#3340 実りある対話(2): 経済学の大きな問題に整理がついた June 22, 2016 [98-1 第3版への助走]
<最終更新情報>
6月23日午後11時 見出しをつけた
山本七平氏の「空気」論から始まった対話が、漂流しているようにみえますが、意外な方向から、次第に経済学の核心へと迫っていたのです。こういうのを「化学反応の妙」というのでしょう。
経済学の大きな問題に整理がつくのは<#17>と<#20>です。
<要求分析について>
議論の前提にシステム開発技法の「要求分析」があるようなので、ざっとebisuの考えを述べておきます。
koderaさんは四項目箇条書き法による「要求分析」を繰り返し提唱されています。要求分析はシステム開発をするときに最初の段階でなされる作業です。コンピュータメーカ側ではSEがその手の仕事をします。大手コンピュータメーカ富士通に勤務されたことのあるkoderaさんは大企業向けのシステム開発なら、要求分析に3年かかると書いています。
koderaさんのおススメに虚心に耳を傾け、十分に理解してから、それが適用可能かどうかをわたしは判断しよう思いました。それが、誤解を与えたのかもしれません。
平均的なSEの教育ならそうでしょう、四項目箇条書き法は有効で、便利なツールです。しかし、koderaさんとはそういうレベルの話をしていたつもりはないのです。
わたしがユーザ部門の人間だったことはkoderaさんのブログへのコメントで書きましたからご存知です。システム開発に専門知識や技術のない一般的なユーザと考えたのだとしたら少し違いますので、わたしの経歴を書いておきます。
(文系(商学部会計学科、大学院経済学研究科理論経済学)出身者であることも誤解のもととなったかもしれません。)
<ユーザ⇒SE⇒KEという逆コース>
<<輸入商社で学んだこと>>
1979年9月に産業用・軍事用エレクトロニクス輸入商社に入社しました。他の会社(某ファッションメーカ、創業者のお孫さんがテレビに出ている)に合格していたので断りにいったら、経理・輸入業務担当N村取締役が趣旨はわかったから関社長に会って話して行けと社長室に案内されました。社長室で社長とN村取締役に強く入社をススメられ、結局、30分ほどお話をして入社を約束してしまいました。社内に入ったときに技術部の前を通りるとなんだか面白そうな製品がごろごろしているではありませんか。マイクロ計測器制御用の高性能パソコンが眼に入りました。「お、あれを使ってみたい!」と思ったのです。商品ですからもちろん使わせてはくれませんでした。(笑)
その代わり、わたしの入社にあわせて5つのプロジェクトを立ち上げてくれました。財務委員会、長期計画委員会、収益見通し分析委員、利益重点営業委員会、電算処理推進委員会、為替対策委員会の6つの委員会のうち、利益重点営業委員会を除く5つの委員会の委員に任命されました。財務と長期計画は社長が委員長でした。それぞれ3項目程度、委員会設置目的が示されていました。ウォーターマンのブルー・ブラックインクを使った社長の手書きの字でした。目標が明確だったので仕事がしやすかった。役員がほとんどの委員会で、営業部長と営業課長と業務課長がそれぞれ一人、委員として任命されていました。役員が委員会の実務作業をするわけはないので、中途入社したばかりのヒラのわたしが5つの委員会の仕事を単独で担うことになったのです。(笑) だから、委員会は経営分析結果の報告や仕事の進捗報告会でした。会社の利益構造を変革し財務体質を強化するために組織横断的に動きやすいように配慮してくれたのでしょう。
<<経営改善の仕組みを創造しデザインするのはSEではない>>
自社の経営分析をするためにプログラム機能付の科学技術計算用カリキュレータHP67(1万円)とHP97(プリンタ付 22万円)を社長が入社1ヵ月後と2ヵ月後に「プレゼント」してくれたので、その小さな計算機で逆ポーランド方式のプログラミング言語を覚えました。「年次統計資料」によると当時の大卒給与が10.9万円ですから、おおよそ2倍の価格を考えてもらえば、どんなにうれしかったかわかります。金額に見合う性能でした。
1週間で400ページほどの英文マニュアルを2冊読みプログラミングをマスターしました。家に帰ってマニュアルを読みながらプログラミングの独習をしていると、空が明るくなってあわてて2時間ほど仮眠を取って仕事に行き、今度は実データを使って一日中モデル構築にいそしむというような1週間でした。(笑)
この計算機はROMにストアされた統計パックを利用して線形回帰分析やカーブフィッティングができる優れもの、道具としては切れ味のよいものでした。入社1ヶ月間は電卓で経営分析モデルを作るために電卓でやったので、一日中電卓を叩いて統計計算しなければならなかったのですが、この計算機のプログラム機能のお陰で生産性が飛躍的に上がりました。必要なプログラムを書いた後は入力チェックだけでよくなったので助かりました。
三菱電機のオフコンが経理業務に入っていたので、3日間の講習にいかせてもらい、COOLというダイレクトアドレッシングの事務用言語をマスター、翌年にはもう一台オフコンを増設したので、コンパイラー言語のPROGRESSⅡ(IBMのRPGⅡと類似言語)をマスターしました。データはそれぞれのオフコンで稼動しているシステムのデータ(財務決算データと受注残・納期管理データ、円定価表データ)を使えますから、バックアップをとっていろいろ試すことができました、
3年間でシステム開発関係の本を30冊ほど読み漁ったと思います。NECで出していた黒い表紙のシリーズもののシステム開発技法専門書が6冊くらいあり、とっても役に立ちました。10冊程度が英語で書かれたものです。
会社は便利なもので、仕事という形で好きなことを思いっきりやらせてくれます。利益構造変革と財務体質強化を目的とする経営分析システムと為替管理の仕組みを開発し、オービックのS沢SE(8年ほど前にホームページを見たら取締役になっていました)と受注残・納期管理システムを開発、同時に営業事務省力化と利益管理のための円定価システムを営業課長のE藤さんと三人で開発しました。
受注為替レート、仕入れ為替レート、決済為替レート、円定価適用為替レートをある計算式で連動させることで、為替リスクを完璧に回避するものでした。ある計算式での為替予約による金利裁定取引で売上金額の1%の為替差益が常に出る仕組みでした。二十年以上有効でした。システム全体はは目論見どおりに動き、経常利益が3倍に増えました。円安局面でも為替差損の発生はゼロでした。
それらの独立に開発したシステムを統合するために1983年秋に日本電気情報サービスのT島SEと開発に着手しました。すでに利益構造が大きく変化し高収益となり、内部留保が増えて財務体質が強化され始めていました。それを汎用小型機で統合し、実務を全面的に見直して業務の省力化を重点に設計していました。
<<一緒に仕事をして優秀なSEの技術をコピーする過程>>
オービックのS沢SEと日本電気情報サービスのT島SEは業界でもトップクラスの人でした。輸入商社のオーナーである二代目社長が、三菱電機の2台のオフコンから日本電気の汎用小型機に乗り換えるのに、統合システム開発をするので、ナンバーワンSEを担当させることを条件にしました。それで来たのがT島さんでした。30歳代前半にお二人の腕のよいSEと一緒に仕事をしたのでスキルを盗めました、仕事と人に恵まれていました。
<<製品知識の集積:学んだことは役に立つ>>
マイクロ波計測器の測定原理を中心に、ミリ波、紫外線、赤外線など周波数帯域の異なるさまざまな理化学機器を技術営業向けの講習会で学びました。東北大学の助教授が顧問で、毎月一度講習会を開いてくれました。欧米50社ほどのメーカの総代理店だったので、毎月のように新製品の説明に海外からエンジニアがきていたので、そちらも毎回出席していました。同じなんです。ディテクターの周波数域が異なるだけで、ディテクター部、データ処理部、インターフェイスの構成はどの理化学機器も変わらない。取扱商品を知らなければ、業績がどうなるのかメインバンクに説明できません。5年間びっちり中身の濃い勉強をさせてもらったのです。
(この蓄積が、臨床検査会社SRLへ入社して、ラボの機器担当をしたときに絶大な威力を発揮しました。臨床検査機器は理化学機器ですから、構成がマイクロ波計測器と同じなのです。理解が簡単でした。SRL八王子ラボに何台も入っていた質量分析器と液体シンチレーションカウンタはこの輸入商社でも扱っていました。SRL社内では一番理化学機器に詳しいわたしが、本社で予算編成の統括をしていたのですが、検査試薬のコストダウンのために購買課へ価格交渉の応援のために3ヶ月間「社内出向」し、継続で取り組むことになり、そうした偶然の成り行きで2年半ほど八王子ラボの機器購入を担当することになりました、うれしかった。理化学機器は何でもありました。メーカとの共同開発も手がけました。)
<<仕事が人を鍛える:幸運は独力で学習することから>>
入社早々から思い切って5つのプロジェクトを任せてくれた創業二代目社長に感謝しています。関周さんありがとう。社員数200人弱の中小企業だからこそ任せてもらえたのだろうと思いますが、企業規模だけではありません、あの委員会は利益構造と財務体質を変革するための大きな賭けだったのです、そのキーマンとして入社したてのわたしを使ってくれました。決算数字に劇的な変化が表れましたから、期待にお応えできたのだろうと思います。その後、高収益を背景に社名をセキテクノトロンに変更して店頭公開しました。2002年から赤字になり、2009年に上場廃止、2012年に他社に吸収合併されました。従業員持株会に入っていた社員の株が紙切れと化したのですから、なんだか悲しいです。3代目社長はわたしが退社する2年前に東大へ入学しましたから東大卒です。サポートしてくれる有能な経営参謀がいなかったのかな。
経営者自身は能力がなくていいのです、半端な能力の持ち主が一番危うい、人の能力を見極め、存分に使える経営者が最高です。
<<輸入商社辞職の経緯>>
社長の友人の方がユニバックを辞めた後、システムコンサルタントとして仕事をしており、会社の各部門にヒアリングをしたことがありました。「要求分析」をしたのです。出来上がったレポートを見て唖然としました。お粗末でした。聞いてみたらPOSシステムをやったことがあるというのです。当時はデパートのシステムで、畑違いでした。輸入業務も為替管理についても経営改善についても専門知識がなく、実務すら理解できないまま「要求分析」を書いたのですから、結果は悲惨でした。
わたしが開発とメンテの両方で電算部門を任されていましたから、「一体どちらが・・・」という声が現場からあがり、開発に支障がではじめました。このままではわたしがやりにくいので、Mさんに任せるかわたしに任せるかどちらかにしてほしいと社長に要求しました。オフコンを導入した経理課長も管理部門担当役員も営業担当役員も、実績を上げていたわたしの味方についてしまったのです。その結果、お引取り願うことになりました。数ヶ月して、また社長がそのMさんを呼んで話をしたということが、業務課長から伝わりました。統合システム開発中に、信頼がないのだなとがっかりして、社内電話で社長に、「またMさんをお呼びになったのですね、社長とわたしの間に信頼関係がなくなったようです、わたしが引きますからどうそMさんに担当してもらってください、辞表は上司に出しておきます」、そう伝えました。社長は一言も発しなかった。おそらく自分でもまずかったと思ったのでしょう、正直な人で、いろいろ画策するようなずるい人ではありませんでした。仕方なかったですね、関さんは独立した大学時代の友人に仕事をまわしてやりたかった、業績もよくなっていましたから、面倒見て助けてやりたかったのは理解できました。わたしがわがままだった、仕事はわたしがやって、Mさんが役に立ったと言ってあげたら社長の面子が立った、若気の至りでそういう配慮ができませんでした。
輸入商社では初の画期的な経営統合システムでしたが、業務課長からMさん来社のことを聞いた瞬間に、あきらめました、天の意思を感じたのです。12月に冬のボーナスを受け取った後のことでした。1月末まで引継ぎにかかりました。
<<異なる業界への転職前後の出来事>>
年が明けてから引継ぎ業務の最中に一日休みをとって、就職斡旋機関のリクルート社でSPI試験を受けて、最高ランクのファイルがオープンになりました。SRLはそのファイルの中にあった会社でした。年収が1.8倍ほどの外資系の会社もありましたが、そちらを選ばないで正解でした。フェアチャイルドジャパン・セミコンダクタという半導体製造の会社でした。数年後に日本から撤退しています。SRLへの初出勤日は輸入商社で送別会を開いていただいた数日後のことでした。いい時代でしたね、規模の大きい会社へ年収を上げて転職が可能だったのですから。
輸入商社を辞めた1ヵ月半後に大手ソフト開発会社から、輸入商社向けのパッケージ開発に誘われました。20社ほど取引先ユーザがあるので、ビジネスになるということでした。1984年3月ころの話です。そのときはSRLに入社して一月半後でしたのでお断りしました。
退社して一月ほど後に、二人の部長さんから、就職の斡旋がありました。心配してくれたんです、ありがたかった。日商岩井から転職してきた60歳前後の総務部長が日商岩井の子会社へ管理職での転職を、もう一人の営業部長のSさんは帝人エレクトロニクスに友人がいるので、そこを紹介できるということでしたが、すでにSRLで勤務している旨を伝えました。人の情が身にしみました。統合システムは動かなかったそうです。開発済みの独立したシステムでしのげばいいだけですから心配してませんでした。1億円くらい捨てても心配ないくらい利益構造を変えましたので、その点では安心して退職できました。実際に81年ころに日電アネルバと合弁会社アナリティカを作ったのですが、経営がうまくいかずに合弁解消をしました。8000万円ほどの損失を出して手を引きました。海外旅行から戻った社長を迎えに羽田まで管理部担当取締役がいったのですが、わたしのレポートを携えて行きました。合弁会社から手を引いて本業に専念すべきで、損失は十分カバーできるほど利益構造も変えたし、財務体質も強化してあるから大丈夫ですという論旨でした。素直に受け入れてくれました、おそらくどうしようかと迷っていたのです。タイミングのよいレポートでした。同族会社でしたが、そういう率直な意見の言える雰囲気のいい会社でした。長期計画委員会で、利益を株主と社員と内部留保の三等分して配分するをいうわたしの案をそのまま呑んでくれました。為替変動から会社の業績を切り離す仕組みができて、努力した分だけ自分たちのボーナスの取り分が増えることを理解すると社員のやる気がはっきり変わりました。理想に近い経営形態でした。
<<転職して統合システム開発に携わったのは偶然?必然?>>
1984年2月初旬に臨床検査最大手のSRLへ転職しましたが、東証Ⅱ部上場のための統合システム開発が半年前に始まっていたのです。輸入商社よりもずっと大きな規模での統合システム開発が待っていました。汎用小型機での統合システム開発から手を引いたら、すぐに国内最大のメインフレーム(汎用大型機、富士通製)を使ったスケールの大きな統合システム開発の担当者になれたのです。ああ、天はこれを用意してくれたいたのだと、納得がいきました。
SRLへの転職動機は3点、①業界が異なること、②新宿西口の超高層ビルに本社があったこと、③5年間売上高経常利益利率が12%で、売上高成長率が15~20%の成長企業であったことです。リクルート側のファイルを見て、「ここだ」と即決しました。新宿の超高層ビルで一度働いてみたかったのです。NSビルの22階に本社がありました。翌年くらいに都庁の建設が始まりました。
入社時点では、統合システム開発が始まっていることは知りませんでした。入社し手から知りました。経理係長が担当していた財務会計システムだけが手付かずの状態でした、経理課長から担当変更を相談されたので、引き受けました。システム開発応援のために最大手の監査法人からシステムのわかる公認会計士がシステム開発のサポート役で来ていました。毎月300万円を支払っていましたが、同じ大学の先輩であるM井経理課長がそれを切ってもいいかと訊くので、OKを出しました。レベルが低くて、授業料をもらいたいくらいだったのです。
財務会計システム、支払管理システム、固定資産管理システム開発を担当すると同時に、暗礁に乗り上げていた他のサブシステム(原価計算システム、販売会計システム、購買在庫管理システム)とのインターフェイス仕様も、開発プロジェクト会議で依頼され担当しました。全部の業務に専門知識がなければインターフェイス仕様は書けません。そういう専門知識をもった人材がいなかったので、半年遅れでこの統合システム開発に参加したわたしに回ってきたのです。輸入商社での統合システム開発が準備運動になっていましたから、快適にトップギアで仕事ができました。半年遅れでスタートして、一番最初に本稼動、他のサブシステムを担当していた人から「悪魔君」というニックネームをいただきました。「エロイムエッサイム・・・」と呪文を唱えたら、あっというま(任されてから1週間後)にインタフェイス仕様書を配布し、財務会計・支払管理システムが立ち上がったように見えたのでしょう。
2月にSRLへ転職、3月末に担当替えを相談されて4月からシステム開発スタート、12月並行ラン、1月から本稼動、スタートから本稼動まで8ヶ月でノートラブルの完璧な立ち上げをやっています。
2ヶ月間で「要求分析」だけでなく、実務設計、外部設計、プリントアウト・プログラム仕様書などの仕事を単独で担当し、NCDさんの担当SE3名(M上さん、T原さん、N口栞さん。M上さんは20年ほど前にNCDの取締役就任)に書類を渡して、作業を完了しています。NCDさんのほうは内部設計とプログラム作成という役割分担でした。その当時は、経営統合システムに関してはebisuは国内トップレベルの専門家だったであろうと思います。「仕事と人に恵まれた幸運の人」だったからに過ぎません。
<<優秀なSE3人とのエピソード>>
ある時こんなことが持ち上がりました。本稼動して半年後の中間決算で、支払管理システムの残高移行が不可能だと報告があったのです。NCDさんのベテランのSE3名から、3日間何とかしようと検討したが、無理との結論になったというのです。日本ラジオアイソトープ協会が特殊な扱いをしていたので、それに関する問題だったと思います。数十社の製薬メーカから検査試薬を購入するのですが、RI試薬のみ支払いが分離されて、支払先が日本ラジオアイソトープ協会になるのです。この取引先が一番大口の支払先で84年当時で毎月5億円前後の支払いがありました。
「処理できませんというのはわかったから、説明を聞きたいのでファイル処理フロー図を持って来てください」とお願いしました。テンポラリー・ファイルを入れると百数十のファイルがフロー図になっています。こんなものを見たってわかるわけがないだろうという心の中が表情に表れていました。怪訝そうな顔をしていましたよ、腕に自信のある仕事盛りのベテランのSEが三人、この問題を3日間検討したのだから、ebisuさんそなものを見てどうするの、言いはしませんが表情には出ていました。
ファイル処理フロー図を目の前の会議テーブルに広げて、「それで、このフローチャートの中のどの箇所で問題が起きたのですか?」と質問し、対象のファイルと処理を確認しました。なるほど、そのファイルを使って、処理しても残高の移行が正常になされないことはわかりました。彼らの言うことは妥当でした。5分ほどいくつか質問して、近くにある別のファイルの利用とアルゴリズムを指定しました、「これでできませんか?」、「え、あ、えーと...できます」、ファイルフロー図を広げてから15分くらいでした。実務設計書と外部設計書(帳票類はプログラム仕様書レベルのもの)を2ヶ月で渡していたのに、内部設計の知識がないとでも思っていたのでしょうかね、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてました、表情が豊かなSE三人と仕事できてハッピーでした。それ以降は対応がずいぶんよくなりました。技術屋さんは相手の技術が確かなら、すぐに認めますから、付き合いやすい。少なくとも対等な仕事のパートナーとしては認めてくれました。それ以降は「できません」という相談はありませんでした。栞さんが結婚退社して替わりのS木さん、女性だけど有能でした。何か要件ができるとS木さんへお願いするのですが、返事は常に「ハイわかりました、いついつまでにやります」とよい返事、その下で10名ほどのメンテ要員を管理し、システムの保守をしていたU田さんが厳しい指示に応えてよくがんばってました。彼のスキルがぐんぐん上がっていきました。仕事が人を鍛えるんです。(笑)
<<償却資産管理システムの一新はどうやったか>>
実務設計書と仕様書類を渡してからはNCDさんの内部設計とプログラム・コーディング作業ですから、わたしのほうはテストデータを用意します。これがとっても面白いが時間は余りかかりませんから、しばらく仕事が暇になります。その間隙を縫って固定資産管理システムの作り直しのためにシステムデザインをしていました。部門別・機器別の投資予算管理を組み込んで、予算減価償却費の精度を一桁上げようと目論んでいました。固定資産台帳記載物件の確認と名称の分類・統一を先にしなければなりませんでした。本社と八王子ラボの償却資産を全点実地棚卸しして確認しました。たとえば、「恒温槽」「フランキー」「フランキ」「腐乱機」「孵卵器」は同じものでした。2タイプあったのでタイプ別に分類番号をつけました。何しろ日本一のラボですから、検査機器の種類が多い、世界中の一流メーカの理化学機器があります。電子顕微鏡や質量分析器も複数台ありました。パソコンが問題でした。セットで買ったものを、ばらして部署移動するのでぐちゃぐちゃ、登録する時点でディスプレイ、本体、プリンターに分けました。冷凍庫は-20度、-40度、-80度、-150度のものがあったので、それも温度帯で分類しました。顕微鏡も通常の光学顕微鏡と傾向顕微鏡の2種類あります。冷凍庫や顕微鏡なと、同じ分類でくくれてもその下に回想沸けする必要がありました。こうして八王子ラボにある検査危機全点の階層別分類表が出来上がるころには、仕様書を渡してあって新システムのプログラミング作業が終了していますから、マスターに分類番号を入力しました。便利でした、それまで電子天秤が八王子ラボに何台あるのか、マイナス80度の冷凍庫が何十台あるのか誰も知らなかったのです。組織横断的に検索可能になりました。製造メーカの統一とか値引き交渉の資料としても使いました。
同じ機器が固定資産管理システムはそれまでの経緯で小さなソフト開発会社に外注していたので、NCDさんの担当ではありませんでした。どちらでもわたしは外部設計仕様書を書いて渡すだけですから片手間ですむ仕事でした。投資案件の登録は社内の予算制度変更を伴うので、投資案件登録票を配布して、営業部門、ラボ部門、本社部門に分けて予算申請させました。実務の変更を伴うので、事前に実務設計をしっかりします。これがしっかりしていれば、本稼動がスムーズに行きます。
<<実務設計と外部設計後の暇な時期の好奇心>>
外部設計資料と実務設計資料を渡した後で、「退屈だから、僕がプログラムを書いてもいいよ」とNCDさんに申し入れたら、「そういう作業はうちのほうでやりますから、ebisuさんは仕様書を書いてください」と体よく断られました。当時はストラクチャード・COBOLでコーディングしていました、わたしはCOBOLでプログラムをコーディングしたことがなかったので、20~30本も書けばある程度慣れますからやってみたかったのです。それまで3言語マスターしていました。
NCDさんは1年後にはEasy-trieveという簡易言語に書き直してました。簡易言語だから処理時間が長くなったと思って聞いてみました、どういうわけかこちらのほうが処理時間が短いのです。常識的に考えるとマシン語レベルでは冗長になるはずですから、処理時間の延長は必須と想像していました、大外れでした。プログラムの生産性はおおよそ10倍くらい上がったでしょう。簡易言語なら書き換え費用を負担しても、読みやすくて比較にならぬほどメンテナンス作業が容易になるのです。
わたしは子会社で導入に失敗して2台浮いていたDECのミニコンのほうを経営分析システム用に使いたかった。経営分析システムは線形回帰やカーブフィッティングのような統計計算をするので事務用処理言語のCOBOLは向いていませんでした。DECのミニコンはC言語でコーディングできます。90年代半ばにはパソコンもC++になっていました。プログラム言語とハードの性能アップの速度にはいつも驚かされます。
<<1979年に開発した経営分析ツールをEXCELへ移植>>
92年ころ、学術開発本部スタッフ(開発部兼務)から関係会社管理部へ公募に応募して異動しましたが、そのときに子会社管理のために科学技術用プログラマブル計算機HP67とHP97で1979年に作成してあった経営分析システムをEXCELを使ってパソコンに移植しました。5つのディメンション25項目のレーダチャートモデルを利用した総合偏差値で子会社6社の評価ができる優れものでした。関係会社の評価にも、買収や資本参加検討対象の会社の現状分析にも使いました。関係会社管理部に1年半ほどいる間に依頼があって6社ほどやりました。そのうち、2社は買収、1社は資本参加となりました。規模の大きいものだか2社は交渉も担当しました。こんな便利で効果の高い経営分析ツールを持っている上場企業はいまでもないと思います。
<<経営統合システム開発に使ったさまざまな技術>>
会計情報システム関係専門書は日本語で書かれたものがありませんでしたから、米国で出版された600ページもある専門書で海外の先端の会計情報システムの実際を知ることができました。システム開発関係技術はPERTやビジネスデザイン法、KJ法、フイッシュボーンチャート、データフロー図、処理フロー図、HIPO Chart、産能大式事務フロー図、日本能率協会式事務フロー図、ストラクチャード・コーディング、タイプの異なるプログラミング言語に関する知識、プログラミングの実技、RDBに関する知識などさまざまなものがあります。専門書も国内だけでは物足りなく、海外の先端の専門書を利用しました。これらの知識がなければ、短期間での統合システムの開発が不可能だったからです。
<閑話休題>
四項目箇条書き法は標準的なSEを育てるには、システマテックで教育しやすい方法かもしれません。しかし、そうした固定した形にこだわったらとっても時間がかかります。「要求分析に3年」と「要求分析+実務設計+外部設計に2ヶ月」を比べたら、仕事の質の違いが理解できると思います。
<<逆コースでの技術習得:ユーザ⇒SE⇒KE>>
弊ブログで何度も書いているのですが、koderaさんはわたしが統合システム開発の専門家であることを知らなかったのかもしれません。
要は、完璧な要求分析と実務設計をして、それらを土台に外部設計書を書けばいいのです。形は内容に応じて決まります。当時、コンピュータメーカ・サイドには経営統合システムに関してはそういうレベルの仕事ができる人はいなかったのではないでしょうか。2ヶ月で統合システムの「要求分析+実務設計+外部設計+システム間インターフェイス設計」をユーザ部門の人間がやったというのはコンピュータ・メーカ側の人間には信じられないかもしれませんが、事実です。必要な専門知識と技能はすべてもっていました。できのよいSEくらすの知識と技能があったということです。
ユーザ部門の業務に関する専門知識を対話を通じてSEの側が取得し、関連の専門書を読むことでユーザ部門の担当者と同じ程度の専門知識レベルを有するレベルの人材をKE(knowledgeEngineer)と名づけた時代がありましたが、わたしの場合は逆でして、ユーザ部門の担当者が、優れた技能を持つSEと一緒に仕事をするなかで、SEの専門知識と技能を身につけてしまったのです。
<#19>の該当箇所に青字でコメントを入れておきます。
経営統合システムには、簿記、管理会計学、原価計算、会計情報システムに関する専門知識、経営分析に関する専門知識などさまざまな業務分野の専門知識が必要になります。それらに加えて、プログラミングやシステム設計に関わるさまざまな技法の専門知識と習熟が要求されます。
たとえば輸入商社なら、輸入業務や為替管理に関する専門知識、取扱商品に関する知識などのほかに、システム開発技術に関する専門知識が必要になります。臨床検査会社では、RI検査、生化学検査、ウィルス検査、細胞性免疫検査、遺伝子検査、染色体検査、病理検査などさまざまな検査業務に関する知識、ディテクターの周波数や測定原理を含めた検査機器に関する知識、品質管理に関する知識などきりがありません。
生化学検査ひとつだけでも、さまざまな測定原理の機器があります。原子吸光光度計、赤外光度計、酵素標識をつけた抗原抗体反応を利用した測定器、免疫電気泳動、2次元免疫電気泳動、30項目生化学自動分析機などを知っているのといないのでは原価計算システムの仕組みが変わってきます。利益管理シミュレーションシステム仕様に関わります。
これらの専門分野や専門業務の知識や経験のない人が「要求分析」をするのは方法論の前に無理があります。そのあとの「実務設計」は不可能と言わざるを得ません。これから出来上がるシステムを前提にしたまったく新しい実務をデザインするのです。自分が業務を担当してもスムーズにやっている姿がイメージできなければなりません。
こういうシステム開発ができれば業務精度と速度は飛躍的に上がります。わかりやすい例を出すと、固定資産減価償却予算の推計値が一桁上がりました。推計誤差が1/10になりました。東証Ⅱ部の審査では利益の推計の精度も問題になりますから、それらの要件を満たすようにきめの細かいシステム開発が要求されます。要件分析だけではどうしようもありません。問題の解決案まで実務を含めてデザインしなければならないのです。償却資産申告書作成には4人×2ヶ月かかっていましたが、時間ゼロになりました。簡単な話です、税務署の要求仕様にあうように帳票を設計して、指定用紙ではなくプリントアウトで代替することを八王子税務署と交渉して認めてもらいました。初事例だと担当の方がおっしゃっていた。
<三十数年間の変化を概観する>
1980年代からは、システム化の巧拙が会社の利益構造に甚大な影響を及ぼす時代に突入しています。まもなく多くの産業分野でAI(Artificial Intelligence:人工知能)の性能とその利用の仕方の優劣が企業の生存競争に決定的な影響を持つようになります。人からAIへ時代が動きます。大量失業の時代が現れます。
<koderaさんへの感謝>
「資本論と21世紀の経済学」は不十分なものでした。
バックグラウンドに誤解があったとしても、koderaさんとの対話を通じて整理が進んだので、第3版はずいぶんすっきりしたものになりそうです。一人ではここまで整理をするのに手間取ったでしょう、助かりました、慎んで感謝申し上げます。
いつもの癖で前フリが長くなりました、では投稿欄のコメントをお読みください。
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<#12>ebisu
koderaさん
>そうですね。文字では誤解が多すぎる。管理人さんほどの人でも私の心は読めません。当たり前のことです。
これはその通りです、わたしは貴兄のコメントを読んで理解しているだけで、マインドリーダではありませんから、心の内が読めるのかと問われたら、読めませんとお答えするしかありません。書かれた物に、お会いしてお話したときの印象を重ね合わせることができるのみです。
>さて、本題のebisu先生に対するお願いの件。厳しく言えば、貴方の文章を理解できる人は居ません。無理です。AIのエンディングのように見えています。人類が死に絶えてロボットのAIが気持ちよく生きる地球の姿を想像します。
厳しいご指摘ですね。
わかりやすい文章だと思うのですが、わたしの思い違いでしょうか?
過去40年ほどのコンピュータの発達に関しては、貴兄のブログへコメントをしました。5/21「スモールビジネスコンピュータ」というタイトルの記事へのコメントでした。
指数関数的な性能向上を具体的なチップの性能を取り上げて整理しましたが、あれには同意いただけました。このまま後30年指数関数的な性能アップがあれば、AIは人間の脳を超えてしまいます。人間を超える知性を人類は神と呼んでいます。
指数関数的な変化は時間が経つほど、人間の想像力を超える変化を生じることも過去の性能アップから容易に推測できることは理系の貴兄には言わずもがなでしょう。
道は二つあります。グローバリズムを推し進めて、AIの支配する世界へ突き進むか、日本の伝統的な価値観に基づく経済学を道標にして、クローズドな地域の連合として経済社会を再編成するのか、人類には二つの道があるとわたしは考えています。後者が選択できるように、わたしは自分のライフワークをもう一歩前へ進めます。それが「資本論と21世紀の経済学」第3版です。
SRL時代にわたしの書いたシステム関係仕様書や稟議書はわかりやすいことで定評がありましたが、「貴方の文章を理解できる人はいません」と言われたのは初めてです。頭のよい貴兄が誰にも理解できないと云うのですから、わたしの書き方、論理展開、論旨にどこか無理があるのでしょう。
理解できない箇所を数箇所指摘していただけたら、ありがたい、文章修行になります。
>私は親鸞のように誰も信じていません。
親鸞は誰も信じていなかったでしょうか?五木寛之の『親鸞』が北海道新聞に連載になったときに楽しく読みました。人への信頼がしっかり書かれていました。記憶が定かではありませんが、「つぶての弥七」とかいう人が出てきたでしょう。
そして貴兄には「中村師匠」がいました。
何人かの人に信頼を裏切られてことはあったのかもしれませんが、そんなことはどなたの人生でもあることではありませんか?
13時15分のコメントは、なんだかお疲れのご様子とお見受けしました。体調は大丈夫ですか?
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<#13>ebisu
後志のおじさん
懐かしい単語です、aufheben。1960年代後半に大学生の間で流行ったドイツ語です。高校生のために訳語を書いておきます「止揚」あるいは「揚棄」。1960年代後半は学生運動の季節でした。団塊世代が大学生だったときの流行語、ヘーゲル弁証法なんて読んだことがなくても、カッコつけたくて使う人が少なくありませんでした。
山本七平氏の著作を全部お読みになっているのですか、驚きです。社会現象を扱うのが上手な人ですね。アカデミズムの側の人間ではありませんが、社会学者に分類してよいのでしょう。アカデミズムの側の社会学者と比べても、かなり光っています。今日読んだ高校2年生の教科書にvery quite(かなり)がでてきました。(笑)
「日本人とユダヤ人」は書名は知っていましたが、経済学を中心に本を読んできたので、社会現象を扱った本はあまり読んでいませんでした。「わたしの中の日本軍」と2冊がお薦めですか、理由が振るっていますね。
>外国語を自分のものにする。使いこなせるようにする。そのためには大袈裟にいうと思考体系の再構築が必要なのですが、その契機となった方です。
開成高校の入試問題に続いてのお薦め、本を増やすと女房に叱られるので、読んだら生徒にプレゼントします。生徒はタイトル見ただけできっと「いらない」っていうんです。何か講釈をつけてその気にさせなければなりませんね。(笑)
2年ほどで、4000冊ほどある蔵書の半分ほど処分できたらいいのですが...
女房の要求では1000冊以下にしろと、なかなか厳しい注文です。
ドイツ語の単語をみて思い出したのですが、さきほど本を読んでいたら、ヨーロッパの初期仏教経典研究で非常に優れた本があると書いてありましたが、それはドイツ語出掛かれた文献でした。30年も前に買って、2/3ほど読んでそのままになっていましたが、また興味がわいて先ほど読み終わりました。
『「阿含経」を読む 近代仏教への道』増谷文雄著 角川書房昭和60年発行 260ページ
Oldenberg, 1854-1920
Buddha, sein Leben, sine Lehre, seine Gemeinde, 1881
読んでみたい本です。翻訳があるかな?英訳でもいい。塾をやめたら暇ができるから、そのときにドイツ語で読むのもいいかも。
本は読まないほうがいい、1冊読むと読みたい本が3冊殖えます。(笑)
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<#13>koderaさん
どこと指摘はできません。人は自分の頭のハエを追うだけで生きていると思います。それしか理解できない動物です。可哀想な生き物です。私もですから仕方ない。憐憫も愛も結局は自分の頭が作りだしたイメージです。畳一枚下は地獄です。
貴方はイメージと言っていました。やるともです。その通りだと私も思います。でも今の経済論のどこにイメージがあるのでしょうか。
確かに本の表紙のコピーにはあります。たくさんの本の表紙のコピーは私にはいろいろな情報へのリンクアイコンになっています。素晴らしいです。でもそのリンク先の情報は私の頭が管理している記憶、イメージが大元だと私は考えているのです。
伊勢先生がイメージまで論を昇華できたら私も理解できるようになるかもしれません。世界もです。私は親鸞のようにアホですから。
五木寛之は素晴らしい、歳をとって知識がイメージまで昇華したと私は思いました。親鸞はほとんど伝説の人です。彼の書物も誰が書いたか分かりません。3代後が偉かったのは確かでしょう。
小説の奥さまは観音様の生まれ変わりのように、また唄の名手やつぶての名手など、面白い登場人物。魅力的。でも居たわけがない。牛車のイントロ部分の牛の様、目に見えるように感じました。彼は見えているのです。だから阿保もイメージできる。
誰かの本や文章を読めば、貴方は論理と文章を頭に蓄え、理解でき、論旨を頭の中で合成していると理解しています。頭が抜群に良いからそれで人も理解していると誤解しているのでしょう。語彙も言語学の研究者以上、辞書原著者以上に思っています。尊敬しています。
(ケチをつけるつもりは毛頭ありません。考え違いする方はいらっしゃらないと思いますが、(語彙も言語学の研究者以上、辞書原著者以上)はほめ殺しです。ebisuの語彙は普通の方よりも少し多くはありますが、言語学の研究者や辞書の原著者とは語彙の分野が異なりますので、比べられません。(笑))
イメージに挑戦すると昔のコメントか記事にありました。期待しています。なお、私はイメージ処理をゼロから考えて、めちゃくちゃの言を師匠と岩井さんと浅田さんに提案し続けました。やらせないで良かったと今は反省しています。できたはずはないからです。
でも私は人の文章を理解できた範囲でイメージ化して統合する訓練をしていたようです。貴方の論は素晴らしいと思えますが感性と直感の範囲に留まっているのです。これは私の頭の特性なのでしょう。
貴方の論をイメージできないからかもしれないが、二つの道はありえないようにイメージできます。グローバリズムは私はかなり昔論理で書いて、今は人の論をイメージできるように感じています。
日本は破たんする姿です。ほとんどの人の論はその同じ結論に至ります。イメージだからです。そこで貴方のグローバリズムの結論に乗っているのです。まだ新経済論はイメージできないから。すみません。南無阿弥陀仏。
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<#15>ebisu
koderaさん
おはようございます。
ご意見しっかり伺いました、脱帽です。
koderaさんのいうことはぶつ切りで、敷衍していただかないと理解できないことが多いのです。四項目箇条書きは補足がないと中身が伝わらないことがあります。20文字以内の文章で、書き手と同じイメージを作れというのは読み手にとっては少々酷で、伝わるものはアバウトでしかありません。コアがつかめることもあるし、そうではないこともあります。
わからないことはお聞きするしかありません。
わたしの経済学に関しては、経済学者のほとんどが理解できないでしょう。それは用いている語彙や概念が、いままでの経済学にはないものだからです。
デカルトの「科学の方法」や数学の公理的体系構成法そのものですから数学史の研究者にはわかりやすい論になっています。容易にイメージできるはずです。あいにく世の中に数学史に興味のある人なんてほとんどいません。北極と南極ぐらい離れた異分野のフュージョンになってしまいました。(笑)
そういう意味で「21世紀の経済学」はまったく新しい、どうしようもなく新しい。わたしの書いた「資本論と21世紀の経済学」が多くの人にとって理解不能であることはわかっているつもりです。それが大学に残らない決意をさせました。
当時はわたしの頭の中に出来上がってしまった経済学のイメージを伝える術が見つかりませんでした。
修論はごまかしでした。考えているイメージを修論にしたら、審査する先生はどなたも理解できません。本来のテーマを1/100くらいに縮小した部分論で済ませました。本来のテーマで書いたら、スミス、リカード、マルクスを丸ごとひっくり返すことになり、群論を書いたエヴァリスト・ガロアのようなことになりかねませんでした。
それで日本経済の現実を体験を通して学ぶ回り道となったのです。新たな公理系を探す旅でした。ライフワークを抱えて二十数年、折に触れてテーマを反芻し、現実と突合して旅を楽しんできました。「いったん経済学から離れよ」、天の意思だと思いました。
ついでです、『親鸞』の登場人物はたしかに五木寛之の創作ですが、彼には見えていたというのは頷けます。
貴方の論に従えば、実在の親鸞がどうであったのかだれも知る由がありません。それぞれの人が何らかの情報で脳に創りあげたイメージがあるのみ。koderaさんには人間不信の親鸞が見えているようです。
それがなぜかは少しは理解できるような気がします。
わたしとは異なるイメージです。
脳内に創りあげる人物のイメージは、読み手の人生観や人生経験と切り離してはありえないようです。
さて、第3版はかなり書き直さなければならないようです。読み手の頭の中にわたしが創りあげたイメージと同じものをつくることが目標になりそうです。
どんなにがんばっても1%以下の人にしか理解できませんね。
何か方法があるのかないのか、鈍才ですから醗酵時間がかかります、どちらかに落ち着くまで、しばらく死なないようです。(笑)
たいへん参考になりました。
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<#16>koderaさん
私の拙いコメントを理解いただけたよう、ありがとうございます。でも、伊勢先生ならできますよ。きっと。それを志せば、偏差値50程度の大学生ならできるようになると私は予言したいのです。
少し私の持論のアドバイスします。私のやり方ですので改善できるかもしれませんが。まず要求条件を箇条書きして体系化します。トップは新経済論を分かりやすく説明するです。目的でしょう。三階層に分解すると、4項目箇条書きなら64の条件になるでしょう。
トップの直下の4条件と、その他の下位にある条件をよく考えて入れ替えたりします。階層がこれで良いとなったら、その4条件から一枚の図表を作ります。この図表の出来が勝負です。何度も書きなおします。
2軸の4条件、すなわち4項目を修正しつつ、上手い絵がかけるまで考察します。分かりやすい絵ができたと思ったら、それで一応4条件は固定します。これが他人への説明のためのイメージであり、他人とイメージを共有できるようになります。
だから箇条書きは2軸の平面ですが、本当は4項目は4次元の軸。上手く表現できないから平面で書きます。
そして3階層を章節句として章立てします。そしてトップの階層から、すなわち4章の概要から書き始めます。同じく節の説明の概要の1枚の図表であるイメージを書きます。上手く書けるまで節立ても直します。こうして4つの章が終わったら節に移ります。
節も同じ繰り返しです。16節の概要を先に仕上げるのです。文章は書き下すのではなく階層構成に基づいて書きます。
プレゼン資料も同じように作れるし、同じようにシステム要求条件を作れます。これは師匠の教えではなく、私の提案でした。師匠には賛同いただいているのが自信のもとです。
私は悲劇的に予想します。それが安定なバグのないシステムを作る秘訣だからです。師匠も賛同しましたが、文系の親玉のような岩波書店の責任者には馬鹿にされたことがあります。
文系は難しい論旨で単純な法則を記述する人が多いと私は考えています。文系の論文は理系センスで書けば分かりやすくなるでしょう。だからきっとできますよ。
以上です。
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<#17>ebisu
3階層構造までは賛成です。
書き始めるまでが仕事の6割かな?
方法ありきではなくて、3~5項目の範囲内で内容に応じて分類してみます。4項目に整理するかどうかは、それを見てからの判断になるのでしょう。
事例を挙げて説明したほうがわかりよいでしょう。
マルクス『資本論第1巻』は7篇、25章編成です。
1篇は3章
2篇は1章
3篇は5章
4篇は4章
5篇は3章
6篇は4章
7篇は5章
各章は1~10節に分かれています。
節はさらに項目別に分けたり分けなかったり、必要に応じて小分けがなされています。
過剰富裕化論の馬場宏二先生の『新資本主義』は
序論
第1部 7章構成
第2部 7章構成
結論
4部構成になっています。各章は2~4つの節に分類されています。
3階層は賛成ですが、たとえばマルクス『資本論』を4項目できれいに整理することができるかと問われたら、不可能と答えるしかありません。
プレゼン資料の作成ではないのですから、内容に応じて篇別編成や章別編成、そして節編成が分かれていいのだろうと思います。
一人KJ法で整理してから、ご意見をお聞きしたほうがいいでしょう。
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<#18>ebisu
理論も技術もそれぞれ「固有の適用限界」があります。
そこを超えてしまったら、その理論は破綻します。逆に言うと、ある範囲内で使えば有効だということでしょう。
ニュートン力学と相対性原理のようなものです。惑星の運動を計算するだけなら、ニュートン力学で間に合います。しかし、時空の歪なんて話はニュートン力学からは出てこないでしょう?
マルクスもヘーゲル弁証法を経済学体系構成に適用しようとして、無理を重ね、破綻しました。ヘーゲル弁証法は経済学体系を叙述する上で必要ない、有害無益なものでした。
マルクスは経済学には適用すべきではないツール、ヘーゲル弁証法に執着しすぎました。ヘーゲルを捨てて、デカルトに学べばよかったのです。
マルクスは数学のセンスがまるでなかった。『数学手稿』という遺稿があります。マルクスが扱っているのは四則演算の範囲内です。微積分はおろか、ユークリッド『原論』すら読まなかった。
第一巻を出しただけで、その後は十数年間沈黙し続けています。方法論の根本的な欠陥に気づき、精神を病んだのではないかと思います。
方法的破綻を自覚して、書けなくなったのです。マルクスの死後、エンゲルスが遺稿をまとめて、勝手に編集して「完成」させました。エンゲルスは経済学体系がなんであるのか、その意味すらわかっていませんでした。世界市場関係でその環を閉じなければならなかったのです。そういう意味ではリカードすら超えられなかった。
欧米の経済学をユークリッド幾何学に譬えたら、「21世紀の経済学」は球面幾何学です。ここでは平行線公準が成り立ちません。別の公理系の経済学だということです。
話が脱線しましたが、言いたかったのは最初の3行です。
とにかく、階層構造に整理する必要は感じています。ですがこれは、マルクスだってやれなかったことです。それ自体がとんでもない仕事です。思いつくことをたくさん書き溜めてから、相互関係を分析して、階層構造に整理しなければいけないのだろうと、思っています。マルクスは『経済学批判要綱』(五分冊)でそういう作業をしています。わたしは二十歳前後のころに丹念にマルクスが分け入った山道をゆっくり歩いて確認しました。
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<#19>kodera
たった1企業の要求分析でも、大企業になると3年間かかります。しかも正しく書けないとシステムは使い物にならないものができます。
(ebisu注:わたしは、1984年に臨床検査最大手のSRLで統合情報システム開発に携わっています。「要求分析」も「外部設計」も「実務設計」も、各システム間のインターフェイス仕様も、完璧に記述し、8ヶ月でコアの部分の会計情報システムを本稼動させています。どの段階の仕様書もデザインも完璧でしたからノートラブルでした。KE(Knowledge Engineer)の役割を担っていました。「要求分析」と「外部設計」は2ヶ月で完了しています。ebisuは1984年当時、統合システム開発に関しては国内トップレベルの専門家でした。要件分析どころか、実務設計と外部設計書を書き上げるのに2ヶ月ですから、通常の開発の10倍以上の速度で楽々と仕事していました。
販売会計システムは他の方が数名担当していましたが、本稼動まで3年を要したので、小寺さんの言にに近い期間がかかっています。外部へ支払った開発費だけで5億円、社内の人件費も考慮すると8億円ほどかかったシステム開発です。当時富士通の最大のメインフレーム(汎用大型機)を使用しての開発でした。販売会計システム・購買在庫管理システム・原価計算システム・支払管理システム・予算管理システム・固定資産管理システムとのインターフェイス仕様は1週間で書き上げました。もちろん各分野の専門知識とシステム開発の専門知識ががあったから可能でした。SRLに入社したのが1984年2月、システム開発担当に任命されたのが4月です。実務デザインと外部設計仕様書を書き終わるのに2ヶ月を要しました。2ヶ月の並行ランで確認後12月決算データから本稼動に切り替えました。開発期間は8ヶ月です。秋くらいからは全社予算編成の統括管理も仕事として追加されています。システム開発の要求分析ならどんなに困難なものでも数ヶ月でやり遂げられますが、新しい経済学はそういうものではないのです、理由は#17と#18と#20に書いてあります)
伊勢先生はとてつもない、先人の素晴らし理論を越えようとしているのでしょう。私にはそうしか読めません。
中小企業でも、ほとんど家内企業であっても、1年はかかります。要求分析作業を甘く見ない方が良いでしょう。いくら伊勢先生でも結果を見たことがない理論であり、見た、経験した実践結果の分析ではないからです。想像と現実はたぶん全然違いますよ。
多分、正しい要求分析に5年はかかります。それまではあの世に行ってはいけませんし、お呼びはかからないでしょう。あっても待ちましょう。死神に代わっての予言です。(笑)
まだ階層構造だけで挑戦するつもりのようですね。失敗するかもしれません。止めた方が良いかも。時間がかかりすぎてお陀仏になるかもと言うこと。したら私のせいではなく、私の技法のせいでもないでしょう。それも仕方ない。
体系の完成を早める手は階層構造の改善はあるところで満足したら、一応やめてトップから図表の階層を書き始めるのが良い手です。割と早い段階でです。一応基本の要求条件は頭と過去の資料にあるから説明順の変更、論旨の修正で済むように思えます。
ある程度の満足のある体系に基づき、上位階層の4枚の絵を書いた方が良いはずです。そして、4項目の改善もあるでしょう。
そのうえで、節のはじめの方の絵を書くと要求項目の表現に改善点が見つかります。1項目の表記を改善しただけで、全体構造の修正がしたくなります。横への波及は仕方ない。上への波及さえ少なくできたら良しです。
階層の上への変更を避けるのが大事だと分かっているのですが、4項目の箇条書きの表記によっては波及しやすくなります。
波及を避けるために。目的語を重視し、先頭に置く表現を心がけるといいでしょう。その結果がプレゼンの事例になっているのです。文字数は少ないほど改善が楽になるだけでなく、一目同然で改善点が分かります。
ゆっくりと、コツコツと。体幹を鍛える四股のようにです。身体を鍛えるのと頭脳を鍛えるのと、根本は変わらないと私は信じて、坐骨神経痛に挑戦しています。とても難しい相手です。初めての取り組みでしたので。
でも、伊勢先生の記事のお蔭で私は認知症にならないかもしれないと妻も私のネット依存に何を言っていません。諦めたということです。
お蔭でまた妻の好きな旅行にお付き合い、二人が好きな甲府の黒澤先生に会って温泉につかります。彼から武士道や仏教や神道や陽明学を自然と学べる一挙4つ以上の効果があります。
なお、諏訪湖はウナギの名産地であり、川が流れ込む水門が一番おいしいのです。最近の化学ノーベル賞学者の美術館はたまたま黒沢先生の住んでいる町にあります。知り合いのようだし。世間は狭いのです。
水も人も流れないと腐ります。ノーベル賞は研究所を渡り歩くのがもらうコツです。人間関係が広がるから、論文が引用されることになる。
人は動けば良いのです。伊勢先生は自転車と四股、私は歩きと園児とバド。見て居てください。そのうち走って見せましょう。棺桶に走っていきますよ。南無阿弥陀仏。(笑)
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<#20>ebisu
おはようございます。
お蔭様で、ずいぶん整理がついてきました。
「できること」と、「できないこと」がはっきりしました。結論から言うと、新しい経済学はその公理系を示すことができるだけで、体系として叙述は不可能なことがわかりました。
経済学は経験科学ですから、いまだ起きていないことを学問として記述することはできないのです。
マルクスが『資本論』でやったのは「資本家的生産様式」の体系的叙述です。それは目の前にある経済社会の分析と体系的再構成が目標でした。
マルクスが希求した新しい経済社会はエンゲルスとの共著である『共産党宣言』に書かれています。いまだ訪れぬ未来の経済社会はイデオロギーでしかありません。
それを実現しようとしたのが、レーニンと毛沢東、金日成、チェゲバラとカストロでした。この歴史的実験は三人が大失敗、ゲバラは途上で殺されましたから、キューバのカストロだけがある程度、マルクスの理念の実現に成功したのかもしれません。キューバは貧しいが医療はただです。
「できること」は、経済学の新たな公理系を明らかにすることです。それを基にしてどのような経済社会を、どういう方法で創るのかはそれを担うべき人が考えること。それを担う人の人格と切り離しえないのだと思います。
マルクスやレーニンのようにインテリで大学へ職を求められなかった人が、権力欲を満たす手段として社会革命を利用するなんてことになれば、自身が権力欲の権化になるか、その後にスターリンのような権力志向の強い人間が輩出して、理念は雲散霧消してしまいます。マルクスは学問の人でした。
国が大きくなるほど、その運営には大きな官僚機構を要しますから、そういう傾向が強まります。カストロがある程度成功しえたのは、国のサイズが小さかったからです。
小さければよいというものでもありません、それは必要条件のひとつであるのみです。大きな単位で国を作ろうとする試み自体が、権力欲の表現に他ならない。EUもその典型のひとつです。アメリカ合衆国も英国連邦国家も大きな組織で、増殖する権力欲の表現です。地球全体を自分の支配下に置きたくて競い合います。権力欲はグローバリズムへ転化せざるを得ないのです。
小欲知足という価値観を土台とする、職人経済社会がいい。それは身体を使って働くことを善しとするのです。仕事しなくていいよと言われて喜ぶ日本人は稀です。身体を使って仕事することに生きがいを見出す人がほとんどではないでしょうか。
西欧の経済学は労働からの解放が最終目的ですから、それはAIとそれにつながる機械がすべての労働を肩代わりする経済社会を実現せずには起きません。そういう方向に向かっています。欧米の価値観をグローバリズムで押し進めるとそういう社会が実現してしまいます。
労働は奴隷のするもので、人間の解放とは労働からの解放を意味しているのが西欧の価値観です。人間は自らの価値観に見合った経済社会を実現してしまうのです。
そうしたことを、どのような構成で書くかについては3層階層構造が適切です。多くの著作物がそういう構成になっています。3層で足りないところは4層にすればいい。部・篇・章・節・項目、五階層のものもあります。
それぞれの部・篇・章・節・項目がいくつになるか、そして並べる順序がどうなるかは内容が決めます。「単純なものから複雑なものへ」が叙述の順序です。これはデカルトが『方法序説』のなかで「科学の四つの規則」として述べています。
マルクスのやり方を見ていると、思いつくまま書き連ねて分析しているうちに、概念相互の関係が、どちらがより単純なものかはっきりしていきました。一番単純なものに行き着いたところで、そこを端緒として体系の叙述が始まりました。
でもそれは、いま目の前に展開している資本家的生産様式を明らかにするものであって、マルクスの理念である共産主義社会を体系的に叙述するものではありません。
経済学は経験科学ですから、いまだ実現しえぬ経済社会については体系的な叙述が不可能なのです。
理念をイデオロギーとしてしか書き表せないのです。それで十分だと思います。壮大な社会実験はそれにふさわしい人が担えばよい。
人にはそれぞれ役割がありますから、自分の役割を自覚し、まっとうすればいいのだろうと考えます。
貴兄のさまざまな示唆、役に立ちましたよ、お蔭様で問題の整理が大きく進みました。
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<#21>kodera
伊勢先生が夢を実現されることを祈念しています。鈴木さんには鈴木さんの夢が、私にも私なりの夢があります。夢こそ生きる力ななのでしょう。
私の夢はイメージ思考とその作り方、すなわち私が求めているイメージ処理の有効性について、その考え方普及の後継者が現れることをです。
バドの子供たちもその候補。鈴木さんのお嬢さんも、伊勢先生もです。すみません。こんなに凄い伊勢先生に対して生意気な表現で。今後ともよろしくお願いいたします。
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<#22>ebisu
脳内に結実してしまったイメージを伝えるのは難しいものです。
わたしの場合は、ひとつの事象についてさまざまな用語がインプットされると、それらの相互関係を網の目のようにつなげていくだけでなく、一つの構造にまで再構成しないと居心地が悪いのです。
収まりがつけばそれで満足、自己満足です。(笑)
イメージ処理の有効性が大であることは自明のことに思えます。多様性が大きいので、どういう切り口で挑むか、なれた武器をとことん使って、限界を見極めるのがよろしいように感じます。
夢は追いかけているうちが楽しいのでしょう。koderaさんも、どうぞ存分にご自分の夢を追いかけてください。四項目箇条書き法はさまざまなことに使えます。
お釈迦様は、物事と感覚器官と意識の関係が完全に理解できました、それが悟りでした。問題はその後です、衆生にそれを説かれる決意をしました。だから、南伝の経典は比喩がとても多く、巧みです。
経済学について、知りえたことを、わかりやすく説いておくことはわたしの役割のようです。
人間の脳はほうっておくと雑事をあれこれ弄繰り回し始めますから、呼吸に意識をおいてゆっくり吐いて、ゆっくり吸う内に雑念が消えます。そういう瞬間に考えなければならないことを頭の中の引き出しから引っ張り出して、広げて見ているのです。
食べ物を反芻する牛のようなもの...
<中学生や高校生の皆さんへ>
どんな科目でもそういう勉強の仕方をすれば、理解が深くなります。難問を丸ごと覚えてしまって、脳の引き出しの中に入れたり出したり、何度も繰り返します。そのうちに脳が勝手に問題を解決してくれます、aha!の瞬間が訪れます。
難問でなければ効果はないし、脳のトレーニングになりません。ぜひ背伸びしてください。
ebisuは中学生のころから、そういうトレーニングをしていました。ビリヤード店の店番をして、お客さんのゲームの相手をし終わると、数分間の空き時間に脳の中から習ったことや解けなかった問題をひっぱしだして遊んでました。一日に何度もやるから、記憶はその都度リフレッシュされて、固定化されます。どんなに頭が悪くても、そういう数分間のトレーニングを日に何度も繰り返せば、たくさんのことが覚えられるし、思考も深くなります。「記憶と思考という種目の部活」を毎日熱心にやっていたようなものです。おかしいでしょう?おかしいですよ(笑)
ああ、お釈迦様は「握拳」はないとおっしゃっています。弟子に秘密にしている秘伝はないのだと。ひとつも秘することなく、法を説かれました。
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*#3331 「空気」に「水を差す」 June 17, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-17
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