。いわんや自己陶酔型の自意識過剰の人は神であろうと害を及ぼす。シャープに禍をもたらした神もどきのようにです。
 労働観に加えて、陽明学が必要な時代だと私は思います。曹洞宗の教えでも良いのでしょうが、私には難しすぎるようで、陽明学の基本の考え方の方が簡単です。
 
by tsuguo-kodera (2016-02-07 06:38) 

ebisu

koderaさん、おはようございます。

仕事は誰もがするあたりまえのものだという刷込みが日本人にはあります。『古事記』の天照大神の機織小屋に言及してそれを明らかにした渡部昇一氏はただものではありません。

さて、そうだとして、次に出てくる問題がkoderaさんが指摘したことです。

>でも、仕事が好きと世のためになるとは別でしょう。

koderaさんはご先祖との関わりから陽明学へのこだわりがありますが、渡部氏は石田梅岩の石門心学にこの本のどこかで言及していました。日本で生まれた「心学」です。中国由来の「心学」が陽明学、渡部氏は日本由来のものにこだわりたい様子。
石田梅岩は商人の道徳を説いています。
由来の是非はともかくも、ビジネスに「心学」が必要であることは、わたしも同感です。

道徳の時間に石田梅岩のような思想家をとりあげてほしいですね。小学校では無理ですね。高校の国語の教科書で扱うのがいい。7時間授業にして、週2時間ほど、日本の思想を主体にした「哲学」科目を新設したらきっとビジネスの現場が変わります。

ところでkoderaさんのような方を処遇する方法が日本企業にはありません。昇進=職位アップで部下が増えます。
少ない部下の課長職では優秀な人が、部長職を拝命して部下が数倍に増えたとたんに管理しきれなくなるのをいくつか目にしました。
部下を増やさずに、処遇できればいいのですが、そういう体制が日本企業にはありません。じつにまずいですね。
日本の企業では、仕事で成果をあげればあげるほど、職位がアップして、面倒を見る部下の数が増えます。人のマネジメントはまた別の才能を要求します。

そういう点ではわたしはあまり苦労がありませんでした。それぞれの才能に応じた使い方が自然にできました。根っからの商人、そして5年間ほど水産加工場の現場監督として200人ほどの女工さんと男工さんを使っていた親父の背中をみて、話を聞いて育ったからです。中学生のときにすでに人の使い方の要諦を知っていましたから、じつに得をしました。
●人を大事に使う
●ズルは許さない
●工程作業の一部がボトルネックになって作業がきつかったら、とりあえず交替制でのりきり、その間に根本的な解消案を考えだす
●どうしたらみんなが楽になると同時に大きな成果がだせるのか考え続ける

こういうことを具体的な事例で面白おかしく話してくれました。しらないまに学ばされていたのです。これも「刷込み」かもしれません。オヤジの話は軍隊時代も含めていつも楽しかった、そしてどれもあとで役に立ちました。感謝し切れません。(笑)

by ebisu (2016-02-07 10:36) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0