ふとこんなことを考えた。
ロボットが必要な食糧や衣料品やさまざまな耐久消費財をつってくれるような世の中が到来したと假定しよう。人間たちは労働から解放されている。食べ物はふんだんにあり食べたい分だけ手に入る。病気になっても医療はただ。
さて、あなたは何をして日がな一日を潰すのだろう?
ゲーム三昧、好きなスポーツを毎日楽しむ、一日中野球やサッカーを観戦する、コンサートや観劇に出かける・・・
そういう生活が毎日続いたとして、楽しいだろうか、幸せが感じられるだろうか?
半年もやったら飽きそうな気がしないか?
週に2日は、日が昇れば起きて畑で働き、作物を栽培し、翌日は魚釣りをして食糧を自給する。自分のつくったものを大切に食べる。
週に3日は自分の技能を生かして人のために働く。
週に2日は好きな本を読み、テレビを見たり、音楽を聴いてのんびり過ごす。
月に一度くらいは温泉に出かけゆったりと過ごす。
身体を使って仕事をするということは人生を楽しくするのではないだろうか?
渾身の力で何かに打ち込んで他人のお役に立つ、それは歓びではないのか?
私たちが価値観を変えたら、小欲知足の安定した経済社会は案外簡単に手に入れられるのかもしれない。
百年後に、私の子孫がそういう経済社会で心豊かに暮らしていてほしい。
そのために、これから数年間わたしには何が出来るのだろう。
そのために、あなたはこれから何をするのだろう。
ふと、そんなことを考えた。
*#2437 経済学と人間の幸せ(2): 中野孝次と馬場宏二の説をめぐって Oct. 6, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-06