カテゴリー「魅力のある町に人は集まる」を新設したので、2番目の議事をアップしたい。

 弊ブログ#3689で鹿の写真をお目にかけたが、昨年取り壊された教員住宅の空き地に群れで現れた。以前から、庭の草や植えているものを5-10頭くらいの小さな群れが食べていた。
 背景に写っているのは教員住宅かどうかはわからないが、古いタイプの教員住宅は似たようなもの。トイレは水洗だと思うが…お風呂がない教員住宅もあると聞く。この教員住宅のある光洋町には光洋湯という銭湯があったが一昨年廃業した。

 光洋町にある5階建てのエレベータ付きの市営住宅はずっと立派だ。坪単価も百万円ほどかかっているから、戸建ての一般住宅よりもさらに立派で断熱もしっかりしているから、冬はとっても暖かいと住んでいる生徒の話を聞いたことがある。もちろんお風呂もついている。それに比べると教員住宅ははるかに見劣りする。
 男の先生が結婚して根室へ赴任とでもなったら、女房殿と住宅でもめかねない。
 「お風呂もついていないところへなんか行きたくない!」
 なんだか声が聞こえてきそうである。たとえ郡部校勤務であっても、教員住宅にお風呂と水洗トイレと本棚造りつけの書斎は当たり前の設備であると言えるようにしたいものだ。もっと先生たちを大事にしていいのではないか?

 教員住宅は共済組合の所有だろうから、根室市のものではないが、根室の子どもたちの教育を担ってくれている先生たちの住宅がこのままでいいわけがない。町の未来は教育にかかっており、先生たちの仕事の責任の重さを考えるとき、それにふさわしい住宅が提供されてしかるべきではないのか?
 たとえば、国が7割負担、根室市が3割負担で市営住宅並みの教員住宅の建設ができないか?こういう提案に反対する市議はいないだろう。市議会文教厚生常任委員会から市長へ提案したらどうだろう?

 市街化地域の中学校が数年後に3校から1校になる、小学校のほうが先だと思うが、仕事の手順が逆になっている。高校は再来年から1校になる。統廃合が進めば、教員の数が減る。
 教員が減少することははっきりしているから、建設する住宅はいまの半分でいいだろう。なんとかしたいものだ。
 「根室へ赴任したい。教員住宅が立派だ、トイレは水洗、お風呂もついている、なによりいいことは造りつけの本棚のある書斎があることだ」
 こういう先生たちの声を聞いてみたい。ほかの地域の実情も根室と変わらないなら、そこから教育問題を考えてみるのもいい。
 北海道の周辺部の市町村に優秀な先生たちに来てほしかったら、それにふさわしい住宅を提供する努力を怠ってはならないと思うが、どうだろう?
 20人分くらい造り、根室市のホームページで宣伝したらいかが?

 写真は2月2日に撮ったもので、鹿の群れが十数頭住宅の前に群れて枯れ草を食べている。ズームアップしたのが2枚目である。






<家の前で野生のシカに出遭える環境>
 根室の教員住宅は居ながらにして鹿や大鷲、オジロワシが見られる珍しいところ。子連れで赴任してきたら、子どもたちが鹿をみて大はしゃぎするかもしれない。根室への赴任が子どもたちの一生の思い出となれば幸いである。魅力のある町には赴任を希望する先生たちが増える。

<低学力問題も「いい町づくり」の障害の一つ>
 学力が低い地域には先生たちは来たがらない。子どもの教育に困るからだ。全国平均で大学進学が5割程度だが、根室から大学への進学は2割以下だろう。とくにこの5年ほどの中学校の学力低下が著しい。五科目300点満点の学力テストで100-110点の中学校が現れている。今年の4月からの中3は100点を切るところがでそうだ。学力低下に歯止めをかけないと、その点からも子供の教育上根室への赴任を嫌がる先生たちが増えかねない。やるべきことはたくさんある。問題を明らかにして、具体策を考え、一つ一つ潰していこう。

<余談-1:"根室の土になる">
 生徒たちから聞いた話を書こう。昨年、先生が一人教員住宅から引っ越した。どうやら戸建ての住宅を手に入れたらしい。根室に永住を決めてくれたのならその覚悟のほどがうれしい。
 根室高校には郷土史研究会を主宰されていた山田先生がいた。わたしが在学生だった時に生徒会顧問の一人であったので知っていた、でも一度も習ったことがなかった。卒業して20年ほどたって、たまたま帰省した時に港まで散歩に行って双眼鏡で国後島を見ていたら、「双眼鏡を貸して」と声をかけられた。そのあと、誘われて先生のご自宅へお邪魔し、郷土史の資料をたくさん見せていただいた。そのときに先生がこう言われた。
 「ぼくは根室の土になる」
 根室出身の方ではなかったが、こよなく根室を愛しておられた、そして言葉通りに根室の土になられた。あの時に見せていただいたたくさんの郷土資料なかには、歴代の根室高校生たちが手作りしたものが相当混じっていた。誰か託せる人が現れたのだろうか?散逸していないことを祈るばかりだ。
 社会科の先生ではもうひとり大事な先生がいる、柏原先生は西浜町会長だったと思うが、実年齢よりはずっとお若くおしゃれ、先生の話は何度か書いた。歯舞諸島のご出身である。中学校の時に日本史を習った。高校では1時間だけ倫理担当の谷口先生がお休みの時にいらした。やったばかりの普通科の政治経済のテスト問題をもってきてやらせた。習っていない科目ではあったが、満点だったと思う。
 小学4年生から北海道新聞のコラム「卓上四季」と社説、そして1面の政治経済の記事を読んでいた。そして高校2年生からは公認会計士2次試験の参考書や問題集を使って勉強していたし、マルクス『資本論』も読んでいたので、経済学については社会科の先生たちよりも知っていただろう。当時の公認会計士二次試験には7科目(簿記論・会計学・原価計算・経済学・経営学・商法・監査論)あり、その中の一つが経済学だった。もちろん近代経済学である。まるっきり違う学説のマルクス『資本論』が気になったので、図書室の本で読んだ。『資本論』に関連して、哲学者ヘーゲルの著作も1冊だけ読んだ記憶がある、書名を覚えていない、卒業した翌年に許萬元著『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』(1968年9月初版、大月書店)を2度通読しているので、『小論理学』だったかもしれないし、旧版の『歴史哲学』だったかもしれない。とにかく難解だということだけは理解した。(笑)
 商学部会計学科に在学しながら哲学者の市倉宏祐先生の学部を超越した「一般教養ゼミ」の門を叩いたのは、偶然のなせる業だったが、『資本論』との関係でヘーゲルに興味があったからだろう。原価計算の小沢ゼミに入る予定だった。それがある事情で帰省している間に募集が終わっていた。市倉ゼミに応募したときには知らなかったのだが、その当時先生はイポリット『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』という哲学書の翻訳をされていた。国学院大学で教えている友人のEさんが、早稲田大学大学院にいたときに、樫山ゼミで市倉先生のこの翻訳書をテクストにとりあげて勉強したということを、メールでやり取りして、偶然7年ほど前に知った。かれはわたしの専攻が理論経済学だったので、学部時代に市倉ゼミだったとは思わなかったのだろう。知っていたら、40年前に話が弾んだだろう。

 教員住宅から引っ越された先生もそのおつもり(根室に骨をうずめる)のようだ。そんな先生は少なくていい、通過して他地域へ赴任していくのが「正常な教員コース」でもあるのだから。
 授業をさぼって戻れなくなりかかった生徒が数人、放課後補習(数・英・社・理・国語)で救われたことをわたしは知っている。その中の一人を教えていて、生徒の変化に気がついていたからだ。自分の担任クラスの生徒たちに1年間を通じて継続的に放課後補習をやる先生は珍しい、負担が大きいのでふつうはできない。自分の心身の状態を顧みるのを忘れるぐらい一生懸命なところが危なっかしい。(笑)
 お願いですから、全力の6割くらいのところで頑張ってください。

<余談-2:2階建て教員住宅>
 光洋町の教員住宅は一部が2階建てのものに建て替えが進んでいる。古いタイプの平屋の教員住宅よりはずっと立派だ。こちらは比較的新しいから全戸にお風呂がついているのだろう。
 教員住宅には造りつけの書棚のある書斎が欲しい。民間企業に勤務していたが、わたしはずっと書斎を確保していた。知的蓄積の継続は独りになれる書斎がなければむずかしい
 


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ヘーゲル精神現象学の生成と構造〈上巻〉



  • 作者: イポリット

  • 出版社/メーカー: 岩波書店

  • 発売日: 1972/10/30

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ヘーゲル精神現象学の生成と構造〈下巻〉



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現代フランス思想への誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ



  • 作者: 市倉 宏祐

  • 出版社/メーカー: 岩波書店

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