「通貨」の大半はすでにコンピュータ上のデータにすぎない。クレジットカードが現実の取引から紙幣や硬貨を駆逐しつつある。世界市場にふさわしい通貨はいつでもどこでも使える世界貨幣であるから、紙や金属の制約から自由でなければならぬ。そうした意味では通貨はコンピュータ上のデータであることが究極の理想だ。証券市場はすでにそうなっている。上場会社の「株式証券」はすでに廃止されてコンピュータ上のデータに置き換わっている。通貨の場合はだれがその安全性を保障するのかという問題があるが、しばらくわきに置いておこう。

  観光客はどこの国でも使える通貨があれば便利だ。受け入れる店やホテル側にとっても支払が確実だから便利で安全だ。観光客の支払分は直ちにお店やホテルの口座へ振り替えられるから、現在のように信用チェックをする必要すらない。利便性から言うと、「いつでもとこでも」(ubiquitous)使える仮想通貨は理想的な存在、「究極の貨幣」である。

  海外からの観光客が使い始めたら、日本人がそうした店やホテルで世界貨幣を使うことになんの支障もない。紙幣や硬貨やクレジットカードの領域をじわじわ侵食していく。

  では、ビットコインのような世界貨幣が「現実の通貨」領域に浸透していくのを特定の国家がとめられるだろうか?
  利便性を追う人間の欲望を抑止することははなはだしく困難だから、わたしにはとめる術がないように思える。それはコンピュータの指数関数的な性能向上を人類がこの30年間競って追い求め続けたことからも例証しうるだろう。次の30年間は過去の30年間とはまるで違う、指数関数的な変化とはそういうものなのだ。この30年間で2^15の性能向上が起きたとしよう。32768倍である。次の30年間にも同じ変化だとスタートからは2^30だから10億737万倍になる。人工知能の指数関数的な性能向上が人類の経済社会に及ぼす影響はわたしたちの想像の範囲をはるかに超えている。何が引き起こされるのかわからぬままに、人類は未知のゾーンに突入していかざるをえない。


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