昨日、高3の生徒が一人挨拶に来た。中1年生から6年間教えた生徒だ。ブカツに忙しい生徒で、勉強もそこそこやっていた。地元にもどって教員になり、自分がやっていたブカツの指導をしたいと何度も話していた。11月頃からようやく勉強に熱が入り始めた、気がつくとメンコイ中1はいつか大人の表情をしている。美人の高3はもうすぐ女子大生だ。根室に戻って来そうなのはこの生徒だけかな。
 同じ学年で元塾生が一人就職を決めている。3年間きついブカツをしっかりやっていた。昨年2度ほどあったが、すっかり大人の顔になっていた。ebisuの同級生が同じところを3年前に定年退職している、活気のあるいい職場だ。根室の漁業組合では唯一商品開発力がある。こういう働き口が増えると根室に定着する若者が増えるが、ここはむしろ例外。根室の中小企業家はもっと勉強して、オープン経営を目指してもらいたい。

 今年は専門学校への進学者がいなかった。中3まで来ていた生徒たちの進路も気になる。元気のよいUはどうしたかな?
 大学進学組みで最初に決まった生徒は北海道薬科大学。そして、藤女子、釧路公立大、酪農学園大学、北海道文教大学と各々合格を決めていった。高校になって通塾した生徒は今年は全員大学進学だった。

 薬科大学へ進学した生徒は中1から来て、中3の早い段階で退塾した。そして高校1年生でまたもどってきた。高2まで通塾して、高3は独力で勉強した。
 中3のときに数学100点をとり、喜んで電話してきた。「先生、数学百点とった!」、女生徒だったからこれはちょっと驚きだった。女子で中3になってから数学の点数が飛躍的に伸びる生徒は珍しい。自力だったからすっかり自信がついたようだった。
 薬科大学への進学は念を押した。就職先の選択がむずかしいからだ。病院の調剤業務はほとんどの病院が入院患者のみに限定、外来は外部調剤になっている。保険点数の仕組みがそうなっているからだ。したがって、病院への就職は採用数が少なくなかなかむずかしい。
 偏差値の高い薬科大学(例えば国立系や有名私大の薬学部)なら製薬メーカのMRがある。わたしは何人か検査試薬の開発の仕事でお付き合いをさせてもらった。これは仕事がきつい。
 採用の多いのは調剤薬局である。国内最大手の臨床検査会社SRLにいた当時、調剤薬局事業立ち上げのプロジェクトのメンバーだったことがある。社内に薬剤師は70数名いたが、社内公募はしなかった。10店舗くらいの規模で新規事業として立ち上げ、新規採用したが必要数はすぐに集められた。調剤薬局市場では薬剤師は買い手市場ではないだろうか。事業の性格上非正規雇用が多い。年齢で人件費負担を増大させる余地がすくない。6年間の勉強期間は長い、努力の末に、病院に就職があるといい。
 薬学部の実際は、今3年生の生徒からいろいろ訊いていたので、伝えてある。成績不振の生徒には転部を薦めて、国家試験の合格率を上げるような指導があるようだ。薬科大にとっては国家試験の合格率を上げることは事業存続の必須条件なのである。そのためにいろいろな仕掛けを用意している。次は国家試験合格に向けてがんばれ。目の前の目標を一つ一つクリアしていけばいい。

 藤女子大へ進学する生徒は高校1年生の4月に入塾した。偏差値の高い別の学校に合格したのだが事情があって、4月になり急遽根室高校へ。最初は数学の出来が悪く、「え、これで五科目オール5だった?」と冷やかしたした。しかし、呑み込みは速かったから、ナカミは本物だった。クラス分けのテストまでに実力を上げて最上位のγクラスに。学校の勉強はよくできた生徒だったから、早々と学校推薦で合格を決めた。
 希望は保育科だったはずだ。少子化でこの学科は就職がむずかしいかもしれぬ。ほかの職域で就職を探すのもなかなかむずかしいだろう。そういうことは大事だから民間企業の現実を説明してある。
 高校2年まで通熟していた。3年生は完全に自力で勉強、ブカツも両立させていた。明るい性格とブカツで養った技術がどこかで生きてくるから、ずっとやり続けてほしい。4月に普通科へ進学予定の生徒が、○○さん卒業だからいないんだと、がっかりしていたよ。君に習いたかったんだって。後輩の女子にも男子にも人気があった。

 釧路公立大学へ進学した生徒は、B中学校の「お迎えテスト」で数学百点を取った生徒だ。4番、ピッチャーだったが、肘か肩を痛めて中2のときに他のブカツへ転向した。小学校と中学校のブカツの先生は反省してブカツのあり方を改めてほしい。高校へ入学してからは陸上部だった。そちらでも全道大会でいい成績を修めるくらいだから、運動センスのいい生徒である。中1から高2まで通塾した。1年半ほど自力で勉強したということになる。
 公務員志望、意志は堅かった。道庁への就職なら、北大がベスト、次は小樽商大あるいは北海学園大だろう。先輩達がいるほうが出世はしやすい。そういう点では釧路公立大学は歴史が浅いから不利だが、誰にも頼らず自力でがんばれ。1年半独力で歩いた君ならやれるだろう。

 酪農学園大学へ進学する生徒は高校1年生4月入塾組みで、高2まで来ていた。高3はときどき通ってくれた。
 自力で勉強することはじつはたいへん大事なことだから、随時休塾を認めている。そして間に合わなくなったらまた復帰だ。だから高校生は出たり入ったりする生徒が多い。
 獣医さんになりたいと言っていたが、届かず獣医看護へ進む。希望の分野で仕事を見つけて楽しくやってくれたらうれしい。

 もうひとり、理系へ進学する生徒がいる。室蘭工大を受験した。2次試験が25日だったはずだから合格発表待ちだ。この生徒は小6から高2のはじめ頃まで教えた。数学の高速学習を2年間ほどやった生徒だ。中学校のときは男子で学年トップのことが多かった。釧路公立大へ進学する生徒と競い合っていた。中1の方程式の文章題のところでしばらく足踏みをさせた。問題集の問題を全問解かせたのである。きつくて悔し涙を流しそうになったこともあったが、塾長のシゴキによく耐えた。自力でやるスタイルがこのときに身についたと思う。授業中でも30分くらいは平気で考え抜かせた。たまに値を上げて「先生、この問題とばしていい?」「ダメだ、全部やる」、そのうちに観念して言わなくなった。ほとんどは線分図やポンチ絵そして表を使って丁寧に解説したつもりだが、たまには意地悪くヒントを出さないこともあった。一番イジメ抜いた(笑)生徒だ。その分、強くなったはず。
 中学時代は水泳で全道2位、全国大会も出た。文武両道の典型の生徒である。希望通り室蘭工大に合格してほしい。

 わたしは成績のよい生徒は大学受験直前の1年間は自力で勉強してほしいと思っている。受験科目全部を塾で習うのは論外、一人で闘い抜く期間が1年間は必要である。そうしないと、「指示待ち人間」をつくることになる。社会人になってからつぶれるタイプだ

 私は根室高校を卒業してから35年間東京で暮らしてきた。大学、大学院、それから民間会社3社の上場に関わる仕事をしてきた。複数の業種で取引先を含めてたくさんの人間を観察して、中高の勉強のスタイルの大切さを知った
 受験勉強のやりすぎは危ない、社会人となってから副作用が出る。長年培った学習スタイルは変えられない、それは性格の一部にすらなっている。社会人となってからこそ、ほんとうの学習が始まる、それまでの勉強は序章に過ぎないのである
 最近の弊ブログでも学習スタイルの大切さに触れているので、再掲したい。ほかでも何度も書いているから、カテゴリーで見当をつけて検索してお読みいただきたい。とくに中高生のお子さんのいるお母さんとお父さんにも読んでいただきたい。

#2220 勉強に熱が入りだした中三は学力がうんと伸びる・・・(2) Feb. 21, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-21-1
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 ・・・すこしばかり無茶を承知で話しを進めよう。1科目20点上げることは生徒がその気になりさえすればそして適切な個別指導をやってやれば、2ヶ月間で可能だということ。3ヶ月あれば五科目合計点で100点(300点満点)アップすることは可能なのである。

 実際に2ヵ月で300点満点で百点あげた生徒はいない。
 年度によって社会の補習を5ヶ月間続けることがあるから、塾で面倒を見てやれるのは多くて3科目である。後の2科目は自力でやらなければならない。そこが本当は一番大切なのである。工夫がないことには成績が上がらない、数英で体験した勉強の仕方を理社に応用してみたらいい。
 社会の勉強法がわからない生徒がときどきいる。そのときはシステム開発技術を応用した便利な方法を「伝授」している。やり方を解説し、実際にやって見せて、「あとは自分でやれ」、それがebisu流。手取り足取り教えてしまったら、その生徒はほとんど確実に社会人となったときにひ弱な「指示待ち人間」になっているだろう。癖になってしまっているからほとんどの人が治らない。
 5科目全部を塾に頼った奴はどんなにいい大学へ合格しても社会人となってから将来つぶれるリスクが大きくなるだけ。学校の先生も、そして塾の先生ですらその点を見落としている者が多い。
 五科目全部の面倒を見てもらう、そういう育てられ方をした生徒は受験勉強の点数が取れるだけの「へなちょこ」に育つ。
 中学校や高校の先生たち、どういう社会人を作るのかという観点から教育を考えてみるべきだ。教え方が変わるよ。自立した社会人の育成という点から考えると、中学校や高校のときにその基礎部分がつくられる。受験勉強に偏した視野の狭い勉強を6年間し続けたら、それは習慣となり性格となってしまって、もうほとんど直しようのないものになるんだ。

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【追加】
 方程式の文章題で思い出したことがある。わたしも中1のときに同じところでずいぶん時間を食った記憶がある。このときに1時間でも2時間でも考える習慣がついた。団塊世代には塾はなかったし、教えてくれる人もいなかったから、自力でやらざるをえなかった。できない問題はノートに書いて憶えてしまう。暇なときに頭の引き出しから出して紙に書いてみる、そうしたことを繰り返すうちに突然解けてしまう。
 だから問題が解けないことにストレスを感じなくなっていった。解けない問題を記憶して出し入れして考え続けることが楽しみに変わっていった。
 そういう習慣が高校生になってから、公認会計士2次試験の参考書で勉強するときに役に立った。高2で経済学や哲学に興味が出て、マルクス『資本論』やヘーゲルの著作などを読むのにもこのスタイルが役に立った。分からない箇所が出てきたら、文章を記憶して、「反芻」するのである。1時間あるいはモノによっては1週間も考え続けたらたいていのことは自分なりに答えが見つかった。答えが見つからなければ、大事なことなら何年でも問題意識を頭の中に格納して「反芻」を繰り返せばいい。タフになった。
 このスタイルは大学院での勉強にも役に立ったし、民間会社で赤字を黒字にするときにも強力な武器になった。どうしたら黒字にできるか、仕事をしながら、仕事に関連する分野の専門書を読み漁りながら、そして関係ない分野の専門書も興味の赴くままに読み漁りながら、分野の違う仕事をする同僚と酒を呑みながら、つねに考え続けるのである。半年もそうしていれば大概答えは見つかった。
 今にして思うと、中学校のときに自分なりの方法で「鋳型」をつくり上げたのだと思う。しっかり自分を造れば、赤字すれすれの中小企業を売上高経常利益率10%超の企業へと生まれ変わらせることができる、赤字企業を黒字に変えることが可能になる。年収をあげて転職も可能になる。
 問題が解けないというストレスに耐え、自力で努力する期間を高校生の時期に1年間はもつべきだ。優秀な者は3年間独力でやれ。受験勉強のしすぎで、パターン学習の癖がついたら、社会人になってから大きなツケを払うことになるから、ご用心。


*#2219 勉強に熱が入りだした中三生は学力がうんと伸びる Feb. 21, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-21



 

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