中学校は11月末に期末テストを実施しているが、数学は難易度を下げた問題が多い。学力テストだって全国最低の難易度なのにそれよりもすっとやさしいのだからお話にならない。定期テストでは2学期期末試験には複合問題をいくつか出題すべきだ。
 数値で検証するのはあたりまえ、難易度の低さは平均点の高さになって現れるので、得点通知表が出たら紹介したい。

 小学6年生の算数は授業の難易度が上がった。教科書が変ったからなのだろうが、比例式を教えるようになった。それだけではない、文字xを使っている。東京の進学塾では普通に教えていた比例式を小学6年生の授業で教える先生は昨年まではいなかったように思う。中学校になっても比例は出てくるから、比例を扱う小学校でも比例式をきちんと教えておいたほうがいいが、ようやくそうなった。上位三分の一はきちんと理解できる。成績下位層には放課後補習で何度か教えてやればいい。団塊世代が小学生の頃は小学校ではブカツがなかったから、担任の先生がつまづく生徒がいたら、「わからない者は残れ!」と放課後付き合ってくれた。おちこぼれを出さぬように、昔の先生たちはやるべきことをまっすぐにやっていた。団塊世代が小学生のころのことだから、戦後教育の理想(幻想?)に燃えていたのだろう。いい時代に小学生だった。

 なぜ難易度にこだわるのかを書いておかねばならない。何度も何度も繰り返し書いているのだが、難易度の高い問題に取り組むことで脳が変化を起こす。やさしい問題ばかりやらせていたら、脳が未発達のまま「脳の成長期」を通り過ぎてしまうことになる。生徒の一生を考えたら、難易度の低い問題をやらせ続けて、充分な脳の発達を阻害することは罪だろう。成長期にふさわしい脳の発達を促すためにも、難易度の高い問題にとりくませて、脳をうんと使わせることが大事なのである。
 脳と筋肉は似ているところがある。適度に使えば筋肉も脳も発達するし、適度に使ってやらなかったら筋肉も脳も衰えるのである


 ブログ「情熱空間」が定期試験の難易度をとりあげているので紹介する。
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6961888.html
=============================

2013年11月29日

学習内容は難化、しかし試験は易しいまま?

脱ゆとり。学習指導要領が改訂され、他都府県ではこうした現象が生じています。定期試験の難易度が上がった。その結果、平均点がかなり下がった。授業のスピードが速くなった。(以上は、全国各地の同業による報告です)中学校が新学習指導要領へと切り替わった際、そういったことが報告されました。ところが北海道では、道内他地域のことは詳しくは知りません(とは言え、釧路・根室と同様でしょう)が、少なくともここ釧路・根室ではそうした声は聞こえてきません。定期試験は相変わらず易しいまま。

ゆとり教育でやたらに簡単になった学習内容。現在は、それがほぼ昔に戻ったわけです。実際、教科書の内容を吟味してみると、20年前・15年前とほとんど変わらずといったものです。学習指導内容自体は昔に戻った。つまり難易度が上がった。しかし、肝心の定期試験の問題は相変わらず易しいまま。本来ならばグンと難易度が上がるはずのものが。繰り返します。他府県では新学習指導要領に切り替わると同時に、定期試験の平均点が数学あたりでは実に20点程度下がったという報告が多くある中、この地では何も変わらず…。考えてみれば、そのこと自体が異常なのですが。

子どもの学習指導に関して、何もかもがすっかり緩みきってしまったことに加え、ゆとり教育を受けた世代が教員になった影響もまた大きい。私はそう睨んでいます。平成14年度から、例の「学習内容3割削減!」と物議をかもした、ゆとり末期の最悪の学習指導要領に切り替わりました。その際、とんでもないことが起きる!と予言しました(まさしくその通りになってしまいました…)が、それでもここにまでは考えが及びませんでした。ゆとり教育を受けた世代が、教員になり塾講師になるということに。

例えば中学理科。中学時代にイオンを学んでいない者が中学理科教員(塾の理科講師)になる。例えば中学社会科。旧教程での地域ごとの地理の学習を学んでいない者が中学教員(塾講師)になる。そうした事態が起きています。昔の地理は、例えば北海道、東北、アメリカ、ヨーロッパなどと「地域ごと」に学んだわけですが、ゆとり教育を受けた世代は、農業、運輸・交通といったように「テーマごと」に学んだのです。その結果、地理が苦手な中学社会科教員(塾の社会科講師)を量産することになってしまいました。(この意味、中学校社会科教員のみなさんにはよくお分かりいただけることと思います。教科書を教えられても受験指導はできない。高い確率でそうなってしまっていますから)

無論、本人のせいではありません。あのゆとり教育のせいに他なりません。学習指導力に年齢の差はないと私は思っています。ゆとり教育を受けた世代だからといって、自身が小中学校で習わなかったことを指導することになったにせよ、教える者としてそれを学べば良いだけですから。だから、何ら引け目を感じる必要もありません。気になるのは、学習指導内容ではなくその指導方法です。親や同僚から見て明らかに少ない宿題を「適量」だと判断する。我々から見て明らかに足りていない演習量をもって「適量」とする。そうした傾向を否定できないといった部分についてです。

塾においても、そうした傾向が認められます。現在の学習指導内容を10としたならば、当時のそれは7とか8ですから、若い講師の「適量」の基準が、現在の基準から見たら「適量」ではない。「普通」の基準が、現在の基準から見たら「普通」ではない。つまり、自分の基準がマイナスの方向へずれている可能性が高いということです。学習指導然り、演習量然り、勉強量然り、宿題の量然り、家庭学習時間然りです。(当然ウチは教室長以下、その基準のすり合わせに力を入れています)

しかし、今までお会いした学校管理職の方々によると、「今の若い先生は優秀だ」となります。正直、不思議でなりません。塾の場合だと認識は一般的に反対ですから…。そろそろまとめを。若い教員にこそ、今までよりも高い基準をもって基準とするように指導して育てるべきものでしょう。脱ゆとり。他都府県ではとっくにそうなっています。ところが北海道だけはいつまで経っても引き続き、ゆとりの中にあるようです。脱ゆとりの急先鋒は、心ならずもそのゆとり教育を受けた世代こそ。そう思います。

そうそう、本当に言いたいのはこれです。定期試験の難易度を上げましょう。もう時代はゆとりじゃないんですよ。学習指導要領に従って授業をし、そして「まっとうな出題」ををしたならば、あんな易しい問題ばかりの出題になんかなりっこないよ。平均点を気にして、そこに合わせようとするから、基準を下に下げようとするから、だから子ども達の学力もまた下がっちゃうんだよ。「まっとうな出題」をしましょうよ。とんでもない結果になるのは火を見るよりも明らかだけど、だからこそお互いに(生徒も教員も)尻に火がついて本気になるってものだよ。「まっとうな出題」をお願いします。
=============================



にほんブログ村