2006年7月にスキルス胃癌と巨大胃癌の手術をしてから16年目です。年に4回、ずっと岡田優二先生に定期検診してもらっています。先週採血した検査結果を聞きに行きました。
 中性脂肪が少し高めでした。血清鉄はOKでしたが、貯蔵鉄が減っていたので、元気な看護師長さんにフェジンとビタミンB12を静注してもらいました。これで、6月まで大丈夫です。癌マーカーも異常なし。

 1984年に臨床検査最大手のSRLへ上場準備要員として採用された年に、新規導入検査項目だったのが癌マーカーのCA19-9ですが、今回の検査に入っていました。親会社の富士レビオの子会社である東レ富士バイオから購入していました。岩本経理部長からグループ企業間取引は上場審査要件だから、値段の決め方を先方の役員と打ち合わせて決めてきてくれと言われ、新宿西口ニッセイビル(都庁ビル前)22階の本社から練馬の子会社SRL東京ラボへ出向き打ち合わせました。TFBがその近くにあったからでしょうね。1か月間のTTBの平均値で翌月の仕入レートをすることを提案し、予定の決済ドル額に対して、為替予約をしておくことで、東レ富士がわに差損が発生しないようできることを説明して了解いただきました。入社して2か月目くらい、桜が咲いている頃でした。だから、CA19-9は懐かしい検査項目なのです。CA19-9だけでは何の癌かわからないので、CEAと組み合わせて絞り込みます。CA19-9が(+)でCEAが(-)の場合と(+)の場合があり得ます。CEAが高値の場合は、胃癌や大腸癌などの消化器系の癌や肺や肝臓の炎症が疑われます。CEAが基準値以下なら、消化器系以外の癌の疑いがあるというわけです。消化器系の癌と言えば膵癌もあります。
(1991年の塩野義製薬と膵癌マーカーの検査試薬共同開発を学術開発本部で仕事しているときに担当しました。開発部が学術開発本部に所属していたので、開発部内の共同開発会議に出席するだけでなく、共同開発手順を標準化するために2項目だけ担当させてもらいました。自分の手でやってみることも大事なのです。開発部のメンバーからヒアリングし、PERTを使って2か月ほどで共同開発手順を標準化してます。メンバーそれぞれが自分独自の手順で仕事していたので、開発課長の藤波さん(京都大学出身者)も学術開発本部長の石神取締役もマネジメントに困っていました。もう一つの共同開発検査試薬はDPC社のⅣ型コラーゲンでした。藤波さんマネジメントが不得手なだけで、人っ子のいい人でした。彼との仕事は愉しかった。学術開発本部長の石神さんはわたしを後釜に据えるもりでしたね。学術情報部の仕事も精度保証部の仕事もわたしに担当させました。三つの部の仕事をマネジメントできる人材がいなかったのです。石神さんに誘われて購買課から異動して、2年弱後に、あたらしい「関係会社管理部」ができることになり、社内公募があったので応募しました。これには一つ理由があったのです。そのまま学術開発本部にいたほうがずっと楽でした。競争相手はいませんでしたから、人と争うこともありません。何より上司の石神取締役の仕事の信頼が厚かったのです。あるときこんなことを言ってました。「数年後には俺がお前に使われているかもしれないな」。公募に応募した後、上司の石神さんに報告するつもりでした。本社の副社長からすぐに電話があり、話があるから応接室の予約をしておけと指示され、すぐに八王子ラボまで谷口副社長が来て、「上司の石神取締役には報告するな、報告すればこの異動はなくなる」と言われ、しかたなく報告しませんでした。異動の社内公示があって、石神さんに呼ばれて叱られました。彼にとっては寝耳に水でしたから。本社で経営情報系システムの更新をしなければならず、わたしを呼び戻そうとしたが、石神さんがわたしの経営管理部への異動に強硬に反対したことがあったのです。それで谷口副社長が事前に漏れないようにわたしに口止めした理由がわかりました。)
 そういうわけでCA19-9のほかにCEAも検査報告書に載っていました。どちらも異常なし。毎度のことですが、血液検査とその結果を主治医の口から聴けるのは幸せです。いままでの病状を知ってもらっていますから、安心なのです。

 いつも思うのですが、岡田医院も市立根室病院も、通院するとこんなに病気の人がいるんだと驚かされます。今日はとっても混んでいました。お年寄りが多いですね、わたしも含めて。身体はだんだん壊れていくんです。同じくらいの年配の人同士が話していました。
「どうした?」
「癌と脳梗塞と...」
「元気だからいいね」
「成人病はあるし、病気のデパートだ」

 ...誰でも老います、だから、主治医がいることはとっても大切でありがたいことなのでしょう。


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