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#3491 熟練工⇔不熟練工 概念をめぐって Jan. 10, 2016 [『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』]

 マックス・ウェーバー『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下、『プロ倫』と略記)の原著が1920年に公刊されたことは#3489で書きました。今回は半ば雑談です。

 議論を始めるのあたって、熟練労働者と不熟練労働者という用語を採りあげて、ドイツの特殊な事情と米国の特殊な事情を対比しながらドイツ語を用いたときと英語を用いたときの言葉の意味の違いを浮き彫りにしておきたいと思います。言葉はそれぞれの国の国民性とか伝統的な価値観、そして社会制度や歴史を背負って現れています。

 ウェーバーの説明を見ましょう。
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 それはドイツ・カトリック派教会議の席上や同派の新聞、文献の中でたびたび論議されていることだが、近代的企業における資本所有や企業家についてみても、、あるいはまた上層の熟練労働者層、とくに技術的あるいは職業的訓練のもとに教育された従事者たちについてみても、彼らがいちじるしくプロティスタント的色彩を帯びているという現象だ。
 『プロ倫』「第1章 問題」「第1節 進行と社会層分化」16頁より
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 amazonに注文していた英訳版が昨日(1/9)届いたので、英訳者が原著をどのように理解したのか、当該部分をチェックしてみました。英語版では "the higher grades of skilled labour" と訳されていますから、意味するところは「熟練工の上層部分」ということになります。英訳者の Talcott Parsons は原著のこの部分をそのように理解したということです。
 ウェーバーは教育訓練を受けた熟練労働者と教育訓練を受けた専門職の上層の部分にプロティスタントが多いという事実を書いています。

 不熟練労働者については、次のように、労働者の下層であると述べています。
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  現代の「高度資本主義」のもとでは社会一般、わけても労働者の中の広範な不熟練な下層が、過去の時代に進行がもちえたあの力にもはや影響されなくなっているという事実もあるが、この点は後述する。
 『プロ倫』19頁
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 英訳本では "the great unskilled lower strata of labour" となっています。これを "the great lower strata of unskilled labour" と書いたのでは意味が違ってきます。「不熟練労働者の広範な下層」という意味になります。不熟練労働者層の一部が広範な下層だという意味ですから文脈に合いません。
 マイスターの下で訓練を受けていない不熟練工は熟練工に比べて非常に多いということがわかります。熟練工だけでなく、事務系の専門職、たとえば簿記知識も職業学校で教育訓練を受けないと習得できません。つまり、プロティスタントには子どもが生活していくための教育訓練を積極的にするものが多かったということをウェーバーは言いたいのです。
 マイスターの下で訓練を受ける者はマイスターが食事や給金の面倒を見ますが、職業学校も週に1-2日程度学校へ、残りは職場を選び実地訓練です。一人前の職人の給料はもらえませんが、半分くらいの手当ては出たようです。熟練工や事務系専門職への道は、こういう教育制度を通過しないと手に入れられないのです。

 細かい議論はさておいて、ウェーバーは労働者を上層と下層に分けて考えていると判断して間違いがなさそうです。そして熟練工や専門職の上層にはプロティスタントが多いと述べています。
 熟練工はマイスターに教育されて熟練労働者となるのであって、不熟練労働者の中から熟練労働者が出てくるという社会的な仕組みはありません。不熟練労働者は永遠に不熟練のまま、教育の機会を与えられることはないという考えが根底にありそうです。実際にも当時の現実の社会はそうだったのでしょう。
 二分法で中間層がないところが日本人のわたしの感覚にどこかしっくりきません。日本の労働者は全員が熟練労働者になるチャンスが与えられています。結果として熟練工になる人とそうでない人に分かれるだけのことです。
 根室の水産加工工場で働いているお母さんたちあるいはお婆さんたちには、魚のさばきや型を選んで並べる技術の上手な人が多い。仕事をしている内に、スキルが上がってきます。職場自体が教育訓練の場になっているところが日本の工場の特徴です。工程改善もその多くが工場で働く人たちによってなされます。品質は熟練の技をもったおばちゃんたちに支えられています。そしてその技は、同じ工場で働く若い人たちに受け継がれていきます。だから、若い人たちがいないからといって中国人やベトナム人を雇用するのは考え物です。彼女たちは数年で帰国します。だれが、おばちゃんたちの熟練の技を受け継ぐのでしょう?品質管理が低下すれば、客は離れます。若い人たちが働きたくなるような処遇を水産加工場経営者がしなければならないのです。そこをないがしろにして、中国人やベトナム人に頼れば、一時しのぎにはなりますが、長期的に見たら品質を落とし、仕事がなくなります。ありていに言えば、淘汰されていくということ。経営改善がなされない地元企業の将来は危ういから、若い人たちが集まるわけもありません。
 ちゃんと経営改善すればいくらでも若くて優秀な人たちが集まってきます。退職金規程や経理規程などの諸規程を整備し、決算を公表し、予算制度を導入し、会社が10年先20年先にどうなっていくのか夢を語り、それを実現できる経営者が根室に育ってほしいと思います。

 建物でいうと、ドイツは石造りのがっしりした建物で、各部屋が壁で仕切られていますが、日本の建物は障子や襖(ふすま)で仕切られているだけで、それを外すとひとつの大きな部屋になるという具合です。ドイツの建物内の部屋は会話をしていても壁が石でできていれば隣の部屋に聞こえるということはなさそうです。
 『源氏物語』を読むと、衝立で仕切られているだけで、衝立の向こうの女房のところへ男が通ってきます。もちろん、衝立や襖の向こうでは何人かの女房たちがいて寝た振りをしているのでしょう。夜が明け切らない内に男は寝床を抜け出して家に戻り後朝(きぬぎぬ)の文を書いて、従者に持たせて女のもとへ届けさせます。そういうわけですから、襖で仕切ったって、音や声はまる聞こえです。お互い様。明治維新まではそういうことに日本人はとってもおおらかなんです。住宅の構造が性風俗にも影響していたのでしょう。お風呂も混浴が普通でした。話が脱線しているようです。(笑)
 日本の家屋には家と外の間に縁側というどちらともつかない空間があります。ドイツのがっちりした枠構造に対して、日本は内と外の区別さえあいまいな空間を含んだ柔軟な構造、あるいは開放構造をしています。内でも外でもない空間が大事な役割を演じています。そういうわけで、二分法は中間地帯が生活に組み込まれている日本ではなんとなく違和感が生じるのです。生活の場のさまざまなところに、ドイツ的なものと際立って異なる日本的なものを発見できるのではないでしょうか。生活様式や文化、価値観の違いが言葉のもつイメージに大きく影を落としています。

  話を不熟練工と熟練工に戻しますと、たとえば、大工の棟梁が弟子を5人採る、5年間の修業に耐えられる者は一人くらいなものです。残りの4人は修行が辛くて途中で投げ出し、一人前の職人にはなれません。その多くが職を変えるか半端職人で一生を終えるのです。
 弟子入りした者たちが五年間の修業という篩(ふるい)に掛けられて、半端職人と一人前の職人になります。そして一人前の職人が棟梁になるのにさらに篩がかけられ厳選されます。ドイツに比べて、日本はフィルターの目がずっと粗い、だから脱落する者がたくさんでます。技倆が一人前の職人になるのは数人に一人、さらに親方として仕事全体の管理をして、弟子を採って指導できる棟梁になるのは一人前の職人数人に一人です。
 寺や神社や家を建てるには大工仕事だけでなく、土木工事、屋根葺き、建具、左官などさまざまな専門職人を使って完璧な仕事をしなければならないのです。教えなければ仕事を覚えられない者は腕のよい棟梁にはなれません。
 だから、親方が手取り足取して弟子を育てるということはありません。弟子は親方のやる仕事を見て盗みます。バカ正直で努力を惜しまないだけでなく、仕事を見て盗むことができるほど頭がよくなくては棟梁にはなれないのです。親方の仕事を見て盗むことのできない者が親方の仕事を超えられるはずがありません。
  腕のよい宮大工の棟梁は、1300年前の木造建築の修理をするときに、解体しながら先人がどのような修復をしたのか、そして元々の建築をした棟梁がどのような仕事をしたのか、見ただけで推測でき、そしてそれを忠実に再現できます。専門知識ですら東大の建築学科の教授が到底及ばないものをもっています。
 西岡常一、小川三夫、塩野米松共著『木のいのち木のこころ』(草思社)をご覧ください。単行本では天・地・人の3冊になっていますが、文庫の方は1冊にまとめられています。小川三夫は法隆寺棟梁であった西岡常一の唯一の内弟子です。

 二分法がしっくり来ないのは、たとえば、神と悪魔、その間の存在として人間がいていいはずです。ヨーロッパでは物事を二分法で考える場合が多いように感じます。日本語ではこっちとそっちとあっち、これとそれとあれ、遠近観を三通りにわけて認識しますが、英語では here と there に二分します。ドイツ語では hier と da あるいは hier と dort です。hier(こっち) da(そっち) dort(あっち)、おや日本と同じ、三分法ですね。英語の over there はドイツ語では da drüben と dort drüben 、どちらもあるのです。指示詞のthisとthatはドイツ語ではどちらもdieserで、区別がありませんから、this boy と that boy はドイツ語ではどちらも dieser Junge 、一筋縄ではいかないところが面白いですね。女の子はドイツ語では中性名詞で das Mädchen といいます。
 物事の認識というものは言語によって異なりますから、どの言語で考えるかで対象の認識や言葉のイメージに差異が出るのは当然のことでしょう。

 ドイツ語版でウェーバーがどういう用語を選択しているかは、ドイツ語版を入手して確認しますが、ドイツにはマイスター制度があって、次のような段階が暗黙の前提になっています。議論はつねに前提条件が一番重要ですから、そこのところの確認をしておきたいと思います。学問研究というのはそういうところを疎(おろそ)かにしてはいけないのです。

 Lehring(徒弟)⇒Gesselle(職人)⇒Meister(親方あるいは名人)
  レーリング       ゲゼレ        マイスター
                       ⇒工場長や経営者層

(上の方はシェーマは手工業のものです。下段の矢印以下を追記しました。資本家的生産様式の工場ではGesselleの上層から、工場長や経営層が生まれます。資本家的生産様式での工場内にはMeisterは存在しません。ウェーバーが書いているのはそういうことです。当たり前ですね、社会制度として手工業ではMeister制度がありますが、資本家的生産様式での工場にはそのようなものはありませんから。
ドイツ製品が他国の製品よりも群を抜いて品質が高いのは、工場内にマイスターに匹敵するような高度な技術をもった者がいて、生産管理や品質管理を担っていたという事実を物語っています。だから、ドイツ資本主義を語る場合に、マイスターを育てる社会制度の存在は前提条件として押さえておく必要があります。英国、ドイツ、米国、日本はそれぞれ国民性、歴史、社会制度、価値観、工場労働者の質が異なります。・・・1月15日朝、追記)

 Lehringが徒弟ですから未熟練工、Gesseleは「徒弟奉公を済ませた職人」です。Geselleの内訳をみると、ブルーカラーが熟練労働者、ホワイトカラーは「専門従事者」と呼ばれています。通常、3-5年の修業期間が義務付けられています。学校制度もそれに応じたものになっており、週に2日間は職業学校で専門知識の勉強を2/3、一般教養を1/3の割合で勉強します。おおよそです。
 根室高校商業科で全商簿記1級合格者を、経営を経理という専門職で補佐する「専門従事者」くらいに考えたらいいのでしょう。そこから先は専門書を読んで知識を深めることと良質の実務経験を積むことが大切になります。経営改革を嫌う企業の多い根室で良質の実務経験を積むのはなかなかむずかしい。経営者の理解が必要です。

  熟練工には2通りのドイツ語が対応しています。
 Facharbeiter(m) ファッハアルバイター
 gelernter Arbeiter ゲレールンターアルバイター

 Arbeiterは「労働者」、Fachは「仕切られた空間」が原意で、「専門」を意味します。特定の専門分野の修業を積んだ労働者という意味でしょう。「特定の専門分野」というところにウェイトがある言葉です。
 gelernteは 動詞 lehren の過去分詞形で形容詞です、英語ではlearn。名詞形の Lehre(f)には「年季奉公」の意味がありますから、「きっちり修業を積んだ」というところに焦点をあてた用語です。修業を積んだ一人前の職人という意味。

 Arbeit(f)は名詞ですが、①(肉体的・精神的)労働;作業;研究、②労苦;ほねおり、③仕事、課業などの意味があります。西ヨーロッパの「労働」概念は、苦役であり、それからの解放こそが究極の目標です。そうした意味では、労働しないブルジョワになることが目標となるのでしょう。
  人工知能の進化はそう遠くない未来に人類全体が労働から解放される日を実現します。別の面から見ると、人類総失業時代の到来です。ありがたくないですね。
 日本人の感覚では仕事は歓びであり、仕事から解放(≒スポイル)されるのは幸せを失うことです。日本人は人工知能と自分たちがする仕事の棲み分けをつけることになるのでしょう、どこかでその辺りも議論することになります。自動化、機械化への指向性が米国ともドイツとも違うのだと思います。その点からは21世紀の製造業の覇権は米国にはありません。

 1/3のテレビニュースでは量子コンピュータが実現しそうです。東大の古沢教授が「量子テレポーテーション」現象を無制限に作り出す技術の開発に成功したそうです。仮に現在のコンピュータの計算速度の10^6倍の量子コンピュータが開発できたとすると、どのような人工知能が生まれるかわたしには想像もつきません。とにかく現在の人工知能とは比較にならない「超人工知能=神」がそれほど遠くない将来に現れそうです。こんなものが出現したら人類に未来はありません。
 テレビで見た限りでは「大きな装置」で小型化と高集積化が課題です。SAOのフラクトライトのように一辺が5cmの立方体に小型化するのは夢のまた夢。今後30年間はありそうもない話ですが、その次の30年の進化は人間の予測の範囲を超えていますから、判断を保留します。予測を超えているということは何が起きても不思議ではないということです。
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*『ソードアートオンライン18 アリシゼーション・ラスティング』では、仮想空間で生まれたフラクトライト(命=記憶)のアリスが、リアル空間で人型ロボットという身体を獲得します。塾生のおススメで全巻読んでいます。漫画の本と同じくらい面白い。中高の大事な時期をこんな貧弱な語彙の読書で終わらないでもらいたい。アニメのノベライゼーションものは「離乳食」レベルだから、強い顎を鍛えることはできません。東野圭吾の小説はしっかりした構成のものが多いし、実社会の描写が現実的、具体的でよくできたものが多いのですが、語彙に関しては少ない。語彙の豊富なテクスト、哲学的な思索を含んだもっともっと硬いものにチャレンジして、顎を鍛えましょう。強い顎を造り上げたら、それで一生涯、硬いものをものともせずにバリバリ噛み砕いて胃袋に放り込めます。中高生は「顎を鍛える時代」なのです。ジャンルを問わぬ濫読こそがふさわしい。
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 さて、訳者の大塚久雄先生は未熟練工ではなく「不熟練工」という用語を選択していますが、もとになっている用語は、ungerelnter Arbeiter ではないかと思います。否定辞の'un'がついていますから、年季が明けていない徒弟を指す用語でしょう。だとすると、不熟練工は適訳ではありません。米国の労働者を頭の中にイメージしていたとすれば「不熟練工」が適訳になりますが、ドイツのungerelnter Arbeiter をイメージしていたとしたら、「未熟練工」とすべきでしょう。ウェーバーがどちらの現実をイメージしてこの用語を使っていたかは文脈から判断するしかなさそうです。熟練労働、熟練工、不熟練労働、不熟練工などの用語にマーキングしながら読み通してみます。日本で職人主義経済社会を展望する際に、この辺りの整理がキーポイントになりそうです。米国とはまるで違う現実が、そしてドイツとは近いけれども心のありようが異なる所以(ゆえん)が見えてくるはず。

 1908年に大衆車であるT型フォードが発売され、米国自動車産業が急激な成長を見せている1910年代にウェーバーは『プロ倫』を書いています。だから、プロティスタントについても、英国と米国のクエイカー教徒、オランダやドイツのメノナイト、フランスのカルヴァニストなどさまざまなプロティスタント宗派に話が飛びます。それらと工場労働者を結びつけて論じているのですが、米国にはマイスター制度がありません。1863年に南部農場の奴隷解放がなされて50年がたち、奴隷は住む場所を失い北部へ移住して、低賃金の「不熟練」工場労働者となっています。

 だから、熟練工や不熟練工という用語のもつ意味がドイツと米国では違っています。その国の歴史や価値観、伝統、風土、教育制度を抜きにしては語れないのです。それらは、21世紀の企業のマネジメントスタイルにも影響しています。

 日本にも徒弟制度はあります。刀鍛冶、陶器職人、大工、建具職人、左官、料理人、能、狂言、家具職人、和弓製作職人、弓矢の職人、どれくらいの分野に徒弟制度が残っているのか数え上げたらきりがないほどあるのでしょう。徒弟制度のない職人も数限りなくありそうです。新幹線の清掃や空港のトイレや床の清掃などの新たな職種にも「名人」といってよいほどの技倆の持ち主が生まれています。日本という国では、新たな職種で職人が次々に生まれ続けるのでしょう。最近テレビで、八女市の線香職人、注文彫刻刀制作職人を見ました。特段に優れた製品は腕のよい職人の手になるものが多いのです。
 日本人の職人は技術を極める志向性が強いのですが、それも由来すなわち歴史や文化、日本の風土に根ざしています。
 柳宗悦『手仕事の日本』(岩波文庫)には日本各地に残る美しい手仕事が紹介されています。

 未熟練工は定められた修業を済ませることで熟練工へ変わる契機を含んでいますが、不熟練は「不作不熟」という言葉にもあるように、もうダメ、時間がたっても熟さないという含意があります。1910年代の米国黒人労働者を彷彿とさせる用語です。ドイツの現実でも、マイスターの下で修業しなければ熟練工にはなれませんから、その教育制度の外側にいる人たちは、不熟練工かその予備軍です。日本の工場労働者は、だれでもが熟練工になれます。徒弟制度の職人仕事はそれよりも篩が粗く、厳しい。こういう具合に、熟練工、未熟練工、不熟練工という言葉は米国とドイツと日本ではそれぞれ含意が異なります。
 同じ職人を育てる教育制度でも、日本の徒弟制度のほうがドイツよりもずっと厳しい。刃物の切れ味の違いに現れています。刃物の切れ味が仕事の出来映えを決めるのは、大工仕事だけではなく、料理も木彫りの彫刻もそうです。職人の育て方にも、天職に対する考え方にも違いが出ます。おいおい書いていくことになるのでしょう。

 「林」という言葉があります。根室に住んでいるわたしは、ミズナラや白樺の林をイメージします、そこには杉の木は一本もありません、本州東北部にある北上山地に住んでいる人たちがイメージするのは豊かなブナ林でしょう。それは良質な水源もイメージさせます。関東地方に住んでいる人たちは杉林と春の杉花粉をイメージします。

 こういうことが経済学の議論でも起きることを考慮に入れながら、四月からゆっくり対話していきます。受験勉強とは趣の異なるネット上での共同研究をお楽しみください。


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コメント 8

tsuguo-kodera

 明けました。(笑)生きているのが不思議です。エビス先生がお元気そうで嬉しく思いました。
 西岡先生ですか。素晴らしい。木に学べ。
 私は園児と学童とアホと犬達に教えられたようです。お蔭かどうかわかりませんが、生き返りました。弘法大師か閻魔様か分かりませんが、娑婆に追い返されたからかも。本当ですよ。(笑)
 おまけの人生を楽しめます。
by tsuguo-kodera (2017-01-11 04:29) 

後志のおじさん

昨晩いろいろ「読み方」の違いに関して下書きをしたのですが、TUGさんという方の言を借りれば「本論とは何の関係もない」コメントが入りましたのでコメントは控えさせていただきます。




by 後志のおじさん (2017-01-11 08:32) 

ebisu

tsuguo-koderaさん

心配していました。
コメントがあるだけでグッドニュースです。
おめでとうございますと言ってよさそうですね。(笑)


by ebisu (2017-01-11 09:10) 

ebisu

後志のおじさん

早速、読みの違いの下書きをしてくれたのですか、ありがたい。アップしてくれたらじっくり読んで考えます。
「天職」を含めて、ドイツと日本、重要な論点がたくさんありそうです。
by ebisu (2017-01-11 09:17) 

後志のおじさん

自分の論や観点を前提にしてプロ倫を読むのではなく、

Weber の主張とその根拠である歴史上の事実を確認する。

くらいにして頂けませんか?

私は、経済専攻ではありませんので経済理論に立ち入られたならコメントのやりようがありません。


あと、恐縮ですが、もっとゆっくり読みませんか?
マイスターに関して明らかな読み落としがあります。


by 後志のおじさん (2017-01-13 22:45) 

ebisu

後志のおじさん

「読む」のは四月からのつもりです。
読み始めたら、気になるところが出てきたので、メモのつもりでアップしました。わたしの問題関心がどの辺りにあるのか書きとめておきたかったからです。
それは、ワードに書き溜めておきます。

経済理論はともかくとして、概念については立ち入らざるをえません。ウェーバーがArbeitという概念やBerufという概念で何を視野に入れていたのか、日本人のわたしたちがウェーバーに即して理解するためには概念の整理も必要な作業と考えているからです。
ウェーバー自身もBerufについては聖書にさかのぼって書誌学的な検討を詳細にやっています。ドイツ語のBerufと日本語の「天職」にどのような相違があるのかはそれぞれの宗教に絡むことですから、宗教の違いについても言及せざるをえません。

そうは言っても、英英辞典と漢和辞典を引いて書く程度のことですので、「労働」や「仕事」のような重要な用語については解説しながら対比させてください。とっても面白いのです。

「マイスターに関して明らかな読み落とし」があれば、大事なところですから、該当箇所をお知らせください。読み直します。

雇職人(Geselle)が工場労働者になると、上層の熟練労働者になるか、工場経営の幹部になるという道に一部の者が進むのであって、工場労働者にマイスターへの道はないというのが、ウェーバーに即した読み方でしょう。

ウェーバーは「上層の熟練労働者」と書いています。制度としてのマイスターと工場労働者の「上層の熟練労働者」には技倆上の差異がないと思います。製品の品質を高めているのはそうした「上層の熟練労働者」の存在です。そこがドイツと日本の事情はよく似ています。米国とは際立った差異です。

ウェーバーの主張をそれ自体として理解し、さらに現代に引き寄せて考えてみたいのです。

そうは言っても、二人でやるのですから、後志のおじさんの提案も肯けます。

>Weber の主張とその根拠である歴史上の事実を確認する。

これで行きましょうか。
by ebisu (2017-01-14 09:31) 

後志のおじさん

岩波文庫版は買えました。今90ページあたりをゆっくり読んでいます。

マイスター制度については、後日改めてposting しますが、

キリスト教関連の細かな知識、羅列しておきます。

カルヴァン派の国別の呼称
イングランド、ピューリタン(清教徒)。
スコットランド、プレスビテリアン(長老派)。
フランス、ユグノー。
オランダ(=ネーデルラント)、ゴイセン。

イエズス会
宗教改革をみての、カトリック内での改革グループ。

トマス(P. 83 l.4)
トマス・アクィナス13世紀の神学者、哲学者。

ご参考まで。
by 後志のおじさん (2017-01-17 20:22) 

ebisu

カルヴァン派だけで、地域別に4つのグループですか。
ドイツがありませんが、ルッター派という括りでいいのでしょうか?
ノックス、フーットの4人を「古プロティスタンティズム」とウェーバーは33ページに書いています。
『ドイツ宗教改革』という本を昔読んたはずですが、内容をまったく憶えていません。

「英国や北米でクエイカーが」「ドイツとオランダではメノナイトが」と書いていますが、プロティスタントの信団はさまざまあるようです。敬虔派というのも役割が大きいと書いています。

プロティスタントの信団が錯綜していて、なんだか方角のわからない森に迷い込んだ気分です。

少しずつ解きほぐしていただけるとありがたい。
by ebisu (2017-01-18 01:16) 

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