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#4072 人口もGDPも縮小でいい Aug. 28, 2019 [A4. 経済学ノート]

 拡大再生産が善とされているが、ほんとうにそうなのだろうか?
 政府は経済統計の基準を変えて如何にも増えたように見せているが、旧基準で作り直せば、GDPはすでに飽和限界を迎え、下り坂に差し掛かっているように見えないか?

 学術論文なら、ここでさまざまなデータを引用するところだが、煩わしいのでそういう手続きは一切省く。

 原子力発電所は、1950年代の経済高度成長期に、増大する電力事情に対応するために考えられた手段の一つだった。経済成長が続けば、電力需要も増大するから、電力供給もそれに対応する必要があった。
 原発稼働に伴って排出される使用済み核燃料は十万年以上も保管しなければならないが、東京電力や私の住む地域にある北海道電力が会社として10万年後にあると思う人は一人もいないだろう。日本政府だって明治から数えてもわずか150年にすぎぬ。原子力発電所から出る使用済み核燃料の処分と保管に、実際にはだれも責任がもてないのである。
 深い地下に埋設しても、どうやってもいずれ、環境中に流出してしまう。日本列島は環太平洋火山帯の一環をなしており、10万年後に日本列島が現在の形をとどめているとは思えない。地下埋設の適地はない。
 『Sapiens』の著者ハラリによれば、ホモサピエンスが文化を形成し始めたのがわずか7万年前のことだ。こんな短期間で、原子力発電所をもっている。これからさき何を産み出すのだろう?
「10万年前の地球には、少なくとも六つの異なるヒトの種が暮らしていた。『サピエンス全史(上)』20頁
 10万年後に地球上で現在の人類が暮らしているのかどうかわかる人はいない。
*弊ブログ’Sapiens’
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306194255-1


 経済成長がなければ、原子力発電は必要がなくなる。経済成長がとまることは人類の生存にとっては歓迎すべきことなのだ。

 秋刀魚の水揚げ量が減っている。小型船、中型船では水揚げがほとんどゼロに近かった。先週から大型船が解禁になり、一昨日ようやく40隻が戻ってきて道東の各漁港へ水揚げされたのは500t、ようやく昨年の8割に戻し始めた。
 漁具や装置が性能を上げている。衛星で海水面の温度変化を時々刻々計測し、魚種ごとに集まっている海面を予測できるような時代である。データから確率の高そうな場所を選んで、その位置情報入力して船を走らせ、高性能の魚群探知機で群れを見つける。ずいぶん便利になった。秋刀魚を食べなかった中国人や東南アジアの国々の人たちが秋刀魚を食べはじめて、獲れば獲るだけ右から左に売れていく。巨大な中国船や台湾船が北方公海上に出んと居座り、網を入れて秋刀魚をとり続ける。輸送船が母船に来て冷凍した秋刀魚を次々に台湾や中国へ運んでいく。
 公海上での秋刀魚の乱獲の影響はすさまじい。秋刀魚この5年くらいで見る間に小型化してしまった。5年前は180gが主力だったのに、昨年から120gの脂ののっていない小さな秋刀魚ばかりだ。13億人の中国人が日本人と同じくらい秋刀魚を食べるようになったら、北太平洋上から秋刀魚は姿を消すだろう。
 船が大型化し、GPSや魚群探知機や衛星からの情報、そしてそれらを分析するソフトウエアは毎年性能を上げ、秋刀魚の漁獲高は急激に増え続けている。秋刀魚漁の拡大再生産と拡大消費である。各国のGDPが上がり、資源量は枯渇に向かって驀進している。便利になりすぎた。
 鮭鱒流し網漁は、資源の枯渇化を防ぐためにすでに禁止だ。味が蛋白で、身が大きいタラバガニは昭和の乱獲で、とっくに沿岸資源が激減してしまった。無軌道な拡大再生産の果てにまっていたのは、漁業資源の枯渇だった。

 60年前にはなかったペットボトル飲料がコンビニにもスーパーにもずらりと並んでいる。分別収集しても、一部は川へ流れ、海へ出てしまう。レジ袋もそうだ。たしかに、ペットボトルもレジ袋も食品トレーも便利この上ない。棄てられたプラスチックは紫外線に弱いから海を漂いながら、劣化し波の力で分解されて小さくなっていく。それがプランクトンや小魚へ、食物連鎖であらゆる海の生物がマイクロ・プラスチックで汚染されていく。人間が出したゴミは、結局のところ人間の身体へ戻ってくる。
 流通ルートの検査では検知できないほど微小なマイクロ・プラスチックや、プラスチック製造に使われた添加物(化学薬品)が人間の体内の蓄積し始めている。いまや、水道の水にも含まれてしまっており、除去できない。遺伝毒性があるのかないのかもまったく不明だ。マイクロ・プラスチックを体に取り込んだら何が起きるのかという壮大な実験を、人類はいましている。結果が出たときには、たぶん取り返しがつかない。
 レジ袋も、ペットボトルも、生鮮食品を載せる白いトレーも、人類の生存を考慮すると使用をやめなければならない。
 
 人口縮小すればペットボトルの消費量もレジ袋の消費量も減少する。GDPが減れば、あらゆる生産物の絶対数が小さくて済む。

 拡大再生産の行きつく果ては人類滅亡である。人類が生き延びるためには、過剰な便利さを棄て、人口もGDPも縮小すべきだ。そして、生態系の中で、安定的に人類が暮らせるのはどれくらいの数なのか、調査・研究したらいい。
 日本では人口3000万人の江戸時代が参考になるだろう。人類史上まれにみる高度な循環経済型都市だった。現在の技術ではどういう循環型経済社会が築けるのだろう。
 人類の叡智がためされている。



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