日本の人口は2007年から死亡数が出生数を上回り減少に転じたが、根室の人口はいつから減り始めたのか?その「転機」の瞬間をご覧いただきたい。そして推理してもらいたい、その辺りでなにがあったのかを。
【根室市の人口データ】 | ||||
人口 | 対前年増減数 | %CH | ||
1957年 | 36,813 | |||
1958年 | 37,611 | 798 | 2.17 | |
1959年 | 39,629 | 2,018 | 5.37 | |
1960年 | 41,569 | 1,940 | 4.90 | |
1961年 | 43,307 | 1,738 | 4.18 | |
1962年 | 44,912 | 1,605 | 3.71 | |
1963年 | 46,751 | 1,839 | 4.09 | |
1964年 | 48,629 | 1,878 | 4.02 | |
1965年 | 49,446 | 817 | 1.68 | |
1966年 | 49,896 | 450 | 0.91 | |
1967年 | 49,641 | -255 | -0.51 | |
1968年 | 49,892 | 251 | 0.51 | |
1969年 | 47,696 | -2,196 | -4.40 | |
1970年 | 45,172 | -2,524 | -5.29 | |
1971年 | 44,515 | -657 | -1.45 | |
1972年 | 44,707 | 192 | 0.43 | |
1973年 | 44,856 | 149 | 0.33 | |
1974年 | 44,985 | 129 | 0.29 | |
1975年 | 44,763 | -222 | -0.49 | |
1976年 | 44,688 | -75 | -0.17 | |
1977年 | 44,291 | -397 | -0.89 | |
1978年 | 44,073 | -218 | -0.49 | |
1979年 | 43,766 | -307 | -0.70 | |
1980年 | 43,449 | -317 | -0.72 | |
1981年 | 43,133 | -316 | -0.73 | |
1982年 | 42,549 | -584 | -1.35 | |
1983年 | 42,266 | -283 | -0.67 | |
1984年 | 41,814 | -452 | -1.07 | |
1985年 | 41,317 | -497 | -1.19 | |
1986年 | 40,444 | -873 | -2.11 | |
1987年 | 39,541 | -903 | -2.23 | |
1988年 | 39,010 | -531 | -1.34 | |
1989年 | 38,335 | -675 | -1.73 | |
1990年 | 37,856 | -479 | -1.25 | |
1991年 | 37,250 | -606 | -1.60 | |
1992年 | 36,799 | -451 | -1.21 | |
1993年 | 36,447 | -352 | -0.96 | |
1994年 | 36,041 | -406 | -1.11 | |
1995年 | 35,560 | -481 | -1.33 | |
1996年 | 35,217 | -343 | -0.96 | |
1997年 | 34,835 | -382 | -1.08 | |
1998年 | 34,534 | -301 | -0.86 | |
1999年 | 34,183 | -351 | -1.02 | |
2000年 | 33,859 | -324 | -0.95 | |
2001年 | 33,488 | -371 | -1.10 | |
2002年 | 33,028 | -460 | -1.37 | |
2003年 | 32,668 | -360 | -1.09 | |
2004年 | 32,266 | -402 | -1.23 | |
2005年 | 31,771 | -495 | -1.53 | |
2006年 | 31,381 | -390 | -1.23 | |
2007年 | 30,881 | -500 | -1.59 | |
2008年 | 30,469 | -412 | -1.33 | |
2009年 | 30,081 | -388 | -1.27 | |
2010年 | 29,596 | -485 | -1.61 | |
2011年 | 29,139 | -457 | -1.54 | |
2012年 | 29,015 | -124 | -0.43 | |
【推計データ】 | ||||
2010年 | 29,201 | 国勢調査データ | ||
2015年 | 27,203 | 推計値 | -1.37 | |
2020年 | 25,390 | 〃 | -1.33 | |
2025年 | 23,494 | 〃 | -1.49 | |
2030年 | 21,571 | 〃 | -1.64 | |
2035年 | 19,697 | 〃 | -1.74 | |
2040年 | 17,892 | 〃 | -1.83 | |
年平均変化率 |
1967年にはじめてマイナスになっています。この年は昭和42年でebisuたち団塊世代が高校を卒業した年に当たります。
根室高校卒業生は350名、中学校の同期は根室市内合計でおおよそ1000名でした。根室中学が名称を変えて光洋中学校と柏陵中学校に分かれたのはその6年前の1961年で、光洋中学校は1学年10クラス、550名、3学年あわせて1500名の大規模校でした。
(根室中学が光洋中学校と柏陵中学校へ分裂したのですが、2年間根室中学で最後の一年間は光洋中学生だった2学年上の先輩たちは11クラス560人だったそうです。)
1959(昭和34)年から1964(昭和39)年(東京オリンピック)までは1738~2018人の人口増加を毎年繰り返していました。「高度成長期」の根室がありました。1966年までは人口増加が続いていましたが、'65年は増加が817人、'66年は450人と急激に落ち込んでいます。団塊世代が高校を卒業して根室に就職がなくて全国各地へ散っていったのでしょう。
'75年からは38年間連続して人口減少が続いています。'76年には道内最大の水産缶詰会社である日本合同缶詰が倒産しています。根室の老舗の缶詰会社でした。金比羅さんのお祭りにもたくさんの若い女工さんや元気のいい男工さんが参加していました。あのころは金棒の音がきれいにそろっていましたね。富良野に野菜や果物の缶詰工場を開設してうまく軌道に乗せることができなかったようです。根室の4工場には約800名の女工さんたちが道内や青森県から出稼ぎに来ていましたが、倒産の十数年くらい前から集めるのが困難になっていました。条件のよい働き口が他にできて根室の水産加工場は道内から「出稼ぎ」を集める力を失っていったのです。いま働いている人を大事にする、そういう感覚が根室の企業には昔も今も希薄です。加工品質を上げるためには、地元採用の人間を大事に育てることが条件の一つでしょう。それが経営者の能力というものです。
団塊世代のころは高卒で就職する人が大半でした。専門学校への進学も少なかった。このころようやく札幌に電子関係の専門学校ができはじめました。大学進学率は同期1000名のうち40~50人くらい?大学の定員は40万人ほどでしたが、「定員オーバ」が当たり前の時代でした、定員割れしているいまとは事情がまるで違いますね。
高度成長期に入って景気がよくなり、経済的に大学進学させられる家庭が増えていきました。ebisuもそうした幸運に恵まれた家庭の一つでした。両親が一生懸命に働いて進学させてくれました。もちろん私は中学・高校の6年間は毎日3時間ほど家業を手伝っていました。家業を手伝うのは当たり前のことでした。
町には高卒の優秀な者たちが多かった時代です。中卒で働く人たちが3割くらいいました、この中にも学力の高い者たちが含まれていました。現在に比べると日本全体が貧しかったので、経済問題で進学がままならなかったのです。しかし、将来には希望の光が見えていました。一生懸命に働けば何とかなる時代でした。
私たちが子供のころは戦後まもなくで物資が不足していました、物も少なかったし好きな物が買ってもらえる時代ではありませんでしたから、辛抱力や我慢力はみな鍛えられて育ちました。だから社会へ出てもガマンができました。
近頃の生徒達を見ていると、辛抱したことがない者が増えています。社会人となってもやっていけないだろうなと考えざるをえない者が4人に1人はいそうです。親は子どもを甘やかしてはいけません、爺さん婆さんも孫をあまやかしてはいけません。甘やかして育てると、辛抱力のない人間になって社会人としてやっていくときにたいへんな苦労を背負い込みます。かわいそうではありませんか。
話しは飛びますが、団塊世代の頃は東京へ進学しても住民票は写さないのが普通だったのではないでしょうか。ふるさとへの帰属意識が強かったのかもしれません。当時は米が配給制で、米穀通帳がないとお米の買えない時代でした。わたしも根室から米穀通帳を分筆してもらって送ってもらい、それで米を買いました。就職するときには住民票の提出が必要ですから、そのときに住民票を移した記憶があります。専門学校へ進学した者たちは2年で卒業すると同時に住民票を移したのでしょう。人口増から人口減へと転じた辺りには、住民票の移動にそういう事情があったことを加味する必要があります。まもなくお米は自由化されて自主流通米が出始めました。米穀通帳ナシにお米が買える時代が到来したのです。ようやく戦時体制が終わりました。
根室の町が人口減少へ転じた辺りの話しはこれで終わりで、将来推計にかかわる話しを少ししておきます。
2040年には根室市内の学校全部をあわせても1学年約100名に縮まってしまいます。団塊世代に比べると10分の1のサイズです。27年後には保育所も幼稚園も小学校も中学校も高校も半分以下で充分です。7年後を考えても三つに一つは不要になります。空き家となる建物は約4割、土地は買い手がつかぬほど安くなるのかもしれませんね。
2040年の根室の人口は推計によれば17,892人ですから、最大値の3分の1強。子ども達は10分の1、これでは2040年以後もまだまだ人口減が続くということになりそうです。
魅力的な地元企業を育てて、若い人たちの流出を食い止めないといけませんね。それにはダメな地元企業がつぶれ、優良な地元企業が残る、そして有能な起業家たちが輩出し切磋琢磨するような風土をつくりあげること。基礎学力がしっかりしていることは最低条件ですね。仕事に必要な本も読めないようではお話しになりません。
2003年からの10年間を見ると、人口減が400人を超えたのが6回あります。その前の10年間は400人を超えたのは3回です。根室の人口減少はこの10年間は加速しています。
根室の未来はいま私たちが何をするかで決まります、あなたはどういう役割を担いますか?
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*#1555 根室の人口減少とビジョン:縮小を前提にビジョンを作ろう
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-06-15
#1901 根室市の人口2.9万人割る
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-11
#2247 根室市予算案をチェックする(6): 補助9億円「高すぎる」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-19
#2270 人口減少の衝撃: 2040年の日本の人口は1億727万人:"Japan's depopulation time bomb"
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-22
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2020年11月21日追記
平成30年に社会保障人口問題研究所から新たな推計値が発表されています。それによれば前回推計よりも2040年の根室の人口は2702人低いものになっています。前回推計値が甘かったということです。根室の人口は加速的に減少するということ。
2015年 | 26917 |
2020年 | 24461 |
2025年 | 22005 |
2030年 | 19610 |
2035年 | 17330 |
2040年 | 15190 |
2045年 | 13210 |