【問題提起(全国):基礎や基本がおろそかになっている】
 文科省は最近(7/26)大学生の学力不足について調査結果を公表した。基礎学力が低下している。例を挙げると、「数学のわからない経済学部生」「生物未履修の医学部生」などである。これらに対応するために65%の大学が再教育をしているという。
 問題は高校教育とそれを支える小・中等教育にある。肝心の基礎学力が弱体化しているのだ。なぜそういうことになってしまったのだろう。文科省が進めてきた「ゆとり教育」にも間違いはあっただろうが、それだけではない。学校現場の先生たちの授業力の弱体化や子供を躾できない家庭が増えたことも子供たちの学力を低下させた複合要因を為している。
 鉛筆をきちんともてない生徒はいまや三分の二を超えている。姿勢の悪い生徒も半数前後いるようだ。姿勢が悪いと特定の筋肉に負荷がかかり、姿勢がぐらつき、勉強に集中できない。背骨をまっすぐに保たないと集中力を維持しながら長時間勉強を続けられない。
 家庭での躾け崩壊について言いはじめると限がないが、昔はこういうことは家庭で親か爺さん婆さんが躾けた。団塊世代の親たち(80歳~90歳)は姿勢が悪いと背中に竹製の定規(1m)を入れられて矯正されたという(同じことをやろうにも竹製の定規がとっくに売っていない。"姿勢矯正用定規"を売り出すメーカは出現しないか?キャッチコピーの作り方次第で売れるかもしれないぞ。もちろん、売れない場合の責任は私にはもてないが・・・)。
 家庭も学校も教育行政も、何もかもが基本をおろそかにしてしまっているようにみえてならない。

【問題提起(根室):根高普通科トップレベル層ですら基礎計算力が不足している】
 根室の高校生を見るとトップレベルでも基礎計算力不足の生徒が多い。トップレベルの生徒でも数学の定期テスト(B4裏表)の問題を遣り残してしまう。基礎計算力とくにスピードが遅いために時間が足りなくなる。基礎計算力の弱体化はすでに成績下位層の生徒だけの問題ではなく、上位層にも共通する問題となっている。

【教育戦略の重要性】
 教育の基本は「読み・書き・ソロバン(計算)」である。重要性の大きい順に並んでいる
 昔の人はいいことを言う、教育の本質を突いた言葉だ。これら三つがしっかりしている生徒は高校生になっても学力がぐんぐん伸びる。逆に、これらのどれかを小中学生時代におろそかにした生徒は学力の伸びが頭打ちになってしまう。あなたの周りにそういう生徒はいないだろうか?
 基礎計算力を身につけるには小学校低学年でソロバンを習うことが一番効果的なのだが、珠算塾に通わせる父兄は少ない。珠算が伝統技能なのでダサイという印象があるのかもしれない。だがそれは間違いだ。

【小学校低学年の季節(時期)は「読み・書き・計算」能力を鍛えるべし】
 野菜・果物や魚に旬があるように、教育も季節がある。季節によって鍛えるべきことが違う。ここを間違えると、高校や大学あるいは社会人になって副作用が現れる。98%の人はその副作用を止めることができないだろう。「副作用」が遅く現れるほど「症状」は深刻である。その点については「塾長の教育論」や「教育問題」で何度も書いたので再説しない。
 小学生のうちにどういう基礎能力を充実させるのか子供をもつ親はしっかり考えるべきであるその後の子供の能力の伸びが小学校低学年をどのように過ごすかで大筋が決まってしまうからだ。
 具体例を挙げると、この時期に家庭学習習慣をつけないと小学校高学年でもほとんどの生徒が家庭学習習慣のないまま中学生になる。こういう生徒は中3になっても小数の乗除算や分数の加減算ができない。根室西高校の先生たちが夏休み前まで新入生に小数や分数の計算を一生懸命教えてくれている。
 こういう現状が一向に変らず繰り返されているのは、小学校の先生たちの算数の教え方にも問題があることを示している。あるいは、分数や小数の計算ができないことがわかっているのに、補習をしない中学校の先生たちにも責任があることを現している。
 小学校低学年での基礎計算能力のレベルが高校生数学能力の伸びに直結しているなどとは誰も考えていないのかもしれないから、専門家として一言しておきたい。この時期の珠算塾は投資効果が最も大きい塾通いだ。わずか2年でしっかりした基礎計算能力が身につけられる。
 チャンピオン・データを示しておきたい。団塊世代よりも10歳ほど年上の生徒が札幌から根室高校に転校してきた。その生徒は根室へ転向してきてよほど暇だったのか珠算塾へ通い、1年間で商工会議所珠算能力検定試験1級に合格してしまった。たいへんな集中力である。基礎計算力で見ても根室高校歴代ナンバーワンだっただろう。そしてそのまま東大現役合格。道庁へ勤めてある支庁の支庁長になって定年退職した。

【根室の教育の特徴:語彙力の地域格差が学力格差を生む
 学力に自信のない親ほど「読み・書き・ソロバン」の基礎学力を充実させるべき小学校低学年の大事な時期に英語を習わせ、基礎学力を軽視してしまっているということはないだろうか?
 東京都と比較するデータがないが、小学生への早期英語教育の普及率は根室は東京の10倍はあるのではないだろうか。小学生のうちに英語を子供に習わせるのは親の自由だし、根室には経営センスのすぐれた英語教育の塾が複数ある。それはそれでいいことだ。ただ、平均値に近い生徒は副作用が強く出ることを知っておくべきだ。早期英語教育で芽を摘んでしまう能力もあるのでしっかり損得勘定すべきだと云うのがわたしの意見である。
 東京の子供たちは私立有名中学受験をするので、成績上位層の生徒たちのほとんどは小学校高学年で英語の勉強などしている暇はない。環境*の違いがあって、本は結構読んでいる。つまり、都会の子供たちと根室の子供たちには日本語語彙力の点で大きな差がある

*親が高学歴=教育熱心(東京では両親のいずれかが大卒の家庭は80%を超えているだろう)と云う点でも格差がある。東京では大きい書店がたくさんあって子供たちはいろんなジャンルの本を直接手にとって選べる。
 根室の書店には文学書や哲学その他の学術書がほとんどない。新書すら揃っている本屋がない。もちろん書店の責任ではない。たとえそろえても売れないだろう、売れない本は置けないのは当然で、ニーズがないのが問題である。大人がレベルの高い本を読む習慣がないということだろう。子供たちの学力が全道一低いというのは大人たちの知的レベルも全道最低の可能性がある。市政や地元経済界に典型的にそれが現れていなければいいのだが・・・

【日本語語彙力が育つ季節は限られている】
 私は根室で日本語語彙が極端に少ない例をずいぶん見てきた。そして、小学校時代に英語を習っていたかどうかを生徒に確認した。成績が中位の生徒で、小学校時代に英語を習っていた例が多いのである。たとえば「形容詞は名詞をシュウショクする」という話しをすると「わからない」という。漢字を黒板に「修飾」と書いても意味の想像がつかない。基本漢字から意味を類推できるはずだが、そうした能力がほとんど育っていない。こうした基本漢字から意味を類推する能力は漢字を習い始める小学校低学年に芽が出て、高学年で多く文例に出くわしてその類推能力に磨きがかかる。その「季節」にどうも他のことに夢中になった形跡がある。それが小学生時代の英語教育と土日にまで練習が及ぶスポコン・ブカツなのである。中程度の成績の生徒は小学生時代に英語を学ぶと日本語語彙力の健全な育成に障害があるということだ。もちろんスポコン・ブカツにどっぷりつかって家庭学習習慣がつかなかった生徒は中学で成績下位層の一員となってしまう。高校中退者も多い。
 生徒100人のうちトップ3人ぐらいは小学生で英語を習っても"副作用"を起こさない。それは能力が高いからで成績中位層以下の生徒はほとんど副作用が出るのだが、本人も親も気がつかぬ。

【貧弱な日本語語彙力は学力全般に影響する】
 日本語語彙が少ないということは、国語や数学の問題文が理解できないということでもある。もちろん社会や理科の教科書も日本語で書かれている。こうして日本語能力がすべての学科に関わっている。日本語能力の低い生徒が5科目合計点で成績上位になることはほとんどない。限りなく100%に近い真実だ、これが現実である
  わたしは20代の後半に東京渋谷のある個人指導の進学教室の専任講師をしていたことがあり、数人の帰国子女を受け持った経験がある。根室の中学生の5人に一人ぐらいの割合で、帰国子女並みの日本語語彙力しかない生徒を見かけるから、実数としては4人に一人ぐらい帰国子女並みの日本語語彙力の生徒が存在するのではないだろうか。数学B問題がとくに正解率が低いのは日本語語彙力の問題が関わっているのではないだろうか

  問題は中高生にとどまらない。語彙力不足の影響は社会人のほうがより大きく影響がでるものだ。ある程度の規模の民間会社では重要事項は稟議決裁される。わかりやすい稟議資料を作成するには文書能力が要求される。そして仕事の報告・連絡・相談のかなりの割合がメールで行われるようになってきた。日本語語彙力の貧弱な者は文書作成能力が低い。つまり、仕事ができない
 だから、語彙力が育つ季節に芽を摘むようなことをしてはいけないし、語彙力は「旬」の時期に育ててやらなければ育たない
 小学校高学年になったら、たくさんの本を読むことだ。そして中高生の時代は、児童書から大人の本への切り換えの大事な時期である。
 会話で使う語彙に比べると、書かれた文章で使われる語彙は数十倍にもなるだろう(英語でも同じことが言えるので、会話重視の英語は危うい、物事はすべからくバランスが大事だ)。中高生で大人が読む本を読まなかった者はほとんどが社会人になっても難解な本は読めない。読める本の範囲が狭い。仕事で必要があっても、自分の語彙力レベルの限界を超える本は読めない
 稟議書に書くべき内容は経験といろいろな本を読んで仕入れた知識が物をいう世界で、そうした「材料」を豊富にもたなければ「創造的な仕事」は著しく制限を受けるだろう。
 それゆえ、本を読まないことすなわち語彙力不足は、サラリーマンを生き抜くための高性能の武器を棄てることに等しい。武装せずに社会人になってしまっては、百戦すれば99敗だろう。

 根室の親たちは全国的に見てもずいぶん変ったことを子供たちに強いているように見える。基礎学力を伸ばすべき時期にその芽を摘んでいるようなものだ。小学校で英語を勉強させる暇があったら、日本語の本をたくさん読ませて日本語語彙力を強化すべきだ。あわせて、ソロバンを2年ほど習わせ、基礎計算力を養うべきだ。社会人となったときにこの二つは強力な武器に変っている

 異常に長時間のブカツも親子でのめりこんでいる例をしばしば見かける。プロになるつもりなら話しは別だが、それはブカツの範囲ではないだろう。

【「読み・書きとソロバン=計算」は学力の両輪】
 「読み・書き」という日本語能力と「ソロバン」=基礎計算力は学力と云う車の両輪である。とくに基礎計算能力は数学教育の基本である。ここが充実してこそ、その上に立派な建物が建てられる。
 小学校で英語を習わずとも根室高校で英語トップレベルはいくらでも狙える。駿台予備校や河合塾の模試60超が根室高校トップレベルである。成績上位の者なら、高校生になってから、ジャパンタイムズのような適切なテキストで勉強すれば2年間で駿台模試や河合塾模試の偏差値は60を超える。1学年に20人はそうした潜在能力をもった生徒がいると推測しているが、このレベルに達するのは毎年1~2人に過ぎない。勉強の仕方が間違っているとしか言いようがない
 これらの例から引き出せる結論は、中学校で学力の伸びが止まってしまうような学び方を根室の子供たちがしているということだろう。そういう学び方をお金をかけてさせているのは子供の親たちである。根室の親たちの多くが子供の教育に対する季節感を失い、戦略観を欠いているとしかいいようがない。
 つまり道内最低の学力は家庭での躾け、教育に関する季節感や戦略観の欠如、学校教育の問題、教育行政の問題など複合要因で作り上げられている。それらに内在する問題を一つ一つ丁寧に取り除いてやれば、根室の子供たちの学力は道内ナンバーワンにできる。「道内14支庁管内最低の学力」は「治せる病気」なのである。 

【釧路のある学習塾経営者の意見】
 わたしの意見だけでは心配な人は、「費用対効果~元を取れるのか~」というタイトルでZAPPERさんが釧路の現状を踏まえて分析しているので、これを読んでほしい。具体的で読み応えがある。このURLをクリックすれば当該ブログへ飛ぶ。
 http://blog.livedoor.jp/meiko_aikoku_blog/archives/51584001.html

 「なぜできないかを考察せよ」では釧路の中学生の基礎計算力がどの程度なのか、全国学力テスト問題を例に挙げて説明している。社会人になった子供のいる親は驚くに違いない。地元企業は高卒の社員を採用することにためらいを感じ始めている。仕事に必要な資格すら学力不足で取得できない例があるようだ。10年前までは考えられなかったような基礎学力の弱体化が現在進行形で進みつつある。家庭と学校とそして私たち塾とついでに教育行政が手を組まないといけない状況になっていると私は思う。
 http://blog.livedoor.jp/meiko_aikoku_blog/archives/51583781.html

 Meiko Aikoku Blog
 http://blog.livedoor.jp/meiko_aikoku_blog/

 「みてみぬふり」
http://blog.livedoor.jp/meiko_aikoku_blog/archives/51584204.html 
 
*2010年2月6日読売新聞記事から
 根室の現状がレポートされている。
「第二部 現場から<4>」「受験生 薄い自覚・・・低倍率 学力差に拍車」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1263447647981_02/news/20100206-OYT8T00322.htm