昨日軽い頭痛がするような気がしたので、12時前に寝た。疲れがたまっていたのかもしれない。
 高校生が増えた。時間帯によっては中高生が混ざっていることがある。個別授業だから各自がやっている問題集やプリントから次々質問が出る。
 新学期が始まってから4時から9時まで質問の途切れることがない日がよくある。塾長にとっては生徒の意欲が伝わってくるので、うれしい。
 一人一人の質問に反応し、それをほどよく捌くことは楽しい。なるべく全部は教えない。最後までわからない場合は別だが、途中まで水先案内をする程度にとどめる。生徒もじきにその辺りの間合いが呑みこめて来る。「あ、先生わかった、たぶんできる、もういいよ、あとは自分でやる」。数人から質問が「殺到する」こともある。「ちょっと待ってて、こっちから片付けるから、他の問題にチャレンジしておいて」と待ってもらう。「先生、これとこれとこれとこれ、5題間違った、この問題難しくてわかんない」というときは、とりあえず1題のみ解説して次の問題をやらせてみると、案外できる。共通のやり方の応用のことがあるからだ。個別指導は楽しい。
 風邪を引いて熱が出たときは別にして、いままで頭痛がしたことはないから、こういうときは要注意だろう。脳梗塞とか脳出血とか脳障害は微妙な信号が事前にあるらしいから、それを見逃してはいけない。なにかあれば家族にも生徒たちにも迷惑がかかるから、普段の健康管理が大事だ。3年半前に病気をしたから、とくにそう思う。ぐっすり寝たので今朝は気分が好い。

 連休中も授業は普段どおりにやった。中3の生徒が「先生6日は休みにしようよ」と言うので、「受験生が何を考えている、今年は休みはないぞ、トコトン勉強しろ」そう言って拒否した。
 中3で連休中に7時間勉強できた生徒は、高校生になったら夏休みや冬休みに毎日8~10時間勉強できる生徒に育っている。社会人になって重要な仕事を任されても期限内にやりきる力が育っているだろう。中高生のうちに大人が鍛える機会をなんども提供しなければならない。甘やかせて育てれば、それなりの人間になってしまう。鍛えるべきときに鍛えること、それも教育だろう。

 さて、病院問題だが、医師が不足、看護師が不足と不足を嘆くばかり。病院を建て替えるのにお金がない、補助金をと走り回るのみ。このような病院に意欲のある若い看護師さんが集まるか?
 魅力のないところには、医師も看護師も患者も集まらない。衰退していくのみだ。

 責任ある立場の者が夢を語らなければ人は集まらないし、いまそこで働いている人にも活気がみなぎらない
 市長も事務長も病院長も根室の地域医療の夢を語らなければならない。そしてその実現に向かって具体的なプランを語らなければならない。
 一年一年、夢の実現に向かって進んでいることが実感できなければならない。

 6年前だったか、商工会館で開かれた市民説明会で市側の説明を聞いてから、建て替え問題に私なりに係り続けてきた。ところが、この間に、地域医療の夢を語る関係者の言葉を聞いたことがない。
 市立病院は毎年10億円以上(昨年度はついに12億円を越した、年々増え続けている)の実質赤字を出し続けているが、経営改善の兆しすら見えない。このような情けない経営状態では長期的に見れば自力で医師を集めることも看護師を集めることもできるはずはない。夕張のようにいつ診療所になるかも知れないような経営状態の悪い病院に人が集まるわけがないではないか

 必要なのは補助金ではない。意欲である。現状を変えようという意欲と具体的なプランがあれば根室の地域医療の未来は明るくなるし、医師も看護師も集められる。こんなことは誰にもわかりきったことだが、あまりにも自明なので誰も言わない。だからあえて言う。魅力のある地域医療の夢を語れ、具体的な経営改善プランを創れと。

 智慧が足りないなら、市民の智慧を集めればいい。市側はオープンな議論の場を提供し、必要な関係者を出席させるだけでいい。
 たとえば、「根室の地域医療問題を論議する会」を立ち上げてほしい。隔週で日曜日に時間を決めて議論しよう。関係者も含めて膝を突き合わせて具体的な議論しよう


*この提案はebisuの発想ではない。コメント欄にHoly Talkerというハンドルネームの人が、年代層ごとの市民集会を提案してくれた。病院問題に関しても有効に思えたので、そのアイデアを借りたのである。年代や発想が異質な人間同士のコラボレーションは楽しいし、町の運営に変化を起こす可能性がある。