寒い朝、道路は3日前の降った雪で真っ白です。昨日はずっとマイナスのままでした。今朝7時の気温はマイナス2.4度。

 さて、年の暮れになって急遽、来年4月ころからネット上での「読書会」をやることになりました。
 テクストにはマックス・ヴェーバー『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を採りあげます。ハンドルネーム「後志のおじさん」との対話がベースになります。後志のおじさんが学生時代に『プロ倫』と呼んでいたというので、今後面倒なときは『プロ倫』と略します。
 ウェーバーやマルクス、あるいは「21世紀の経済学」に興味のある方は岩波文庫の『プロ倫』(1080円)を読んでご参加ください。

 わたしの問題意識は、ウェーバーの学説とわたしの職人経済学(マルクスおよび古典派経済学の労働観(労働=苦役)とは異なる経済学)のどこがどのように似ていて、どこがどのように違うのかということです。もちろん違いが生ずる理由があるわけで、その辺りも明らかにしたいと思います。
  A.スミスやマルクスが「労働=苦役」という労働観を前提にして経済学体系を記述していますが、わたしは「仕事=歓び」を経済学の公理に措定して、職人を主体とした経済学を考えています。職人主義経済と呼ぶべきか、いまだにネーミングに迷っています。なんだかしっくりこないのです。

 投稿欄からネット上での読書会を開くにいたった経緯をピックアップします。わかりやすくするために、修正と削除をした後で抜粋引用しましたので、オリジナルは弊ブログ#3487投稿欄をご覧ください。
(ヴェーバーとの類似を指摘した投稿があるのですが、見つかり次第載せます。とりあえず、きっかけとなった後志のおじさんの投稿はブランクで表示。)
 12/27 後志のおじさんから#3454にあるとの連絡あり。
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#3454投稿欄より
 
対象物の把握のフェイズでは、言語化しない。が、思考の全てではありません。

あくまでも第一段階。
しかし、ここで言葉による規定を行うと後になって言語化する時の方向を制約してしまう可能性が高い。

Max Weberの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」はお読みになっておいででしょうか。ebisu さんのライフワークがこの書の平行進化に感じられることがあります

これは管理人としてのebisu さんに対してですが、品位云々を今になっておっしゃるのであれば、彼の人が昨年10月に「百姓」を侮蔑の言葉として発した時点でするべきではなかったか?と、私は思います。彼の人の本質はそのあたりにあると私は理解しておりました。

by 後志のおじさん (2016-11-17 09:40) 
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#3454投稿欄より

ウェーバーの『プロティスタンティズムと資本主義の精神』は本棚に岩波文庫版があったはずですが、見当たりません。
『社会科学方法論』と『職業としての学問』があります。読了日付が入っていないので、ざっと見ただけです。

学部のときに、何かの授業の担当がマックスウェーバーの若手の研究者でした。数人で授業の後で1時間ほどよく議論した記憶があります。

あの書とわたしのライフワークが「平行進化」に感じられるということなら、読んでみなくてはいけませんね。

無理に言語化をせずに、わからないものはわからないまま脳内に保存しておくということですね。そのうちに突然形をとります。
この辺りは、koderaさんも後志のおじさんもわたしも同じようです。koderaさんが9:47の投稿で書いています。
案外同じところもあるんです。

テーマが面白ければ、議論はどのような人とでもするつもりですから、わたしにとって議論には「人の本質は」どうでもよいのです。
ですが、読む人の方は文章から何かを感じ取ります。「文は人なり」かもしれません。
by ebisu (2016-11-17 11:16) 
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#3487投稿欄より

後志のおじさんへ

マックス・ウェーバー『プロティスタンティズムの精神と資本主義の倫理』を読みはじめましたが、なるほど似たところがありますね。

教育⇒熟練工⇒工場労働者
教育なし⇒不熟練工⇒工場労働者

マルクスは熟練工は視野の外においていますが、ウェーバーは二本立てで考えていますね。
日本の現実はどのように考えたらいいのでしょう。

日本人は八百万の神々へのささげ物を作るというのが仕事の原点です。だからまともな職人は仕事の手を抜きません、神々がご覧になっています。
ウェーバーのこの本と比較しながら考えると面白そうです。
シリーズでやってみようかと思います。

面白い視点の提供ありがとうございます。
by ebisu (2016-12-24 20:29)
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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、なかなか面白いでしょう?(あの~、倫理と精神が逆になってますけど。)

さらには、宗教の職業倫理として行動規範を規定する部分も、ebisu経済理論と同様に大きな柱となっています。(宗教そのもののもつ、「神の性質」は真逆だとは思いますが)

ebisu経済理論を読んだ当初から、「なんか、ウェーバーっぽいなぁ。」と思うところがありまして、KJ法盗作の「文章作法」を潰すついでに書かせて貰いました。

類似のものを「知ってますよ。」と明示しながら論を綴るのと、自分独自の論のふりをして綴るのとでは全く別のものとなりりますから。

合格先生氏。西きょうじと大西なんとかさんの引き写しをあたかも自分の論であるかの如く繕った方。

Hirosuke 氏。大西なんとかさんの信者。

Kodera - Tuguo 氏。一定の頁数の枠の中に一項目ずつユニット化するという出版の編集技術を、文章作法と誤認した方。結果的に、当然KJ法と類似するがそうした周辺リスクには全く無頓着な方。

ebisu さんには、意図を汲みとって頂けてなによりです。上記お三方の轍を踏んではもらいたくなかったので。ebisu 経済理論の更なる発展を楽しみにしております。


by 後志のおじさん (2016-12-24 22:43)
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ほんどうだ、精神と倫理と逆になっています。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」を日本人が育ててきた商道徳と繰り返し書いてきたので、「資本主義の倫理」となったようです。いよいよ配線がこんがらがってきました。

この本にはキリスト教のさまざまな宗派が出てきて、一度整理する必要がありそうです。神道と仏教の国の日本人にはキリスト教の宗派は事情が込み入っており、よくわかりません。日本の神道や仏教も分け入っていくと複雑ですが。
ウェーバーのほかの著作は薄いのですが、これ(『プロ倫』)だけ412ページもあります。

読み始めたら、この本の翻訳文の日本語はところどころ読みにくいのです。大塚久雄さんの本はそんなに読み難くはなかったと記憶していますが、原文に問題があるのか翻訳技術の問題なのかわかりません。

何人かで「プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をテクストにして半年間ほどゼミをやりたい気分です。
by ebisu (2016-12-24 23:22) 
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ebisu経済理論についてその特徴を書いておきます。
①マルクス『資本論』は公理的構成をもつ
②マルクスは「工場労働=労働は苦役である」を第一の公理に設定して、その経済学を書いた
③第一の公理に職人仕事を措定すればまったく別な経済学が立ち上がる

以上三つがebisu経済学理論の特徴です。マルクス経済学者でこういうことを言っている学者は一人もいませんから、まったく新しい学説といってよいでしょう。
なるほどウェーバーが宗教と熟練工を取り上げているところは似ています。わたしは八百万の神々と職人仕事をセットで論じていますから、わたしがたびたび引用する「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」もウェーバーの比較宗教社会学に包摂されると考えて間違いなさそうです。

ウェーバーという鏡にebisu経済理論を映してみることで何かが生まれそうな予感がします。楽しみですね。
by ebisu (2016-12-25 00:02) 
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昨日、今日と穏やかな天気です。道東は結構降っているのかな?そちらが穏やかなときは、後志は雪ですからまあたまにはこっちも楽をさせて下さい(笑)。

もう少し近かったなら、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、御一緒に読んでみたかった!こちらからだと夏道で、朝7時に家を出て、夕方7時に釧路です。これでは釧路での炉端焼きタイムになってebisu さんと勉強するはずが、zapper さんとジョッキを重ねて次の日に酒気帯びスレスレで帰って来るのがいいところになってしまう。(笑)

プロ倫、と呼んでいましたが岩波文庫とドイツ語版の2冊とも今のログハウスに引っ越す時に捨ててしまいまして、今は手元にないのです。都会に出られるのは3月ですので、買ってきて読み終わるまでは、プロ倫に関するこれ以上のコメントは控えさせて下さい。

ゼミ、読書会、懐かしいですねぇ。半端なことを口走るとキビシイ先輩から容赦なくやられたものです。合格先生氏もHirosuke 氏も知らない世界なのでしょうね。TUGさんという方は、中学生レベルの、「感受性豊かな」「傷つきやすい」方のようにお見受けしましたので片鱗に触れることすらできない世界です。

「意見」や「自論」をいうなら、突っ込まれて当たり前のこと。根拠、論拠を明確に。論点をずらすな!相手を封じられるだけの想定問答を用意しておけ。


私を鍛えてくれた世界です。

by 後志のおじさん (2016-12-25 21:38)
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ウェーバーの「プロ倫」はゼミか読書会でやったのですか。ゼミですね、それもかなりハードな。

4年次のゼミには院生になった先輩が二人参加してくれてました。取り上げていたテクストは通称「グルントリッセ」、経済学部のゼミでも当時は取り上げるところがありませんでした。KJ法のように相手の論に乗って展開していく場面が多かったような気がします。もちろん、考えが浅ければ、自動的に破綻して、浅慮を自覚せざるをえません。

哲学の教授による経済学のゼミだからおおらかだったのかもしれません。経済学部の教授なら、いずれかの学派の解釈を押し付けることになったでしょうから、議論がつまらない。『グルントリッセ』は『資本論』の前段階で体系構成に関してさまざまな示唆を含んでいますから、既存のどの学派でもその解釈には手を焼いたでしょう。素直に読むと、体系構成に関しては既存のどの学説も矛盾と破綻が生じます。だから、グルントリッセの研究が進んでいません。マルクスの体系構成の正体がいまだにわからないのです。

ゼミの前日は、つい夢中になって考えながら本をんでいる内に白々と夜が明け始めて、慌てて2時間ほど寝てから学校へ行き、午前中の授業を聴いて友人たち数人と食事をしてから午後一のゼミに出てました。
 あるとき市倉先生も眠そうな顔をしているので、「眠そうですね?」と訊くと、「朝までイポリットの翻訳をしていたので寝てないんだよ」、そんなことがありました。
 ジャン・イポリット著 市倉宏祐訳『ヘーゲル精神現象学の生成と構造 上下』岩波書店1972年刊
(渋谷のある進学教室で専任講師をしていたころの友人のEさんが、当時早稲田大学大学院哲学研究科の学生で樫山ゼミにいて、市倉先生のその本をテクストにしていたのを知ったのは数年前のことでした。わたしの専門が経済学だったので、市倉先生と結びつかなかったのでしょう。お互いに知っていたら授業の空いている時間に楽しい議論ができたでしょうね。)

市倉先生は哲学科の「本ゼミ」でサルトル『弁証法的理性批判』をテクストに、そして学部を超えた一般教養ゼミでグルントリッセをテクストに採りあげて指導しておられた。
 参加したのは2年生の後期からだたと思いますが、『資本論』の後半をやっていました。資本論を読み終わると、誰が言い出したのか記憶にないのですが、「グルントリッセ(『経済学批判要綱』)」を読もうということになったのです。どこが一般教養ゼミかと首を傾げざるをえませんが、ゼミのメンバーたちの士気が高く、望むところでした。
学部を超えたゼミでしたが、商学部の学生が多かった。

原価計算のゼミを取るつもりでしたが、ゼミ員の募集のときに用事があって1週間根室へ帰省していました。
あれが運命の分かれ道、経済学は神様が用意してくれた道でした。
原価計算の小沢先生には授業の後で数回喫茶店でコーヒーをご馳走になって、ゼミに入る希望を話していました。それなのにやむをえない事情でキャンセル。天命だと思って、期限が過ぎていたのであきらめました。そのときに掲示板に「一般教養ゼミ員」募集の張り紙を見たのです。小論提出が条件でした。これだ!とその瞬間に決めました。
人の運命はいつどの方向に転がるか予測しがたいものです。(笑)

by ebisu (2016-12-25 23:14) 
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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

  • 作者: マックス ヴェーバー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/01/17
  • メディア: 文庫