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#2235 勉強の仕方と塾 Mar. 3, 2013 [57. 塾長の教育論]

 わたしは私塾を営んでいながら、私塾利用の危険性もブログで取り上げている。数日前も、中高の最後の1年間ぐらいは独力で勉強すべきだと書いたら、お一人の方から反論の投稿をいただいた。

【具体例1】
 昨日の授業をしていたときにある生徒がこんな事を言い出した。

「300点(五科目)とっていたんだけど、塾に行かなくなったら200点以下に下がって半分近くになってしまった」
「ははは、それはテストのたびに「テスト対策」をやっていたからだろう?」

 聞いてみたらその通りだった。長時間の勉強とそのスタイルに嫌気が差してやめたと語ったが、集中力の高い生徒である。ちょっとトッポクて個性が強いから扱いがむずかしい部類の生徒かもしれない。ZAPPERさんはおそらくこういう生徒の扱いがうまいのだが、トッポイ時代のなかった塾長もいるから、そういう人はこの手の生徒は苦手、以心伝心だったのだろう。他にも理由をもう一つ上げた、生徒によっては塾が売りにしている戦略商品そのものがきらいな場合がある。やってみてから自分には向かないと気がつく。だから、いろんなタイプの塾のあること、そしていろんなタイプの塾長がいることが望ましい。人には相性というものがある。

 「テスト対策」をやると簡単に点数が上げられるが、これには副作用がある。テスト対策がなければ点数のとれない生徒が出来上がる。
 実力が伴わなくても「テスト対策」をやることで一時的に点数は劇的に上げられる。ニムオロ塾では中3年生に10月から無料の社会科の補習を毎週土曜日5ヶ月間やることがあるが、その折に、2学期の期末テスト前に2回だけテスト対策をやると、生徒の点数の平均点は85点くらいになる。それまで30点台の生徒でも75点をとってしまう、これが最低点だから塾生達は大喜びだ。受講した生徒の半数が90点を超えてしまう。
 トップクラスの生徒も標準的な生徒も、根室市内の中学校でやる程度のやさしい問題なら、たった2回の「テスト対策」をするだけで社会科は真ん中の生徒とトップクラスの生徒に差がなくなってしまう。しかし、これは強い副作用をもつ禁じ手なのだという自覚をもつべきだ。たまにやるのなら癖にはならぬ、しかし毎回繰り返したら癖になる。
 5科目全部やってしまえば百点以上も「実力を超えて一時的に」点数を上げられる。300点台の生徒なら400点台にのってくることになる。それゆえ、わたしは3年生の2学期末テストの一回しかやらぬ。なぜか?毎回こんな事を繰り返したら、癖になるからである。ドーピングに近い行為だと思うから。

 毎回テストのたびにこうした「テスト対策」を繰り返す塾は生徒のなかにある「何か」を壊してしまう。そして塾への依存を過度に強めることになる。「塾を辞めたら成績が下がる」そう思い込ませてしまう、そしてそれは事実となる。こういう勉強の仕方を習慣にしてしまったら、「テスト対策」ナシには点数が取れない生徒ができあがる。
 全員とは言わない、3~5割ほどがそうなるだけだ。どんな教え方をしても素質の高い生徒の中には染まらない者がいて大丈夫だ。

【具体例2】
 中2のときに学年3~5番の生徒が退塾した。この生徒はしっかり自分で勉強できて塾に来る必要がなくなっていたから、安心して退塾申し出を受け入れた。その生徒は3年生になってから学年1番になった、あたりまえだ、見込み通りの成績である。フリー参観に行ったときに、だいぶ背が高くなったその生徒はニコニコしながら「先生お久しぶりです」とぺこりと頭を下げた。メンコイ生徒の一人である。これがベストの一つの型だと自信をもって推奨したい。

【いろんな営業戦略の塾があっていい:選択肢が広がる】
 わたしは自分でしっかり勉強する習慣のついた生徒は塾を辞めていいと常々言っている。成績が下がって不安になったらまた来ればいいと付け足しておく。不安を除くためであるが、ほとんどそうはならない。たまにそういう生徒がいたら、また面倒を見てやればいいだけの話しだ。
 事実、高校2年生になってから大学受験で来る生徒がたまにいる。北海道薬科大学の薬学部に進学が決まった生徒もそういう中の一人だった。中3のはじめ頃まで通塾していた。退塾直前だったか定期テストで数学百点をとった生徒である。飛びぬけて数学のできる生徒ではなかった、のんびり、おっとりした性格の生徒である。高2になってからもどってきた、そしてそのマンマの性格でこの春に大学生となる。わたしの目には中1のときのマンマに見えている。笑顔で合格報告に来た。

【習慣⇒癖】
 「テスト対策」ヅケにする塾は即効的に点数を上げたい生徒や保護者には最適な塾である。生徒や保護者のニーズに応じた塾があっていい。
 ここからは私の個人的な見解であるから、独断と偏見と受け取ってもらってもいいが、「テスト対策」的な勉強の仕方を繰り返してはいけないと主張したい。なぜなら、定期テストのたびにそれをやると、年間4回やることになり、中学3年間では12回、毎回繰り返すことは習慣となり、中学校が終わる頃には癖になっているのは当然だろう
 全員がそうなるとは言っていない、大部分の生徒がそうなると言っている。「塾依存型」の生徒になってしまう社会人なったときにはかなりの割合で、独力で問題解決する能力が弱い、「指示待ち人間」になっているだろう。習慣とは怖いものなのだ

【具体例3】
 国語の学力テストで90%以上の得点を必ず取る男の生徒がいた。五科目でも90~95%の得点だから学年トップクラスの成績である。国語だけは毎回90%の得点はなかなかとれない。中3になってから数学に自信がないからという理由で来た。なるほど相対的に数学の点数が低かったが、すぐに伸びた、釧路湖陵に進学した生徒である。理数科で大丈夫と太鼓判を押したが、生徒の学力の読みきれない中学校の先生は普通科を薦めた。結果論だが、入試の得点は理数科に充分入学できる点数だった。1年間教えた私にははっきり見えていたが、中学校の先生には急激な伸びが見えなかったようだ。医学部進学希望の生徒であったが、文科系の大学へ進学したのだろうと思う。
 わたしはこの生徒の国語の答案を見て、出題者の意図を読み切っているのがよくわかった。同時に読解力はもう伸びないことを理解したのである。国語の問題はとんでもない問題もけっこう含まれている。出題者自身の読解能力レベルの問題もある。そういうものにチューニングできるようになっているというのは、慣れてしまったからだろう。つまりある種の「型」ができてしまったことを意味するたかが受験勉強レベルの日本語読解力である。作者の意図を問う出題など、当の作家自身が笑い転げてしまうような曲解が正答例に載っていることもあるくらいだから、受験の国語の勉強などホドホドにしたほうがいい
 古典や漢文は別だから勘違いしないように。わたしは現代文の読解能力について話したつもりだ。

【大学での勉強は学問】
 これと対照的なのが大学での勉強である。わたしは商学部会計学科の学生だったが、ある事情があり原価計算のゼミの募集期間に古里へ用事があってもどっておりスルー、仕方なく残りの募集を調べたらもっと面白そうなゼミを見つけてしまった。哲学者の市倉宏祐教授の「一般教養ゼミ」が募集をしており、すぐに小論文を書いて応募した、偶然の出遭いだった。サルトルやヘーゲル研究では一流の学者である。3年間毎週2時間のゼミで、先生は学生の議論を聞いていることが多かった。たまに雑談をしてくれたり、ご自分の解釈を述べられることがあるが、テクストが経済学の原典だから、あまり積極的にはご意見を述べることがなかったように記憶する。
 しかし、私たちゼミ生は、先生が同じ空間にいるだけで、競ってテクストを読み、真剣に議論を戦わせた。適度な緊張感がゼミを支配していた。4年の時には大学院へ進学した先輩二人が参加してくれていたのも幸運だった、議論のレベルが上がってしまったので三年生には少し気の毒だった。ゼミのテクスト・クリテークは予備校の国語の授業とはまったく次元の異なるものである。
 高校時代にマルクス『資本論』を読んだときに抱いた経済学体系構成への問題意識を頭の中に浮かべながら、テクスト・クリテークを繰り返し、思考を深めていく作業はとても心地よいものだった。3年間で読んだテクストは『資本論』全巻、そして『経済学批判要綱』2冊であった。哲学科の本ゼミのほうに一度だけ参加させてもらったが、テクストはサルトル『弁証法的理性批判』、議論の仕方が違って刺激になったと同時に、周辺知識の不足を痛感することにもなった。本は読んでいったのだが、サルトルの哲学がどのようなものであるのか頭の中に地図があるわけではなかったので戸惑いを感じたのである。たとえて言うなら、軽いめまいかな。

 学部の講義だったが内田義彦先生の経済学史もすばらしい授業だった。周辺知識の蓄積が大きかったので、大筋はわかったつもりだった。しかし、著作を読んだときには経済学史家がいろんな経済学者の所説を深く読み込んでいることに驚いた。内田先生の学術論文は奥が深い。経済学史では日本で3本の指に入る学者である。
 名前を忘れてしまったが、40代のマックスウェーバーの研究者がいた。大学の先輩だったので、気安くお願いすると、授業の後、学生の議論に付き合ってくれた。50歳前に亡くなった、いい先生だった。あるいは、数人の学生達のデキの悪いしつこい議論に辟易なさっていたかもしれないが、表情を変えることなく付き合ってくれた。すくなくとも、嫌な顔はされなかった。大家ではないが気鋭の学者だった。
 大学院では元一ツ橋大学長の増田四郎先生の謦咳に接することができた。たった三人の院生でリスト『国民経済学体系』を一年間をかけて読んだのである。われわれ三人の院生は至福の時間を過ごした。その学風に影響を受けたと言っていい。増田先生は西洋経済学史の分野では大塚久雄氏と並ぶ大家である。

【過度な受験勉強のリスク:ほどほどがいい】
 受験勉強はたかが受験勉強なのである。効率を追求し、得点をあげることを第一に考えて、目標に向けて効率よく勉強させるだけのこと。現代国語の問題に例をとれば、出題者のレベルに合わせてその意図を読みきることだけ。そんな技術は巧くなればなるほど、「型」が身についてしまうリスクを負うことになる。「型」にまでなってしまった無意識の思考パターンをリセットするのは至難の業だ。
 だから、わたしは釧路湖陵に進学した生徒の国語の答案をみたときに、「ああ、この生徒の日本語読解能力はこれまでかもしれない」と慨嘆したのである。完全に出来上がってしまった「型」を彼の答案にみてしまった。この生徒はリセットできるだろうか?

【結論】
 大学へ入学したら、その学校で一番レベルの高い教授のゼミをとれ、その謦咳に接することで得られるものは無限大である。
 大学を選ぶときは、教授のリストを見たらいい。シラバスをネット上で公開している大学が多いから、それを読み、そして知っている人に訊ねてみたらいいが、最後は自分の眼力で決めるしかない。
 田舎の大学でもしっかりした教授はたまにいる。東京の大学は玉石混交だが、玉は東京に多く集まっていることも確かである。学生もまたそうだ。全国からさまざまな人材の集まる東京で切磋琢磨することはローカルな大学では得ることのできないメリットと言える。

 2日前にいただいた方の投稿にある種のひ弱さを感じた。機会があればその理由と、投稿文の分析をしてみたい。やってみないことにはわからぬが、「過度な受験勉強」の弊害が浮き彫りになるのかもしれぬ。
 投稿欄を丁寧に読んでいただければいろんなことが読みとれて面白いはず。


【反対論】(3月5日追記)
 投稿欄に強力な反対論が寄せられたので本欄へアップします。弱さを感じた上記の投稿者とは別の人で、ご本人は独力で片っ端しから難問題集を独力で解いて力を蓄えた方です。後自分の勉強法を弊ブログに投稿してくれたことがあります。
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お久しぶりです。最近、数学入試問題解いていました。

 大学に入って取るゼミは、自分に興味あるものを取るものです。大学の研究は最先端なので、どのゼミを取っても、ものすごく難しい内容です。そうでないような、Fランク大学ならばヤメた方が良い。 
 大学は、より偏差値の高い大学に入るべきです。そうすれば、友人を含め、よりレベルの高い内容になります。勉強しなくても楽勝で東大に入る天才は別として、凡人は、目いっぱい頑張って、より偏差値の高い大学を目指すべきですし、ほとんどの受験生はそうしているはず。
 
 受験勉強は学校主体が良いか、塾主体が良いか、ホームワーク主体が良いか、東進オンデマンドが良いか。それは、その人の向き不向きや、自分に向いている塾があるかどうか、いろいろな条件で変わってくるものです。勉強法など、人に指図される必要は無いので、受験生諸君は、自分の信ずるところに従って、成績向上に邁進すればよい。努力以外に、成績が上がる方法はないのだから、努力できる状況が一番良いのです
 真剣に受験勉強しないと、凡人は、なかなか良い大学には入れません。受験勉強に100%全力投球しても、成績はそれほど上がらないのだから、凡人には、ホドホドの受験勉強では、足りない

 ところで、今年、根室から旭川医大を受験した生徒はいましたか。数学入試問題の問3は、類題を練習問題として解いたことがあれば楽勝だったでしょう。これが、出来ないようでは勉強不足です。この問題は、日頃の受験勉強の大切さを感じさせます。
 問4(3)(4)は論証が難しい。塾で、論証のテクニックを学んだ子が有利です。この問題を見ると、塾に通った方が有利に思えるけれど、このような問題は多くはありません

by cccpcamera (2013-03-04 17:56) 
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お久しぶりでした。
今年も入試問題やっていましたか。
毎年やればさび付かないですね。
以前紹介してくれたあなたの勉強方はすさまじい。
あなたくらい勉強したら、塾のサポートましでもほとんどの大学へ合格できるでしょう。数学が好きなのですね。
福沢諭吉が適塾の塾長をしていた時のオランダ語学習法を思い出してしまいました。適塾の語学勉強法は今でも通用するものですが、ちょっとすごすぎ。興味のある人は『福翁自伝』を読んでみてください。とりあえず入試勉強には関係ありませんが、知っておけばいつか役に立つ。

>勉強法など、人に指図される必要は無いので、受験生諸君は、自分の信ずるところに従って、成績向上に邁進すればよい。努力以外に、成績が上がる方法はないのだから、努力できる状況が一番良いのです。

結局は自分に帰ってくるから、最終決定は自分。
いずれの方法をとっても楽をする者にはそれなりの結果がある。
一時期を全力で走りきることこそが大事なのでしょう。

受験勉強を1年間だけで済ませる人はほとんどいません。数年間やる勉強はやはり一つの習慣となり、型をつくります。
そこも考えて、自分の方法をしっかり選択することです。
短期的な目標と、長期的な目標の整合性も考えておきたいもの。40代、50代になってからしっかり効いてきます。

大学でのゼミ選びはもちろん好奇心のある分野を選ぶのは当然のことです。その上で、一流の学者にめぐり合えたならば最高ということ。

もちろん、就職最優先で就職に有利なゼミを選ぶのもその学生の自由です。

狭く考える必要はない、何に価値を置くかはひとり一人違っていい。

cccpcameraさん、有益なコメントありがとう。
あなたの意見と並べることでいいバランスになりました。

by ebisu (2013-03-04 22:52)
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 医学部受験は塾利用がいい。医学部進学専門の塾も東京にはある。浪人して医学部へ進学したっていい。さまざまなタイプの人生経験をした人たちが患者の痛みのわかる医者になってくれるといい。
 一般の民間企業は別、それなりの勉強の仕方を身につけたほうがいいというのが、ebisuの周りを見渡しての経験智。

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*#2230 それぞれの進路 : 大学へ Feb.28, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28
 
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【3月11日追記】
北海道新聞に面白い記事が載っていました。受験勉強ではなく必要なのは学問だという橋本北大教授の意見です。私とほぼ同じ意見に聞こえます。
http://livedoor.blogimg.jp/jounetsu_kuukan/imgs/7/5/75368b5c.jpg


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cccpcamera

お久しぶりです。最近、数学入試問題解いていました。

 大学に入って取るゼミは、自分に興味あるものを取るものです。大学の研究は最先端なので、どのゼミを取っても、ものすごく難しい内容です。そうでないような、Fランク大学ならばヤメた方が良い。 
 大学は、より偏差値の高い大学に入るべきです。そうすれば、友人を含め、よりレベルの高い内容になります。勉強しなくても楽勝で東大に入る天才は別として、凡人は、目いっぱい頑張って、より偏差値の高い大学を目指すべきですし、ほとんどの受験生はそうしているはず。
 
 受験勉強は学校主体が良いか、塾主体が良いか、ホームワーク主体が良いか、東進オンデマンドが良いか。それは、その人の向き不向きや、自分に向いている塾があるかどうか、いろいろな条件で変わってくるものです。勉強法など、人に指図される必要は無いので、受験生諸君は、自分の信ずるところに従って、成績向上に邁進すればよい。努力以外に、成績が上がる方法はないのだから、努力できる状況が一番良いのです。
 真剣に受験勉強しないと、凡人は、なかなか良い大学には入れません。受験勉強に100%全力投球しても、成績はそれほど上がらないのだから、凡人には、ホドホドの受験勉強では、足りない。

 ところで、今年、根室から旭川医大を受験した生徒はいましたか。数学入試問題の問3は、類題を練習問題として解いたことがあれば楽勝だったでしょう。これが、出来ないようでは勉強不足です。この問題は、日頃の受験勉強の大切さを感じさせます。
 問4(3)(4)は論証が難しい。塾で、論証のテクニックを学んだ子が有利です。この問題を見ると、塾に通った方が有利に思えるけれど、このような問題は多くはありません。

by cccpcamera (2013-03-04 17:56) 

ebisu

お久しぶりでした。
今年も入試問題やっていましたか。
毎年やればさび付かないですね。
以前紹介してくれたあなたの勉強方はすさまじい。
あなたくらい勉強したら、塾のサポートましでもほとんどの大学へ合格できるでしょう。数学が好きなのですね。
福沢諭吉が適塾の塾長をしていた時のオランダ語学習法を思い出してしまいました。適塾の語学勉強法は今でも通用するものですが、ちょっとすごすぎ。興味のある人は『福翁自伝』を読んでみてください。とりあえず入試勉強には関係ありませんが、知っておけばいつか役に立つ。

>勉強法など、人に指図される必要は無いので、受験生諸君は、自分の信ずるところに従って、成績向上に邁進すればよい。努力以外に、成績が上がる方法はないのだから、努力できる状況が一番良いのです。

結局は自分に帰ってくるから、最終決定は自分。
いずれの方法をとっても楽をする者にはそれなりの結果がある。
一時期を全力で走りきることこそが大事なのでしょう。

受験勉強を1年間だけで済ませる人はほとんどいません。数年間やる勉強はやはり一つの習慣となり、型をつくります。
そこも考えて、自分の方法をしっかり選択することです。
短期的な目標と、長期的な目標の整合性も考えておきたいもの。40代、50代になってからしっかり効いてきます。

大学でのゼミ選びはもちろん好奇心のある分野を選ぶのは当然のことです。その上で、一流の学者にめぐり合えたならば最高ということ。

もちろん、就職最優先で就職に有利なゼミを選ぶのもその学生の自由です。

狭く考える必要はない、何に価値を置くかはひとり一人違っていい。

cccpcameraさん、有益なコメントありがとう。
あなたの意見と並べることでいいバランスになりました。
by ebisu (2013-03-04 22:52) 

セバスチャン

難関大の理系学部に合格するには、ホドホドの受験勉強では足りません。難関大の理系学部を目指す受験生のほぼ全員が私立大理系学部は滑り止め、本命が難関国公立大になります。難関国公立大の2次試験科目は英語、数学、理科2科目の3教科4科目、東大、京大、名大の理系学部は2次試験で国語も課され、4教科5科目と2次試験で課される科目も多いので、特に高1、高2で難関大の理系学部を目指す生徒は国語、英語、数学は普段の勉強から意識して勉強して頂きたいです。

by セバスチャン (2018-09-24 17:28) 

ebisu

セバスチャンさん

こんばんは
古い記事を掘り起こしてくれてありがとうございます。

難関大学へ進学希望の生徒がいま一人いますが、国語については一切教えていません。良質のテクストを12冊ほど選んで4年間かけて音読指導しました。時々解説や解釈について議論もしましたから、読解力は十分に身についたようです。あとは出題者の意図、どういう答えをかいたら高得点がいただけるのかについて、チューニングを始めています。難易度の高い記述式問題を毎日大問1つずつ独力で消化しています。
国語の試験が読解力を見るような形に変わるとアナウンスされてますが、いいタイミングです。4年間の音読指導で培った読解力を如何なく発揮できます。

英語は福沢諭吉「適塾方式」に切り換えて1年ほどたちます。あと半年トレーニングしたらジャパンタイムズに切り換えます。日本語の文章の読解力が波の大学生よりも高くなっているので、英字新聞もすぐになれると思います。まだ1年生ですから、大学院試験でも合格できるくらいに仕上がるでしょう。入試制度が変わりますが、どのように変わっても英語試験は対応できるでしょう。

数学が手間取っていますが、次回の進研模試では偏差値80をクリアできるでしょう。先週数Ⅰの問題集を全部解いたので、今週から数Ⅱの問題集をやります。目先の点数を取るような勉強はさせてませんので、じっくりこのままやれば間に合います。進研模試レベルの問題ならようやく90点以上とれるところまできました。

何になりたいか、目標が小学生のころからはっきりしているので、生活スタイルや時間の管理をそれに合わせて自己制御しています。ようするに、やる気満々の生徒で、坦々と勉強しています。

その生徒はいま独力で『福翁自伝』を読んでます。日本語音読トレーニングは卒業です、理系なんですけどね。(笑)
本人を観察していると、このごろ「ほどほどの勉強」ではなくなってきたようです。ほどほどの勉強で、それなりの大学でもいいのですがね。ほどほどの勉強のよいところは大学生になってから、そして社会人となってから飛躍的に学力や仕事の能力が伸びるから。
パターン学習を数年続けると強固な思考の鋳型を作り上げてしまうので、できるだけ避けています。
時間が足りなくなればやるかもしれません、臨機応変でいい。
強固な思考の鋳型ができあがると、社会人になったときに困ることになります。ほとんどの人が自分では鋳型を壊せません。人生は大学受験で終わりではないのですから、そのあとのことも考慮して指導すべきと思います。

by ebisu (2018-09-25 00:01) 

ebisu

具体例2の生徒は、高校では部活三昧、塾に通わずに早稲田大学商学部に入学したそうです。塾で教える必要がなくなった自立型です。

具体例3の生徒は、釧路湖陵普通科でテニス三昧。理数科だったら医学部を目指したのでしょうが、専門学校へ進学したと聞いています。短期間で不得意科目だった数学の力がアップしたのを見切れなかった、中学校の進路指導のミスです。中高生は頭脳が柔軟なので、飛躍的に学力が伸びるときがあります。進路指導をした担任の先生は数学担当ではないから、わからなかったのでしょう、安全策をとった。理数科の十分入れるだけの得点でした。根室と釧路は優秀な人材を一人育てそこなった。もったいない。人の一生を左右するので進路指導は怖いものです。

by ebisu (2018-09-25 00:12) 

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