私は4年半前に40日ほど消化器外科と内科、循環器内科と外科のある釧路の専門病院に入院していたことがある。事情はカテゴリー「C」に書きかけて中断している。
 あるときデイルームの自販機の陰の椅子に座って隠れるようにアンパンを食べている女性の患者さんをみかけた。「あれ、いいの?」と声をかけたら照れくさそうに笑って「とめられているの」。その後何度か見かけたが、みて見ぬふりをした。その人は個室に入院している50前後の患者さんだったが、2週間ほどして朝、搬送用ベッドで点滴されながら釧路市立病院へ緊急搬送された。病気を甘く考えていたのだろうか?個室でなければ、あるいはそういう状態にはならなかったのかもしれない。同病の患者さんたちがまわりにいれば、教えてもらえることは多い。わたしは同室の患者さんや別の病室の患者さんたちに自分がどうなるのか教えてもらった。同病の先輩諸氏の話に勇気付けられた。個室だとそういう有益な情報ははいらない。建て替えられる市立病院には個室が多すぎることがちょっと気になる。入院したことのある患者の意見をどれほど聞いたのだろうか?

 医者の言うことを聞かない患者はいる、そして病気は確実に悪化する。セルフコントロールできない中年の患者さんを思い出しながら、毎日向き合っている生徒たちが将来病気で入院したは10人のうち半分我慢できるだろうかと心配になる。それほど「我慢」というトレーニングができていない子どもたちが増えている。親は子供に不自由をさせ、我慢・辛抱を躾けておくべきだ。その躾が将来あなたの子供を救うことになる。
 もう一人の同室だった患者さんのことを書こう。医者は膵臓癌だと宣告していないが、同じ病室の私にはあきらかに膵臓癌だと分かる患者さんがいた。病院内では禁煙になっているので、建物を出て隠れてタバコを吸っていた。習慣はやめられないのである。膵臓癌は多くの場合手遅れとなる。昔、あるメーカの膵臓癌の検査試薬開発に検査会社側の開発部スタッフとしてちょっとだけタッチしたことがある。その検査は「死のマーカー」と呼ばれていたから、その患者さんの場合はしかたがないな、そう思ってみていた。可哀そうで何も言えなかった。「とくに治療はないんだよな、入院しているだけだ」って一度だけつぶやいたことがあった。翼をもがれた鳥のようで可哀そうだった。夏だったから、時々玄関からでたところの日陰にしゃがみこんでタバコを吸っていた。あまりおいしそうには見えなかった。健康と美味しい空気の両方があってこそタバコは美味いもの。

 ここまではわたしの入院患者としての観察と想いである。医者の側はどのように観て、どのように感じているのだろう。今回も貴重なコメント、「医心伝信」4回目である。医者と患者のコミュニケーションと想って読んでいただけるとありがたい。


「M3.com」
So-Netが経営するm3ドットコムと呼ばれる医療専門のサイトが有ります。その中の一部は「医師限定コンテンツ」として一応医師でないとアクセスできないことに成っていますが、実際にはかなり多くの医師以外の方が見に来ているようです。その「医師限定コンテンツ」の中で最も有名なのが「Doctors Community」と言う掲示板でしょう。ここはm3に登録している医師なら適当なハンドル(一人が10個まで登録できる)で好きなことが書き込めます。また誰かの書き込みに対して「閲覧数」「賛成数」「反対数」「不適切」の感想(判定)も表せます。

大抵の場合元ネタは主に医療関係の新聞の報道記事(毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、共同通信etc)で、その内容に対する井戸端会議ですが、やはり医療現場を殆ど知らない(勉強していない)記者が書いた記事ばかりなので、しばしばそのことが俎板に乗り非難が浴びせられます。
特に最近多発している各地の医療訴訟の裁判官の判決には殆どの医師がキレています。何故なら医師の側から見て明らかにミスではなくよく起きる合併症のトラブルが多いのに、医療に不案内な裁判官は医師や病院のせいにします。そして患者さんの立場も顧みず高額な賠償金の判決。しかし一番医師達が怒っているのは、どんなミスジャッジをしても謝りさえしない裁判官が、生意気にも医師に対しては容赦なく結果論で弾圧している事です。そしてそのような訴訟を煽る弁護士の存在も無視できません。特にこれからはロースクールで量産される弁護士の食い扶持を維持するためにどんどん訴訟が増えるでしょう。
もしこのような風潮がエスカレートして行けば、いずれ医師側は自衛のために萎縮医療の方向を目指すかも知れません。今でも現場では、患者さんに何かの手術や処置、検査、強い薬物投与などに際しては本当に膨大な書類が用意されます。医師は全てを説明する時間などありませんから、後は渡された説明や承諾の書類を患者さんや家族が全て目を通してお互いが署名するのが普通です。しかし実際に何かの合併症が起きてしまい、その結果が悲惨なことになってしまった場合、やはり家族が医師や病院を訴える可能性は十分にあります。そして結果は、医療側に対して「患者側に十分な説明がなかった。手術の合併症で死亡する可能性について触れなかった」・・・
もし貴方がこれから手術を受けようかと言う時に、「貴方は手術で死ぬこともあり得る」などと言われたらどうされますか?しかし裁判になれば、そのことが取沙汰されてしまいます。
実際こんな話を聞いたことが有ります。血液透析を受けている慢性腎不全の患者さんは、最初のうちは尿が出ているから良いのですが、次第に尿量が減って来るとその分の体重増加を来します。それぞれの患者さんには自身の基準体重が決められていますので増加分は透析の際に除水しなければなりません。しかしそれには安全な除水範囲があり、それは大体基準体重の3%~5%と言われています。つまり50キロの方なら体重増加の許容範囲は1.5~2.5キロ程度です。それ以上の体重増加を短時間(大体4時間位)で処理しようとすると血圧低下や頭痛、足のツリなどの合併症が出やすくなります。結局一回の透析で安全に除水できる量は限られますから、かなりの体重増加で来院されるとどうしても未処理の水分が残ります。そしてその悪循環が続くとやがて肺に水が貯まる肺水腫の状態に至ります。この状態は呼吸困難を招き心臓も肥大し(心不全)、治療方法やタイミングを誤ると患者さんが死亡することに繋がります。ですからどこの透析室でも医師や看護師、臨床工学士などのスタッフは事あることに「余分な水分は摂らない」「体重は増やさない」ことを患者さんの耳が痛くなる程注意(指導)します。しかし残念なことに、どこのクリニックにも豪傑!(無理解な患者)は居るもので、クリニック側の説得にも応ぜず豪快!に体重を増やし、遂に不可逆性の肺水腫に陥りとうとう亡くなった方がいます。今流行の言葉で言えば「自己責任」、つまり自業自得です。しかしその方の娘さんが「病院の管理が悪いからお父さんが死んだ」と病院を訴えました。そして判決は原告側の勝訴。何故なら、「病院は患者が命を託して来ているのだから、それに応えて患者を説得する義務がある!」
のだそうです。それに対し病院側は「もう気が遠く成る程毎日注意していた」と反論しても、「では何故患者が受け入れるまで説得を続けなかったのだ」・・・。
もう今や医療機関は完全な弱者です。診療費不払いの患者さんに料金を請求すれば「病院に来るような弱い人間を苛める!」と何故かマスコミに叩かれます。今やどこの地方自治体でも悪質な税金の滞納は銀行に連絡して口座から強制徴収しています。食堂でラーメンを食べて料金を払わなければ無銭飲食で捕まりますね。しかし医療機関相手だけは何をしても大手を振って通れます。救急車の使い方が可笑しいと無用な使用に5000円程度の料金徴収を考える自治体は数多ですが、実際に施行できている所はほんの一握りです。また夜間外来に押し掛ける患者さんに対して別料金を徴収する病院もあまり有りません。勿論皆考えてはいても、何故か医療関係がその方向で動こうとすると必ず「待った!」が掛ります。

ではこちらの(善意の)意向に従ってくれない患者さんは医療機関としてどうすれば良いのか。答えは意外に簡単です。そうです。診なければ良いんです。最初から関わらなければ良いんです。先日「機内でのドクターコール」のテーマで書きましたが、手を出せばどんなに頑張っても結果が悪ければ訴えられる。しかし診なければ(少なくとも)訴えられない。医師としての忸怩たる思いは有るだろうが・・・ですね。

M3の医師の掲示板には、何時もこのような医師側の自嘲やマスコミ、裁判官、弁護士への怒りなどが渦巻いています。

by 医療四方山裏話 (2011-02-19 23:47)



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