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#3939 通貨の未来(7)最終回 Feb. 28, 2019 [A5. 通貨の未来]


  転載を忘れて尻切れトンんぼになってました、すみません。
 弊ブログ#3598投稿欄に寄せられた仮想通貨に関する議論の残りをを本欄に転載します。今回が最終回で、コメントに付したナンバーは前回からの通し番号です。
  ハンドルネーム「中央銀行総裁」殿は途中からなんどもお名前が変わりますが、その語り口はなめらかで、独自の視点で意表を突き、お叱りが耳に痛かったり、また心地のよかったりと変幻自在な教養人です。皆さんもどうぞお付き合いください。

*#3598 通貨の未来-3 : 日銀の債務超過は引き金になるか? Aug. 27, 2017
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-08-26-1



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#31

koderaさん

感想ありがとうございます。
読んでいる方たちに楽しんでいただけるのが一番。

「中央銀行総裁」殿は読者の皆様を楽しませてくれるユニークな論を展開してくれます。語り口もよい。
by ebisu (2017-08-30 19:49)

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#32

お主は本当に根っからの議論のための議論ばかりじゃのう。井戸端会議じゃ。
方向性を問うておるのじゃ。
通貨発行権が公的なものだとどうして決まっておるのかのう?誰が決めたんじゃ?思い込みが変革を阻むのじゃ。
昨今においてすら民間企業である中央銀行が紙幣を発行しておるぞ。

イスラム世界とはどこの国々のことかいのう?
イスラム教徒が大半を占める国々か、はたやイスラム教を国教として定めし国々のことかいな?
漠然と十羽ひとからげじゃのう。
多くのアラブの国々、インドネシア、イランにさえ中央銀行は存在しており、市中銀行は利子も当たり前に付加しておる。
リビアがそうであったように、この中央銀行の通貨発行権をカダフィが取り上げ、国民から利子というものを解放した結果、闇の筋の者たちから嘘の名目、濡れ衣を着せられて惨殺されてしまったのじゃ。
カダフィが少しの期間ではあるがこの諸悪の根源2点から国民を解放した時のリビアはそれはそれは国民の幸せ度は高かったのじゃ。
これを良しとせぬ者共がおるのじゃ。
まぁ、リビアには豊富な石油資源もあったので国民に大判振る舞いできたんじゃろうがのう。
似た国にアジアではブルネイ王国がある。
豊富な天然ガスに恵まれカダフィ同様、国民には大盤振る舞いじゃ。じゃが違うのは、ブルネイですら民間の中央銀行は存在し、しかるに市中の銀行は利子をとるのじゃ。
かの大国サウジアラビアでさえ中央銀行が存在し為替を操作しておる。
世界は王制、民主主義、共産制、と政治の体制は異なっておるので、各国の主権や政治と中央銀行との関わり方は異なる、すなわち、どの程度その国自体が通貨発行に関与しうるかの程度に大小はある。
当然関与が少なくなり、国・政治と分離しやすい民主主義の樹立を闇の筋の者たちは望むじゃろうな。
言ってみたら民主主義国家は一番騙しやすいからのう。
それもお主のような御用経済論者が大勢で民を誘導してくれるからのう。

話をはぐらかすな。
楽しんでもらえたらそれでいい、とは何を寝ぼけたこと言うとるのじゃ。
民は現時点で搾取によって間違った生き方をしておるのじゃ。
自分に責任を持て、御用経済論者。

日本の仕事に関する価値観など誰が作った?
勝手にお主の一存でこの国全体を語るな。
お主はお主、拙者は拙者、世界の人々は世界の人々じゃ。
イメージとして一部の日本人の働き方や姿勢に、驚嘆・共鳴し、見習おうとする者もおるのは確かじゃ。
逆も真なりで、過去に日本は欧米を真似たのじゃからな。
そう言うのを手前味噌と言うのじゃ。
世界中環境や文化、政治や宗教も異なる。
日本の一国のモデルがどこででも通用するわけがなかろう。
まして今の日本の繁栄は経済的弱小の国々の犠牲の上、それと多額にわたる中央銀行への負債の上で成り立っておるのじゃ。

先にE=mc2()という普遍的理論があって、核兵器が作られたのじゃ。あれこれやってるうちに核兵器ができて、それをひも解いたらE=mc2()となっていた〜、というわけでは無いのじゃ。
世界中で共有しうるミニマムでも良いからその普遍的経済法則を導き出し、民をその方向へ誘導するのが真の経済学者だと何度も何度も言うておるのじゃ。
その法則さえ共有できたなら人々がどれだけ欲に走ろうがその者の勝手じゃ。
多くを望む者は多くを望めば良い。少しで事足りる者は少しで済ませば良い。
民にその自由自体を獲得させてやるのがまず先決ではないかのう?
by
行間どころか文意も読み取れぬようじゃのう。 (2017-08-30 21:17)

 

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#33
お主は本当に根っからの議論のための議論ばかりじゃのう。井戸端会議じゃ。
方向性を問うておるのじゃ。
通貨発行権が公的なものだとどうして決まっておるのかのう?誰が決めたんじゃ?思い込みが変革を阻むのじゃ。
昨今においてすら民間企業である中央銀行が紙幣を発行しておるぞ。

イスラム世界とはどこの国々のことかいのう?
イスラム教徒が大半を占める国々か、はたやイスラム教を国教として定めし国々のことかいな?
漠然と十羽ひとからげじゃのう。
多くのアラブの国々、インドネシア、イランにさえ中央銀行は存在しており、市中銀行は利子も当たり前に付加しておる。
リビアがそうであったように、この中央銀行の通貨発行権をカダフィが取り上げ、国民から利子というものを解放した結果、闇の筋の者たちから嘘の名目、濡れ衣を着せられて惨殺されてしまったのじゃ。
カダフィが少しの期間ではあるがこの諸悪の根源2点から国民を解放した時のリビアはそれはそれは国民の幸せ度は高かったのじゃ。
これを良しとせぬ者共がおるのじゃ。
まぁ、リビアには豊富な石油資源もあったので国民に大判振る舞いできたんじゃろうがのう。
似た国にアジアではブルネイ王国がある。
豊富な天然ガスに恵まれカダフィ同様、国民には大盤振る舞いじゃ。じゃが違うのは、ブルネイですら民間の中央銀行は存在し、しかるに市中の銀行は利子をとるのじゃ。
かの大国サウジアラビアでさえ中央銀行が存在し為替を操作しておる。
世界は王制、民主主義、共産制、と政治の体制は異なっておるので、各国の主権や政治と中央銀行との関わり方は異なる、すなわち、どの程度その国自体が通貨発行に関与しうるかの程度に大小はある。
当然関与が少なくなり、国・政治と分離しやすい民主主義の樹立を闇の筋の者たちは望むじゃろうな。
言ってみたら民主主義国家は一番騙しやすいからのう。
それもお主のような御用経済論者が大勢で民を誘導してくれるからのう。

話をはぐらかすな。
楽しんでもらえたらそれでいい、とは何を寝ぼけたこと言うとるのじゃ。
民は現時点で搾取によって間違った生き方をしておるのじゃ。
自分に責任を持て、御用経済論者。

日本の仕事に関する価値観など誰が作った?
勝手にお主の一存でこの国全体を語るな。
お主はお主、拙者は拙者、世界の人々は世界の人々じゃ。
イメージとして一部の日本人の働き方や姿勢に、驚嘆・共鳴し、見習おうとする者もおるのは確かじゃ。
逆も真なりで、過去に日本は欧米を真似たのじゃからな。
そう言うのを手前味噌と言うのじゃ。
世界中環境や文化、政治や宗教も異なる。
日本の一国のモデルがどこででも通用するわけがなかろう。
まして今の日本の繁栄は経済的弱小の国々の犠牲の上、それと多額にわたる中央銀行への負債の上で成り立っておるのじゃ。

先にE=mc2()という普遍的理論があって、核兵器が作られたのじゃ。あれこれやってるうちに核兵器ができて、それをひも解いたらE=mc2()となっていた〜、というわけでは無いのじゃ。
世界中で共有しうるミニマムでも良いからその普遍的経済法則を導き出し、民をその方向へ誘導するのが真の経済学者だと何度も何度も言うておるのじゃ。
その法則さえ共有できたなら人々がどれだけ欲に走ろうがその者の勝手じゃ。
多くを望む者は多くを望めば良い。少しで事足りる者は少しで済ませば良い。
民にその自由自体を獲得させてやるのがまず先決ではないかのう?
by
行間どころか文意も読み取れぬようじゃのう。 (2017-08-30 21:17)

 

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#34

面白そうだから日銀が民間企業だという論を敷衍して見せてください。

イスラム世界では同教徒からは利息をとらないという指摘に対する反論が、アラブの国にも中央銀行があり利子があるですか。反論にならぬ。話をはぐらかす名人と褒めておこう。

>日本の一国のモデルがどこででも通用するわけがなかろう。

それこそが思い込み。生産システムも仕事に対する価値観もセットで移転できれば、近い水準の生活をいずれは保障できる。教育システムも含めての話だ。
望まなければ受け入れなけりゃいい、何を選択するかはその国の民が決めたらいい。
他国に依存度の低い経済体制がつくれたら、国際的な格差を拡大するグローバリズムは終焉する。

奴隷労働に淵源を持つ現代の工場労働は普遍的経済法則には属さない。それとは別の価値観での置き換えが必要だ。それが職人仕事という価値観だ。仕事をするのが幸せだというのは普遍的経済法則の根幹足りうるものだ。

反論したくば、普遍的経済法則の根幹をなすものについてお主の論を披露すればよい。
イモ銭は勘弁してくれ。あれはわたしの耳には戯言にしか聞こえぬ。

by ebisu (2017-08-30 21:51)

 

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#35

随分と職人仕事にこだわっているようじゃのう。
仕事が楽しく、仕事自体が幸せという職人は何も日本だけのお家芸ではないぞ。
欧米にも陶芸・ガラス職人、イラン・トルコの絨毯職人、インドネシアの彫刻職人、世界中あらゆる職人がおる。
また職人とは正面切って言わぬが、職人の如くその職に精魂注ぎ込み幸せを感じながら仕事をしておる者達も世界中ごまんといるわい。
では、何を持ってして職人と言われるのかのう?
それは、他の大勢と違うから、職人と呼ばれるのではないかいのう?
考えてもみい、皆が全員が職人であったならもはや職人とは呼ばぬ。
皆の出来ぬことをやり遂げれるから職人として皆から重宝されるのじゃ。
何も芸(技術)を持たぬ者は当然その世間から弾かれ出されてしまうだろうな。
それでは気質としての職人ととってはどうかということも考えてみよう。
自分で選んだ職に生き甲斐を持ってその中に幸せを見出す姿勢、それを職人気質としてみても、
いくら本人が真面目で精魂打ち込んでその職に埋没しておろうが、出来栄えが悪かったなら誰もその者の品やサービスを買いはすまい。すなわち評価されまい。
次第に職人気質としての情熱は失せてしまおう。
したがってそちの主張しておる、
皆が職人として働くのが幸せという価値観も危ういというものよのう。
要は、お主は成功した、成功している最中の職人しか指しておらぬ。
それこそ幻想じゃ。

何でわしが経済論などたれなければならんのじゃ?
理解に苦しむわい。
わしは御用経済論者でも真の経済学者でも無いわい。

人に完璧を強要して、それに応えられないと、自分の勝ちとすると論法は、すでに自分を守るための最後の逃げの切り札じゃ。
「ほ〜ら答えられない。それなら黙っておけ。」という必殺技じゃ。
by
人々に同一の価値観を植え付ける自体で無理よのう。 (2017-08-30 23:03)

 

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#36

根本的な誤解があるようですね。そこを説明しておいた方が読者も理解しやすいでしょう。

>先にE=mc2()という普遍的理論があって...

この方程式はいつでもどこでも成り立ちます。ところが人間がつくった経済社会にそうした普遍的な経済法則なんてないのですよ。

たとえば、

Y=C+I

という方程式があります。ケインズの有効需要を表す方程式です。
中央銀行総裁殿は先刻ご存じでしょうから、読者のために書きますが、Yyield、国民生産あるいは国民所得、Ccomsumption、消費です。Iinvestement、投資です。

これはいつでもどこでも成り立つものではありません。国民国家や市場を前提にしています。
このように自然科学と経済学は根本的に異なっています。
だから、経済の分野に普遍的真理や普遍的経済法則なんてないのです。

そういうないものを前提に議論するから、唯我独尊な貨幣論を展開してしまう。空想的社会主義者というのがずいぶん昔にいたようですが、空想的貨幣論者に見えます。

だから、イモ銭なんて論を思い付きで書いてしまう。論としては面白いですが、それだけのもの。

経済を変えるには、別の公理系でモデルを構築しなければならないというのがわたしの考えです。その公理に当たるのが、欧米の経済学は奴隷労働に淵源をもつ「労働」、そういう負の公理を払拭して「職人仕事」という公理に置き換えて、別なモデルを実現しようじゃないかというのがわたしの考え。

by ebisu (2017-08-30 23:29)

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#36

読者はとっくに気づいているわい。
お主と拙者の立ち位置の違いをな。
拙者は通貨発行権の主体が国家すなわち民自らであり、利子という無から生まれた虚構の存在をなくさない限り、世界中が平等に参加しうる経済は営めまい、それらを変革するのが真っ先じゃ、という立ち位置におり、
お主は通貨発行権も利子の存在も何ら障害ではない、つまりこれによって利益を得る者共の存在は容認しておいても、このおかしなルール上でも真っ当な経済は営める、という立ち位置じゃ。
そういう事であろう?私の解釈だがのう。
まぁ、皆には皆の解釈があろう。
by
邪魔したな。さらばじゃ。 (2017-08-30 23:46) 

 

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#37

利口な読者は立ち位置の違いだと誤解しない。

>世界中で共有しうるミニマムでも良いからその普遍的経済法則を導き出し、民をその方向へ誘導するのが真の経済学者だと何度も何度も言うておるのじゃ。

経済にはありえない普遍的真理や普遍的経済法則を求めるのは妄想にすぎぬ。

37回のやり取りかな、楽しい議論ではあった。長いこと付き合ってくれてどうもありがとう。感謝。


いずれ暇を見て、この議論を数回に分けて本欄へアップしたいので、よろしく了解されよ。
by ebisu (2017-08-31 00:02)

 

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#38

おっと、靴を履いて玄関を出る前に別れの挨拶を忘れておったわい。

お主はどうやら算術とエゲレス語の教鞭をとっておるようじゃが、国語は子供らに教えん方が良いぞ。
お主の国語の読解力相当悪いぞ。
字ズラばかり追って、大意を見失う傾向にあるな。
まぁ、人には言えぬわ、拙者の国語の表し方も酷いものよのう。わっはっは〜。
by
別れの挨拶じゃ。 (2017-08-31 00:09)

 

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#39

ははは、国語力が悪いのはお互いさま。

日本語の音読トレーニング授業はしていますが、お代はいただいておりません、ボランティアです。
そんなに手が回らないから国語は教えていません。
SPIテストでは、言語系の偏差値は数理系よりも低くて70ほどでしたが、30代半ばのことなので、耄碌したかもしれませんね。


別れのご挨拶、ありがたく拝受しました。
by ebisu (2017-08-31 00:39)

 

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#40

 阿保にもebisu経済論が少し見えてきました。お二人に感謝しています。
 私は実践にすべて帰結すると悟りました。私の駒場時代の哲学の教授の教科書に書かれていた内容でもあります。
 経済論の難しさは実践者と施政者の距離測度が大きいことと思いました。実践者から離れた方が権力も地位もお金もえられやすいのかも。
 エビスの立ち位置はどこでしょう。やはり工場か食堂で、父母のように働かないとエビスの経済論は普及しないのかも。残念ですが。
 エビスの経済論は測度を最小化する論と読めば話は単純になります。でも、ここで複雑系の問題が浮上します。単純化ができるかです。できなければAIの量子コンピュータまで待つことになるのでは。解は量子経済論にありが私の対抗仮説でした。東大の大学生に一人いました。成功したと言う話は聞いていないし、名前は有名にもなっていません。
 しかし、kodera4項目の箇条書き論でも演繹できるし、私の哲学論すなわち実践論に結び付けられると相変わらず信じています。今私は自分のブログで毎日挑戦しています。エビス先生にはこの箇条書き論は否定されたはずですが。
 もう一度私のブログに、エビスの厳しい意見をコメントしていただけると幸甚です。長くなる200字程度で。私は阿保ですので長いのは落語のように読んでしまいます。
 墓場に行く前に真のご意見を短く頂ければ、楽しく旅立てるはずです。南無大師金剛遍照。ひょっとして貴方は私の大師様かも。今気が付きました。()

by tsuguo-kodera (2017-08-31 09:04)

 

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#41

koderaさん

わたしの経済学は、西洋の経済学とは異なる公理系の構造をしています。第一公理が「職人仕事」ということ。数理論理学者にはきわめてわかりよい主張です。

何を第一公理に選択するかについては、250年間にわたる経済学の学問的蓄積をベースにしなければならないでしょう。そこを検討した結果が第一公理としての「職人仕事」の選択でした。

何を公理に選択してもそれなりのモデルは構築できますが、選択公理を間違えば現実性が失われます。貨幣は商品の交換関係が定義されてから出てくる概念でして、貨幣が先にありきではないのです。それが250年間の経済学の学問的蓄積あるいは学問的営為です。経済学の諸概念を相互に検討して関係を突き詰めた結果の結論。
だから、貨幣論からあらたな経済社会の建設を夢想するのは、妄想でしかないというのがebisuの論。
もう一つ論点がありました、忘れるところでした。有効な公理が析出できたとして、それに見合う現実を作り上げるのは、「仕事」であって「学問研究」ではありません。そこは峻別しています。だからインテリには無理なのです。レーニンも毛沢東もインテリ、まるで理念とは違ったことをやってしまいました。インテリに仕事ができるはずがありませんから、危ないのです。

ところで、四項目箇条書き法はある限界内でとても有効であることは、前にも書いていますが、まとめておきます。
1 問題の整理法としては有効

2 学術論文には不向き

3 高校生や大学生への論説文の作文指導法としては優れた方法

4 ステップとしては守破離の守の段階


3-5項目に分解し、それ以上になれば階層構造とするのはシステム技術の一般的な方法論です。それをあえて四項目に縛ったのが小寺流ではないでしょうか。

高校生に四項目箇条書き法で論説文の作文練習をさせたら、半数以上の人が立派な作文が書けるようになるでしょう。学校ではそういう教育してませんね。本当は社会に出てから文書技術がモノを言うのですがね。ほとんどの学校管理職には理解できないでしょうね。koderaさんが匙を投げたように。
会社で稟議書や各種の協議書を見たり、職務としてチェックしたときに強く感じました。何が言いたいのか論旨不明のものが大半でした。

しばらく考えてから、貴ブログへコメントします。

by ebisu (2017-08-31 10:56)

 

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#42

 そうですね。だから残念。私は同意できません。4項目の箇条書きで博士論文を書けと言うわけではありません。言い逃れではありません。
 博士課程の進学者も創造性は不足。論に強いから。間違え無し。医者も。私には100人ほどの医者と博士課程の若者がいました。
 彼らがテーマを修士課程で選ぶとき、いいえ、その前に卒論で博士課程のテーマを選ぶとき、4項目の箇条書きがベスト。新規事業のテーマを決定して企画上程する前に必須。
 テーマを間違えなければ、提案も論文も簡単です。アインシュタインの論文を見たことがありますか。私は写真で見ました。1ページです。大した文章ではない。でもテーマを気が付いたことが大発明なのです。
 テーマの選択さえできれば、論文などヘノカッパ、売れる商品も、儲かる新規事業もです。
 人は隣の神様のニーズに気がつきません。無駄なことを悪戦苦闘。だらだらと文章を書きます。もちろん文豪は別。文章が実践そのものだからです・
 残念です。
by tsuguo-kodera (2017-08-31 12:08)

 

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#43

お久しぶりです。コメント30超えですね。でもコメント数が一ケタなのはオーバーヒート?しちゃったのですかね
by
とんとろ (2017-08-31 13:24) 

 

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#44

とんとろさん

ほんとうにおひさしぶりでしたね。
コメント数のカウンターは33でオーバーフローしたようです。議論がヒートアップしたからでしょうか?()
by ebisu (2017-08-31 14:48)

 

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