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12/6 午後1時 追記
       午後5時40分追記: ビリヤードへの熱中と自我消失の技


  プレッシャーがかかると実力を出し切れないというのは、誰にでもありがちなことで、どのような状態でも実力を出し切れるという強靭な精神の持ち主はむしろ例外に属する。これからとりあげるケース・スタディが、プレッシャーに弱いところのあるふつうの中高生たちの参考になれば幸いである。

  名前を仮にπ(パイ(pi:円周率))君とする。π君は中学校へ入学してすぐの学力テスト(通称「お迎えテスト」)で学年トップ、2番との差が四科目合計点で1点差、次の定期テストから英語が加わって五科目、合計点で2位との差が2点。π君は2回目のテスト直後に一過性の不整脈があり体調を崩した。僅差が連続したので次は負けるかもしれないと心に強いプレッシャーがかかったのだろう、なかなか負けん気が強いところがある。点差を広げるために国語は1年ほど前から音読トレーニングをしていたから、社会科に手を打つ必要があった。2-3の指示を出しただけで、その後は順調に苦手の国語と社会を得意科目に変えどちらも学年トップをとるようになったから、2位との点差が急速に開きテスト直後に体調を崩すことがなくなった。しかし、点差が開いて体調が崩れるという現象があらわれなくなっただけで、点差が接近したときに同じ問題が出てくる可能性があるから、問題をこのままにしておけない、そう考えて対策を探していた。

  プレッシャーに弱いというのはふつうのことだが、これが一生に一度の大学入試で出てしまったら、どんなに難問題集を解いて準備しても、試験当日に力を出し切ることはむずかしいから、目指す大学が難関大学医学部なら合格がかなり怪しくなる。

  さて、どうしたらよいかと2年間様子を観察してきた、ebisuの気の長さがわかるだろう。(笑)
  500点満点なら2位との差が60点にに拡大したのでプレッシャーは自然に消え失せた。3年生になって300点満点の学力テストでも2位との差は60点以上あるから、ダントツの学年トップ。
  治ったかどうかそろそろ試してみようと、違う学校の学年トップ生徒の点数を教えて、競わせた。案の定、気負いすぎてガタガタになった。体調を大きく崩しただけでなく、五科目300点満点でいつもより30点近くも点数を下げてしまった、得意のはずの数学がとくにひどかった。本人に自己分析を訊いてみた。「高校・数Ⅰをやっているので、中3の試験範囲がおろそかになっていた」と分析、なるほどそう思っていたのか。1年前にやったときに、良問や一発で解けなかった難問は印をつけさせてあったのだが、フォローが不十分だったと本人の弁。「あの時はできた問題がいまできないものがある、とくに2次関数と相似の章をもう一度やり直したい」と言うので、高校数学のセンターレベルの問題集を一時棚上げすることにした。3週間そういう状態が続いていたが、模試が終わった日に数1の問題集を開いて二次関数の最後のほうの応用問題と格闘していた。数Ⅰに戻れという指示はしていないが、自分で判断して復帰した、それでいいのである。指示は少ないほうがよい、指示の多い指導は生徒から自主性を奪うことがある

 π君の数学の受験戦略を大雑把に説明すると、高校2年の夏までに数Ⅲを終了して、秋から難問題集に着手するつもりだったが、こういうことが繰り返されるとスケジュールを先延ばしせざるを得ないことになるかもしれない。リスクは小さくない。どのようにリカバリーするかは指導する側が臨機応変に考えればいいことだから、数Ⅰと高校英語の一時棚上げを許可した。
  高校受験で有名私立中学用の難問題集をやらせたくなかった。数学の学力テストは60点満点で57-60点(満点)がとれるようになるが、半年ぐらい時間を取られる、受験戦略上ここでそんなに時間を取られたら、大学受験に致命傷になりかねない。開成や慶応、早稲田高等学院などの過去問をやらせたらおそらく6割台しか得点できないだろうが、いまはそれでいい。難問題集へのチャレンジは大学受験勉強でやると決めていた。
  学年トップを続けることにこだわると、高校2年の秋以降にやるはずの難問題集のトレーニング期間が短くなる、そうなれば、つい最近起きたことが大学入試の時点で再発しかねない。大学受験用の難問題集を十分にやれなかったというプレッシャーが潜在意識に書きこまれる。大学入試に照準を合わせたら、中学の順位も得点も捨てていいのである。だが、捨てられない、そこが心の弱さだ。首都圏で教えた三年間は、学校の成績を気にしない生徒が多かった。問題を多方面から眺めより深く考えることと偏差値をアップすることを目標にしていた、それで生徒たちは納得していた。受験戦略は足元ばかりを見ていたら、元も子もなくすことがある。

  3週間心置きなく、2次関数と相似の章の複合問題を消化した件(くだん)の生徒、結果は如何に?しっかり手ごたえがあった。五科目合計目標点に2点足りなかっただけ。五科目合計300点満点の学力テストで、2位との差が60点もあるから、トップがとれないなんてことはありえない話だ。全科目トップの味を何度も味わったから、ただのトップでは気がすまなくなっている。人間の欲望はとどまるところを知らないが、勉学に関してはそういう貪欲さも必要な場合がある。過ぎると副作用が出るのはほかの物事と一緒である。
  12/1にC中学校3年生のみ模試があったが、落ち着いてやれたと報告があった、晴れやかな顔つきだった。十分な準備があったから、心に余裕が生まれたのだろう。そこで訊いてみた。

T:「感じが違っただろう?」
S:「ぜんぜん焦らなかったから、落ち着いてやれました」
T:「そのときの感触が残っているだろう?」
S:「いつもと違ってましたから、覚えています」
T:「つぎの試験のときに目をつぶって深呼吸し、その感触を思い出せそうか?」
S:「たぶんやれると思います」
T:「寝るときに試験の時の感触を思い出すトレーニングをしてみたら?」
S:「わかりました」

 ebisuは折を見て生徒によく質問を投げる。個別指導授業は生徒一人一人を観察し、生徒との対話で進めるのが基本だ。
  この生徒は今回の模試がふだんとは異なるこころの状態でやれたことき気がついていた。いままでの試験の時とは違う感触があったのである。感触はその時その場をイメージすることで呼び覚ますことができる。繰り返し呼び覚ますことで、心がそういう落ち着いた状態に容易に変わる。雑念がすっと消え、集中力が高まり、それまで培った力が抵抗なく解放される。これは気持ちがいいものだ。
  わたしは家業のビリヤード店を手伝いながらゲームに熱中し、そういう心の状態を創り出す技に小学生高学年のころから慣れてしまっていた。スーッと雑念が消えて、集中力が急激に大きくなる。失敗したらどうするなんてことは心の片隅にもない。意識の中から自分がなくなれば、うまくいくに決まっていた。そういう状態の時には上手にやろうという意識も、さらには自我も消えている。少しの間、迷いや判断ミスが消滅した世界にいる、不思議な感覚なのである。

 π君にプレッシャーをかけて反応を診るところまでは予定の範囲だったが、そこから先は出たとこ勝負だった。
  マインドセットを変えなければいけないと思っていたが、突然きっかけが訪れたのである。小さなロス(三週間高校数学と英語を棚上げ)を覚悟したら予想外の大きな収穫(マインドセットの書き換え)があった、これで何とかなる、ここまで来るのに2年半かかった

  12/1の模試は目標の270点超に2点届かなかった。国語の漢字の読みと書きがそれぞれ1題できなかった。「慎む」(読み)と「しゅうせき」(書き)。「なぜ書けなかったのかな?」、と首をかしげて、すっかり余裕を取り戻した様子。数学の作図問題(問題文を読み、4つの基本作図技法のどれとどれを使う問題かという視点から考える)のように改善すべき細かい点はいくつかあるが、そんなことは些末な問題だ。より本質的で大きな問題はマインドセットの書き換えである。前回の手痛い失敗とこころに生じた焦り、そして今回マインドセット書き換えが自然に始動するという大きな収穫があった。あとは自力でやれる、難関国立大学向け数学問題集「赤チャート」程度なら独力でマスターできる境地にようやく届いた、もう数学は教える必要がないのかもしれない。誰の助けも借りず、独力で勉強できるようになることが個別指導の目標である

<用語解説>
mindset: 心的態度; (固定した)考え方、物の見方。...『ジーニアス英和辞典第4版』


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