桜前線の終着駅は根室である。行きつ戻りつしながら桜前線は気ままな旅を続け、清隆寺の千島桜が満開になるのは5月中旬から下旬にかけて。根室人はニコニコ顔で桜前線の到来を迎える。桜前線は根室を通りすぎた後、北方四島をさらに北上し、2300kmはなれたアッツ島へ届く。

 今年は東京の桜の開花が他の地域よりも早い。
 聖蹟桜ヶ丘(東京都多摩市)駅前交差点の桜並木は29日に満開となった。近所の公園の20本ほどの桜も25日には寒さに震えて咲きそうな気配すらなかったのに、この3日ほど20度超えの日が続き前触れナシに満開となった、こんなことは珍しい。

 桜を眺めながら芝生の上で孫と戯れてきた。
 東京を発つ正午の羽田空港の気温は24度、降り立った中標津空港は2度。桜前線はのんびりとり北上の旅を続け、終着駅に届くのは5月中旬ごろ。


<余談-1>
 スギ花粉が飛んでいるので、マスクをしている人をちらほら見かけた。ひっきりなしにくしゃみが出たり咳き込んだり、目がかゆくなったりするからアレルギーになったらたいへんだ。北海道には杉がほとんどないからスギ花粉アレルギーもない、東京人は日本に過ぎの気のない地域があることを知らない人が少なくない。花粉アレルギーの人にはうらやましい話だ。夢と希望をもって働くことのできる企業が増えれば、だまっていても東京からの移住者は増えます。地元企業経営者の皆さん、経営改革をして根室の人口減少をストップしませんか?

<余談-2>
 アリューシャン列島アッツ島はパラムシル島から1300km離れた太平洋上にあり、カムチャッカ半島の南端が目の前に広がるパラムシル島は根室から約1000km北方にある。
 アラスカと北海道のほぼ中間にあるアッツ島は現在米国領となっている。

 我が家の庭のアッツ桜は、千島桜とほぼ同時に開花する。花は小さく可憐である。お袋が「アッツ島の桜だ」と買い求めてきて庭に植えた。長兄が終戦時に満州でソ連軍と戦って死んでいる、そういうこともあってお袋は日本軍が玉砕した島の桜を大切にしていた。

 1943年五月、日本軍はアッツ島で17日間米軍と戦った。日本軍の戦死者は2638名、捕虜になった者27名、生存率は1%。米軍上陸部隊は11000名、戦死約600名、負傷1200名。
 弾薬も底を尽きて、最後に生き残った300名の部隊は降伏勧告を拒否し抜刀して切り込んだ。敵中を突破して司令部近くまで攻めたのである。米兵には理解できない「狂気」の行動だった。
 しかし、そうではなかった。ふるさとを守るために、そこに住む親兄弟姉妹や息子娘を守るために、そして祖国を守るために、とことん戦い抜いて死んでいく必要があったのだ。とことん戦い抜かなければ生き残る者たちに悲惨な運命がまっている。
 この戦いの後、米軍は北から攻める戦略を棄て、南方の日本軍の拠点をつぶしていく戦略を選択した。沖縄にとっては気の毒な戦略転換となった。
 玉砕がなければ、北海道が沖縄戦のような状況になっていたのだろう。北方四島や北海道に上陸して、「狂気」の抵抗が大規模に起きれば、米軍の損害は甚大なものになると計算したようだ。
 敗戦半年前には北方四島に数百名の守備隊すら配置する余裕がなくなっていた。



にほんブログ村