見事に減量に成功したと、ライザップのCMで活躍中の森永卓郎氏が、11日NHKラジオ番組「社会の見方・わたしの意見」で小学校への英語教育導入は百害あって一理なしと、自分の経験をもとに意見を述べていた

 森永氏は親の仕事の関係で、小学1年生のときにボストン(米国)で、4年生のときにウィーン(オーストリー)で、5年生のときにジュネーブ(スイス)で暮らしている。現地へ行って半年もすれば、子どもは頭が柔らかいから、語彙数の少ない日常会話には不自由しなくなるという。
 面白かったのはボストンからウィーンへ引っ越しドイツ語に半年ほどで慣れたころ、それまで憶えた英語が消えてしまったということ。ウィーンからジュネーブへ移ったときには半年ほどでフランス語がしゃべれるようになったが、やはりドイツ語が消えてしまった。
 習得言語の書き換えがなされるので、それまでの蓄積が無駄になるというのである

 バイリンガルの人が稀にいるがという質問に対して、それはその人が以前の言語をメンテナンスしているからで、普通の人が普通の状態でバイリンガルにはならないと断じている。森永の経験を例にとれば、ボストンからウィーンに引っ越しても、毎日英会話のトレーニングをするか、英語を話す環境下にいなければ無理だということ。

 森永が小学校での英語教育に反対する二つ目の理由は、人間は言語で思考するということにある。母国語が確立する小学生の時期に英語という外国語を習わせるのは百害あって一利なし、やってはならぬこと、小学生の時期は母国語の育成にこそ力を注ぐべき
 このことは森永の体験に基づいた意見である。ボストンにいたときには英語で考え、ウィーンにいてドイツ語を話すとドイツ語で考えるように変わり、ジュネーブで生活を始めてフランス語で会話するようになるとフランス語で考えるようになった。
 日本人は日本の自然や風土、他人とのコミュニケーション、さまざまな宗教行事や日常的な慣習を通じて、そして漫画や小説や日本文学を読むことで日本的情緒を吸収しながら日本語で思考して育つ。情緒や思考の鋳型を自分の中に創り上げるのである。
 そういう理由から、初等教育では母語の習得を最優先して、それに集中すべきだ。

 三つ目の理由として、戦後のGHQの教育政策との相似を挙げている。英語の公用語化の要求や漢字の廃止、ローマ字表記の採用などが提案されたが、外交努力で阻止したと森永は言う(以前、弊ブログで大野晋の本から引用して、その辺の事情を具体的に紹介したことがある)。それと類似の状況が生まれつつあることを森永は強く懸念している。
 英語の公用語化はグローバル企業には都合がよいが、日本人が英語で考えるようになるということを意味しており、そのことに森永は強い懸念を抱くのである。小学校への英語教科の導入は、安倍政権やグローバル企業の陰謀ではないかとまで言う。

 海外生活して必要なのは、日本人として日本の文化を理解していることで、日本人が流暢な発音で外国語を話す必要はまったくなく、問題はその中身だという。自国の文化に関する教養のない者はパーティで相手にしてもらえない。これは、(米国と英国へ留学経験がある)数学者の藤原正彦も『国家の品格』の中で書いていることだ。無教養な者と話すのは時間の無駄というのが欧米のインテリの共通の感覚

 ここからはわたしの意見である。
 森永はマクロ経済学の専門家のようだ。日本の経済学者は右も左も欧米の経済学を英語やドイツ語で読んで学んでいる。だから、経済政策も大きな行き詰まりを見せている。アベノミクスの製造元である浜田宏一(内閣参与、東大名誉教授)もマクロ経済学を米国で学んだから、思考の鋳型までもが米国流になり、ろくな経済政策が提案できない。
 日本的情緒や日本の伝統的価値観、職業観、仕事観に基づく経済学がありうることに誰も気がつかないのは、日本の経済学者が例外なく欧米の経済学を学ぶと同時にその思考の枠組みをそのまま鋳型にして研究を続けたからだろう
 英語を公用語にすると、日本から現在の行き詰まりの状況を打破する異質な経済学が生まれる可能性すら失われる。日本人は日本語を母国語として、日本語で考えるべきで、そこにこそ日本という国、日本人の存在理由があるとわたしは思うのである。

 大数学者である岡潔先生はフランスに留学し、フランスに学ぶべきことがないことに気がつき、日本的情緒が大切だと気がついて日本に戻り、芭蕉の俳句の研究に数年間を費やしている。それから数学の研究に没頭して大きな成果を挙げ、3大難問を次々に解いてしまうのである。日本的情緒の重要性がわかろうというものだ。岡潔の業績は数学にノーベル賞があれば3つ分だそうだ。その岡潔先生が初等教育は国語と算数を重点的にすべきで、社会や理科は小学校低学年では不要とまで言い切っている

 ふるさとに戻って塾を開いてから13年が経ったが、中学生の日本語能力の低下はすさまじいゲーム・ソフトの高性能化、スマホの普及、過度な部活で、7~8割の生徒が日常的に本を読む習慣をもっていない。「読み・書き・ソロバン(計算)」という基礎技能のうち、特に読みのスキルがこの13年間で著しくダウンした。読みほどではないが、「書き・ソロバン(計算)」技能の低下も看過できない。
 読みのスキルの低下は、日本語で書かれた教科書の理解を困難にする。だから、国語も数学も理科も社会も、押しなべて学力全般が低下している。速く正確に読み取ることができなくなっている。団塊世代なら五段階評価で1がつくような生徒が20%もおり、そのほとんどに2か3がついている。

 子どもたちの学力低下は、タイムラグを経て国力低下を招来することになるだろう。

 初等教育では母国語の育成に力を注ぐべきで、英語教育導入は百害あって一利なしというのが、森永卓郎氏の意見である
 大数学者である岡潔先生も小学校で英語教育は必要なしと言い切っておられ、さらに進んで小学校低学年では国語と算数の教育に重点を置くべきで、社会科や理科は高学年からでよいと主張された。学問研究には日本的情緒が大切というのも重要な指摘である。


*#1213 数学者岡潔(1):『日本という水槽の水の入れ替え方―憂国の随筆集』
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-20

 #749 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦と藤原正彦の教育論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

 #569 英語教育論:藤原正彦『国家の品格』より抜粋
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-03-1

 #559 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦の教育論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-03-28


*#1570  学力と語彙力の関係(1):総論 July 5, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-07-05

**#1572 「学力と語彙力の関係(2): 5科目合計点が高い⇔国語の得点が高い?」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-07-05-3

 #2796 急がば回れ:外国語<母国語 Sep. 1, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-09-01

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<濫読による日本語語彙拡張が鍵>
 大数学者の岡潔は尋常高等小学校時代に家にあった小説を濫読したと『春宵十話』書いている。
 ロシア語同時通訳の米原万里は小学校高学年のときに世界少年少女文学全集全巻を繰り返し何度も読んだとその著書で語っている。数学者の藤原正彦も小学校で文学全集を読み漁った経験を書いて、小学校時代に濫読による日本語語彙の拡張の重要性を語っている。これらの人に共通するのは小学校高学年で日本語テクストの濫読期を通過して文章語の日本語語彙を爆発的に拡張していること。最近読んだ本で驚いたのは『東アジア「反日」トライアングル』(文藝新書)の古田博司(筑波大教授)である。慶応中学時代に岩波の「古典文学大系」を「暇だったから全巻読み通した」というのだから、とんでもないやつだ。高校時代は中国の古典を全集物で読み潰していったという、これでは学者になるに決まっている。高校生が魯迅選集を中国語のままで読む姿を想像してもらいたい。古田だけは極端な例と思っていただいていい。
 日本語語彙がしっかりしていないと会話文ならともかく、文章語としての英文を日本語に置き換える際に、すぐに限界にぶつかってしまうことをジャパンタイムズ記事の文を例にとって解説したから、#1573に眼を通していただきたい。populationsとpopulationをどのように訳せばいいか楽しんでもらいたい。"旬の時期"に文章語の日本語語彙を拡張しておく重要性がわかる。

 #1573 学力と語彙力の関係(3): 英英辞書と母語の語彙 July 7, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-07-07
 
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