戦後65年間私たちは一貫して経済的繁栄を求めてきた。それが幸福を手にするために必要なことだと確信していたからである。
 日本人は明治維新の殖産興業・富国強兵以来ずっと物質的繁栄を求めてきた。産業の発展が幸福の礎だと思っていたのである。

 団塊世代が小学生のころは電話や電気冷蔵庫のある家はほとんどなかった。中学生のころようやく固定電話が家庭に普及し始めた。高校1年生の1964年に東京オリンピックがあったが、それを契機に18インチのカラーテレビが家庭に普及していった。3~5万円ほどの値段ではなかったか?
 高校生のころですら学校へ「自家用車」での送り迎えなど考えられなかった。根室にはサラリーマン家庭で車を持っている家などなかった。自営業で景気のよい人たちが車を持ち始めていた。そして高校へ行かなかった団塊世代の道楽息子たちが18歳になって車を乗り回し始めたのがこのころだっただろう。当時ほとんどが砂利道だった釧路―根室間120キロを1時間で走る者が3人いた。一人は一度全損事故を起こし車はオシャカになったが不思議と軽い怪我ですんだ。車の価格は急速に下がり始めていた。下がり始める前の当時の車の値段は標準的な家が一軒買えるほどの価格だった。記憶に間違いが多いのだが高校2年のときに見た新聞広告に乗っていたスポーツカー、日産シルビアが当時の価格で150万円ほど、高卒の初任給が2万円のころである。
(大学進学率は根室高校で10%程度だっただろう。当時の根室高校は同世代の40%ほどの定員枠で、高校を卒業したら職業人となるのが普通のコースだった。わたしは高校を卒業したら金融機関で働きながら公認会計士試験を受けるつもりでいた。中2のときに自分の進路を決めていた。方針を変更して大学進学を決意したのは高校3年の12月だった。家が自営業だったからのんびりしていたのだろう、間抜けな話である。小学校から高校卒業まで毎日数時間ずっと家業を手伝っていた。)
 いまでは1家に1台あるいは2台の車がある。家も昔に比べるとずいぶん豪華で広くなったし、冷蔵庫もテレビも携帯電話もパソコンもあらゆる物が周りに溢れている。
 しかし、この物質的豊かさの拡張は人間の幸福につながるものではなかったということに日本人はうすうす気がついており、今回の東北大震災と福島第1原発事故で豊かさが一瞬で空前絶後の災厄に変わることを思い知った。物質的豊かさを追い求めても幸福は得られないことに気がつき始めたのだ。

 日本人は生き方を変えなければならないのだろうが、変えられるだろうか?変えねば比較にならぬほどの大災害をすでに準備してしまっている。時間の経過が大災害の引き金となる。日本の全域に人が住めぬほどの大災害を日本人の私たちがこの50年間で準備してしまった。積み上げた薪の上に住んでいたことにこの福島第一原発事故で気がついたのである。

 物質的豊かさを切り捨てて生きた先人がいる。誰も訪ねてこない越後の山の中の4畳半ほどの庵で冬をすごし、無一物の生活を続けたお坊さんがいる。良寛である。良寛は時代を超えて道元の弟子であることを自認していた。

 師道元は年長の弟子懐奘に言う。
「ついでに示していわく、学道の人はまずすべからく貧なるべし。財おほければ必ずその志を失ふ。(略)貧なるが道に親しきなり。」『正法眼蔵随聞記』岩波文庫

 中野孝次は2000年12月に出版した『風の良寛』で次のように書いている。
「 貧乏でなければ道を悟れない、というのか。恐ろしい思想だ。だが、良寛はほんとうにそれを信じ、そのとおりだと知ったので、生涯あの貧乏生活を選んだのか。
 わたしは雪の中の五合庵に立って、良寛はついにはそういう恐ろしい難問をこちらにつきつけてくる、と感じた。もしほんとうにそうならば、物を多く所有し、ゆたかさを謳歌する現代人は、ついに悟道と無縁なわけである。真の幸福は悟道とむすびついているなら、貧乏にならぬ現代人はついに真の幸福と無縁であるのか。」(20ページ)

 物質的ゆたかさの向こうに幸福はない。足るを知る、小欲知足の世界がわたしたちにできるギリギリのところかもしれない。
 良寛の真似はとてもできない、しかし、道元の言を噛み締め、良寛の生涯を今一度思い起こしてみることはできる。
 今夜の外の気温はほとんど零度である。良寛は数メートル雪が積もる山奥で、火の消えた囲炉裏の灰に足を入れて腹わたまで冷える夜をしのいだ。春の訪れは格別のものだっただろう。寒く厳しい孤独な冬を過ごした者にしか春の大いなる喜びは感じられぬ。
 日本人は世界トップレベルの便利さを手に入れると同時に喜びを失ったのである。

 春の訪れの喜びを取り戻すためには棄てなければならぬものがたくさんある。わたしたちにそれができるのだろうか?できなければ、それに見合う未来と直面するだけである。
 今後百年の間に原発のある土地でいくつかの直下型地震が起きるかもしれぬ。福島第一原発のおおよそ100倍もの量の3000トンの使用済み核燃料貯蔵庫のある六ヶ所村でも直下型地震は考えられる。ここにフランスで再処理して戻された純度の高いプルトニウムも数トン貯蔵されているが、その半減期は2.4万年である。あ~ぁ、とため息をつかざるをえない。
 4枚のプレートの上に乗っている日本の国土の中に地震をまぬがれるところはない。原発を廃棄しても使用済み核燃料の保管場所と冷却システムが必要だから、すでに手遅れなのかもしれない。どれほど便利であろうとウランは掘り起こしてはいけないモノだったのだ。
 慈悲は人と人との間にあるもの、天に慈悲はない。ただ因ありて果となるのみ。


*#1254 「経済成長論の終焉」 Oct.24, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-24-1



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