病院関係の記事が続いたが医療だけがこのブログの主要テーマではない。根室の町の将来に最も大きな影響があるのは教育だろう。私益を優先し、主要な団体の長になった者たちがほしいままの振る舞いをして恥じない、そして相互批判や牽制を欠く、それが根室の旧弊の構造だった。
 私益よりも公益を優先できるかどうかは教育による。貪欲な者たちが町の権力を握り続けるこの構造を何とかしなければ、町はよくならないと思っている。久しぶりに教育について語りたい。

 中2の中間テスト成績一覧表をみた。5科目平均点が224.6点、平均45点だ。400点以上がたった4人しかいない。塾生の一人は、はじめて400点に届いて幾分か顔を紅潮させ胸を張っていた。合計点の棒グラフの生徒数を数えたら75名だ。H中学なら数年前は400点超は25人いた。三校で合計約290人中60人あまりも400点超がいた。生徒数の20%である。いまどうなのか。おおむね220人中15~20人程度だろう。半減どころか三分の一以下と成り果てた。一番よかったH中もこの数年衰退著しく、学年10人以下だ。わが母校はたったの4人か。

 5科目合計150点以下が15人いる。
 分布図を見ると数学が一番ひどい。10点以下が22人/76人で29.0%もいる。30点以下は34人で44.7%である

 こういう生徒たちはが社会人になったときに、何が担えるのだろうか。職域は極端に狭いものとならざるをえない。その将来を思うとき、暗澹たる気分にとらわれずにはいられない。現実の社会は厳しいのだ。成績の悪い生徒と家庭のしつけのできていない生徒がかなりの割合で重なり合っている。こうした生徒たちは辛抱とか我慢する力がない。社会人として生き抜く力をもたないまま、厳しい現実の只中へ放り出すことに等しい。

 数学の先生のコメントがあるが、十分に危機感をお持ちのようだ。授業や家庭学習をもう一度見直してみましょうと言っている。積み重ねの学問だから、1年の比例が分からなければ2年の一次関数が分かるわけがないとも仰っている。
 ならば、なぜ補習をしないのだろう?授業の見直しをしないのだろう?現場の先生たちは補習の必要を感じているはずだ。昨年は集まる生徒だけを対象にo先生がやっていたやれる体制をどうやったらつくれるのか。ブカツを制限しなければ、補習時間もとれない。それは市教委の権限だ。教育行政は根室の子どもたちの学力をこのまま放置して痛痒を感じないほど、感性が情緒が麻痺しているのだろうか?

 10点以下の生徒は分数や小数の計算すらほとんどできない層だろう。こんなにたくさんの生徒が基礎的計算すらできないのを学校はいつまで放置しているのだろう

 北海道で最低の根室管内の中学生の学力を市教委はいつまでほうっておくのだろう?やっていることが結果にまったく結びついていないどころがこの数年急激に市街化地域の3校の学力が落ちているのが事実である
 補習以外に具体策があるならやって結果を出してもらいたい。学校支援院制度もあって、放課後補習に地域住民の参加を募る地域も道内にはある。論より証拠、そう遠くないのだから出張して見て来たらいいだろう。

 ニムオロ塾では開塾以来、とくに基礎のわかっていない生徒には個別補習を繰り返して成果をあげている。他の塾も同じだろうと思う。生徒の要望で先週から3年生対象に社会の5ヶ月間の補習をスタートさせた。2時間連続のきつい授業に皆喜んで参加している。勉強は内容がわかれば楽しいものだ。知識がどんどん増えていって頭の中で相互に整理がついていくのは、心地よい。とことんやらないと面白さを感じることはなかなかできない。そういうところまで連れて行って経験させてやるのも教師の役割だろう。
 教師の仕事は報酬で報われるものではない。授業内容がわかったときの生徒の笑顔で報われるものだ。労働時間辺りの賃金など計算するな。なぜ教師の道を選んだのか24時間365日問い続けてもらいたい。

 なぜ中学生がこれほど数学の成績が悪いのだろう。基礎計算は小学校の領域である。わが母校の区域の小学校の算数授業に大きな問題がありそうだ。基礎計算ができないまま卒業させているということだろう。もっと基礎計算トレーニングを徹底すべきだ

 生活習慣の乱れもすでに小学生から始まっている。中学生になって学校内で毎日のように体育館周辺でタバコをすうのは生活習慣が小学校時代にすでに崩れているからだろう

 かの小学校では、知らない人が校内にいたら、きちんと挨拶ができているだろうか?挨拶は人としての基本である。社会人になって挨拶のできない人間は相手にしてもらえない。小学生からしっかりしつけるべきだ。しつけができない親が増えていると同時に、しつけのできない学校も増えている。根室高校商業科と事務情報科はいまでも挨拶を励行しているのだろうか?元気のよい声で小学生のうちに、校内で知らない人に会ったら元気な声で挨拶しましょうと、朝のホームルームでやったらいいのではないだろうか。
 その昔、都立の商業高校で教育実習をしたことがあるが、1000人規模のその学校へ2週間通う間たいへんだった。駅からその学校まで15分程度歩く間に、毎日100人以上の生徒と挨拶を交わすことになった。しつけが行き届いていたから、大きな声で「おはようございます」、こちらも大きな声で「おはよう」、気合で負けて入られない。あの声が懐かしい。今年高校へ進学した生徒3人を雪掻きする朝よくみかけたものだが、その都度にっこりして「せんせい、おはようございます」と元気に挨拶してくれた。いい笑顔だったな。一人は勉強が嫌いで西高へ行ったが、あの笑顔の大きな声での挨拶は親のしつけで身についたものだから、社会人になっても大丈夫だ。後は勉強をしっかりしてもらいたい。笑顔で元気な声で挨拶ができれば立派なものだ。

 はて、学校の先生たちは大丈夫か?生徒の模範となっているか?こういうところをおろそかにしてはいけない。毎朝校門の前で生徒に大きな声で「おはよう」と声かけしている先生が一人でもいるだろうか?自らの意思でそういうことをする先生がいれば、その学校は大丈夫かもしれない。
 校長先生は自分の学校の生徒の顔を何人知っているだろう?今朝、「おはよう」と声をかけた生徒が何人いただろう?熱意をなくしたら教師ではない、自分の仕事に誇りのもてない「労働者」だろう。
 天気のよい日ぐらいは、朝校門の前で生徒に元気に「おはよう」と声をかける校長先生の姿を見たいものだ。先生たちのしつけは校長先生の役割だろう。何もしない先生がいたら恥ずかしくなるくらいの学校にしてもらいたい。


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