根室を住みよい町にするために必要な最初のステップは旧弊を廃することだとわたしは考えている。
 話しはあちこちに飛ぶが辛抱いただきたい。ゆっくりと一つの連環が姿を現すことになるだろう。

 根室は漁師町である。いろんなところへ漁師町としての性格が影響している。町には老舗がいくつかあったし、いまもいくつかは残っている。
 碓氷勝三郎商店を残っている老舗の筆頭に挙げることに異論のある根室人はいないだろう。創業百数十年(132年?)の歴史をもち、経営も安定している。わたしはその経営の中身についてそれほど知っているわけではないが、地元だから仄聞することもある。有名デパートから申し入れがあっても地元の問屋を通してしか売らない。インターネットでの販売もしない。直販を始めれば問屋が困るからやらないのだろう、昔からの取引先を大事にするということか。目先の利益には目もくれない頑固一徹さがある反面、新商品の開発にも粘り強さを見せた。「搾りたて」や「純米酒」がそうである。軌道に乗るまでは辛抱の時期があったと友人に聞いた。この碓氷勝三郎商店は本をただせば北方領土最大の水産加工会社を経営していた。レンガで造られた工場はいまもロシアが使っているそうだ。  
 根室最大の水産加工会社であった日本合同缶詰(株)*の社長も先代がしていた。最盛期には根室市内だけで4工場1000人の従業員がいた。崩壊の兆しは昭和36年頃から現れた。本社機能が麻痺しており、工場の現場監督がやめると、有能な男工さんたちが次々にやめていった。青森や全道から来ていた女工さんたちも集まらなくなっていた。人の使い方がヘタだった。
 元々はシャケ缶詰やタラバ缶詰を主体にした根室でとれる水産物を缶詰にしていた会社(根室の加工業者が数社合同してできた会社)だったが、後に根室・中標津・標津・釧路・岩内の中小の缶詰会社が集まってさらに大きくなった。当時その生産量は全道一だった。
 人材が揃わなければ企業規模が大きくなればつぶれる。企業合同した元の会社のマキが好き勝手なことをしていたし、社長がワンマンだったから本社にはイエスマンしかいなかった。現場の工場を預って危機感を感じて具体的な改革を提案する者は辞めるしかなかった。現場から核になる部分が抜けていくとあらゆる場面で調整が利かなくなる。経営が急速に悪化するのは当然だった。
 後始末はすべて4代目碓氷勝三郎とその一人娘がした。この会社の借金に当時社長だった先代が個人保証をしていたのだろう。この日本合同缶詰についてはいろいろ見聞きして知っていることがあるが、これ以上具体的なことは書かぬ。根室の旧弊・恥部の一つをなしていたとだけ書いておく。本社スタッフも各工場長も自分のことしか考えない者たちが多すぎた。そういうところから有能な者たちは離れていく。いくらでも経営改革はできたのである。

 北の勝の碓氷勝三郎商店は根室で一番歴史の古い企業である。経営に男酒の北の勝と共通の香りを漂わせる名門企業と言ってよいだろう。「歴史の古い企業=旧弊」とは限らない好例である。

*上富良野町の機関紙郷土を探る第15号「缶詰工場」に日本合同缶詰富良野工場の顛末が載っている。私には"新事実"である。桃とさくらんぼの缶詰工場を建設し、果物缶詰分野へ事業を広げた。そして、昭和51年9月26日に負債額38億円を抱えて倒産した。
http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/151129kanzume.htm

*明治37年に根室で和泉庄蔵が根室で蟹缶詰を試作し、翌明治38年に国後島古釜布に碓氷勝三郎と缶詰工場を「着業」したとある。
 小樽商大「小林多喜二伝 補遺2」14ページ倉田、稔著
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/665/1/RLA_106_23-58.pdf

 喫茶店の「かおり」は戦後すぐにできた店だから老舗に入れてよい。戦後十年ほど並び立っていた喫茶店モンブランのシェフの開発したエスカロップはメニューに載せていない。違う名前で載っている。カツピラフだったか?これも「意地」である。名前だけではない、味も負けていない。品の良さは創業当時はもっと際立っていただろう。それには理由がある。言葉である。この店の創業経営者は品の良い言葉を話した。当時の根室では十数人だっただろう。私たちは使う言葉にもっと注意したい。金のあるなしではない育ちのよさは使う言葉に出るものだ。根室幼稚園と小学校で同じクラスだった友人のお姉さんが経営している。
 記憶に間違いがなければ根室売炭所という名前だったヒシサンも戦前からの会社だろう。当時の暖房燃料の石炭をほとんど独占のような状態で売っていた。いまはホームセンターや水産加工にまで手を広げている。
 ヤマレンは一度つぶれて再生したのではなかったか。その店主は長く根室商工会議所会頭を務めた。老舗の一つだろう。
 なくなった店もある。呉服店の飛澤、緑町の「やすやすや」、時計の老舗奥田時計店、みどり菓子店、喫茶店カッコー、水産加工のガリバー「日本合同缶詰」。
 仲買、水産加工会社たくさんの商店や会社が生まれては消えていった。

 さて、話は変わる。根室の会社で就業規則、給与規程、退職金規程、経理規程をもっている会社はどれほどあるだろう。そうした規程を社員へ公開し、守っている会社がどれだけあるだろう?決算を社員に公開している会社がいくつあるのだろう?

 中小企業あるいは零細企業はオヤジが好き勝手なことをし、退職金もオヤジの腹一つなんてことがよくある。そういう会社にはなかなか人材は集まらない。
 自分さえよければいいと勝手気ままに振舞う社長、社員の将来のことを考えて手を打たない会社にどれほどの人が本気で仕事をしてくれるのか?

 個人経営を脱し会社経営に切り換えないと売上が大きくなったらその重みでつぶれる。日本合同缶詰はいくつかの水産加工会社が合同してできた道内最大の水産加工会社だったが、会社経営に切り換えられず、幹部に恣意的な振る舞いが過ぎてつぶれるべくしてつぶれた。その二つの壁(売上の大きさと会社経営への転換の壁)を乗り越えた地元企業はまだない。
 
わたしはタイムマシンに乗って当時の根室へ行き、ふるさとの未来を変えてみたい。ダメな者たちが幹部には多かったが、現場で働いていた者たちの中には男気があって有能な者たちも少なからずいたのである。そうした有能な者たちをあの会社は活かし切れなかった。

 株式上場の審査ポイントは会社としてきちんと運営されているかどうかである。恣意的な運営がなされるような会社は株式公開の資格がない。

 わたしはしばしば恣意的な市政運営、病院事業経営、地元経済界と市政のもたれあいについてブログで取り上げてきたが、なぜか?恣意的な運営の組織には発展性がないからである。そしてそういう企業が大半をしめる町にも発展はないと考えるからである。

 話しを戻そう、旧弊の話しをしなければならぬ。根室は漁師町、商店と漁師の間には「定価販売&付け買い」という商慣習があった。漁が悪ければ支払は翌年である。そうしたリスクを抱えると同時に定価販売というウマミのある商売に根室の商人たちはどっぷり浸かっていた。このウマミのある商圏を守るために根室の商人は閉鎖的になり、競争力を失っていった。そうした雰囲気は形を変え、時代を超えて受け継がれている。
 仕入れに努力しなくても利益はツケ・定価販売で確保できたのである。それが品質がよくて安く仕入れるという当たり前の努力から根室の商人を遠ざけた。毎日やることは習慣となり、いつしか根室商人の伝統となってしまっていた。周りがみんなそうだから、商売の基本である仕入れ先開拓、いいものを安く仕入れる努力をみんなしなくなっていた。値段のつけ方も他地域に比べて高いものとなった。競争の小さい根室ではそれでも売れたのである。
 商店の多くは便利な「道内仕入れ」に依存して、仕入先の開拓を怠ったのである。根室で地元資本による「ファミリーデパート」や「マルシェ」が失敗した原因の一つは仕入先の開拓の拙さがあったのではないだろうか。忘れるところだった、もうつぶれてしまったがシーサイド(現在のサッポロコープの店舗)も地元資本だった。
 マルシェは仕入れルートを確保するためにJRの傘下に入った。中標津の東武は仕入先の開拓に力を注ぎ続けてきたという。根室の商人とはっきり差がついたといってよい。
 仕入で汗をかくのは商人として当然のことであるが、根室の商人はそうした基本的な努力を長年怠ってきたか、他地域に比べて努力の程度が半端たっだ。そうした企業は長い目で見ると自立できない。

 H市政を支えている「オール根室」の諸君の会社で、決算書を社員に公表している会社はどれだけあるのだろう?就業規則、給与規程、退職金規程、経理規程をもうけて厳格に守っている会社がどれほどの割合であるのだろう?

  さてちょっとだけ病院建て替え事業に触れたい。総合評価方式による入札ははじめから落札業者がわかっているようなもの、あれでは大相撲の八百長を笑えない。3千万円も入札価格に差がありながら、地元貢献度のたった2点の差(合計点は114点)で逆転し、政治力の一番強い業者がもっていった。
 たった2点で3千万円の差を逆転できる評価方式なんて世間常識ではインチキそのものと言うのではないだろうか?市民常識からはかけ離れた「彼らの村の常識」にだまされてはいけない。除雪に協力しているから地域貢献度が高いということだったが、それも市から受注した仕事にすぎない。市と関係の深い業者が勝てるような仕組みは市にとってもその会社にとっても危険である。市は高い価格で発注することになるし、取引業者はイージーな営業で一時的に利益を確保できても長期的には弱体化する。
 市と関係のある業者たちがこぞって「オール根室」で市長を応援している。市長もことあるごとに「オール根室」の支持を謳いあげる。12日に商工会館で「長谷川市長と語る市民の集い」があったそうだが、集められたのは一般市民ではなく「支持者」、それもたったの320人。人口の100分の1強に過ぎない。
 市議会は市政の追認機関と化している。こういう恣意的な市政運営が行われても今度も問題にはならないだろう。いままで、病院建て替え関係で市側はニホロ案や現地建て替え案と右往左往した。建て替え後の損益見通しすら公表していないのに、共産党を除いて一人も市議会で反対票を投じた議員はいない。こういう市議会に存在理由があるのだろうか?

 正しくないことは正しくないと言う、それがふるさとのためだ。根室の未来を託す子供たちに大人が範を示せ。根室の町は「オール根室」以外の99%の市民がつくるという自覚をもちたい。

 地元経済界の人びとよ、市政と癒着するのはやめよう。それは地元企業から競争力を殺ぐことになる。甘い経営はゆっくりと会社をダメにする。相互批判をなくしたら、どちらも衰退せざるをえなくなる。

 決算書を社員へ公表し、諸規程を整備しよう。経営者は社員に夢を語り、その実現に努力しよう。自社の発展と根室の町の発展のために努力しよう。正直に誠実に仕事をしたほうが楽しいし、長い目でみればそのほうが会社も繁栄する。

 自分の会社だけがとか、経営者だけがよくなればいいというケチな根性は捨て、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の経営を実践しよう。そして夢を語れ


*諸規程の整備の仕方がわからなければebisuへ連絡をくれればいい。ふるさとのためだ、知っていることは惜しみなく教えてあげる。
 社員やお客様や世間に信頼される立派な会社を築き上げるためにはそれなりの努力がいる
 知らないことは知っている者に訊けばいいのだ。素直な心が自分の会社を大きくし、社員へ安心感を与え、ふるさとの町をよくする。根室から1社ぐらい上場企業が出てもいい。市税収入も増える。もたれあうのではなく、発展することで市政をバックアップすればいい。


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