〈 「書き」のトレーニング方法いろいろ 〉
 「書き」についてはどのようなトレーニングをやればよいのかについて、定説がない。要するに美しい文章をたくさん読んだ者の中から、美しい文章が書けるようになる者が出る。あるいは諸学の論理的な文章をたくさん読んだ者が論理的な文章が書けるようになる、そんなところが関の山というのが現状だろう。
 道のないところに道をつけようというのだから、なにか目印になるものがほしい。だから、シリーズ4回目各論「書き」がテーマ、思いつく文章書きのトレーニング法を並べて、「守・破・離」の「守」とは何なのか検討してみたい。皆さんもこの小さな冒険にお付き合いいただきたい。

1.視写(見てそのまま写す)
2.ディクテーション(先生が読んだ文を生徒が書き取る)
3.本を選び、一文ずつ数回音読してから、一文全部を書く
4.自由作文

 視写もディクテーションも国語の授業でやる先生はほとんどいないだろう、ましてや3番目を授業で生徒にやらせようという先生は稀有だ。読み・書き能力伸張には有力な武器なのだが、3番目を授業で指導しようすると、先生の出番がほとんどない。座って暇をもてあますことが嫌いな律儀な先生には我慢できない授業となる。スキルス胃癌を患い、術後に体力を失ってから、そういう授業もありだということに、わたしはようやく気がついた。致命的な癌を患い胃を失っても、なお得をすることがある、世の中はうまくできている。(微笑)

 どのようなお稽古事でも、お手本をそのまま真似るということが、初歩的な段階では要求される。欧陽旬、顔真卿、虞世南の古典といわれる名筆の主を一人選び、何度も何度も臨書して、書法を身につけていく。
 書道では楷書のお手本を見ながら、それを真似るが、うまくいかないから、筆の運び方、力の抜き方等について、先生から指導がある。ピアノの練習も、練習曲を繰り返し弾くことから実技指導がはじめられる。段階に応じて、練習曲の難易度が上がっていく。ひたすら先生を真似るのである。
 柔道では受身の練習から始まる。もちろん、受身には基本の形があり、それを繰り返し反復練習する。じきに投げられたら無意識に身体が反応して受身が取れるようになる、それから投げの技のトレーニングに入る。剣道は数種類の基本形の素振りを反復練習する。千日の稽古でなんとか様になる、万日の素振りでひとつの境地がみえてくる。他の武道だって似たようなものだろう。
 大工修行は鉋(かんな)研ぎから始まる。毎日毎日鉋を研ぐことで、切れ味のよい刃物がどういうものか砥石に訊くのである。刃物に両手を添えて、ひたすら砥石の上を均一の力で往復させる。慣れてくれば、刃が砥石に吸い付いてしまう。そして刃に指先を当てただけでどれくらいの切れ味に仕上がっているかわかるようになる。材料を削って、今度は木材に訊くのである。向こうが透けて見えるような鉋屑がひらひら舞うようになると、削られた柱の肌が鏡面のように反射する。
 こうしたアナロジー(analogy 類推)が問題の整理に役に立つ。すべからくlearningには、基本の型があり、ひたすら反復トレーニングすることで、技を磨く。守・破・離の守の段階である。文章作成技術の育成も同じことだろう。

 そこから、名文の「視写」というトレーニングが「書き」の基本であることがわかる。ひたすらお手本を真似る。よい本を選び、1冊丸ごと「視写」してみたらいい。小説家を志す高校生には『平家物語』の音読と視写を薦めたい。ああ、ここでは主として小中学生向けの「書き」を取り上げることになっていた、ちょっと脱線しそうになった。

 ディクテーションは外国語を学ぶときによく用いられる方法だが、小中学校の先生たちは授業で日本語のディクテーションをやってみたらいい。生徒が読まれた文をどのように理解したかが、書かれた漢字を見れば一目瞭然だ

 「けいようしはめいしをしゅうしょくする」

 こういう文を読み上げたとしよう。形容詞と名詞は書ける生徒が2/3を超えるだろうが、「しゅうしょく」が案外むずかしい。理由は簡単である、同音異義語があるからだ。ワープロの漢字変換機能には、「就職」「修飾」「秋色」「愁色」「襲職」の5つがリストされていた。文章の意味理解ができないと適切な漢字を頭に思い浮かべることはできないのである。すでに社会人となっている中2の生徒が二人とも一番目の「就職」の字を書いたことがあった。「修飾」という熟語を習っていないというのである。黒板に書いてもこの熟語の意味がわからないと言った、生徒二人は漢和辞典を引いたことがなかったのである。中1で国文法を少しやるから、国語の授業中に先生が説明したはず、ところが騒ぐ生徒が3人もいたら、先生の話がところどころ聞き取れなくなり、話の文脈が理解できない。それで「聞いていない」という発言になる。「聞こえなかった」のだろう。
 授業で生徒たちに耳慣れない漢字熟語を使うと、生徒の頭の中で、知っている見当違いの漢字に置き換えたり、外来語のようにカタカナになってしまえば、意味の理解はできない。語彙力の不足している生徒たちには五教科全部でそういうことがおきている。先生の発話を頭の中で正しい漢字に置き換えられなければ、発話の意味が理解できない、それほど語彙知識は決定的な重みをもっている。
 知らない語彙が耳に入ってきたときに、人間の頭は自分の引き出しに入っている漢字を無理やり充てようとする。もちろん「形容詞は名詞を就職する」と書いた生徒は、意味がチンプンカンプンなはずだが、そのことにすら気がつかない。文脈追いをしていないからで、ちゃんと聴き取れましたという顔で澄ましている。語彙数の少ない日常会話には不自由しないから、自分たちは人の話が理解できると勘違いしている。
 さらに突っ込んで分析すると、その生徒二人は「形容詞は名詞を」という句と「しゅうしょく」するという句の意味を関連付けて判断していないことがわかる。書いたものがどういう意味かを問うと頓珍漢な答えが返ってくるだけ。
 「書き」においても、前後の単語との意味の連携(コロケーション)が読み取れなければいけないということ。同音異義語を文脈に沿って、ちゃんと書き分けられる生徒の脳の働きは、そうではない生徒に比べてその性能に大きな差が生じている。大人の会話ができるようにならなければ、大人が使うあるいは文章語として出てくる語彙を知らなければ、中学校では授業の理解に支障がでてくることがわかる。
 文脈を追い、的確な語彙に漢字変換してそのつど正しい意味理解をしている生徒と、語彙が貧弱で正しい漢字変換をしていない生徒では、脳の働きに大きな差ができてしまうのである。これはわたしの「仮説」ではなくて、「観察された事実」である。

 次に取り上げる方法は「逆輸入」というとよくわかる。外国語を学ぶときの「音読⇒書き取り」連携トレーニングを日本語でやってみようというのである。ハンドルネーム「後志のおじさん」が数ヶ月前にコメント欄で教えてくれた。2週間試してみたが、やりかたは普遍的で効果は絶大。
 オリジナルは、「30回音読、10回書き」である。日本語だから、3回読み1回書く、これを数セットやれば十分だ。慣れたらスパンを大きくとり、「文章二つの連続音読⇒書き」をやればよい。文章を一つあるいは二つ頭に入れて、それを書き下すというのは、一時記憶トレーニングとしても優れている。1文章全体を1時記憶として保持できなければ、文の意味判断が不可能となり、単語を適切な漢字に変換できないことは明らか。2文を1時記憶できなければ、文と文のつながりを判断できない。数学の文章題の場合なら、1文目の条件を1時記憶保持できなければ、2文目を読んでいるときにその前提条件あるいは関連が脱落することになるから、立式が不可能になる。さっと読んでわかるようになるには、1段落の文くらいは1時記憶として保持できなければならない。
 幸田露伴の『五重塔』だけは、テクストに使わないほうがいい。最初の文が500字ほどもあり、2番目の文は千字を超える、一時記憶域がオーバフローしてしまい、とても覚えきれない。(笑)何が書いてあったか、記憶に残るほど鮮烈かつ秀逸な表現が、記憶に残っていれば十分だろう。
 「音読⇒一人ディクテーション」作業を繰り返すことで、一時(temporary)記憶域に文章を放り込み、それを読みながら書くことに慣れていくのである。temporaryの意味は、数秒~数十秒間の記憶保持である。1文あるいは2文を読み終えるまで、あるいはそれらを書き写すまで、記憶を一時的に保持することを指す。
 「先読み」のところでやったように、書きのトレーニングでも脳内では並列処理がなされる。読み・書きトレーニングをこのような方法で繰り返しやることで、脳の機能が格段にアップしてしまう。

 少々乱暴な仮説かも知れぬが、1~3までを文書作成の「守」とすると、その過程を通り過ぎたら、日記を書いても、テーマを決めて作文しても、見違えるほどさまになった文章が書けるだろう。この段階を迎えたら、何を書いてもよい。守・破・離の破のステージがまっている。


*守破離について(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E7%A0%B4%E9%9B%A2
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守破離(しゅはり)は、日本での茶道武道芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。

まずは師匠に言われたこと、を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身とについてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。

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*#2853 『釧路市学力保障条例の研究(1)』東大大学院教育行政学論叢 Oct. 29, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29


*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14-1

 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-15

 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19

 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04

  #3196 四段階ある作文指導工程  Dec. 6. 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-05


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