今夜は11.6度、今年はじめて夜の気温が10度を超えた。庭の千島桜は昨日一厘花びらをつけてから、その数を増している。根室もようやく春だ。

 根高普通科3年生の看護師志望コースで使っている問題集は『新編 数学1Aの重点整理』(正高社)、「問題解答」を含めて96ページ、薄くて使い勝手がいいとは生徒の弁。学校では別冊の『解答解説集』は生徒に渡していない。こちらを見てしまったら力がつかないとの判断なのだろう、その通りだと思う。
 複数の生徒から昨日の授業で7題質問があったうちの一つを紹介して、小平邦彦の数学教育論にまで言及してみたい。

202 半径2の円周上に3点A、B、Cがあって、弧AB:弧BC:弧CA=3:4:5のとき、△ABCの面積を求めよ。

 どうやったらいいのかわからないというので、「円周角が出るだろう、円周を3+4+5=12に分割したのだから」。
 そのあとが分からないというので、問題文をもう一度読むようにいう。
 「半径というのは外接円の半径のことだよ」というと、「あ、正弦定理で辺の長さが出せるんだ」と気がついたので、「やってみたら」と促す。
 ここには問題文の読解力の問題がある。「半径2の円周上に3点A、B、Cがあって」という文を「外接円の半径が2の△ABCがある」と読み替えができるか否かということ、これができないと正弦定理を使う問題だということに気がつかない。もろもろある定義や定理に問題文を読みかえることができるかどうかという能力は国語力と思考力の問題なのだ。

 中学数学に比べて高校数学は問題文の読解能力が倍くらい要求されるのではないだろうか。だから、比較的レベルの高い本を含めてそれまでに積み重ねた読書量が武器となる。本を読んでいない者は国語はもちろん点数が低くなるし、母語の能力が低ければ、英語も伸びが止まってしまう。高校時代に英語の能力が伸びる生徒は国語の能力が高い者に多い。

 大学受験を考えると、根室高校普通科の授業速度は遅すぎる。だから、予習方式で自力で勉強して、センター試験レベルの問題をこなす必要がある。根高普通科ではセンターレベルの問題を扱うのは3年次である。さて、1年次でセンターレベルの問題をやるとして、まずは教科書を予習して理解し、教科書準拠問題集、通称「サントラ」の問題を全部解かなければならない。それを理解した後でないと、センターレベルの複合問題に対処できないだろう。
  数学に限らず、教科書は日本語で書かれているから、日本語の読解力がある程度高くないとどの教科も教科書を予習して理解することができない。日本語の読解力がすべての教科の学習の基礎的な力、根元力となっているのである。
 小学校や中学時代に、児童書から大人の本へと質的に高いレベルの読書へ転換を遂げた者は高校時代に本格的に受験勉強に取り組むと大きく成績を伸ばす者が多いのはあたりまえのことだ。江戸時代から言われている学習の王道、「読み・書き・そろばん」は重要な順序で並んでいることにあらためて気がつく。

 さて、質問した生徒は計算を進めていたがシャーペンが止まっている。どこがわからないのかノートを見ると、弧の長さの比からそれぞれの円周角はきちんと計算されていた。図に角度が書き込まれていた。この作図能力も問題文の読解に重要な役割を果たしている。概略図がポイントを外さずに描けると、問題文に隠されている条件がはっきり読み取れることが多い。
 円周角を出した後に正弦定理で各辺を出そうとしたが、∠Bが75°になっていて対辺のACの長さが出せない。ACが出せなければ面積計算に∠Aも∠Cのsinも使えない。(∠Aは60°、∠Cは45°だから、辺ABと辺BCは簡単に計算できる。)
 さて、どうしたものか、ここで立ち止まって全体を見渡してみる。ACを組み込み余弦定理の公式を使う方法と三角関数の加法定理を使う方法がある。sin75°くらいは答えを憶えてしまっている生徒もいるだろう。加法定理で計算しても1から2分で計算できる。
 小学生や中学生での計算トレーニング不足はできのよい生徒にも起こりがちの現象である。少しやったら理解できたと思い込んで練習量を増やす努力を怠ってしまう、充分だと思い込むのである。ところが、計算トレーニング不足は高校生になってからその副作用が出るから、気がついたときには取り返しがつかない。やはり、計算力を磨くべき旬の時期があるから、そのときに充分な練習量を積むべきである。数学者の小平邦彦がそういうことを繰り返し主張している。

 ACの長さは無理数になると予測できるから、余弦定理を使った二次方程式は計算に手間がかかる。実際に方程式を作ると1次の項の係数が無理数になる。計算力に自信のある生徒は力任せに強引に解いてもいい。しかし、加法定理を使ったほうが計算がずっと簡単になる。
 生徒は余弦定理を使って2次方程式を解きあぐねていた。中学校時代に計算トレーニングが足りなかったようだ。加法定理を使ってsin75°を計算して見せた、あとは簡単だ。

 面積を計算し終わってから問題集の解答を見たら、円周角ではなくて中心角を計算して、中心角の三角形三つに分割する方法が示されていた。各三角形は中心角をなす角とすると、半径が角を挟む辺となっているから、半径を等辺とする二等辺三角形が3個だ。計算はこれが一番簡単で速い。
(だからといって問題パターンごとに解法を覚えるようなことは成績上位層には薦められない。高校数ⅠAと数ⅡBの問題を分析して500パターン以上に分けて解法を覚えるような参考書もあるが、バカバカしくて感心できない。そんな能力をセンター試験が求めるのはナンセンスである。これが作問委員を長年やったことのある人が出しているシリーズ物の数学参考書なのだから、この国の数学教育は危ういと言わざるをえぬ。)

 行き詰って解答を見てしまうと、たいていは最短距離で解く方法が説明されているから、生徒は試行錯誤の機会をなくしてしまう。数学の力は試行錯誤を繰り返すことで身につくものだから、成績上位層の生徒、上位5%くらいの生徒は解答を一切見ないで独力で解き切ったらいい。そうしたほうがはるかに力がつく。試行錯誤をしているうちに知識の整理と体系的関連についての理解が深くなるから、時間がかかっても自力で解くのがベストである。
 平均以下の生徒はそんなことをしても時間の無駄だから、さっさと解答にある解説を読んで、繰り返し書いてみて、解き方を覚えてしまうことを薦めたい。

 将棋の羽生善治が江戸時代の将棋難問100題が載っている『将棋図巧』と『将棋無双』の両方を自力で解ければ、プロ4段の力があるとどこかで言っていた。羽生は一月ぐらいで全問解いたとテレビで言っていたことがあったような気がする。
 何も見ずに、誰にも聞かずに独力で解くことで本物の力がつく。ひっくり返すと、解答の説明を参考にしながら解いたのでは、真の力はつかぬということ。成績上位5%層に属する者はできるだけ問題を自力で解け。1時間でも1週間でも1ヶ月でも考え続ける体験をしておくべきだ。社会人となったときに、そういうトレーニングの積み重ねが絶大な力を与えてくれることに気がつくだろう。たしかな応用力も創造力もしっかり身についている。だけど、アマチュアが自力で江戸時代に作られた「難問題集」を解く必要はまったくないのである。

 さて、小平邦彦の論を『怠け数学者の記』(1986年刊、岩波書店)から引用して、小平が小中高の数学教育をどのようにとらえていたのかを紹介したい。実にまっとうな数学教育論が展開されている。

数学は文字通り数の学問であって、その基礎は何よりもまず数の計算である初等教育において最も大切なことは、子供のときに習得しておかなければ、大人になってからではどうしても覚えられない基礎的学力と、大人になってから習えば簡単に覚えられる技能をはっきり区別して、基礎的学力の訓練に重点を置くことである
 数の計算は子供のときに繰り返し練習して、習得しておかなければ大人になってからではどうしても覚えられないが、数学者が常識として必要な程度の集合論は、大学にはいてから二時間も講義を聴けばすぐに覚えられる。・・・数学的思考力の基礎をなす数の計算とは別な、何か高尚な数学的な考え方があると思うのは数学の本質に関する誤解であろう。」(同書130ページ)

「数学における論理も同様で、われわれ数学者は数学を学んでいるうちに、自然に論理を体得したのであって、数理論理学の専門家を除けば、あらためて論理学を学んだことは一度もない。現行の指導要領によれば高校1年で論理を教えることになっているが、数学者も学んだことのない論理を何故高校生に教えるのか、これまた不可解である。」(同書132ページ)

「数学の初等教育の目的は数学のいろいろな分野の断片的な知識を詰め込むことではなく、数学的思考力数学的感性を養うことにある。このためには範囲を数学の最も基本的な分野に限って、それを徹底的に教えるべきである。小学校では数の計算を、中学校では代数と幾何を、高校では代数、幾何と微分積分の初歩を、自由自在に使いこなせるようになるまで徹底的に教えることができれば、初等教育としては大成功である。」

「確率、統計等の応用分野は必要なときに勉強すれば、大人になってからでも覚えられるものであって、そのときには生半可な入門知識よりも基本的分野の学習で養った強靭な思考力、鋭い感性のほうがはるかに役に立つのである。」(同書132ページ) 



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【余談】
 そろばんは日本の伝統文化である。1960年代後半から電卓が普及し始め、珠算塾が姿を消していった。そうして基礎計算力が落ちた。小学生のときに珠算を習わせることは反復トレーニングの素晴らしいツールだったのである。珠算が衰退するのと入れ替わるように百枡計算トレーニングが流行っていった。どちらがすぐれているかはいうまでもない。計算力をテストすればいい、結果は比較にならぬ。伝統文化のソロバンを見直すべきだ。

 「釧路の教育を考える会」が基礎学力問題を取り上げている理由は小平邦彦と同じだ。「読み・書き・ソロバン(計算)」の重視、繰り返しトレーニングして身につけることの重要性を説く。釧路市の「基礎学力保障条例」もそうした狙いをもって制定された。

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*小平邦彦 ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E9%82%A6%E5%BD%A6
小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年3月16日 - 1997年7月26日)は、日本の数学者。 東京都出身。

農政官僚だった小平権一の長男として生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校の前身)、東京府立第五中学(東京都立小石川高等学校の前身)、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学理学部数学科および物理学科卒。

20世紀を代表する数学者の一人。数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞1954年に日本人として初めて受賞(調和積分論、二次元代数多様体(代数曲面)の分類などによる)。

1990年代前半まで、東京書籍が発行した算数・数学教科書(新しい算数、新しい数学等)の監修も担当していた。

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*#559フィールズ賞受賞数学者小平邦彦の教育論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-03-28


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怠け数学者の記 (岩波現代文庫)

  • 作者: 小平 邦彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/08/17
  • メディア: 文庫