イタリア・ジリオ島近くで起きた座礁事故から4日たって事故後の船長の行動が明らかになってきた。乗客の安全も確認せずに暗い中をさっさと船を下りた。沿岸警備隊に叱責されても船に戻らない。何人船に残っているのか問われても船を下りた彼には答えられない。

「しかし死者が出ていると言われ「何人ですか」と尋ねた船長を、係官は「あなたが私に(人数を)報告すべきでしょう。家に帰りたいのですか」と一喝した。」(共同ニュース)

 船長には司法警察権をはじめとして大きな権限が与えられている。ウィキペディアから今回の事故に関連するものを拾い上げてみる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E9%95%B7
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指揮命令権(船員法第7条)
 
船長は、海員を指揮監督し、且つ、船内にある者に対して自己の職務を行うのに必要な命令をすることができる。

在船義務(船員法第11条)
 船長は、やむを得ない場合を除いて、自己に代わって船舶を指揮すべき者にその職務を委任した後でなければ、荷物の船積及び旅客の乗込の時から荷物の陸揚及び旅客の上陸の時まで、自己の指揮する船舶を去ってはならない。


船舶に危険がある場合における処置(船員法第12条)
 船長は、自己の指揮する船舶に急迫した危険があるときは、人命の救助並びに船舶及び積荷の救助に必要な手段を尽くさなければならない。

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 仕事と権限と責任と報酬はセットである。その立場にあって報酬を受け取っていても、職責を果たさない者たちが増えているように感じる。船長は船と運命を共にするというのが団塊世代の共通の認識だろう。そういう話しを幼い頃に聴かされてきたし、その手の少年少女向けの本も何冊もあった。
 船長の下船は乗客よりもあとだ。そういう覚悟のない者が船長職を拝命してはならぬ。職務権限をもち報酬を手にしていながらいざというときに職責を果たさずいち早く逃げる。ズルイとか卑怯という言葉を日本人は嫌う。非常時にこそ人間の真価がでるものだ。

 職務に忠実でないのはスケッティーノ船長だけではない。福島第一原発事故での菅直人元総理や枝野官房長官がそうだった。SPEEDIの放射能拡散データを米軍にはただちに提供しておきながら、国民には知らせてはならぬと隠蔽した。米国は福島県にいる自国民に対しただちに福島第一原発から80キロ圏外への退避を命令した。あの時はなぜ80キロ圏外への退避だったかわからなかったが、SPEEDIのデータで放射能の拡散状況を具体的につかんでの判断だったのだと10ヶ月も経ってからようやく国民の知るところとなる。国民を被曝させても痛痒を感じない者たちが政権の主要ポストに何人もいたし、いまもいる。恥ずかしいという言葉を知らないのだろう。どういう育ち方をしたのかじつにお粗末だ。
 その後の野田首相もやらないはずだった消費税増税に血眼になっている。その一方で選挙のときに約束したマニフェストの項目はほとんど省みられぬ。
 やると約束したのは違うことだったはず。私利私欲が先に立ち、公益が後回しとなる。やるといったことがたいへんだとわかると、さっさとほうっかむりをして知らぬ顔の半兵衛を決め込む。いい反面教師だ。
 人間とは好い加減でどうにも始末に終えぬものだが、大きな職務権限を与えられたらきちんとやらなければならぬ。かれらはどこでどうまちがったのだろう?
 やはり、子ども達の教育は大事だ。情緒をきちんと育てておかぬととんでもない人間ができあがる。怖いものだ。もって他山の石としたい。

(わたしはこの座礁事故での船長の行動を「卑怯な振る舞い」の実例として授業中の雑談として塾生に話す。こういう場に臨んだら、自分の命はあきらめて渾身の力で職責を果たせと。人間はしょうがないものだが、未来を背負う彼ら彼女たちにこういう大人にだけは絶対になるなとしっかり伝えたい。)
 


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