英語学習の動機

 オバマ大統領就任演説テクストを使って原文に触れる楽しみを3回書いたが、Hirosukeさんという人がコメントをくれた。就任演説のテクストを使って英語を学びなおしているという。彼はオバマ大統領就任演説だけのブログを立ち上げている。もともとのブログも文法用語を使わない英語授業などユニークな英語論満載で、興味深い。英語に興味のある人に読んでもらいたいと思う。
 Hirosukeさんは団塊の世代の私よりもだいぶ若いようだ。しかし、彼の英語論からは学ぶべき点が多い(Hirosuke という名前は私には懐かしい響きがある。恩師と同じ名前だからだ)。

 さて、本題である。今日は私の英語学習の動機について語ろうと思う。なぜか?Hirosukeさんが英文解釈は英語と日本語と周辺知識の総合技術で、初学者には向かない学習法であると結論付けられていたからである。たしかにそうだろう。しかし彼は全部否定しているわけではないと自分に都合のよいように読んだ。英文解釈による英語学習は初学者には向かないので、その理由を具体的に上げ、英語に慣れるために別の方法を提案している。

 わたしは、いろいろな学習法があっていいと思うし、学習の動機の数だけ学習法がありうると思う。逆に動機を無視した万人に向く英語学習法などないのではないだろうか。たぶんこの辺りも同意いただけるだろう。具体論に入る前に、自分の基本的なスタンスを語っておくべきと考えた。
 (テクニカルライターとしてのHirosukeさんの実力が秀でていることもブログに書かれた多数の記事からうかがい知ることができる。経験からユニークで効果的な学習法を提案されている。日本語を補助としてイメージをつくり上げるトレーニングをすることで、英文に接したときにそのままイメージがわくようになるという。今までモヤモヤしていたことがすっきり語られている、やってみる価値がありそうだ。)

 Hirosukeさんの翻訳したものを読んでみて、この人は物理関係の専門家だろうと思う。周辺知識がないとああはいかない。ほかにも自然科学分野は専門知識が広くありそうな気がする。アグレッシブな生き方はきつい。大きなエネルギーを費やしながら燃焼し続けていないと気がすまないタイプかもしれない。

 私の英語学習の動機は三十数年前に"A history of economic thought"という500ページほどの本を読み始めたことに始まる。現在は青森大学で教授をしているが、当時院生だった親切なゼミの先輩が一緒に読んでくれた。優れた先輩に恵まれたことがきっかけだった。
 訳文をノートに書いて半分ほど読んだが、どうしても分からないところが時々出てくる。翻訳が出ていたから買って該当箇所を読んでみた。上手いものだなと感心することが多かったが、ときどき文脈からおかしいと思う箇所が見つかるようになった。なんとかすっきり理解したく、英文法書『英語の型と正用法』(ホンビー原著岩崎民平訳)を1週間ほどかけて読み通したが、役に立たなかった。ここまではHirosukeさんと同じ結論である。たしかに英文法は役に立たなかった。

 ところが、『変形文法と英文解釈』(大野照男著)という本を読んだら、それまで解釈不能だった文が合理的に理解できることがわかった。経済学の原書を読むのがここから楽になった。
 その後、興味に任せて他に邦訳の出ている本数冊と"Transuformational Syntax" Andrew Radford, "Chomsky's universal grammar"V.J.Cook, などを読んだ。80年代にコンピュータシステム開発技術関係の専門書を読み漁った時期があり、人工知能との関わりで構造言語学の大家チョムスキー"Knowlidge of Language" Chomskyも読んでみた。
 Hirosukeさんは英文法はもちろん構造言語学も不要というかもしれない。しかし、経済学を原著で読んだり、コンピュータ・サイエンスの翻訳の出ていない最先端の書籍を精確に読むために、ある種の英文法知識が私には必要であった。

 大野照男先生の本から簡単な例文を一つだけ挙げよう。
 A cow is easy to milk.
 スラッシュ・リーディングをすると、「牛は/簡単である/ミルクを搾ること」となる。???英文の書き間違えかな?と思ってしまうだろう。「牛がミルクを搾ることは簡単だ」と訳したらヘンだということは誰にでもわかる。そして「牛乳を搾ることは簡単だ」という意味だということにも20%くらいの人は気がつくだろう。しかし、なぜそうなのかは変形文法の知識がないと説明がつかない。なんどか変形をへてこうなっている。
  We milk a cow. It is easy.
  It [we milk a cow] is easy.
  It [for us to milk a cow] is easy.
  It is easy for us to milk a cow.
  It is easy to milk a cow.
  A cow is easy to milk.

 先にあげた経済学説史の本の翻訳者は著名な経済学者で、翻訳された日本語も格調の高いものである。しかし、何箇所か文法工程指数の大きな文章をコンテキストだけに頼って訳すことでミスをしていることがわかった。大事なところも含まれていたが、全体としてみると取るに足らない。そういう瑕疵を承知でも名訳であるとわたしは思う。
 しかし、コンテキストに頼り切ることの危険は言っておかねばならない。もちろん初学者である学生諸君にではなくプロの翻訳家にである。
 たとえて言えば、1000年前に描かれた竜の絵がある。ところが目のところの色が退色してまったく分からない。修復師は開いた目を描いたが、元の目は閉じていたというような類のことだ。翻訳にすぐれた技術を有する経済学者ですらコンテキストだけに頼ると、自分の解釈や先入見が邪魔をしてミスを犯すことがある。

 わたしの英語学習動機は経済学を原書で精確に理解することにあった。シンプル・センテンスに分解することで、文法工程指数の高い文を、「流れ」や「文脈」から類推するだけに頼ることなく、理解してきた。いわば「英文解釈」がわたしの学習の原点である。わたしにとって英語は興味のわいた専門書を読む手段であった。
 ようするに英語学習の強い動機があればいい。その動機に沿った学習法を自分で見つけることだ。Hirosukeさんもなにか強い動機があったのではないかと思う。いつかそういう話しをうかがえることを期待したい。あるいはずでにブログに書かれているかも知れないので、アップロードされている記事を読んでみる。

 思い出したことがある。たしか、芥川龍之介に『クラリモンド』という翻訳がある。「わしが・・・」「わしが・・・」と原文にある主語をそのまま訳出してとても稚拙に見えるのだが、全体としては格調の高い日本語訳になってしまっていた。さすが、芥川と思った。逆に英米文学者の訳した海外の名作は日本語が拙劣で読まなくなってしまった。日本語表現力が小説家に較べて劣るのが鼻について次第に読む気が失せたからである。それを補うように明治期の文学や、それ以前の古典文学を読むようになっていた。日本語のセンスは日本文学を読み漁ることで身につけるしかないようである。

 翻訳(英文解釈)はたしかに訳し手の日本語力が物をいう分野で、Hirosukeさんのいう総合力である。しかし、学生がやってはいけないものとも、トレーニングにすらならないとも思わないのである。人それぞれに、自分の経験智があり、学習法がある。
 全体としてみれば、私のやり方は学習の動機からは有効だが一般性は限りなく小さい。Hirosukeさんの提案する日本語を補助にしたイメージトレーニングのほうがはるかに普遍性が大きく、優れた方法である。

 自分の目で確かめていいと思ったものは広めたい。それゆえブログのアドレスを再掲載して、読者の利用に供する。英語論に関しても読むべき価値のある切れのよい主張だ。スラッシュ・リーディングをやったことのない高校生はいいお手本になるだろうからHirosukeさんのオバマ大統領就任演説ブログで味わって欲しい。

*オバマ大統領就任演説 
http://obama-de-english.blog.so-net.ne.jp/2009-01-24
http://obama-de-english.blog.so-net.ne.jp/2009-01-30
*LMN研究所 ⇒http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/

** じつは、さっそく授業で試してみた。文法用語を極力使わずにHirosukeさんの提唱する「カタチ、イミ、キモチ」を私なりに想像して実演してみたのである。自分自身に刺激になっているようなので、しばらく試行錯誤してみようと思う。メニューが増えることはうれしい。何しろ生徒は千差万別だから。

 梅が咲いたら、次は桜である。三鷹の駅前を歩くと駅近くに梅園があり、時折風に乗って香りが流れてきたことを思い出した。Hirosukeさんは体調を崩されているらしい、健康の回復を祈りつつペンをおく。

  2009年1月30日 ebisu-blog#509
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