SSブログ
A8. つれづれなるままに… ブログトップ
前の10件 | 次の10件

#4778 参議院選挙投票日 July 10, 2020 [A8. つれづれなるままに…]

 お昼過ぎに土砂降りになり、1時ころに雨が止んだので、投票所まで真っ赤な雨合羽に長靴姿で歩いて出かけた。ポケットに投票用紙、右手には2B鉛筆といういでたち。
 第八投票所に着いた。元保育所だったこの建物はスリッパへ履き替える。そこに誘導係が一人。廊下を歩いて投票室へ入ると、左手側に受付が2人。投票の通知書と名簿の突合せ。右手側に回って黄色い投票用紙を受け取った。ここだけとっても若い女性が二人担当していた。2B鉛筆で黒々と被選挙人の名前を書き、黄色い投票用紙を二つ折りにして投票箱に入れた。
 次は、比例代表の投票だ。前のご老人が理解できずに2度説明を聞いていた。わたしの番になったので、「説明は今後ろで聞きましたので、用紙だけ渡してください。もう二百回も同じことを言ってご苦労様」と伝えると笑っていた。そういう私ももうあと2年で後期高齢者です。
 また鉛筆で記入し二つ折りにして白い投票用紙を投票箱へ。
 選挙の監視の人たちが14人いらっしゃった。投票人は3人。雨が上がったので、ぼちぼちでかけて投票に来る人が増えるだろう。
 でもこの空模様では投票率のアップはあまり期待できないな。何をやっても政治は変わらないと思っている人が多い。ドキドキワクワクさせてくれる候補者はいませんか?根室では9月に市長選挙があります。


にほんブログ村

nice!(0)  コメント(2) 

#4738 朝夕に霧が出る季節になった:季節の移ろい April 13, 2022 [A8. つれづれなるままに…]

 三日間続けて根室は朝霧に包まれました、そういう季節になったということです。3週間前の3/21には雪が降って34cmの積雪だったのに...
 霧が出ているから、もちろん最高湿度は90-100%です。最低気温もプラスになりました。

①霧にかすむ日本最東端の駅「東根室」
 4/11から毎朝霧に包まれています。
DSCN6324s.jpg

②光洋中学校校舎が霧にかすんでいます
DSCN6325s.jpg

③花が咲き始めました
 背丈は5cmほどです
DSCN6330s.jpg

④朝の内はシュンとすぼんでいます
DSCN6327s.jpg

⑤3時を過ぎると開いていますね
DSCN6331s.jpg

⑥3/31の東京の桜です
DSCN6206s.jpg


DSCN6212s.jpg

⑧ズームアップしてみました
DSCN6215s.jpg

⑨幹に直接生えているようにみえます
DSCN6232s.jpg

⑩湧き水が流れ込む小さな池です
 鴨が2羽、亀が二匹
DSCN6243s.jpg

⑪桜並木の歩道に花びらが敷き詰められてます
DSCN6298s.jpg

⑫散り落ちたばかりの櫻花
DSCN6307s.jpg

 季節はあっというまに衣替えするようです。


にほんブログ村

nice!(1)  コメント(0) 

#4714 所得税青色申告完了 Feb. 13, 2022 [A8. つれづれなるままに…]

 所得税の青色申告は2/16以降でないとできないと思っていたが、そうではなかった。e-taxを利用するとOKだった。今日、4時ころ青色申告終了、便利だね。

 小さな塾だから、1年間のトランザクションは200くらいしかないので、会計ソフトを使う必要がない。もう20年間もEXCELで帳簿の作成をしている。
以下、説明用に作った資料から転載してやり方を紹介します。

------------------------------------------------------------
帳簿は、EXCELで次の集計表をシート別に作成し、合計仕訳で損益計算書と貸借対照表を作成しています。

①売上月別集計表
②経費明細表
③車両関係費集計表
④定期支払費用集計表
⑤損益計算書
⑥合計仕訳管理表
⑦貸借対照表
⑧固定資産台帳
⑨医療費明細表
⑩各種保険料及び年金集計表
●売上集計表は、月別個人別売上明細表から集計されています。
●合計仕訳はマニュアル処理しています。
●各帳票(シート)間のデータは自動集計になっています。
●②と③は管理番号で紐づけされた証憑が台紙に糊付けされています。 

------------------------------------------------------------

 機能としては市販の会計ソフトと変わりません。
 引数でデータを自動集計するだけで、マクロは使っていません。
 これで決算データと、所得税税申告書に必要なデータが集計できます。
 e-taxに損益計算書と貸借対照表を転記したらいいだけ。電子帳簿の申請は不要です。青色申告控除の65万円はこれでクリアです。

 EXCELでトランザクションデータの入力と決算書の出力に1日、e-taxで所得税申告書作成に2時間、データは送信ボタンをクリックしただけで、国税庁へ飛んでいきます。
 一仕事終わって、ビールを飲んでます。


にほんブログ村


nice!(1)  コメント(0) 

#4705 給湯ボイラから水漏れ:メーコー商事へ電話 Jan. 28, 2022 [A8. つれづれなるままに…]

 お風呂と給湯用のボイラーから昨日水漏れしているので、朝10時ころメーコー商事さんへ電話した。「出払っているので、戻り次第行かせます」と電話の女性。30分ほどで来てくれた。25歳の背の高い人がきた。ああ、若い人を採用しているんだな、この会社はまだまだ大丈夫そうだと安心。同期が2人いたがとっくに定年退職している。
 水漏れ部分は水道のパイプと給湯機の接続部分だった。銅製のパイプを外したら給湯機側のパイプへ5mmほど差し込む形で接続されているのだが、そのでっぱりの部分が腐食してなくなっていた。洩れるはずだ。
 製造年は2004年である。新しいものに交換になるかもしれないので同じEタイプの在庫があるか問い合わせてくれたがない。7月か、秋になるという。半導体部品がないので納品は順番待ちだ。
 銅製だから腐食するがステンレス製にしたら今度はパイプにするのや、曲げの加工がはるかに難しくなる。ないのだろうなと話したら、新しい製品はその部分がステンレスパイプになっているという。違うタイプの給湯機でも、その接続部分は共通だと、他の給湯機から部品を外してもってきて、付け替えてくれた。お昼少し前に修理が終わった。ありがたい。
 部品を外して修理に使ったら、その品物はそのうちに中身がなくなる。部品代はしっかり請求しないと経理の方が後で棚卸のときに困るから、請求書を出すように伝えた。
 産業用エレクトロニクスの輸入商社で仕事していた時に、第2営業部が液体シンチレーションカウンターを扱い始めた。十数台販売したが、故障が多い。技術部が在庫から部品を外して修理しているうちに、中身が空っぽになった。修理用に使うものは最初から修理用として資産計上せずに費用処理するように技術部の担当者へ伝えた。あれは1982年頃の話だ。似たような問題が根室の燃料関係機器店でもあるのだなあと気がついた。
 半導体部品不足はすくなからぬ影響を極東の町にも与えている。

 メーコー商事は団塊世代のわたしが高校生の時に「いなちゃん」が創業した会社だ。5歳くらい年上のよく働きよく遊ぶ、いなせな若者で、渾身の力で商売していた。オヤジが贔屓にしたのも無理はない。若い経営者で一生懸命働く人が二人いた。もう一人は鮮魚店「魚信」の田村さんだった。年に二度東京のわたしのところへ大きなスチロールボックスで魚介類が届いたが、全部「魚信」から送られてきた。「父さん、東京へ送るやつだよね」と魚のいくつかは田村さんが選んでくれていたようだ。
 いなちゃんが弟が高3の夏にバイトで使い、連れてきて紹介してくれた、「俺の弟だ」と。古里に戻ってきてから、東京へ行くときに中標津空港で一緒の便になったことがあった。何十年ぶりだっただろう。いなちゃんが会長、弟が社長になっていた。いなちゃんが亡くなって、それから数年たって同期の稲葉が逝った。癌だった。奥さんとは中学時代の同級生である。光洋中学校ができたとき新入生だった。三年10組、いいクラスだったなあ。担任の山本幸子先生が心臓にペースメーカーを入れて数か月で亡くなった後、数年後に「癌仲間」の副担任の大岩先生(半田先生と結婚)が逝ってしまった。小柄な人で、新任で赴任されたので、生徒に交じると先生がその輪の中にいるのに気がつかないことがあった。大岩先生、若かったので距離が近かった。

 メーコーさんとはオヤジの代からの長い付き合いだ。今日は25歳の若い社員がすぐに対応してくれた。この会社、ずっと続いてもらいたい。
 

にほんブログ村


nice!(0)  コメント(2) 

#4686 初日:極東の町・根室から Jan. 1, 2022 [A8. つれづれなるままに…]

 新年あけましておめでとうございます。

 極東の町・根室の桂木の浜から初日を拝んできました。車が20台ほど集まってます、光洋町の「馬立」看板の近く、第一産業のあたりが、浜を見下ろせる40mほどの高さの高台になっていていいスポットなんですね。
 午前7時の気温-8.4度、北西の風6.7m/s

 車の外に出たら、風が冷たくて、手袋してるのに手がかじかんで、感覚がなくなってきました。


DSCN5972s.jpg


②車の温度計は―9度
DSCN5976s.jpg




にほんブログ村


nice!(1)  コメント(0) 

#4682 夢や胸のざわつき Dec. 30, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 昨日、朝方にはっきりした夢を見た。元塾生の女の子が泣いていた。どうした?と訊くと、「ばあちゃんが」と言っていた。気になったので、メッセンジャーで「正月はばあちゃんへ電話して声聞かせてやれ」って言ったら、「11月に亡くなった」と返信。ああ、やっぱりそうだったのかと。
 中高生の夏休み、じいちゃんとおじさんがやっている羅臼のコンブ漁の番屋にばあちゃんの食事作りの手伝いに行っていた。孫と一緒の2週間ほどはばあちゃんにとっては至福のときだっただろう。自慢の孫だったに違いない。90歳を過ぎていたという。天寿だから、めでたいと言っていい。
 わたしもだんだん順番が近づいている。(笑)

 4年前に1か月以上胸がざわついていた。突然、その理由がわかった。若いあいつがまさか、そんなはずは...。
 沖縄米軍の出生前診断検査導入要請や慶応大学産婦人科との出生前診断トリプルマーカ―MoM値の日本人標準値に関するプロジェクトで一緒に仕事した佐藤章夫が亡くなったと、ある朝確信して、ネットで検索したら、7月に亡くなっていた。
 彼は、SRLを休職して米国で栄養医学の学位を取り、栄養医学研究所を設立、独立している。日本の栄養医学の草分けである。相談があったので会社設立に関り、監査役を2年間引き受けた。
 還暦前に病気で逝った、よくなついて弟のような奴だった。9歳下の秀才、そして早すぎた死。
 合掌。

<2歳年下の同僚、加藤の死>
 SRLでやっていた新規分野の健康事業部門で仕事していた加藤幸寛が、会社を辞めて独立した。大手企業相手に健康管理分野のコンサルティングを事業化したのである。1991年頃だから、在宅での企業は珍しかった。
 ときどき電話が来て新宿や銀座のライオンで飲んだ。経営コンサルティング業務が数件舞い込んで、ひとつだけ手伝ってやった。900万円の仕事がはうまくいった。わたしには1週間の仕事だった。取締役就任を頼まれて、SRL人事に打診したらノーの返事。加藤の要請を断り3月に飲んだ後、5月に電話が来て一緒に仕事していた4人に、会社を分割して営業譲渡したという報告だった。なんだか声の調子がヘンだったので、聞いてみたら、微熱が続いているという。「精密検査したほうがいい、万が一癌だったら加藤は若いからいくらもない」、どうしてあんなことを言ったのかわからない。だが、言葉が自然に口を突いて出てしまった。横浜に住んでいたあいつは、素直に横浜済生会病院で診察を受けた。そして8月に葉書をよこした。「余命3か月、本人いたって痛みナシ」。胸部にがんが見つかり、手遅れだった。自宅療養を勧めたら、医師を説得して、横浜済生会病院ではじめての末期癌患者の自宅療養がスタート。東北の会社へ役員出向中だったが、東京へ戻るたびに、横浜の彼のところへ見舞った。3回しか行けなかった。放射線治療で毛糸の帽子をかぶっていた。将棋が好きな奴で強い、所望されて相手をするが、終わるたびにもう一回と言って、なかなか帰れない。1時間もやると疲れて15分ほどベッドで寝てくる。「起きてくるまで帰らないで」、奥さんが戻るまで帰るなというのだ。放射線治療や抗癌剤は体力を根こそぎ奪うことを、わたしはそれから12年後に自分の体で知ることになる。奥さんが仕事から戻って、ようやく挨拶をして帰った。ある朝、もう駄目なようだと自分でいい、済生会病院へ入院、痛み止めにモルヒネを打ってもらい、翌日眠るように逝った。「苦しむ必要はないから、痛みがあるなら、最後はモルヒネを使ってもらえ」と伝えてあった。奥さんが肩を貸してタクシーに乗り病院へ。2歳年下の加藤は43歳だった。ほんとうに早すぎた。
 奥さんは東大理三卒の才女、世界的に有名な某化粧品メイカーの開発部長をしていた。加藤自身は東大安田講堂騒乱のあった年、東大入試が中止になったので、受験できずに仕方なく滑り止めの中央大学法学部へ入学。「経済的に浪人できる余裕がなかった、本来なら俺は東大法学部卒」と、飲んだ時に2度ほど語ったことがあった。よほど悔しかったのだろう。リクルート社の中途斡旋でSRLへわたしよりも2か月ほど早く来ていた。上場準備要員として雇われた最後の2人で、八王子ラボで研修を一緒に受けた。その折に、リクルートのSPIの偏差値がいくつだったとしつこく聞く。しまいに自分のものを見せて、見せたのだから教えろというので、リクルート社の通知書を見せた。かれは69,わたしは少し上だった。それからときどき二人だけでよく飲んだ。後にSRL社長となる近藤さんに創業社長の藤田さんよりも早く眼をつけて、注目していた。「厚生省になかなか大胆な課長補佐がいる、午前中から新聞かぶって寝ている、SRLならebisuさんのようなもの」、わたしは新聞かぶって寝たことはないぞと笑って応じた。その後、創業社長の藤田光一郎さんがリクルートした。あとで近藤さんにそのことを尋ねたことがある、「加藤がそんなことを言っていたけど本当ですか?」、何と答えてくれたか忘れました。確かに型破りでしたね。慶応大学医学部卒の医系技官でした。
 SRL最後の仕事、帝人との治験合弁会社の設立と経営は近藤俊之社長の特命事項だった。愉しかった、近藤さん、使ってくれてありがとう。あ、そうか、2回一緒に仕事していた。東北の臨床検査会社へ15か月間出向してSRL本社へ戻ったときに、ちょうど社長交代があって、ラインの経営管理課長に購買部と社長室が兼務になっていました。なんで、社長室兼務になっていたのか、聞いたこともありませんでした。東北の会社の件で創業社長の藤田さんが社長室兼務させておけと言ったのかどうか、いや藤田さんは言わない人です。たんに人使いの荒い会社だったのかもね。(笑)

 年の暮れ、こもごも思い出すことがある。

<自分事>
 2006年五月の連休に釧路へ行った。車を運転しながら、丘の上に真っ白い建物が見えた。何だろうと目の好い女房に訊いたら、病院建物だという。「入院するならあの病院がいいな」とつぶやいた。入院したことはそれまで一度もない。口から言葉がこぼれ出ただけ。
 6月6日に、食事がまったく喉を通らなくなった、女房に叱られて、消化器内科医の岡田先生の内視鏡検査を受けた。「胃癌だと思うので内視鏡検査をしてもらいたい」と告げての受診。すぐにやってくれた。診ている途中で「アッ」と小さな声がした。出口をふさぐ巨大胃癌がディスプレイに映っていた。冷たいものが広がる感じがしていたのでスキルスがあるはずだと。
 結局、あの白い病院、釧路医師会病院へ6月23日に入院することになった。旭川医大の系列で復員著の富田先生が、岡田先生の先輩だった。執刀外科医も旭川医大の後藤幹弘先生。皆さんにお世話になりました、お陰でいま生きてます。まさか、「入院するならあの白い建物の病院がいい」といったのが一月後に現実になるとは、わたしも夢にも思っていませんでした。


にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#4681 帰省 part-2 :気の合う仲間 Dec. 29, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 釧路労災看護学校へ進学した生徒と旭川医科大学へ進学した生徒が二人で遊びに来てくれた。女性は黒髪、男の学生の方が髪が茶髪なので吃驚、どこかですれ違ってもわからぬ。
 28日から塾はお休みなので、ゆっくり話が聞けた。 
 学生生活は楽しいからあっという間に過ぎる。存分に楽しみ、そして学んでほしい。
 いろいろ話が出たが、楽しすぎ、面白すぎてアップできない。(笑)
 親元を離れて大人への階段を踏み出したということ、青春真っただ中だ。
 高校時代の友人の中には、ブランクがあっても一生付き合える人が何人もいる、そういう仲間は大切にしよう。

 どちらも将来は根室の地域医療を支えてくれる貴重な人材である。戻るつもりのある若者が、戻ってきて希望をもって仕事ができるオープンな根室であってほしい。
 看護学校へ進学した生徒は平均評定4.9で学校推薦だったから、勉強は得意、しっかり学んでいるようだ。そして友人の幅も広がっている。

 二人とも、高校時代とは違ったチャンネルで友達の輪が広がっていく。いつ帰るのか聞きそびれたが、暇なときには顔出してくれたらいい。塾生たちが喜びます。

<釧路の看護学校情報>
 四校あります。釧路市立病院付属看護学校、労災病院看護学校、孝仁会病院付属看護学校、釧路医師会病院看護学校。
 寮のあるのは労災だけ、一人部屋でとってもきれい、門限は11時。
 学費の安いのは釧路市立で3年間で85万円です。一番高いのは孝仁会です、400万円を少し超えていたかな、気になる人はネットで調べて確認してください。

*彼が今年の3月に書いた「合格体験記」をお読みください。田舎の高校から国立大学医学部へ現役合格するには、いつまでに何をどのようにやればいいのかがわかります。いくつか関連文書のURLもぶら下げてあるので、興味があればクリックしてご覧ください。

<記念撮影です>
 マスクにサングラス風のパッチで顔の9割が隠れてしまいました。
 もちろん恋人同士ではありません、いいノリでピースしてくれました。
DSCN5926ss.jpg




にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#4680 帰省:しあわせ Dec. 28, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 昨日(12/27)元塾生が来てくれた。浦河の看護学校に進学した生徒である。
 筋はいいのだが、あまり勉強する気はなく、しなくっちゃいけないときだけはやるパワーがある、典型的な「根室のお祭り娘」である。3年生の夏が終わり、受験勉強始めたところで、学校の方から推薦できるという話があったので、求められているんだから「乗っちゃえ!」と言ったら、喜んで受諾した。
 1年生の時に来ていたが、勉強はあまり好きではないので、途中で塾は休塾。実際には来たり来なかったりなので、効果がないので、休塾を勧めた。「必要になってからおいで」と言ってあったので、3年生になって夏休みが終わったあたりでまた来はじめた。10月だったか、推薦決まったので、「もう来なくていいよ、残りの高校生活楽しんで」と告げ、即退塾。
 「浦河の生活はどうだ、慣れたか?」
 「先生、なーんにもないよ、コンビニはあるけど」
 「なんにもない方が勉強できる、好きな酒くらいは売ってるだろう?」
 「うん、鏡月(焼酎)飲んでる、先輩に見つかって叱られた(笑)」
 寮生活だから先輩の目もあるようで、自由勝手にはいかないようです。(笑)
 化粧がちょっと薄くなった、太りもせず痩せもせず、これなら3年間大丈夫、まったく心配の要らない生徒である。
 弟と妹を迎えに、お母さんの車に乗ってきたと言っていた。
 中3の妹は昨日初めて来た。姉妹でもまるで性格は違う。昨年12月から来て、英語と数学で35点ほどアップして札幌旭丘高校に合格した生徒と似たタイプだ。この子はけしかけたら猛然と走るタイプ。1月から英語の土曜特訓授業への参加を認めた。認めたと言ってもオブザーバーだ。やれるかどうかぎりぎりのところだが、やれば必ず化ける生徒だと見た。2時間4回で高校1年の英語教科書を消化する予定。予習の仕方と毎日の勉強時間の確保の仕方は伝えてある。しっかりノートにメモさせた。社会人になったらいい仕事人になるだろう。こういうタイプは珍しい、20年後に女の管理職として仕事で使ってみたかった。生徒たちを観察するときに、どんな社会人になるかという視点で見てしまう、癖だな。

 元生徒が来るのは、うれしいものだ、顔見ただけで十分、めんこい生徒の一人である。
 来てくれてありがとう。


にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#4664 冬タイヤに交換 Dec. 3, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 12/3金曜日に、松本町のエネオスで給油のついでにタイヤ交換した。料金は2200円、40分ほどで終了した。
 昨年は11/25にやっている、その前は11/3だったかな。年々遅くなっているのはずぼらな性格の故か。
 これで、いつ雪が降っても安心だ。


にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

#4662 七年半で3万キロ:病院建て替えの思い出 Dec. 2, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

<最終更新情報:12/3朝9:00>

 2014年の5月にそれまで載っていた車が壊れたので、買い換えました。7年半で走行距離は30000kmを超え、平均するとちょうど4000km/年です。
 1か月あたり333kmしか乗っていません。それでは車は要らないかというと、ないと困ります。数年後には免許返上することになりますが、病院への通院や買い物はタクシー利用ということになりそうですね。

 通院の際には、外来診察受付に朝7時少し前にいき、自動受付処理機に診察カードを挿入し、家へ戻ってきて少し休んで8時15分頃にまた病院へ戻ります。そしてまた家へ戻るとなると、1回の外来受診にタクシーを4回利用することになります。

<市立病院はニホロ地区に移転の予定だった>
 今更ながら、当初案のニホロへの病院移転に反対しておいてよかったと思います。ニホロは街はずれだから光洋町から通院すると、一度の受診に4回だとタクシー代だけで6000円ほどになります。駒場町の地主へ取材して、市民説明会での長谷川助役の説明が嘘であることを暴いてくれた北海道新聞根室支局に感謝です。市民にとって、とりわけ病気を抱えている年寄りにとって、とってもいい仕事してくれました。
 長谷川助役(当時)は、商工文化会館で一度だけ開かれた市民説明会で、ニホロの土地が一番安いと説明しました。ニホロの建設予定地には下水もないし道路も延伸しないといけませんので、そのコストを入れて計算しているかと質問したら、入れていませんでした。駒場町や現地建て替えの場合は、そういう費用はかからないので、いれて比較しないといけません。5000万円かかると仮定すると、駒場町の予定地よりもニホロの方が高いのです。
 ニホロにもって行きたい何か理由があって、恣意的な資料を作成したのだと思います。噂では畜産振興事業団の施設案が消滅したので、道庁の手前、市立病院をそこに移転させることにしたと言われていました。真偽はわかりません。
 現地建て替えがベストだとあの会場で提案すると、長谷川助役は現地建て替えは不可能だとも言いました。新しい建物を後ろ側にもって行き、前側を駐車場にすれば現地建て替えはできると申し上げました。そのとおりになっています。でもね、あのとき北海道新聞根室支局の記者さんKさんだったかな、駒場町の地主に取材して、土地の売買単価が市役所の資料とまるで違うと記事にしてくれなかったら、アウトでした。建て替え整備委員会のメンバーたちも騙されて、ニホロと駒場町の現地の見学まで行ってます。根室市議会は病院建て替えで市政チェック機能をまったく果たせませんでした。いまもチェック機能はほとんどありません。何のための市議会なのかが問われます。市側が虚偽説明をして市民のためにはならない案を強引に通そうとしたときに、市議会がチェック機能を果たせなければ、無理が通って道理が引っ込み、不利益はそこに住むわたしたち住民に及ぶことになります。
 長谷川助役はその後市長になって、すでに退職しています。根室には人材がいないようで、そんな人でも地元経済界には受けがよく3期もやりました。市の予算を充てにしている業界団体に受けがいいだけとわたしは思っています。そんなのほんの一部の人たちです。
 ニホロにならなくてよかった、北海道新聞の記者のKさんのお陰です、危ういところでした。感謝状や貢献賞を差し上げたいくらいです。

 そのあと、市役所の担当部長さんに2000年に首都圏で病院建て替えをやったときの建築開発申請資料の写しを差し上げ、説明もしました。藤原市長(当時)宛に手紙を差し上げたら、小山総合政策部長だったかな、道庁から出向されていた部長と病院で建て替えを担当していた菊池課長(彼も道庁からの出向者)へ説明してくれと言われたからです。お二人とも翌年3月に出向解除で、道庁に戻られました。小山さんはご栄転でした。
 わたしは1999から2000年にかけて年首都圏の300ベッド弱の療養型病院建て替えをやったことがあります、坪単価は60万円でした。当初はゼネコンのフジタとネゴしていましたが、わたしが常務理事に就任したときには11億円の補助金に対して仕様を詰め切っていない段階ですでに15億円を超えていたので、交渉を打ち切りました。仕事の進め方がまずいと判断したからです。新日鉄のゼネコン部隊とネゴ、RC造に外断熱仕様を追加して11億円で発注しています。建物自体は市立根室病院よりも高性能です。外断熱仕様にすると冷暖房にかかわるコストが大きく違います。なにより入院患者の居住性がよくなります。首都圏では冷房費。補助金を利用しての建て替えでしたから、院内の実務設計を先にしてから建築仕様を決めていきました。補助金交付の条件に適合しているか市役所の担当課と県庁の医事課だったかな課長と何度も打合せしました。それが終わってから、建築を始めたので、基本仕様の変更はゼロでした。だから安くできました。全額補助金で賄いました。建て替えと病院事業の拡張を頼まれて仕事しました。
 市立病院は坪単価130万円前後かかっています。建築仕様にあとから変更があれば、追加、追加で単価が上がるようになっています。だから、実務設計して建築仕様をちゃんと検討できる職員がいないといけませんでした。カルテの電子化が建替えられて数年後になされたところを見ただけで、そういう職員のいなかったことがわかります。
 いまから顧みると、藤原元市長はまともでした。ちゃんと一市民の意見を聞く耳をもっていましたよ。(笑)
 後継の長谷川(元)市長は、一番札のジョイントベンチャーへの落札を嫌って、部長クラス以上の「幹部会」を開いて2番札のジョイントベンチャーが落札することになりました。渡辺建設が除雪に協力してくれているという理由でしたね。他の地域でこんなことをやったら、大騒ぎになりますが、根室は市議会すら異論を言いませんでした。若い人たちや、市と取引のない企業に勤務している人たちは、「オール根室」を自称する一部の企業と市側のこういう関係にあきれてます。部長クラス以上に知り合いがいればコネ採用があるという噂がずっと前からあります。まだ続いているのかもしれません。市役所のみなさんはよくご存じでしょう。他の根室管内の4町は合同で採用をしていますから、コネ採用は一切ありません。根室は4町の合同の採用試験に参加しません、背を向けています。1市4町でリーダーシップをとるべき根室が、こんな市政を続けていたら、大学進学した若い人たちが戻ってこようと思わなくなるのは当然でしょうね。弊ブログで具体的な事例を取り上げて、問題にしてきました。個人が特定できない範囲でしか書けませんので、具体的な事実に言及しなかったこともあります。市役所には労組があるはずですが、採用に関する不正を承知している組合員がいてあたりまえですが、声を上げたことは一度もありませんね。不正採用に目を瞑ってきた労働組合もまた、責任を問われています。採用実務を不正ができないように具体的な改善案を提案すべきではないでしょうか。組合でもいいし、市議会でもいい。まず、動くことです。それが市民目線の市政ではありませんか?
 ブログを書き始めて17年目、4600以上の記事をアップしました。市政に関するものは1000近くあるかもしれません。根室の旧弊はなかなか改まらないように見えますが、そうでもなさそうです。市役所にはちゃんとした中間管理職もいるようですから。現状にほぞをかんでいるでしょう。長い目で見たら、彼らに期待していいと思います。

外断熱仕様>
 COVID-19で病院は頻繁な換気が必要ですが、外断熱仕様だと外気を入れて換気をしても、コンクリート躯体に蓄熱されていて、輻射熱がでるので、寒くありません。外断熱とはコンクリート躯体の外側に断熱材を使います。だから、夏はコンクリート躯体が温まらないので涼しく、冬はコンクリート躯体が外気で冷やされないので暖かいということになります。療養型病院だったので入院患者はお年寄りばかりです。おむつ交換のときには臭いが部屋に立ち込めますから、頻繁な換気が必要でした。新型コロナがパンディミックを起こして間もなく2年になりますが、入院患者のみなさんは、きっと快適に過ごされているでしょう。
 根室の冬は北西の季節風が病院建物に始終吹き付けて、コンクリート躯体を冷やしてしまいます。燃料費がバカにならない。弊ブログで、あそこの場所は岩盤だから耐震装置は必要ない、その分のお金を外断熱にかけるべきだと何度も書きました。聞く耳もちませんでしたね。愚かな話です。
 でもね、病院建物では聞く耳もたなかったのですが、市役所新庁舎には外断熱仕様が盛り込まれています。市民の言うことに耳を貸せるしっかりした課長職や主査がいるようです、ちょっと安心しました。

 距離計は30017km
DSCN5734s.jpg



にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | 次の10件 A8. つれづれなるままに… ブログトップ