ブログ「情熱空間」に「面従腹背にして実体化阻止という文化」なる論説がアップされていたので、面白いテーマだからコメント欄に書きこんだ。
 転載してご覧いただいてから、すこしばかり長い捕捉解説をするつもりである。
 
(ブログ「情熱空間」に書き込んだコメントにすこし加筆しました)

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7631522.html
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2014年11月10日

面従腹背にして実体化阻止という文化

実体化阻止。

北教組の常套句らしいですね、それ。文科省や道教委の職務命令にことごとく従わないわけですから、別の言い方をするとこうなります。職務専念義務違反。いや、職務命令違反そのもの。

言いたいこと。かれこれ10年来、我が釧路の子ども達の学力問題を追い続けてきましたが、どうやら教育行政のど真ん中にも、この実体化阻止の文化がすっかり根付いてしまっていて、それがために一向に物事が進展しないと、そうした構図が浮かび上がってきます。またまた別の言い方をすると、こうなるでしょうか。

面従腹背。

面従腹背にして、実体化阻止の文化。そして、その文化は継承され続けてきた。時間切れ終了を待ち、責任を負うことなく、下野して終了。それなのに、ちゃっかりと名声だけは持って帰る。「計画を立て、検証を行います」としながら、まともな計画が立てられないばかりか、検証などやったこともなし。ならば答えは簡単ですね。そこ、ぶち壊してしまえばいい。

《追記》
ebisuさんからいただいたコメント。おお!何と鋭く「本質」を射抜いてらっしゃることか…。私なら、こうはいきません!なぜ、北教組はその存在自体が社会悪なのか。なぜ、その北教組から一刻も早く抜けるべきなのか、その理由がここにあります…。

はは、「実体化阻止」いいネーミング、いい作戦ですね。 
マルクスに限らず労働価値説の真骨頂がここに見えています。サボタージュすればするほど労働者が得をするという考え方は労働価値説そのものにあります。 
面従腹背で業務命令も無視、上司の言うことには「はい、わかりました」とにこにこ顔でやり過ごす。
ソ連の労働者も中国の労働者も大方がそういう働き方をしてきました。 
経済の仕組みが資本主義に変わってしまいましたから、ロシアの労働者も中国の労働者も競って精を出さないとクビです。 

日本の「教育労働者」を自称する人々は、まるで共産主義の国の住人のような意識のままのようですね。 

反社会的な行為です。子どもたちの教育に携わりながら手を抜く、結果がどういうことになるのかよく考えてほしいものです。 

そんなことをしていたら、子ども達も保護者も敵に回すことになる。


《追記2》
そもそも、「信じているはず」のマルクスの理論をちゃんと勉強し、論理武装をした上で主張を展開しているのでしょうか、あの方々は。そこが最大の疑問ですね。そうしたことを何も知らず、クミアイが主張することをただトレースするということは、それを鸚鵡返しと言うのでしょう。以下を論破できる共産党員・社民党員・民主党員(旧社会党系)はいるのでしょうか?ebisuさん、すごいです!

マルクスの労働価値説では、労働は質が同じものと想定されています。それをマルクスは抽象的人間労働とネーミングしているのです。

名人の仕事と半端職人の仕事が同じであるはずがありませんが、マルクスは労働は質的に同じだと経済学体系の端緒(公理公準)で規定します。

労働の量は時間と労働強度の積で計算されるので、「労働者」という立場で考えると労働時間は短ければ短いほどいいし、労働強度は小さければ小さいほどいいということになります。労働は苦役であるという考え方が根底にあるので、苦役は小さいほどよいという結論が導き出されます日本においてはという限定がつきますが、実はこれこそがひどい考え違いなのです

毎日の労働時間を8時間として週5日働き、40万円の給料だとしましょう。
労働時間を勝手に短くすることはできませんから、労働強度を下げれば下げるほど、「労働者」が得をすることになります。労働量を減らして同じ対価を受け取ることができます。
サボればサボるほど得した気分になるから始末に終えません。
放課後補習も労働強度を大きくすることになるし、家へ帰ってから教えている教科に関連して専門書を読み漁ることも、時間当たりの賃金を相対的に下げてしまうことになるので、損だと感じてしまうのです。なにしろマルクスが労働量をそのように説明しているし「労働は苦役である」と説明していますから、そう思うのも無理ありません。
一心不乱に仕事した方が楽しいのに、得をすると勘違いして手を抜くことばかり考えるようになるのです。
マルクスの労働価値説(抽象的人間労働)と労働観はそういう欠陥をもっています。

日本人の仕事観はまったく違います。正月に刀鍛冶が禊をしてから仕事をします。できた生産物は一番よいものが神への捧げものになります。仕事は歓びです。だから、一流の職人が手を抜くことはありません。仕事を手抜きしたら楽しくないし、神様がいつでもどこでもご覧になっているからです。
ひたすら正直で誠実がいいということになります。
日本人の仕事とはそういうものです。たぶん縄文時代から続いている仕事観だと思います。
欧米の労働観はどこかで奴隷労働がその根源にある、だから、労働からの解放がテーマになる。日本人から仕事を取り上げたら、それは「解放」ではなくて、疎外です。仕事をしていた方が楽しい。

《引用終了》
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<教徒は信仰する宗教やイデオロギーの聖典群を自ら読むべき>
 北教組や日教組に入っている先生たちはマルクス『資本論』を読んだことがあるのだろうか?共産主義や社会主義を信奉する者たちにとって、マルクス『資本論』は聖典群の中心にある。

  ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は共に同じ神である造物主(ヤハウェ、造物主、アッラーと名前は異なるが同じ天地創造神)を崇めている。神が同じなら経典群もほとんど共通している。聖書と呼ばれるものを含むこれらの経典群を読まない教徒はいないだろう。
 ところが、仏教徒はお経を読まない人が多いのではないだろうか。僧侶はお経を読むが一般の人は、特定のお寺の檀家の一人ではあっても日常経典を読むことはほとんどないだろうし、あっても難しすぎるからお経の意味を理解して読む人はさらに少ない。特定の宗派に属する熱心な信者は別である。でも、だれもがたくさんの仏教説話を見聞きして知っている。僧侶でお経を読まぬ人はいない。
 神社へ行ったことがあっても、『ほつまつたゑ』や『古事記』や『日本書紀』を読み通した人はほとんどいないだろう。しかし、八百万の神々が棲む国でありたくさんの神々がいることはなんとなく知っているし、生きとし生けるものが共に生きるということを身体に染みとおるように暮らし、正月には神社に参拝して日常の生活の中で伝統的な思想を受け継いできた。実に自然な形で、それは特定の形すらないほどに自然に受け継がれてきた。だが、神社の神職で国の成り立ちを記した『古事記』を読まぬ者などいないだろう。

 さて、日教組や北教組の組合員の皆さんはマルクス教の教徒のはずだが、聖書である『資本論』を読んでいるだろうか?
 いまでは共産党の幹部ですら『資本論』を読んでいるものが少ないと囁かれるほど不勉強のようだ
。三巻五分冊の専門書を読みこなすのは楽しいはずだが、苦しいと感じる者もいる。だから誰かの解釈や言説を鵜呑みにしたくなるのも無理はない。共産党本部の書庫にはドイツ語版の資本論があるようだが、それを借り出して読んだ者はこの数十年ほとんどいないのではないか。肝心要の『資本論』になにが書かれているのかすら知らずに盲目的に信仰するのは「科学的社会主義」の立場から遠く隔たっており、カルトとなんら変るところがない。
 どんな宗教の教徒も、どんなイデオロギーの支持者も、教祖の説いた教えや聖典群は読まないよりは読んだ方がいい。経典群を解説している者たちの解釈がまちがっていることがあるからだ。経典群を読みリーダたちの解釈が正しいか否か一度自分の頭でじっくり考えてみるべきだ

 北教組の先生たち、ebisuと『資本論』勉強会しませんか?
 北海道でマルクス経済学を学びたい若き学徒はどうぞ根室に半年間移住してください。

<異論のある方はコメント欄へ書きこまれよ>
 日教組と北教組の組合員の皆さんは、ここに引用した私の言説に異論があればぜひ自分の意見を弊ブログコメント欄に書かれよ。書いていただいたコメントを粗略に扱うような失礼なことはしない、コミュニケーションが必要と感じるからだ。

<マルクスの労働観と日本人の「仕事観」の相違>
 労働価値説は工場労働者や奴隷労働をその淵源にもつ概念で、労働は本来楽しくないものというのが西欧の経済学の共通了解事項となっている。マルクスは「労働は苦役である」という。北教組の皆さんが基本的に仕事が楽しくない、仕事がきつくなることを嫌がるのはこういう西欧流の労働観にこころが汚染されているからで、少人数学級や労働強度の緩和を声高に主張をすることにも本源的な理由がちゃんとある、しかし、ご本人たちは自覚していない。

 日本人には日本人の伝統的な考え方に基く経済学がありうる。目の前の現実を見れば日本人ならだれにでもわかることが学者にはさっぱりわからない。日本人にとって仕事は誇りであり楽しいものであり、人生の不可欠な重要部分をなしている。
 かように欧米の「労働観」と日本人の「仕事観」はまったく異なっている、異なっているどころか対極にあるというのがebisuの経済学の基本的なスタンス。

<仕事がキツイ!:心の問題はないか?>
 日教組や北教組の主張にあるでしょう、曰く「30人学級がいい!」、「仕事量が多すぎる!」。ほんとうに仕事量が多いのでしょうか?学校はブラック企業ですか?団塊世代のebisuが通った小学校は1クラス60人で1学年6クラスありました。中学校は1クラス55人で1学年10クラス、高校は1クラス50人で1学年7クラスでした。いまでは高校は50年前に比べて1クラス8割の規模ですが、小学校は半分以下の規模になっています。花咲小学校の今年の入学児童数は39人で2クラスですから、1クラス当たりの人数は58年前に比べて三分の一です。北海道の他の地域も似たり寄ったりでしょう。こんなに1クラス当たりの児童数・生徒数が減少したのに、北海道の小学校の偏差値は37しかありません。北教組の皆さん、仕事の何がきついのかデータをあげて具体的に説明してみませんか。まだ1クラス当たりの人数が多すぎると北教組の皆さんは主張しています。
 心身症の先生たちが増えているという話も聞きます、データをあげてどこに問題があるのか分析して見る必要があるでしょう。

 民間企業では仕事の要領の悪い者ほど「忙しい」とぼやきます
 ほんとうに仕事がそんなにきついのでしょうか?小学校の担任はしょっちゅう放課後補修してくれました、「わからないもののこれ!」ってね。いまは小学校の先生たちはそういうことをしないようです。
 1クラスの小学生の学力は58年前の半分以下になりましたが、学力テストの成績は全国最低レベル、都道府県データを基にした偏差値で37(全国の小学校が百校あると假定すると北海道は90番目ということ、五段階相対評価だと1と2の間に位置する)です。47都道府県で競争したらほとんどゲレッパ(ビリ)だということです。仕事の成果がまるで出ていないのに、仕事がきついと感じている、これはもう病気です。
 仕事のやり方や指導の仕方に問題があるとは考えない。何かよくないことがあればそれは自分ではなく、自分の外側に原因ありと考える。これでは自己改革のチャンスを失います。生徒のいない夏休みや冬休みに登校して判だけ押して帰ってくるなんてことは民間企業の「労働者」にはありえません。それでも仕事がきついと感じるのは、マルクスの労働観でこころが汚れてしまって、本来歓びであるはずのものが苦役に変わってしまっていることに気がついていないからで、よく観察したら原因の大半は自分のこころにあります

<労働者ではなく「教育の職人」としての誇りをもとう>
 根室の中学校の先生たちはこういう呪縛から自らを解き放ち始めています。生徒の学力を上げようと、底辺の学力の生徒たちに放課後補習をするようになってきました。市街化地域の3中学校では8年前にも数人いましたよ、しかし数人だったし、学校として校長先生がバックアップしたものでもなかった。それがいまでは集団の動きになっています、学校としての取組に変りつつあります。一部では小中学校の先生たちの定期的なミーティングも始まっています。中学校の先生の立場から、小学校の授業に注文をつけると、中学生の学力を上げるのに有効であることに気がつき始めたからです。
 学校の先生は「教育労働者」ではありません、プロの仕事人です、そうですね「教育の職人」「授業の職人」とでもネーミングしましょうか。
 ぜひプロの技を磨いて、真摯に仕事をして成果をあげてください。

<経済学に関するebisuのバックグラウンド>
 精神的な面で早熟だったebisuは高校2年生のときに根室高校図書室にあった『資本論』を百ページばかり読んだけどさっぱりわからず、深い森に迷い込んだ気がした。読んだ部分の地図が描けなかった。
 あのころは公認会計士二次試験科目(簿記論・会計学・原価計算論・監査論・経営学・経済学・商法の7科目)の勉強を始めていたので、マルクスよりも近代経済学の専門書を先に読んでいた。といっても高校時代は中央経済社から出始めた公認会計士二次試験講座シリーズの『経済学』を読んだだけ。ケインズ派の乗数理論は数学好きな生徒には理解のしやすいものだったから近代経済学の方は高校生でもよくわかったが、マルクス『資本論』には歯が立たなかった。
 公認会計士になるつもりで商学部会計学科に進学したのだが、経済学が気になっていたから哲学やマルクスの著作を読むうちに、2年生の時には公認会計士受験とはおさらばして経済学にのめりこんでいた。哲学者の市倉宏祐教授のゼミでマルクスの著作(資本論全巻と『経済学批判要綱』(以下グルントリッセと略称))を読み、大学院でも3年間研究した。A.スミスの労働価値説やディビッド・リカードの労働価値説および比較生産費説による国際市場論も関連があるので原書もチェックしながら読んだしペーパーも書いた。
 だから、思いつきで書いているわけではない、しっかりしたバックグラウンドがあってのことだから、安心して読んでもらいたい。
 
 ところで、マルクス『資本論』を超える経済学を創ろうと思って、弊ブログ・カテゴリー「経済学ノート」に書き溜めてあるので、興味のある人はそちらも読み漁ってもらいたい。こんなものでいいのかどうかわからないが、とりあえず職人主義経済学と命名している。名前がないと説明しにくい、でもこの命名にしっくりしていないことも事実。ネーミングにアイデアがいただけたらありがたい。

 労働価値説は工場労働者や奴隷労働をその淵源にもつ概念で、労働(=苦役)は本来楽しくないものというのが西欧経済学の共通了解事項となっている。
 日本人には日本人の伝統的な考え方に基く経済学がありうる。目の前の現実を見れば日本人ならだれにでもわかること。日本人にとって仕事は誇りであり楽しいものであり、人生の不可欠な重要部分をなしている。かように欧米の「労働観」と日本人の「仕事観」はまったく異なっている、異なっているどころか対極にあるというのがebisuの基本的な考え

 経済学の根本概念である労働観が違えば、その経済学体系も違って当然なことは誰にでもわかることで、だからebisuは仕事が楽しいものだという日本の伝統的な価値観に基く経済学を十数年前から創りつつある

 西洋経済学の労働概念にに変わるものを見つけるためにアカデミズムの世界を出て、実社会で仕事に打ち込んで20年ほどかかってebisuはようやく見つけたのですから、浅学菲才どころかただの愚(グ)です。しかし、愚直を続けついに十数年前に見つけました、新しい経済学の生誕です。経済学史の大家・内田義彦先生の著作に『経済学の生誕』という本があります。4年生の9月に大学院学内入試があり、口頭試問のときに内田先生は大学院の院長で正面中央に坐っていました。ebisuは30人ほど教授がUの字型のテーブルについて聴いているなかで、答案の内容で採点を担当したNo.2のH先生とやむなく論争にいたりました。マルクスの貨幣論について論述せよというような出題だった。口頭試問の冒頭から「君は経済学を知らんね」と仰ったので、カチンと来てスィッチが入ってしまいました。ゆっくり言いました、「答案を見て仰っているのでしょうから、どこでしょう?指摘してください」。答案を見ながら「貨幣の第三規定で貨幣としての貨幣とはなんだね?」、商学部会計学科の学生は貨幣の規定も知らんのかという態度がありありでした。な~んだ、そういうことか、息をゆっくりと吐いてから、マルクス・グルントリッセを引用してマルクスの貨幣論を説明し採点ミスをその場で指摘しました。「グルントリッセの貨幣論には貨幣の第三規定として「貨幣としての貨幣」という規定があります」そう伝えると、Uの字型のテーブルにずらりと席についていた30人ほどいた教授陣はシーンとなりました。経済学研究科には商学関係の教授もいました。当時は商学研究科が独立していなかったのです。H教授の顔がみるみる真っ赤になったのを覚えています。当時研究が盛んになっていたグルントリッセ(経済学批判要綱)をお読みになっていなかった様子。第1分冊から第5分冊まで価値論から貨幣論そして資本と剰余価値、さらに世界貨幣を論じた最重要文献でした。真っ赤になって押し黙って言葉が出ません。それで口頭試問は終わりました。
 学内試験では成績がトップでしたが、指導教授になる人の顔を潰したのですから、不合格でした。その年度は3月の大学院入試でも合格者無しでした。秋の学内試験に続いて2度目の合格者無しという異例の年になりました。
 H教授にとってもわたしにとっても不運な事故だったと思います。H教授はグルントリッセの目次すら読んでいなかったのでしょう。第2分冊目には世界貨幣が載っています。他の分冊でも、貨幣が資本へ転嫁するところで、貨幣の第三規定がとりあげられています。
 H教授は自分のゼミの学生も受験していたから哲学の教授が指導した商学部会計学科の生徒は経済学部のゼミで学んだ自分のゼミ生よりも経済学についての知識が劣っていると言いたかったのでしょう。所属が商学部会計学科というだけでなく、指導教授が哲学の市倉宏祐先生でした。
 目の前にいる商学部会計学科の学生がそれまでの価値形態論や価値論を根底からひっくり返して思考しているとは想定外だったでしょう。中野正の『価値形態論』や宇野弘蔵の『価値論』が前駆的研究としてありましたが、どちらも見当違いの方向へ関心の焦点がずれていました。宇野先生は頭のよい方のようですから、あるいはグルントリッセを読まれていたら気がついたのかもしれません。戦後まもなくの当時はグルントリッセは出版されていませんでした。宇野先生は『資本論』冒頭の商品が資本主義的生産関係を捨象したものであることにには気がついていました。しかしなぜそういうことが経済学体系構成上捨象されなければならなかったのかについては理解できずに脇道にそれてしまいます。グルントリッセの流通過程分析を読むことができたら、違う主張をしたかもしれませんが当時はグルントリッセのドイツ語版すらありません。宇野先生は自分の考えが先に立ってしまってマルクスの経済学の深淵ついに届くことがありませんでした。
 抽象的人間労働と具体的有用労働で商品の端緒規定をした後で、マルクスはそれを単純な流通関係に措定して分析しています、交換関係ではありません。単純な流通関係は価値表現の関係でもあります。マルクスのシェーマは次のようなものでした。

 単純な流通関係⇒より複雑な商品流通関係(交換関係)⇒資本主義的生産関係⇒単純な市場関係⇒より複雑な市場関係⇒単純な国際市場関係⇒世界市場関係

 商品規定は世界市場関係で完全なものになる予定でした。こういう概念的関係の拡張と構造はそれまでのマルクス研究者が誰一人として気がつかなかったものです。その演繹的体系構成は驚くほどユークリッドの『原論』に似た公理的な演繹的体系構成を有していたのです。学部の学生でしたが、わたしはこうした『資本論』の体系構成に3年生のときに気がついていました。それで半年間ほどたいへん悩みました。それまでの経済学者とはまるで違う世界に踏み込んでしまっていました。共産党も宇野学派も日本中のマルクス経済学者をまとめて敵に回すしかないところに立って途方にくれていました。あの当時はわたしは自分の考えを他の経済学研究者に理解できるようなわかりやすい解説ができなかった、あまりに違いすぎていました。
 けれども、そうした学の体系理解から従来の論争や解釈を点検すると、宇野氏の『価値論』と経済学原理論が何を見落としたのかがよく見えました。宇野先生は『資本論』の冒頭の数十ページを読み違えています。その結果、マルクスの経済学の全貌を把握することができなかった。マルクスは世界市場関係まで叙述するつもりだったのです。そこは不十分のままでした。リカードの比較生産費説を援用していますが、そこから先をどう書き進めたらいいのかわからなかったのでしょう。その辺りが経験科学の限界だったかもしれません。マルクスの生きていた時代の資本主義は現在と比べるとまるで違っています。グローバリズムこそが世界市場関係を具現したものです、帝国主義があり、国民国家と国民経済はあったが、それを超えたグローバリスムはいまだ出現していませんでした。現実にないことを経験科学は叙述する術をもちません。理論はつねに固有の限界をもち、それを超えたところまで延長すると破綻が生じます。ニュートン力学と相対性理論を比較するとその限界がよく理解できるのではないでしょうか。
 使用価値規定の所でも気がつくべきでした。マルクスは抽象的人間労働に具体的有用労働を対置して使用価値を規定していましたが、なぜか宇野氏はそこを見過ごしたようなのです。価値も使用価値もそれぞれ抽象的人間労働と具体的有用労働の具現化なのです。それが単純流通では買い手にとっての使用価値として現れ、物々交換として記述されます。交換関係では商品所有者が現れ、商品の交換は貨幣に媒介され、商品売買となります。
 くどいでしょうがわたしは『資本論』ドイツ語版や資本論初版、フランス語版資本論をトレースして読んで気がついていましたから、それをグルントリッセで確認しただけなのです。グルントリッセを読む前にマルクスのやった体系構成が見えていましたが、宇野先生には見えなかった。
 宇野先生は資本主義的生産関係が捨象され、単純な流通関係で抽象的人間労働と具体的有用労働が再規定される意味も見逃しています。すぐ近くまで行っていたのですが、自分の考えが邪魔して、ご自分の理論に都合のいいように理解してしまったのです。
 抽象的人間労働は単純な流通関係で価値という現象形態をとります。それがより複雑な流通関係で交換価値すなわち貨幣に結晶していくのです。資本主義的生産関係では商品の価値や価格に、そして労働力商品の価値や価格に、単純な市場関係では市場価値に、国際市場関係では国際市場価値へと抽象的人間労働は重層的な鎧を帯びていき、現実性を獲得していきます。最終的に世界市場で世界は弊となります。演繹的な概念構成であると同時に、『資本論』はさまざまな関係概念による基本概念の拡張という重層的構造を有しています。このような資本論解釈をしているのは世界中でebisu一人だけです。でも当たり前のことですから、いつの日か定説になっているでしょう。そして新しい経済学が理解され広がることを期待しています。
 宇野学派はマルクス経済学で最大のシューレ(学派 die Schule)をなしていますが、宇野経済学原理論というメガネを通して『資本論』を読んでしまうと宇野原理論が見えるだけでマルクスのやったことが見えなくなります。宇野三段階論はそれ自体はなかなか美しい姿をしていますから、宇野派のどなたも資本論の体系構成が何であったのかいまだに気がついていません。気がつかないままにあのシューレは歴史的使命を終えて消えていきます。すでにエネルギーを感じません。
 大学院の学内試験の口頭試問でH教授は目の前にいる商学部会計学科の学生がそれまでの『資本論』解釈を根こそぎひっくり返してしまっているとは思いもよらなかった、商学部会計学科の学生が何を生意気に経済学研究科のしかも本丸の理論経済学なのだという気持ちが少しはあったのではないでしょうか。ところが当時の研究水準(そしていまでも)ではebisuは日本の価値論研究と『資本論』体系の研究では最先端を歩いていました。あの場でどなたが論争相手でも結果は同じだったでしょう。
 第一分冊と最終分冊の第五分冊初版の出版年を挙げておきます。

 マルクス『経済学批判要綱第一分冊』高木幸二郎監訳 1959年刊
 マルクス『経済学批判要綱第五分冊』高木幸二郎監訳 1965年刊

 グルントリッセはマルクス全集(新メガ版)が出版され始めてから翻訳された最重要文献でしたが、(学内の大学院入試のあった1971年の時点では)まだ数年しかたっていなかった。定年間近のその教授は不勉強を自ら暴露するような恥ずかしいことになってしまいました。商学部会計学科の学生に理論経済学の核心的な部分である貨幣論で経済学研究科所属の教授が居並ぶ中で間違いを指摘され反論できないのですから、他の教授だちも呆然として声がなく、座がシーンとなりH教授の顔が見る見るうちにまっかっかになっていきました。じつにお気の毒でした。その日の夜に大学院長であった内田義彦先生がゼミの指導教授市倉先生(哲学)を通して助言をくださいました。市倉先生は異例のことだったと驚くと同時に喜んでくれました。内田先生は何か新しい研究のエネルギーをお感じになられたのかもしれません。いまは懐かしい思い出です。
 1971年10月ころにあった学内試験でそういう経緯があって母校の大学院への進路が断たれ、2月の試験でもその年は合格者ゼロ。H教授はなんとしてもわたしをとるつもりがなかったようです。秋に結婚を控えていたので4月になってから新聞の募集欄を見てすぐに就職しました。学内試験ではトップだったのでとうぜん合格すると思って他大学の大学院を受験していませんでした。
 学内試験を入れてその年の2月と3年後、あわせて3回母校の大学院を受験しましたが、そのすべてが合格者ナシ。その教授はよほど私をとりたくなかったのでしょう、気が小さな人はいるものです。成績が一番の学生を席次No.2の教授がリジェクトしたらそれより成績の悪い学生をとるわけには行かなかったのかもしれません。わたしとにいざこざは他の人には関係にないこと、とってあげたらよかったのにと思います。「Hさん、君の後輩は苦手だよ」と言っていたと笑ってました。
 三年間働いても学に対する思いはやみがたく、遣り残していることをやるために大学へ戻る決意をしました。12月はじめに辞職を申し出て引継ぎのため、1月末で仕事をやめて2月に母校と他の学校2校を同時に受験しました。結果は母校はまた異例の合格者なし、他2校はトップ合格でした。辞退したほうの学校は面接のときに部屋の前に置かれた椅子に坐って待つように言われて、名前や点数など話しがまる聞こえでした。そして合格発表が先のほうを選びました。
 棄てる神あれば拾う神あり、ありがたいことです。その学校には宇野派の春田教授がいて指導教授になってもらいたかったのですが、残念ながら新任のF先生が指導教授でした。私は春田教授を通して宇野派と全面対峙したかったのです。四国の国立大学から転任されてにわかに指導教授になられたF先生は60頁ほどの恐慌論に関する論文を書いておられたのですが、ebisuは『資本論』の体系構成が研究テーマでしたから一読はしましたが興味は湧きませんでした。他にアルチュセールの若手の研究者が一人いらっしゃいました、今村仁司さんです。この先生に講義をお願いすればよかったのですが、同期は一人だけ、一年上の先輩たちには同じ分野の院生がいなかったので一人でお願いするのもずうずうしいような気がしてチャンスがなかった。一ツ橋大学学長だった経済史の増田四郎先生がいたので、院生三人で特別講義をお願いしたらリスト著小林昇訳『経済学の国民的体系』をとりあげてくれました。三人の内の一人は数年前にある大学の経済学部長をしていました。いまも同じ大学に居るはずです。増田先生の特別講義は冷や汗と至福のときが交互に訪れた穏やかな授業でした。増田先生の学風に触れる機会を一年間もてたことで私の中に実証研究という別のアプローチの芽が育ったように思います。経済学と国民国家の成り立ちをリストの著作を通して眺められたのはありがたいことでした。

 いまこうして新しい経済学の芽を育てることができているのですから大学院学内入試の「あれ」は必要な「事故」でした、H教授に感謝しています、まっすぐに母校の大学院へ進学していたらおそらく新しい経済学を叙述することはかなわなかったはずで、せいぜいそれまでの『資本論』解釈を全部ひっくり返すくらいの研究しかできなかった。
 スキルス胃癌と巨大胃癌の併発もわたしの命を奪うことはなかった。地元の消化器内科医のO先生と若き優秀な外科G先生(音更町・木根東クリニック)のお陰です。きっと天は私に大きなチャンスをくれたのででしょう、人生はうまくできているものです。(笑)
 

*木根東クリニック
http://www.kinohigashi-clinic.com/guide/



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経済学の国民的体系 (1970年)

  • 作者: フリードリッヒ・リスト
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1970
  • メディア: -

マルクス経済学原理論の研究 (1959年)

  • 作者: 宇野 弘蔵
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1959/06/25
  • メディア: 単行本

宇野弘蔵著作集〈第9巻〉経済学方法論 (1974年)

  • 作者: 宇野 弘蔵
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1974
  • メディア: -

宇野弘蔵著作集〈第3巻〉価値論 (1973年)

  • 作者: 宇野 弘蔵
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1973
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第1分冊〉 (1958年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1958/10/30
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第2分冊〉 (1959年)

  • 作者: Karl Heinrich Marx
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1959
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第3分冊〉 (1961年)

  • 作者: Karl Heinrich Marx
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1961
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第4分冊〉 (1962年)

  • 作者: カール・マルクス
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1962
  • メディア: -

経済学批判要綱(草案)〈第5分冊〉 (1965年)

  • 作者: カール・マルクス
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 1965
  • メディア: -


     哲学者は認識論的アプローチで資本論を読む、これはこれで一つの読み方。文庫本でも出版されています。
 

資本論を読む

  • 作者: ルイ・アルチュセール
  • 出版社/メーカー: 合同出版
  • 発売日: 1982/06
  • メディア: 単行本

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 ネットで検索して今村先生の著作を見つけましたが、ebisuは読んでいません。修士論文を書く少し前にお話しする機会が一度だけあったように記憶しています。修論の審査員三人の一人だったかもしれません。そろそろ暇を見つけて読みたいと思います。


近代の労働観 (岩波新書)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1998/10/20
  • メディア: 新書

貨幣とは何だろうか (ちくま新書)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1994/09
  • メディア: 新書

マルクス入門 (ちくま新書)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 新書

アルチュセール全哲学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 今村 仁司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/10/11
  • メディア: 文庫