中国漁船衝突事件映像がYouTubeに流出した。
 この事件は最初からどこかおかしかった。漁船には集魚灯がないし、海保の巡視艇にぶつかっても平気だ。普通の漁船なら体当たりしたら相当破損するのではないだろうか?下手をすると沈没だ。流出映像をみると、多少の装甲を施してある巡視艇よりも頑丈な造りに見える。

 なぜ中国に遠慮したのかについては事情はつまびらかではない。最初から正直に映像を公表して、本当のことを海外と国内に説明すべきだったのだろう。何か思惑があって公表をためらった。

 何か思惑があれば、事実を隠蔽せざるをえなくなる。たしかに政府は事実の隠蔽に成功したことが何度もあるだろう。比較的年次の新しいものではイラクでの外務省職員の殉職事件がある。帰ってきた車は車高が高いにも関わらず、斜め上から射撃され、縦断は床を貫いていたといわれている。つまり高い位置から狙撃された。並行して走行してランクルよりも高い位置から射撃可能な車種は軍用装甲車両しかないと当時週刊誌が書いていた。飛行機で到着して下ろしたときにはシートがかけられて車の映像は一切表に出なかった。その週刊誌にはシートがかけられたまま飛行機から降ろされた車のスナップ写真が載っていた。真実はこうして闇に葬られた。米軍からは一切情報が洩れてこなかった、見事な情報統制だったといえるだろう。
 このような隠蔽はなんらかの事情を隠すために行われる。

 今回の流出映像を見る限り、なんてことはない衝突の記録だ。巡視艇が左に舵を切ったところへ後ろからスピードを上げてぶつかってくるサマがはっきり映っていた。事実関係は白く濁った航跡からも明白であるように見える。

 これだけだったら正直に公表するのが一番いい処理だったのだ。そうすれば、情報漏えい事件も起きなかった。すぐにビデオを公表しなかったという判断ミス、そして機密流出という機密情報管理上の不手際が重なった。

 ところで証拠物件の漁船はどうしたのだろう?ネットで調べたら事件の1週間後の9月13日に返還したらしい。船体構造や「装甲補強」の調査ぐらいはしてあるのだろうか?不手際というものはどういうわけか連鎖するもののようだ。


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*11月7日23時45分追記
 ときどきコメントを寄せてくれるHoly Talkerさんというハンドルネームの方が中国語の新聞に、衝突事件で日本側に死亡者が出て日本側(海保?)が抗議したという記事が載っているのを見つけてくれました。中国と経済的な結びつきが強くなっているので、菅総理大臣と仙石官房長官は事実を隠蔽したのかもしれません。
 日本国内に大きな波紋を呼び、対中外交に強硬路線をとらざるをえなくなれば、国内経済への深刻な悪影響が懸念されます。レアアースだけでも大騒ぎしたくらいですから。
 でも、こういう事件で政府が自国民を欺くのを中国やロシアが見ている。強く出れば日本は情報統制までして及び腰になるとタカをくくるようになる。菅政権は中国市場と国内経済しか頭にないようです。領土、領海、国防よりも経済を重視している。間違いですね。
 ロシアと経済協力関係が進展していけば、北方領土についても同じことが起きる。いや、すでに起きてしまっている。2006年8月16日の湾中組合長(当時)カニカゴ漁船がロシア国境警備艇の銃撃を受けて30代の船員がなくなっている。そしてメドベージェフの国後訪問があったばかりだ。領土も領海も国民の命すら犯されても強硬姿勢が取れない、その弱腰がばかにされている。なんでこんなに卑屈な国になったのか。
 以下、コメント欄から引用します。

http://www.bbc.co.uk/zhongwen/trad/china/2010/09/100907_china_japan_diaoyu_crash.shtml
中国語の新聞ですが、この記事が正しければ、本当は1名死亡しています。
(原文)
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日本海上保安廳稱,碰撞最初在星期二(9月7日)上午10時15分(格林尼治標準時間1時15分)發生,事故沒有造成人員傷亡。
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簡単な翻訳をすると・・・
日本海上保安庁と9/7(火)午前10:15(グリニッジ時間1:15)に衝突が発生した。この事故で人員が亡くなった。
という感じの意味になります。

ただこの文からどちらが亡くなられたという断定できない。
以降を翻訳すると、
日本側が中国側へ抗議しているという文もあることから、日本側で亡くなられた方がいることになると思われます。

この件を調査していると、真偽は不明だが、2ちゃんねるでも殉職情報があり、人名まである状態です。

**前海上保安庁長官の講演録11ページにカニカゴ漁船銃撃事件が載っている。
http://www.jpmac.or.jp/investigation_results_research/policy08/J-5.pdf

 #886「ロシア国境警備艇羅臼漁船を銃撃」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-01-31-1

 #890「被弾の羅臼漁船2隻、隠蔽工作」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-02-03

**11月8日午後1時10分追記
 お昼のテレビ番組に初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏が出演して、次の発言をしていた。
 ①接舷した後もみあって二人海に落ちて銛で突かれた
 ②ビデオは接舷後の後半部分がある、全面公開せよ
 彼はいい加減なことを言う人ではない。それなりに情報を確認しての発言のように思われる。
 「貧弱な「海防」まだわからぬか」というタイトルで産経ニュースに彼の主張が載っている。11月8日付けである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101108/plc1011080313002-n1.htm

≪思い起こせよ『海国兵談』≫

 尖閣沖の中国漁船衝突事件で、林子平(はやし・しへい)の『海国兵談(かいこくへいだん)』を思いだした。寛政3(1791)年に刊行された全16巻の「海防論」だ。

 列強によるアジア植民地化が進む中、鎖国政策で泰平の眠りに耽(ふけ)る幕府に、南下してくるロシアの脅威に備えて近代的な海軍と沿岸砲台の建設を強く説いた警世の書だったが、幕府はこれを発禁処分にし、林子平に閉門蟄居(ちっきょ)を命じ、失意のうちに彼は憤死する。

 だが、彼の「海防論」は尊皇攘夷(じょうい)の志士たちに受け継がれ、明治維新の原動力となった。やがて日本が日清・日露・第一次大戦と勝ち進み版図を広げるにつれ、「海防」は国防の基本政策となり、国境警備、沿岸警備、島嶼(とうしょ)防衛の海防思想は国民に浸透、旧海軍には海防艦という艦種も生まれた。

 それが敗戦で一変する。艦砲の射程から決まった3カイリという国家の不可侵権としての「領海」は兵器ハイテク化もあって軍事的意味を失い、12カイリプラス排他的経済水域200カイリの海底資源、漁業権という経済上の観念に変わった。

 あれだけ人口に膾炙(かいしゃ)した「海防思想」は失われ、軍事的には第七艦隊任せ、警察的には海上保安庁の任務となった。海防艦に取って代わったのは海保121隻の巡視船(他に巡視艇237隻)だ。軽武装、低速24ノットの弱体な沿岸警備隊で四方を海に囲まれた島国の全長3万5千キロの海岸線、43万平方キロの領海、447万平方キロの排他的経済水域を守ることとなった。・・・


*ニムオロ塾には海国兵談の著者林子平作製の日本列島古地図を壁に貼り付けている。地元の根室印刷の会長であり考古学者(國學院文学博士)北構保男先生が蒐集した200枚余の古地図の一つを社長の山田さんが複製印刷して無料で配布したものだ。これともう一枚の複製をいただいたのは2011年の暮れだったかな。先生はうれしそうな顔で「社長がきれいに複製印刷してくれた」と言いながら「君の分もとってあるよ」と2葉いただいた。
 ロシアと中国が下に描かれ、上を塞ぐように日本列島が描かれているから、東が上、西が下になっている日本列島図である。ロシアと中国から見ると日本列島は太平洋への出口を塞ぐ厄介な存在にみえる。林子平はこういう視点で考えていたのだろう。(2014年4月11日追記)