昨日の授業のことだ、生徒が質問した。
「先生、同意表現と書いてある、これ全部同じですか?」
学校で使っている文法テキストのフォレストのある箇所を指差している。
「同意表現?どういう意味で使っているんだ、どれ見せてみな」
  同意表現という用語を知らなかった。agree?なんて見当違いの用語を頭に浮かべながら生徒の指差すところを見たら「同意表現」となっていたが、類似表現という意味で使っており、数学記号に翻訳すると"="ではなく"≒"だ。

 文例は忘れたが、おおむねこうだ。
 ①I don't like curry as much as ramen.
 ②I like better ramen than curry.
  ③I like ramen rather than curry. 

*(3/24 例文を書き換えました。コメント蘭に誤用を指摘してくれた人が2名います。用例を確認せずに書いた私が不用意でした。①と③の文を訂正しました)
  「形が違えば意味が違う」とはhirosukeさんだが、二つの文はニュアンスが違う。日本語で考えても同じことが言える。
 ①「ラーメンほどカレーは好きではない」
 ②「カレーよりもラーメンの方が好きだ」
 ③「カレーよりはラーメンの方が好きだ」

 言葉というのは発話者が頭の中に何か伝えたいことがあって、それを自分の語彙の中から言葉を選び、自分の伝えたい内容に一番近い表現を選んで文にする。聞き手が発話された文を介して同じイメージを頭に中に形成できればコミュニケーションは成功である。

 ロイヤル英文法549ページには「相関語句」という用語で同じ表現を扱っている。こちらの方が文法用語としては適切だろう。「同意表現」はニュアンスを伝えきれない、誤解を招く用語だ。
 
 同じ肯定文同士の②と③は「相当語句」「類似表現」で括っていいだろう。①と②を比べると、否定と肯定だから形が違う。①だと話者はラーメンもカレーも嫌いなのかもしれない。「どちらかといえば・・・ラーメンの方が・・・」ということかもしれない。論理的にはぜんぜん別の表現だし、意味も異なる。
 高1は数Aで「論理と集合」を終わっているから、論理学的な説明でも理解できるだろう。「P⇒Q」、集合の包含関係を考えればすぐにわかる。数学の好きな生徒だったら、そこまで踏み込んで説明してよい。
 英語と数学の両方を同じ塾長が教えるメリットは科目横断的な説明が可能になることにもある。学問の領域を超えたクロスオーバーを体験しておけ。大学生や院生や社会人になってから、いずれ必要になるときが来る。

 この生徒は続いて質問を試みた。こういうやり取りが楽しい。
「もう一つ別の表現が別のページにあるのですが、これ三つとも「同意表現」で意味は同じですか?」

 「形が違えば意味が違う」といったはずだ。=ではなく≒だから、
 A≒B
 B≒C
 C≒D
 ・≒Z 
 とやっていったら、A≒Zになるかならないかは、個別に検討しなければわからない。まったく別物になっている可能性もある。A≒Cすら保証できない、個別に検討するしかないのだよ。

 ここでわかってほしかったのは、概念の拡張である。個別の問題に当てはまることを拡張して一般化できる場合とできない場合があることに気づいてほしい。これは科学理論にそのまま当てはまる。ニュートン力学だって、相対性原理だって無限に拡張して一般化はできない。理論はかならず自らの適用限界を有しているものだ。
 英語にも数学にも自然科学にも経済学にも「相似なパターン」が現れる。そういうことを個々の学習や疑問を通して「体験」してほしい。
 疑問が出るということが素晴らしい。ナマ授業にこだわるのは、生徒の疑問を大切にしたいことと、ナマ授業でなければ伝えられない大事なものがあるからだ。

 ビリヤード、スリークッションゲームで数回世界チャンピオンになったことのある小林先生に図面を描いて質問をしたことがある。先生は質問を大事にされて、丁寧に教えてくれた。ちょうどNHK教育TVでビギナー向けの講座を終わったばかりのときだったので、ビギナーに続いてセミプロ向けの本を出してもらえると勉強になるのだがと言ったら、「それはできない」と即答された。
 理由を聞いてみたら、書いたとおりにやったけどそうはならないと一知半解の人たちからいろいろ批判や問い合わせがでるからだ、そう説明された。技術の微妙なところになるとニュアンスが伝わらないのである。名人に直接教えを請うしかない。八王子の町田先生にも教えてもらったことがある。職人技できちっとしていた。やはりマニュアルや本では伝えられないものをたくさんいただいた。アーティスティックビリヤードで銀メダルをとったことのある町田正のお父さんである。

 教育とはそういうものだろう。先生と生徒の直接対話の中でしか伝えられないものがある。500年近く続いている日本の私塾本来のあり方、教育法(伝統)でもある。
 世の中にはいろいろな先生がいて、それぞれの信念に基づいて、さまざまな教え方をしている。塾選びは先生選びでもある、誰に習うべきかについては「答え(正解)」はない。自分にあった先生を探し、選べ。

*世界チャンピオンの小林先生のことはブログ#039『世界チャンピオン小林先生と道元:教育の本質』にある。霞会館で皇族にビリヤードを教えていたこともある。現天皇のビリヤードコーチでもある。昭和天皇にご教授申し上げたのは札幌にお住まいだった吉岡先生だったが、白髪の品のよい先生だった。昔、駅前大通の三井ビルの向かい側に、「白馬」(5階と6階の2フロア?)というビリヤードがあった。42年前にはあったが今はない。吉岡先生の経営するお店で、日本で一番品のよいビリヤード場だっただろう。教育とビリヤードに興味のある人だけ読んでください(アメリカンスタイルのビリヤードとヨーロピアンスタイルのビリヤードはまるで違います。品が違う)。
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 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2007-12-31


*kmさんというハンドルネームの方が、コメント蘭に上記の例文の解説をしてくれたので、転載します。好きな程度を表すから不等号で処理できる、なるほどいい着想の解説です。シンプルで美しい。(18日21:55追記)

 ①「ラーメンほどカレーは好きではない」
これはラーメンがすごく好きでカレーも好きなのだけれどすごくではない
ラーメン>カレー>普通
 ②「カレーよりもラーメンの方が好きだ」
読んで字のごとしカレーとラーメンの好きさ比較
ラーメン>カレー
 ③「カレーよりはラーメンの方が好きだ」
たぶんカレーが嫌いなのでしょう、ラーメンも好きではなさそうです。
カレー<ラーメン<普通
であると思います。

いつも病院問題の意見興味深く読んでいます。
根室は国保高いので病院も行きにくくなります。

by km (2010-03-18 13:22)