SSブログ

#1388 医療四方山裏話 (4) Feb. 20, 2011 [40. 医療四方山話]

 私は4年半前に40日ほど消化器外科と内科、循環器内科と外科のある釧路の専門病院に入院していたことがある。事情はカテゴリー「C」に書きかけて中断している。
 あるときデイルームの自販機の陰の椅子に座って隠れるようにアンパンを食べている女性の患者さんをみかけた。「あれ、いいの?」と声をかけたら照れくさそうに笑って「とめられているの」。その後何度か見かけたが、みて見ぬふりをした。その人は個室に入院している50前後の患者さんだったが、2週間ほどして朝、搬送用ベッドで点滴されながら釧路市立病院へ緊急搬送された。病気を甘く考えていたのだろうか?個室でなければ、あるいはそういう状態にはならなかったのかもしれない。同病の患者さんたちがまわりにいれば、教えてもらえることは多い。わたしは同室の患者さんや別の病室の患者さんたちに自分がどうなるのか教えてもらった。同病の先輩諸氏の話に勇気付けられた。個室だとそういう有益な情報ははいらない。建て替えられる市立病院には個室が多すぎることがちょっと気になる。入院したことのある患者の意見をどれほど聞いたのだろうか?

 医者の言うことを聞かない患者はいる、そして病気は確実に悪化する。セルフコントロールできない中年の患者さんを思い出しながら、毎日向き合っている生徒たちが将来病気で入院したは10人のうち半分我慢できるだろうかと心配になる。それほど「我慢」というトレーニングができていない子どもたちが増えている。親は子供に不自由をさせ、我慢・辛抱を躾けておくべきだ。その躾が将来あなたの子供を救うことになる。
 もう一人の同室だった患者さんのことを書こう。医者は膵臓癌だと宣告していないが、同じ病室の私にはあきらかに膵臓癌だと分かる患者さんがいた。病院内では禁煙になっているので、建物を出て隠れてタバコを吸っていた。習慣はやめられないのである。膵臓癌は多くの場合手遅れとなる。昔、あるメーカの膵臓癌の検査試薬開発に検査会社側の開発部スタッフとしてちょっとだけタッチしたことがある。その検査は「死のマーカー」と呼ばれていたから、その患者さんの場合はしかたがないな、そう思ってみていた。可哀そうで何も言えなかった。「とくに治療はないんだよな、入院しているだけだ」って一度だけつぶやいたことがあった。翼をもがれた鳥のようで可哀そうだった。夏だったから、時々玄関からでたところの日陰にしゃがみこんでタバコを吸っていた。あまりおいしそうには見えなかった。健康と美味しい空気の両方があってこそタバコは美味いもの。

 ここまではわたしの入院患者としての観察と想いである。医者の側はどのように観て、どのように感じているのだろう。今回も貴重なコメント、「医心伝信」4回目である。医者と患者のコミュニケーションと想って読んでいただけるとありがたい。


「M3.com」
So-Netが経営するm3ドットコムと呼ばれる医療専門のサイトが有ります。その中の一部は「医師限定コンテンツ」として一応医師でないとアクセスできないことに成っていますが、実際にはかなり多くの医師以外の方が見に来ているようです。その「医師限定コンテンツ」の中で最も有名なのが「Doctors Community」と言う掲示板でしょう。ここはm3に登録している医師なら適当なハンドル(一人が10個まで登録できる)で好きなことが書き込めます。また誰かの書き込みに対して「閲覧数」「賛成数」「反対数」「不適切」の感想(判定)も表せます。

大抵の場合元ネタは主に医療関係の新聞の報道記事(毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、共同通信etc)で、その内容に対する井戸端会議ですが、やはり医療現場を殆ど知らない(勉強していない)記者が書いた記事ばかりなので、しばしばそのことが俎板に乗り非難が浴びせられます。
特に最近多発している各地の医療訴訟の裁判官の判決には殆どの医師がキレています。何故なら医師の側から見て明らかにミスではなくよく起きる合併症のトラブルが多いのに、医療に不案内な裁判官は医師や病院のせいにします。そして患者さんの立場も顧みず高額な賠償金の判決。しかし一番医師達が怒っているのは、どんなミスジャッジをしても謝りさえしない裁判官が、生意気にも医師に対しては容赦なく結果論で弾圧している事です。そしてそのような訴訟を煽る弁護士の存在も無視できません。特にこれからはロースクールで量産される弁護士の食い扶持を維持するためにどんどん訴訟が増えるでしょう。
もしこのような風潮がエスカレートして行けば、いずれ医師側は自衛のために萎縮医療の方向を目指すかも知れません。今でも現場では、患者さんに何かの手術や処置、検査、強い薬物投与などに際しては本当に膨大な書類が用意されます。医師は全てを説明する時間などありませんから、後は渡された説明や承諾の書類を患者さんや家族が全て目を通してお互いが署名するのが普通です。しかし実際に何かの合併症が起きてしまい、その結果が悲惨なことになってしまった場合、やはり家族が医師や病院を訴える可能性は十分にあります。そして結果は、医療側に対して「患者側に十分な説明がなかった。手術の合併症で死亡する可能性について触れなかった」・・・
もし貴方がこれから手術を受けようかと言う時に、「貴方は手術で死ぬこともあり得る」などと言われたらどうされますか?しかし裁判になれば、そのことが取沙汰されてしまいます。
実際こんな話を聞いたことが有ります。血液透析を受けている慢性腎不全の患者さんは、最初のうちは尿が出ているから良いのですが、次第に尿量が減って来るとその分の体重増加を来します。それぞれの患者さんには自身の基準体重が決められていますので増加分は透析の際に除水しなければなりません。しかしそれには安全な除水範囲があり、それは大体基準体重の3%~5%と言われています。つまり50キロの方なら体重増加の許容範囲は1.5~2.5キロ程度です。それ以上の体重増加を短時間(大体4時間位)で処理しようとすると血圧低下や頭痛、足のツリなどの合併症が出やすくなります。結局一回の透析で安全に除水できる量は限られますから、かなりの体重増加で来院されるとどうしても未処理の水分が残ります。そしてその悪循環が続くとやがて肺に水が貯まる肺水腫の状態に至ります。この状態は呼吸困難を招き心臓も肥大し(心不全)、治療方法やタイミングを誤ると患者さんが死亡することに繋がります。ですからどこの透析室でも医師や看護師、臨床工学士などのスタッフは事あることに「余分な水分は摂らない」「体重は増やさない」ことを患者さんの耳が痛くなる程注意(指導)します。しかし残念なことに、どこのクリニックにも豪傑!(無理解な患者)は居るもので、クリニック側の説得にも応ぜず豪快!に体重を増やし、遂に不可逆性の肺水腫に陥りとうとう亡くなった方がいます。今流行の言葉で言えば「自己責任」、つまり自業自得です。しかしその方の娘さんが「病院の管理が悪いからお父さんが死んだ」と病院を訴えました。そして判決は原告側の勝訴。何故なら、「病院は患者が命を託して来ているのだから、それに応えて患者を説得する義務がある!」
のだそうです。それに対し病院側は「もう気が遠く成る程毎日注意していた」と反論しても、「では何故患者が受け入れるまで説得を続けなかったのだ」・・・。
もう今や医療機関は完全な弱者です。診療費不払いの患者さんに料金を請求すれば「病院に来るような弱い人間を苛める!」と何故かマスコミに叩かれます。今やどこの地方自治体でも悪質な税金の滞納は銀行に連絡して口座から強制徴収しています。食堂でラーメンを食べて料金を払わなければ無銭飲食で捕まりますね。しかし医療機関相手だけは何をしても大手を振って通れます。救急車の使い方が可笑しいと無用な使用に5000円程度の料金徴収を考える自治体は数多ですが、実際に施行できている所はほんの一握りです。また夜間外来に押し掛ける患者さんに対して別料金を徴収する病院もあまり有りません。勿論皆考えてはいても、何故か医療関係がその方向で動こうとすると必ず「待った!」が掛ります。

ではこちらの(善意の)意向に従ってくれない患者さんは医療機関としてどうすれば良いのか。答えは意外に簡単です。そうです。診なければ良いんです。最初から関わらなければ良いんです。先日「機内でのドクターコール」のテーマで書きましたが、手を出せばどんなに頑張っても結果が悪ければ訴えられる。しかし診なければ(少なくとも)訴えられない。医師としての忸怩たる思いは有るだろうが・・・ですね。

M3の医師の掲示板には、何時もこのような医師側の自嘲やマスコミ、裁判官、弁護士への怒りなどが渦巻いています。

by 医療四方山裏話 (2011-02-19 23:47)


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 根室情報へ
にほんブログ村



nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 4

医療四方山裏話

「医師は金持ち?」
その昔、「お医者さんは金持ち」と言う常識(笑)がありました。
例えば彼らの車を見れば、外国車に乗っている方が結構多いですね。それも何故かアメ車よりもヨーロッパ車(特にベンツやアウディなどのドイツ車)が好まれ、ボルボやサーブなどの北欧車、ベントレーやロールスロイス、ランドローバーやディフェンダー、オースティンなどの英国車、シトロエン、プジョーなどのフランス車、アルファロメオなどのイタリア車はマイナーな様です。もっともかって「ファラーリやランボルギーニに乗ってみたければ北見の〇×病院にアルバイトに行け!」と言われたように、いわゆるイタリア車でもスーパーカーを所持している医師は居ります。因みにその病院は時々保険上のトラブルなどで新聞紙面を賑わせますが・・・(だからスーパーカーを持てるのかも)。
医師がドイツ車を好む傾向があるのは、多分に日本の現代医学がドイツ医学を源流にしていることと関係があるのかも知れません。
また車以外にも医師にはちょっとした傾向があります。昨今は仕事では猫も杓子もPC頼みですが、どうも医師はMAC系が好きなようです。小生はずっとwindowsマシンですが、何時も「あれ、マックじゃないんですか?」と意外がられました。ドイツ車に芸術関係や建築関係者が好むMAC・・・どうもいわゆるインテリっぽい嗜好が医師にはあるようです。それにしてもまるで金太郎飴ですね(笑)。

さて本題の「医師は金持ち?」ですが、そうですね、多分言える事は「貧乏では無い」でしょうか。しかしそれもその医師の立場に依ります。かって小生が大学病院勤務の時、現在は釧路の病院で部長をやっている後輩がノイヘレン(新人)で居りました。彼は奥さんと共稼ぎだったのですが、或る時小生に泣き付いたことがあります。「先生、僕本当にお医者さんなんでしょうか」「どうしたんだ?」。つまり彼の話はこうです。久し振りにすき焼きでもやろうとスーパーに買出しに出掛けたんですが、すき焼き用の肉が高くて買えなかった・・・のだとか。札幌のスーパーで売っている牛肉ならば当時高くとも精々100gで1000円はしないと思います。小さな子供2人の家族4人でしたら、肉も400gも有れば足りるのでは。その肉が高くて買えない・・・後輩が情けなくなった気持ちは良く分かります。世間では「医者は金持ちと」と決め付けていますが、実際はその医者の立場によってはそうでもないのです。
では当時の後輩はどんな立場だったのか。先ず彼は医師に成りたての1年目を大学の教室で過ごします。当時の彼の身分は「非常勤医」で公務員に準ずる立場です。国立大学では助手(現在の助教)以上が国家公務員で、助手以下は非常勤医でした。この非常勤と言う代物、「国家公務員に準ずる」と言えば聞こえはまずまずなんですが、実際には昔のインターン並みにこき使われる立場です。先ず給料ですが基本的に日当! それも小生の頃は1日6000~7000円でした。この辞令と言うのが傑作です。「4月1日付けで発令され問題が無い場合は毎日自動的に契約が更新され、翌年の3月31日まで継続する」と言う奴です。つまり言い換えれば「日雇い労働」ですね。勿論ボーナスも昇給もありません。更に悪い事に、当時の国立大学には「総定員法」と言う文部省の縛りがあり、大学全体で一定の人員が決められ予算が下りていました。勿論実際の人間は予定数より遥かに多いので、少ないパイを多くの人間で分けなくてはなりません。大学病院には非常勤医が溢れています。特に外科や内科の大所帯には多くの非常勤医が居ますので(まるで食い詰め浪人!)、彼らにも少ないながら給料を渡すためには少人数の科(非常勤医は少ない)の割り当て分から回さなければなりません。月に30日働きながら支給される日当は20日前後しかありません!そうなるとただでさえ少ない給料が更に減額されてしまいます。しかも勤務は朝8時頃から夜10時過ぎは当たり前。勿論土・日・祝日も関係ありません。大学では助手以上に当直が回ってきますが、それを実際には非常勤医が肩代わりして、本来助手以上に支給される当直手当を貰います。月に4~5度の当直料を合わせても、手取りが月に12~13万でした。勿論それでは食って行けませんので、月に何日か地方の病院にアルバイトに出かけます。大体3泊4日の旅で25万前後の稼ぎには成りますので何とか生活が出来るようになります。しかし或る時からその事が問題に成り始めました。外にアルバイトに出ている時に大学での非常勤勤務の届出をしたままの事が多く、「大学病院の医師はアルバイト先と大学から給料の2重取り!!!」とマスコミに騒ぎ立てられました。勿論医者を袋叩きにしたいマスコミは、大学病院の非常勤医の日雇いの値段を絶対に書きません。書けば世間はあまりの酷さに医師へ同情するからかも知れません。
科によって違いはありますが、小生の教室では1年目は大学で悲惨な非常勤医(年収400万前後)。2年目から外の研修病院に武者修行に出ます。これは市立病院クラスの大きな病院で、大体上にそれなりのベテランが居てそこの医療のやり方を学びます。勿論そのこの病院では正職員として扱われますので、給料は800~1000万位は貰えます。翌年、翌々年位まで1年毎に外の病院を転々として、ある程度現場の病院の様々なスタイルを学んで大学に戻って来ます。今度は助手として一応国家公務員に成りますが、給料は医師と言っても公務員に医療職と言う毛がちょびっと生えたに過ぎません。相変わらずの貧乏生活に舞い戻り一応研究もどき生活を2年~3年程送ります。そこで取る物(学位)を取って再び外の世界に出ます。今度は末端の地方の病院で医長や部長として上に立って後輩を指導する立場に成ります。科によってはその科の医師が自分一人と言う場合もあり(一人医長)、患者さんの全ての責任を一人で背負う事になり結構ビビります。メス科の場合は複数でやる手術の時には近くの関連病院や大学から手伝い(先輩が多い)が来ます。その頃で医師としてはやっと半人前でしょうか。しかし外科などでは、自分に自信が付いてやたら切りたがる医者が出てくる時期でもあるようです。その後適当な病院に就職する者(固定)、大学に戻るもの、更に道外の専門病院に武者修行に出る者etcと様々な道が医師を待っています。その頃は経済的に都会では年収1000~1500万程度、地方では1500~2000万前後かと思います。そうですね、医学部を卒業して約10年で一応一人の医師として巣立つことに成ります。
ここで一つ声を挙げて申し上げますが、皆さんは医師の移動はいわゆる「転勤」と勘違いなさいます。「転勤」とは、普通一つの組織内で移動する場合に使われます。しかし医師の移動の場合はそうではありません。大学に居る時は国家公務員ですがどこかの市立病院に移ればそこの市職員、町なら町の職員、厚生連などの団体ならその団体の職員などと身分が目まぐるしく変わります。勿論年収などはその組織の規定で決まり、移る順序によっては給料が下がったりします。勿論健康保健や年金も毎回申請のし直し、子供の学校の問題も頭を悩ませます。そして何よりも問題なのは、1年~3年で次々に職場を変わることが多く、「継続」が美徳とされる日本社会では退職金などの面で非常に不利に扱われます。その退職金も普段の給料からは考えられない安い金額の事が多く、年金も雀の涙・・・。大体医師のボーナスは月給から見ると少ないのですが、その理由は、医師の給料は本給はそれ程多く無く諸手当をテンコ盛りにしてそれなりの額にしていることが多く、従って本給X??と言うジャンルは非常に安いことに成るわけです。
医師の収入に関していえば、卒後20年程度の中堅医師の場合で全国展開の大企業の部長クラス辺りでしょうか。しかし、そちらは最低でも完全週休2日なのに対して、医師の場合は時に週末も連休も無く24時間体制。加うるに昨今では結果が悪ければ親の敵のように恨まれ罵られ・・・それでも貴方は医師になりたいですか?

(注)ここに書いた医師の立場は、一般的な医療機関の勤務医の話で、御自分で開業されている医師の方たちはこの限りでありません。
by 医療四方山裏話 (2011-02-21 12:39) 

 医療四方山裏話

P.S
尚、北海道の医師の年収がどの程度のものかを考える際に、北海道地域医療振興財団のHPに出ている各施設の求人欄に記載されている年収を見ると、或る程度の参考になると思います。

   http://www.iryozaidan.or.jp/
by 医療四方山裏話 (2011-02-21 12:47) 

ebisu

大学卒業直後の医師の処遇、その後の仕事の内容と収入のバランス、こんな事を暴露したら、医者になろうとする人が減るかもしれません。
医者の側から観たら世界がどのように見えているのか、わたしたちは知りません。
仕事の内容も収入に比例してたしかにきつそうですね。
明日、本欄へ転載します。
コメントありがとうございます。
by ebisu (2011-02-21 23:57) 

医療四方山裏話

大学卒業直後の医師の処遇、その後の仕事の内容と収入のバランス、こんな事を暴露したら、医者になろうとする人が減るかもしれません。
仕事の内容も収入に比例してたしかにきつそうですね。

これは今から30年ほど前の大学の話です。当時は5~6年間の地方回りを終えて大学に戻り、少し研究に没頭しろと言うわけで病棟勤務を離れ外来で再来係専従。娑婆っ気を出さないように収入は「清く貧しく、家族が食っていければ良い」と言う教室の方針で、外でのアルバイトも殆ど出して貰えませんでした。年収は400~500万位だったですね。地方の病院勤務なら1200万は貰えてた筈ですが・・・。

今の駆け出しの医師は或る意味幸せです。臨床研修医制度の御蔭で経験が何も無い内から(ただ医師だと言うだけで)20~30万の給料が出ます。それも幸せな事に勤務は9時~5時を強制されるようです。今更ながら「労働基準法」に乗っ取っている訳です(笑)。小生たちの人生には「労働基準法」などと言う法律は死文でした。何故か一番人間の健康管理を扱うべき医療現場(特に勤務医)程、一番非健康的な日常を強いられて来ました。看護師やパラメディカルは未だ時間外手当など少しは考慮されていたようですが、事医師に至っては「高い給料を貰っている医師なんだから、24時間仕事に縛られるのが当たり前だろうが」とばかりに患者さんからも思われ、また国もそれを利用し・・・。

数年前でしたが北海道の病院でも研修医に50万の月給を出す病院があり、その効果でしょうか、全国の優秀な大学を出た研修医たちがその病院にどっと集まり話題に成りました。市の作戦では、「彼らの内の何人かでもいずれ自分達の病院を思い出して戻ってきてくれれば」。何とも哀れな儚い希望です。まあ残念ながら北海道中の公立病院は何処も似たような状況ですが・・・。

by 医療四方山裏話 (2011-02-22 09:44) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0