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#4916 仮歯の直しと補強の技に興味津々 Jan. 25, 2023 [38. cancer]

 昨日の夕食の時に、仮歯のブリッジが外れる予感がして、5分もしないうちに本当に外れてしまった。
 食事を中断して、5本ブリッジを取り出し、歯ブラシを充てて清掃して、シールできるプラスチックの袋におさめた。
 今朝、歯科医院へ電話して事情を説明して、時間を取ってもらった。
 指定時間に行って、バックパックから袋を取り出したら、真ん中から折れていた。バックパックの中に入れてヘンな力が加わったのだろう。
 どんな修復をするのか、じっと見ていたらやりにくいだろうから、H先生の作業をときどき盗み見て観察した。折れた部分をすこし削って樹脂でくっつけた。くっつけた部分が余分になるので、樹脂の厚みの分だけ削ってからくっつけていた。
 「強度がないので、「橋」の部分を厚くします、そして「鉄筋」を入れて補強します」
 そんな説明をしてくれたが、ブリッジ内部にどうやって「鉄筋」を入れるのか、こちらは興味津々。
 見ていたら、縦に溝を掘った。その溝の中に金属製のワイヤーを入れて、溶けた樹脂で蓋をした。うっすら埋め込まれた金属が見えている。後は高さを調整して、「磨く」だけだ。
 歯科医は手先が器用でないといけません。手際よく作業してくれて、割れる前よりも頑丈な仮歯になって口の中へ戻ってきました。しばらくこれでモノが噛めます。
先生:「来週は、何をするんでしたっけ?」
わたし: 「左下のインプラントの型取りです」
 このところ、何度も緊急対応してもらっているので、先生は来週何をやるのか失念の御様子。左のインプラントが入ると噛むのがとっても楽になります。

 「ところでebisuさん、こっちでは教えないのですか?」
 H先生からそんな質問がありました。
 メールで、高校生に英作文問題と解答を送っているだけです。週2回、木曜日と月曜日の配信していますが、前日に送信することが多い。10回ほど、冠詞類について解説コメントを付け足してから送信します。「aとanとthe、単数と複数、無冠詞の扱い」は日本人には難しいものだから、実例で繰り返し解説する必要があります。

 緊急対応がとってもありがたかった。いつもありがとうございます。
 咀嚼が十分にできないと、すぐに下痢が続くことになるのです。 

 歯科の主治医がいるのはとっても心強い。
 受付のレディに「いつも無理言って、割り込んですみません、とっても助かりました」と声を掛けたら、にこにこしながら「頑張ります!」って。うれしい。


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#4914 歯のトラブル発生 Jan. 24, 2023 [38. cancer]

 スキルス胃癌で胃と胆嚢の全摘手術を2006年にしているので、歯のトラブルと治療の仕方は大げさに言うと命にかかわるのです。胃がないので、口の中で十二分に咀嚼して唾液と混ぜないと食べたものが消化できずに腸に炎症が起きます。腸の炎症は口内炎を引き起こします。すると食べる量が減り、体重が減り、体力が次第に失われます。

 1/18水曜日に夕ご飯を食べているとき、歯が取れた感触がありました。ゆっくり舌で探ってみると、左下6番が抜けています。口の中から抜けてしまった歯を取り出し、鏡で見たら、あったはずの歯がありません。ショックでした。老化とはいえ、こんなに簡単に抜けてしまったことがショックでした。12月には3本ブリッジが折れて抜けて、抜歯して仮歯を入れて応急処置をしてもらったばかりでした。翌日木曜日は休診日なので金曜日の朝に電話を入れました。午後3時半に診てくれるというので、ほっとしました。
 左下の奥歯のインプラント手術を12/13にしているので、6番が抜けると左では噛めないのです。右側は3本ブリッジが破損して1/4に抜歯して、仮歯で応急処置中。
 
 抜け落ちた歯を持参しました。歯の根っこが残っているようなので、残った部分を抜歯しなければならないだろうなと覚悟していきました。H先生が来る前に顔馴染みになった歯科衛生師に抜けた歯を見せたら、患部を確認して「くつくかもしれない」というのです。H先生が来て、「抜歯ですよね?」と訊いたら、「修復できます」とうれしい答えでした。どんなマジックがあるのかと思ったら、芯ごと抜けただけで、歯の土台はしっかり残っていますと説明がありました。「この歯はまだまだ使えます」と言って、芯を立てて、樹脂を紫外線で固めてその上に、抜けた歯を加工してくっつけてくれました。3mmほどの立方体の削り残りが、プレートの上に載っていました。
 とにかく、元通りになりました。うれしかった。

「ついでだから、インプラントの方のくっつき具合をチェックします。5週間たったからね」
 器具をつないで軽くたたくとピーッと音がします。
「ああ、だいじょうぶです、少しはやめですが1週間後にインプラントの方の型取りします。」
 インプラントの方が完成すると、左側でも噛めるようになるので、右上奥歯の方の5本ブリッジになっているほうの仮歯を外して治療できます。
 1/18はうれしくて、心晴れ晴れとして家に戻ってきました。
 H先生とのお付き合いは24年目になります。どうするのがいいのか、病気と年齢を考えながら、治療の選択肢を提示してくれます。理由を言って無理な治療はしません。
 極東の町で、このような歯のトラブルに次々に見舞われたら、仮歯処置は無理だし、無理に食べても腸炎を起こし、口内炎を起こして、やせ細るしかなかったでしょう。
 ぎりぎり引っ越しが間に合いました。

 これが抜けた歯です。右側の白い部分が歯の下側の樹脂の部分です。
DSCN7308s.jpg
 お陰様で、体重は58.2kgまで増えました。引っ越し作業をする前は60.5-61.0kgでした。56kg台まで減っていたので、だいぶ体力が回復してきています。

<血圧上昇の原因>
 前回のブログで、血圧が25アップ(2006年にスキルス胃癌の手術をしてからは「50-90」でした、上は一度も100を超えたことがありません)して「75-118」になったと書きましたが、昨日のテレビだったかな、部屋の温度が低いと血圧が10ほど上がってしまうと医師が説明していました。
 極東の町に住んでいた時はセントラルヒーティングで床暖房が入っていたので、リビングの床は40度前後、室温は19-23度でした。東京の住まいはリビングにガスヒータで書斎はホットマットのみです。室温は14-16度ほどしかありません。それが血圧上昇の原因だったのでしょうね。
 パソコンのタイピングはリビングでやることにしました。



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#4913 主治医とのコミュニケーション Jan. 21, 2023 [38. cancer]

 1/18水曜日に、極東の町の消化器内科医であるO先生の書いてくれた紹介状をもって、最寄りの消化器内科医のクリニックで診察をお願いした。

 紹介状を見ながら、いくつか質問がありましたが、その中に一つが飲んでいる薬に関するものでした。服用している薬はないが鉄剤のサプリメントを飲んでいると伝えましたが、「飲んでも意味ないよ」と仰る。言下に否定されたので、強い調子の響きがありました。
 鉄分の吸収は大半が胃で行われるので、胃の全摘をしたわたしが鉄剤のサプリメントを服用しても効果がないという話でしょう。鉄分の吸収は胃で行われるのがすべてではありません、腸管からも吸収されますが、胃に比べて微量だということ、それを承知で服用しているのには理由があります。わずかの時間に理由なんて聞く暇はありませんから、そうですかとしか返事のしようがありません。主治医をお願いしたいドクターのご意見ですから、とりあえず伺っておきました。

 術後6-7年で、フェリンが基準値(20-220ng)下限の1/4(4.9ng)に下がり、肝臓の貯蔵鉄が減少して、フェジンとビタミンB12を静注してもらうようになりました。そのころから、鉄剤のサプリメントを飲んでいます。主治医は「フェロミア」を処方してくれたのですが、錠剤が大きいので、手術でできた喉の接合部にあるポケットに引っかかりなかなか落ちていかない。そうすると吐き気がして気持ちが悪くなる。金づちで砕いて飲んだりてましたが、体に合わない。それでオリヒロの「チュアブル鉄」に切り換えました。「チュアブル」とは「噛める」という意味です。やわらかい錠剤で噛んで唾液で溶かして飲みこめるので、胃の全摘手術をして、喉の部分に接合部があって狭くなり、ポケットができているわたしには「チュアブル」が楽なのです。そういう経緯は極東の町の主治医は、お付き合いが長いのでよく承知してくれています。

 血中の鉄濃度が低くなれば、散歩をしても息が切れるし、就寝時、とくに朝方、呼吸が苦しいことがあります。体調は一定ではありませんから、たまにそういうことがあります。息はしても酸素を運搬する鉄が赤血球に不足しているから苦しい感じがするのです。かてて加えて、赤血球数も基準値下限ぎりぎりでした。
 横になって静穏にして、身体を内観していると酸素が体に取り込みにくくなっているのが感じられます。中学生のころから、我流でヨガをしていたので、自分の身体の様子がある程度わかります。自分の身体の声に耳を傾けていると、最初は曖昧な兆候がだんだんその正体を現して来るのがわかります。スキルス胃癌と尿管結石のときの身体の自覚症状がそうでした。

 鉄剤も体調によって吸収がよかったり悪かったりしているように感じています。鉄剤を服用するようになって、歩いているときに息が苦しくなることはなくなりました。いま住んでいるところは丘の上ですが、坂を上がるときに息切れがして、女房殿の歩く速度についていけないことが数年前にはありました。「先に歩いていってくれ、ちょっと休んでゆっくり歩くから」、そう伝えて先に行ってもらいました。ちょっと情けなかった。
 ちゃんと飲んでいると、そういうことがありません。だから腸管から少しは吸収されていると考えています。鉄剤のとりすぎは肝機能へ悪影響があるので、成人の半分の量だけ摂取しています。
 そういうことを続けていたら、3か月おきにしている検査データも、フェリチンが基準値下限ぎりぎりで、基準値割れが少なくなってきました。「悪性貧血のライン」まで下がることがなくなりました。一度4.9ngまで下がり、悪性貧血になったことがあります。そのときは通院の間を開けすぎて、取り返しのつかないことになると主治医に叱られました。現在の病名は「鉄欠乏性貧血」です。
 
 1/18は主治医になってもらうドクターとの初めてのコミュニケーションだったから、まずはドクターのご意見を聞きました。3か月に一度フェジンとビタミンB12を静注していると説明したら、「それなら、(サプリも)少しはきいているかも」と仰った。
 検査結果を見て、フェジンとビタミンB12の静注をすべきか否かを判断するという。最初はちょっと心配になりましたが、さいごの言葉でホッとしました。
 鉄サプリを飲んでいるのに「やめました」と嘘は言いたくないのです。病状を正確に把握してもらうためには患者は嘘をついてはいけません。信頼関係を壊しますから。
 東京で主治医をお願いできそうなドクターが決まり、新しい関係が始まったのですから、それを愉しむことにします。なんだか新しい会社へ転職したような気分です。(笑)


<極東の町の主治医に感謝>
 極東の町の主治医は、ワインバー・サリーで何度かお会いしてから、もう20年来のお付き合いです。だから病歴も経緯も最初からご存じ。お父さん先生には平成3年にオヤジが大腸癌の診断をつけてもらいました。オヤジが焼き肉屋をしていた時に、わたしの主治医は中学生だった。帰省すると、「岡田医院の息子は焼き肉の食べっぷりがいい」とよく言っていたので記憶にあったのです。その息子、つまり大先生の孫を7年間ニムオロ塾で預かって個別指導しました。道北道東推薦枠で、国立旭川医大へ2年前に現役トップで合格しています。一般入試でも余裕で合格の得点だったようです。2次の小論文テストが300点満点中295点だったのは、6年間消失の音読テクスト17冊を選んで、音読トレーニングをしたことが寄与していたのでしょう。本の中身について大学のゼミレベルの議論を中3のあたりからしていました。レベルを上げてもしっかりついて来れたんです。知的には早熟な子供でした、もう20歳になりました。

 そういうわけで、極東の町では主治医とのお付き合いが長かったので、阿吽の呼吸で...いろいろ無理も言ったし、聴いてもらいました。抗癌剤TS-1の副作用が強かったときに、2クールほど休んだり、量を減らしています。「休んだり量を減らすと再発の危険性があります」と警告がありましたが、「そのときは運命、受け入れます」と無理を承知で押し通しました。逆隔離入院しなければならないほど、白血球数が基準値を大幅に割り込んだ時期があったのです。日和見感染で命がなくなりかねない白血球数でした。塾を休んで入院治療を受けるよりは、再発のリスク覚悟で授業を続ける方を選びました。どうせいつかは死ぬ、それなら前のめりで死にたい、病院のベッドでは死にたくないというのがわたしの本音でした。主治医は理解してくれました。まだ、お子さんを預かる数年前のことです。術後8年たった2014年1月6日、小学5年生の正月から、息子さんをお預かりしました。その時点で、首都圏で難関大学受験の生徒達とは、受験勉強のスタートが1年と9か月遅れていました。首都圏で難関大学を受験する生徒は有名私立中学を受験するので、45年ほど前は小4が受験勉強のスタートでした。その差を詰めるために受験戦略を立てました。PERTチャートで大雑把にスケジュールを具体化してみたのです。高2の時は数ⅡBでクリティカルパスが生じて少し追われましたが、生徒の方が事情を理解してよく対処してました。戦略がなければ間に合わなかった。理系の生徒は国語の得点が問題になるので、小手先の受験テクニックを教えることではなく、質の高い本を17冊選んで、日本語音読トレーニングをすぐに始めたのです。それが功を奏しました。著者の考え、対立する考え、わたしの考え、自分の意見と4通りの読み方を随時していたので、論理的思考のトレーニングでもありました。大学の優良なゼミで学んだくらいの効果はあっただろうと思います。
 地域医療を担う医師を一人育てたいと思っていましたので、授業中に地域医療問題や毎年17億円の赤字を出している市立病院の具体的な経営改善の仕方も含めて、雑談の話題に取り上げて議論していました。この生徒は標準的な難易度の数学や英語の問題なら、雑談しながら問題を解けるんです。手が止まってしまう生徒には3分以上話しかけません。
 主治医が息子をニムオロ塾へ通わせてくれたおかげで、30年後の極東の町の地域医療が担える人材を育てておきたいというわたしの希望が叶いました
 2006年に巨大胃癌とスキルス胃癌の併発をして、診断をつけていただき、入院する病院を紹介してもらいました。術後は3か月に一度経過観察をして胃だ抱きました。簡単に言うと、命を救ってもらったわけです。命を永らえたお陰で、偏差値45の根室高校から国立旭川医大へ現役合格者を出すお手伝いができました。たまたまそれが息子さんだった。運命の糸は複雑に絡まっていました。

<余談:体の変化の感知>
 2006年6月6日の朝、前日お昼に食べたうどんが、朝起きたらまだ消化されていない、逆流して苦しい。夕食は摂れませんでした。膨満感があり朝ごはんも食べられない状態が来てしまいました。女房殿に「もうご飯も食べられなくなっているのにどうして病院に行かないの」と叱られました。オヤジの男兄弟4人全部が癌で亡くなっていました。それぞれ別の癌です、オヤジは大腸癌でしたが、肺癌と肝臓癌で二人亡くなっています。オヤジは70歳で大腸癌の手術の後、2年で再発し全身転移で亡くなっています。だから、70歳前後で誰も罹っていない胃癌になると思っていました。それが57歳のときだったから焦った、しかも臓器は予想が的中して胃でした。早すぎる。ほんとうに焦りましたよ。結果は分かっているのですから、病院へ行って診察を受けるのが嫌でした。オヤジの兄弟では手術で入院したまま亡くなるケースが2人いました。女房のお父さんも、病院へ検査入院して末期の大腸癌であることが判明し、治療の施しようがなく5か月後に69歳で亡くなっていました。57歳だと進行も速いことが容易に予想できました。

 極東の町の消化器内科医は一人だけ、岡田先生のみ。市立病院には当時は消化器内科医も消化器外科医もいなかった。初めて岡田医院へ診察してもらいに伺いました。岡田優二先生に、昨夜食べたうどんが消化できない、胃を通過できない、膨満感がある、オヤジも含めて男兄弟はみんな癌でなくなっているので癌家系であることを説明し、「胃癌だと思うので内視鏡で診てほしい」と伝えました。ヘンな患者が来たと思ったでしょう。
 内視鏡で幽門手前に巨大胃癌が映っていた。岡田先生は思わず「鉗子!」と叫んで、看護師から鉗子を受け取り、内視鏡の細いパイプ中を通して患部をつかみ取りました。細胞診検査に回すためです。後日、細胞診検査結果は診立てどおりの癌でした。
 内視鏡検査が終わった後、映像を見せてもらってます。大きな癌が幽門をふさいでいました。胃の出口の幽門が見えないのです。内視鏡がその先へ入っていきません。それくらいふさがってしまっていました。「食べ物は通らないからすぐに入院するように」と勧めてくれましたが、17日後の6/23に中学生の前期中間テストがあるので、

事情を話して、その当日の6/23まで入院を伸ばしてもらったのです。「食事が通る状態ではない、普通の生活は続けられない」、そう仰った。その通りでしたが、ヨーグルトを少し食べながら体重を減らしつつ、2週間と3日間凌ぎました。釧路市立病院は1か月待ち、釧路医師会病院なら先輩が副院長なので、すぐに入院の手配ができるというので、そこに2006年6月23日の9時に入ることに決めました、ありがたかった。これで逝っても本望でしたが、なぜか助かるような気がしていました。生徒達には、テスト結果をメールで送るように行って、1か月間の休塾を伝えました。「お腹にお出来ができたので、入院して手術します、恥ずかしいから内緒にしておいて」そう説明すると、げらげら笑ってくれました。「先生、内緒にしておくから、早く帰ってきてね!」、うれしかった。その中の二人が看護師さんになって働いて、極東の町の地域医療を支えてくれています。
 内視鏡診察の時に、「幽門手前が詰まっていることは自覚症状と一致していますが、もうひとつ、重くて冷たいものが広がっていっている感じがしています、おそらくスキルス胃癌だと思うので、粘膜細胞を採取して病理診断をしてもらえませんか?」と頼みました。粘膜の採取は外科手術設備がないとできない、入院しないと無理だと説明がありました。そうですよね、粘膜細胞を採ったら穴が開きかねません。浅はかな素人考えでした。6/23に入院してからスキルスの診断がつくまで3週間ほどかかっています。スキルスがあるのとないのでは術式が違うのでちゃんと事前に正確な診断をつけてもらう必要がありました。副院長の富田先生がガストロ映像でスキルス胃癌の診断をしてくれました。術後に摘出した臓器がSRLへ病理診断標本として回されました。執刀した外科医の後藤先生が説明してくれましたが、病理診断書はSRLのものでした。「巨大胃癌とスキルス胃癌の併発」と書いてありました。

(わたしがSRL八王子ラボで仕事していた当時は(86年12月から91年まで)名取さんが病理検査課の課長をしていました。病理医が4名いたかな。高橋先生(技術部門担当副社長)、塚田先生、島田先生、三人だけお名前の記憶があります。学術開発本部スタッフとして仕事していた時に、高橋先生の個室はわたしの席から歩いて6歩、創業社長の藤田光一郎さんの個室はわたしの背中にパーティションがありました。だから3歩でした。光一郎さんはドアは開けっ放しですから、普通の声で話していると内容がわかります。一度だけどなったことがありました、演技でしたね。内部告発があり、部長職を叱らなければいけない特別なシーンでした。滅多に人を叱責しない人なのです。ある時A専務が羽田にハイヤーでお迎えに行きました。緊急の要件があったからです。藤田さん出迎えたA専務に、「社員が車を運転して集荷しているのに私はハイヤーなんて乗りません」ときつく叱って、A専務を置き去りにして、さっさと羽田からモノレールに乗って浜松町へ、山手線に乗り換えて新宿本社へ戻ったとか。創業社長の光一郎さんはそういう人でした。親に反対されて家出して奥さんと一緒になった、そんな話は光一郎さんご自身から聞いたんだったかな、社内での噂話だったのか覚えていません。製薬会社の富士レビオと臨床検査会社のSRLの2社を創業し、東証1部へ上場を果たした、日本初の経営者でした。金沢の臨床検査会社の経営分析と買収、東北の臨床検査会社の経営分析と資本提携の2つは光一郎さんの特命案件でした。3か月くらいの間に両方、分析と交渉を担当してます。「どちらか好きな方を選んで出向してください」と言われましたが、東北の会社の社長が資本提携にはわたしが役員で出向することが条件だと申し入れたので、選択の余地はありませんでした。14か月で黒字化案をつくって最終確認にSRL本社へ社長と副社長に説明に行ったら、翌月出向解除、本社勤務で呼び戻されました。3年の約束でした。黒字化も約束の一つでした。SRLを上回る売上高経常利益率になる具体的な経営改善案を作成して持って行ったら、「やるな」ということ。経営改善案が劇的過ぎたのです。SRLグループでナンバーワンの業績の会社の出現を意味していました。出向解除と同時に出された辞令は、経理部管理会計課長、社長室と購買部兼務の辞令でした。それぞれやるべき具体的な課題がありました。子会社経営管理は25項目のレーダチャートと、それに基づく総合偏差値評価の方法を関係会社管理部に在籍したいたときに、やって見せてますから、1年我慢して経営管理部として独立してもよかった。管理会計課には鍛えるのに応えてくれそうないいスタッフが3名いました。)

 冬季間は雪かきに精を出して、汗びっしょり。あるとき、腰のあたりがダル重くなりました。ダル重さがとれません。おかしいなと思っていたら、腰の左側に痛みが走るようになって、おしっこに赤い色がつきました。12/30だったかな、苦しくて主治医に電話して症状を伝えたら、
「尿管結石の症状です、辛ければ救急車を呼んで入院したほうがいい、我慢できるなら1/6にX線CTを撮るように手配しておきます」
 それで、水分をたくさん摂るようにして過ごしました。1/6にはもう痛みがなくなっていました。CT画像には膀胱のところに白い粒がはっきり写っていました。2度目は東京に来ていた時に、今度は右側がダル重くなり、すぐに痛みが走るようになって、泌尿器科の病院へ駆け込みました。痛み止めの座薬で翌日には出たようでした。

 このように、だれでも自分の身体に起きている変化がわかることがあります。そういうことも理解してくれたら、主治医とコミュニケーションがスムースにいくのですが、相互理解には時間がかかります。
 こちらの病状や治療の仕方についての希望を理解してもらうことも大切ですが、主治医の話を聞くのが先です。スタートしたばかり、1年間どんなふうになっていくか楽しみたいと思います。

 次回は金曜日に緊急で治療をお願いした経緯をアップしようと思います。歯科医とのコミュニケーションについても言及することになりますが、H先生とはもう24年の付き合いになっていますので、良好なコミュニケーションが成立していてとっても安心です。要するに、医師と患者のコミュニケーションが熟成するには数年単位の時間がかかるということ。あたりまえですね、焦らず、慌てず、ゆっくりやればいいのでしょう。

<標準臨床検査項目コード作成に関するドクターとの縁>
 どういうわけかドクターには恵まれています。櫻林郁之助教授が臨床病理学会項目コード委員会の委員長でした。SRL入社の年、1984年に彼から臨床病理学会項目コード検討委員会の仕事を手伝うように依頼がありました。経営統合システム開発という大きな仕事を抱えていたので、そのときはお断りしました。やりにくいなら、総合企画室への異動を創業社長の藤田さんへお願いしに行くというので、やめてもらいました。東証2部上場のための、大きなシステム開発だったので交代できる人がいませんでした。
 1年間でシステム開発が完了し、暇に飽かせて1986年に「臨床診断システムの開発と事業化案」を書き、創業社長の藤田光一郎さんに200億円の予算を認めてもらって、フィジビリティスタディを開始しました。プロジェクトを10個に分割した中の一つに、項目コードの標準化がありました。大手六社で業界内の検査項目コードの標準化をしようとBMLから呼びかけがあったときに、業界内のコードでは病院が使ってくれないので、臨床病理学会の櫻林郁之助教授に参加してもらって、学会から公表してもらおうと提案し、全員賛成で、先生を招聘することになりました。臨床化学部の免疫電気泳動の指導医でもあったので、川尻臨床化学部長を通じて、櫻林先生へ連絡を取ってもらい、1987年に産学共同プロジェクトがスタートしました。大手六社で使っている項目コードを全部出してもらって、学術的な分類をしています。そして附番しました。メンテナンスをしないといけないので事務局をSRL内に置いています。いまでもそうでしょうね。日本中のすべての病院とクリニックのシステムがこの臨床検査項目コードで動いています。2年に一度、保険点数が変わりますが、その都度、項目コードと保険点数のテーブルが作成され、ネットにアップされています。病院のパッケージシステムがそれを取り込みに行くので、病院で個別に入力する必要がなくなりました。

 1990年からその産学協同プロジェクトで創られた臨床検査項目コードが臨床病理学会から公表されて、日本中の医療機関で利用されています。あれから33年たっていますが、いまだに世界中で日本だけです。先進的な事例になりました。わたしは臨床検査項目コードの世界標準をつくるつもりでした。「臨床診断エキスパートシステムの開発と事業化」のインフラ整備プロジェクトの一つでした。

(極東の町の市立病院の経営問題を取り上げたときには、元院長のドクターとメールで具体的な話を頻繁にしてました。決算資料を見て経営分析して経営改善案を練っていましたが、その裏付けが必要でした。元院長からの情報はとっても役に立ちました。どういうわけか、地域医療の問題を取り上げると、こういうキーマンが全面的に協力してくれるのです。自分の利害損得を度外視しているからでしょう。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」でいつでもいいのです。)



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#4912 血圧が最高値を記録:北海道と東京の暖房装置の差 Jan. 21, 2023 [38. cancer]

 今朝、おしっこに起きて布団に戻って少し経つって、左胸部が苦しくなった。寝ていられないほどの締め付けられるような苦しさである。起きてかがんでみて、少し楽になったような気がして、布団に入り右掌をそのあたりにあてて、15分ほどしたらおさまった。心臓回りの欠陥に異常があるのかもしれない。こんな症状が度重なるようなら、循環器の専門医で受診する必要があるかもしれない。まあ、今回は初めてだからしばらく様子見してみよう。
 もう一つ気になる自覚症状がある。3回ほど、背中の左側、腰に幾分近いあたりにビリッとした痛みが走った。そんな症状はいままでなかったので、ちょっと気になる痛みである。これもしばらく様子見だ。

 金曜日に最寄りの消化器内科を見つけて、紹介状を持参して受診したときにドクターが血圧を測定してくれた。いつも「50-90」前後なので事前に話したら、実際の測定値は「75-118」だった。高い方が100を超えたことはスキルス胃癌の手術をしてから一度もなかった。ドクターは「50-90なんて測定の間違いでは?」というような怪訝な表情をしていた。
(腹腔内のリンパ節も一部摘出している。免疫機能の低下くらいの影響はあるだろう。「70-130」あった血圧が、術後に最近まで「50-90」へ低下していたのはそのメカニズムがわからない。赤血球数が基準値ぎりぎりであることや、ヘモグロビンの値が基準値以下であること、白血球数が基準値以下であることなどが、血圧にも関係しているのだろう。)

 これら二つの現象、左胸部の締め付けるような苦しさと血圧上昇に何か原因があるとしたら、暖房装置の差かも知れない。
 極東の町ではセントラルヒーティングでリビングは床暖房装が入っていた。だから、足が冷えるということはないし、食後に横になると体全体が温かい。室温は20-23度だが、床は40度ほどある。
 11月下旬に越してきて、東京の住まいはガス温風ヒーターである。書斎は座布団程度の大きさの電気マットを敷いている。いまもお尻が温かい。読書やパソコン操作は書斎でやるが、室温は14度ていどである。日中は19度くらいまでアップするが、朝晩の室温は低い。血圧が上がる理由はこの辺りにあるのかもしれない。

 左胸部が苦しくなったのは、布団の中とトイレの温度差によって、血圧が急上昇したことによるのかもしれない。これは、どうしようもない。もっと温度差の大きい北海道ではそういう症状は起きたことがなかった。トイレの暖房は切ってあったのだが、どれでも心臓のあたりが苦しくなるということはなかった。

 極東の町はクリスマスのころから根雪になるので、今の季節は、雪かきで忙しい。週に2日くらいは3-4時間雪かきに精を出し、汗びっしょりになる。あの運動が体にはよかったのかもしれない。
 こちらではよく歩いているが、汗は出ない。マウンテンバイクで駅までおりていくと、帰りは上り坂なので汗びっしょりだ。700mほどで50m上ることになる。坂の途中から一番軽いギアに替えても、汗びっしょり。(笑)
 滅多にMTBには乗らない。週1なら多い方だ。

 野球のバットを担いだ中学生がすいすい上っていく。若さっていいな。(笑)

*胃癌の手術を受けた人の参考になれば幸甚です。
「3551 フェリチン10ng⇒18ngへアップJune 8, 2017」



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#4911 消化器内科クリニックで受診 Jan. 18, 2023 [38. cancer]

 昨年11/23に東京へ20年ぶりに戻ってきました。2006年7月に巨大胃癌とスキルス胃癌を併発して、胃と胆嚢の全摘、胃の周辺のリンパ節切除、浸潤していた横行結腸の一部切除手術を受けているので、3か月に一度診察をお願いし、必要ならフェジンとビタミンB12を静注してもらっています。
 
 周辺に3か所、消化器内科医のいるクリニックがあるので、交通に便利がいいところを選んで、診察をしてもらいました。紹介状を見て、術後の経緯や飲んでいるサプリについて質問があり、血圧を測定。75-118でしたが、術後16年間で血圧が100を超えたのは初めてでした。50-90くらいで、知らない看護師さんは首をかしげて測り直します。
 身長・体重を測定した後、尿検査、そして心電図。心電図は異常ナシでした。

 結果が出るまで1週間ということ。LSIと検体ボックスに書いてあったので、LSIメディエンス、元の三菱BCLに外注している様子。腫瘍マーカーが入っていない、一般検査だけなのにずいぶん日数がかかるようです。極東の町でも、腫瘍マーカーが入った場合で1週間でした。
 1時間40分で全部終了しました。待っている時間は『NHKラジオ英会話』テキストを眺めて暇つぶしてました。

 鉄欠乏性貧血症状があるので、検査結果(血清鉄)を見て、フェジンとビタミンB12の静注を決めるとのこと、通常の手順なので、それで安心できます。これで「掛かりつけ医」が決まりで、ホッとしています。

 COVID-19ワクチンを何回打ったのか訊かれました。ワクチン打っていませんと答えると、次にはインフルエンザワクチンはと聞くので、打っていませんと答えると、「罹らないように気を付けてください」「はい!」。
 


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#4889 腸閉塞症状? Dec. 4, 2022 [38. cancer]

 昨日、ミニトマトを何個かトッピングしたポモドーロソースのスパゲッティをお皿に1/4ほど食べたあと、腸が詰まって、それ以降吐き気がして20回以上少量ずつ吐きました。
 巨大胃癌とスキルス胃癌の併発で2006年に手術し、胃と胆嚢は全摘、大腸も浸潤していた横行結腸を一部切除しています。空腸を首のところまで持ち上げて接続し、胆管を小腸へ接続しいくつかそのあたりのつなげ替えをやっており、管が細くなっている部分があります。つまり詰まる場所が二つあるということ。首のところで詰まるとしばらく5-10分間ほど食べられません。下の方で詰まると20-30分くらいは苦しくなり、吐くとよくなることがわかっているが、なにしろ胃がないので下の方のつなぎ目が詰まると、そこから吐くのは距離があるのでなかなか難しいのです。
 途中ですこしだけ水を飲んでみましたが、すぐに吐くので吸収できません。お手上げだったのです。横になっても苦しい。布団を敷いて天井を向いて横になったら、奥の方に詰まっているのが逆流してきました。それで食べた分がようやく吐けました、午後10時ころです。その後、水が飲めるかと思ったら、痛みがなくなっただけで、やはり飲んだ水を4回吐いてしまった。

 偶然でしたが、上を向いて水平に横になれば、奥の方に詰まっている食べたものが流れてくるのがわかりました。そのあとなら吐きやすくなります。それまでは食べたものというよりもネットリした粘液が少量でるだけでした。
 吐くときに、一部が気管支の方へ入ってしまい、肺炎を起こしそうです。一度ありました。

 あんなに苦しかったのに、朝にはよくなっていました。体重を測ったら56.5kg、引っ越し前は61kgありました。2006年に手術してから、体重が最低値を記録してしまいました。
 こんなに長時間苦しかったのは初めてです。今日も食べられなければ、水分が失われて、腎機能の異常がでそうで心配でした。胆管から胆汁液が出っぱなしなので、腸が消化されて炎症を起こすのではないかということも心配だった。

 昨日の苦しさが嘘のようになくなりましたが、食は細い。4.5kgを順調に取り戻すのには4か月以上かかるだろう、いまはこれ以上体重を落とさないことを心がけるだけ。痛みや苦しさは去ったが、まだいつもの半分程度の量しか食べられない。
 胃がんの手術をしてから16年がたったが、こんなことは初めて。

 周辺3㎞以内で消化器内科医のいる病院をネットで探したら一つヒットしました。今月中に一度行って診察をお願いするつもりです。でも、いまは、歯科治療を優先します。
 月曜日は歯科医院で左下奥歯のインプラントの日程相談をすることになっています。

 案外もろいんだな、昨日はこのままダメになるかもしれないとあきらめかけました。(笑)
 生きるということににあまり執着がなくなっています。

 北の勝の「大吟醸酒」と「搾りたて」をもってきましたが、「搾りたて」の方の栓を開けました。具合がよくなったので、お祝いです。


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#4770 3か月定期検診:血糖値High、貧血気味 June 17, 2022 [38. cancer]

 昨日(6/16)先週採血した血液検査結果を聞きに岡田医院へ行ってきた。
 主治医から検査結果の説明があった。特に大きな変化はない。血糖値を除いては基準値内だ。
 食後1.5時間の採血だったから血糖値が高い、210mg/dL H↑と印刷されていた。Hは基準値よりも高いHighというマーキングである。いつもは180~190mg/dLぐらいだから少しアップしている。スキルス胃癌の手術をして胃と胆嚢の全摘、胃の周辺のリンパ節や横行結腸の一部切除をしているので注意していないと低血糖症状を起こすので、数時間おきにお菓子や果物を食べているから高血糖になるのは仕方がないが、それにしても少し下げたほうがいい数値だ。だが、A1c基準値内だからそんなに心配はいらぬ。それに加えて慢性的な貧血症状があり、フェリチン(貯蔵鉄)は基準値下限の21.0ng/mLだった。フェジン(鉄剤)とビタミンB12を静注してもらった。

 2週間ほど前に仕事が終わって9時半ころに食事中に喉のところまで引っ張って接続している空腸の真ん中あたりに違和感があり食事を中止した。5分ほどしたら、キモチが悪くなりヒア汗と口の中に唾液が急激にたまり始める。食べたものが、手術で切ってつないだところを通過できずにあることがわかる。口の中にたまった唾液は呑み込むことができない。急に吐き気がして、吐いた。吐いたのは1年ぶりくらいかな。
 小腸の調子がどこかヘンだ。横になって体を観ると小さな痛みを感じた。かすかにするだけで少し待っていると消える。頻繁に起きるようなら内観して得られた情報を言って診察してもらうことになる。
 就寝する時間は午前1時で今までと変わらないが、寝つきが悪いことが多い。昼寝を2度したりするからだろう。昼寝しないと意識の集中が続かないので、寝てしまうが、身体が慣れていない様子。

 12000題を超えたメール配信している英作文問題と解説集はまだ、2か月分の校正を残したままだが、仕事は区切りがついたので、そちらに大きな時間を奪われることはなくなり、生活リズムが変化した。それに身体がまだ慣れていない。
 12時ころに寝て、6時ころ起きれたら、身体にはよさそうだ。なかなかむずかしい(笑)

 3か月に一度、病歴を熟知している主治医に診てもらうと安心です。
 岡田優二先生ありがとうございます。


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#4729 主治医のありがたみ:3か月に一度の定期検診 Mar. 15, 2022 [38. cancer]

 2006年7月にスキルス胃癌と巨大胃癌の手術をしてから16年目です。年に4回、ずっと岡田優二先生に定期検診してもらっています。先週採血した検査結果を聞きに行きました。
 中性脂肪が少し高めでした。血清鉄はOKでしたが、貯蔵鉄が減っていたので、元気な看護師長さんにフェジンとビタミンB12を静注してもらいました。これで、6月まで大丈夫です。癌マーカーも異常なし。

 1984年に臨床検査最大手のSRLへ上場準備要員として採用された年に、新規導入検査項目だったのが癌マーカーのCA19-9ですが、今回の検査に入っていました。親会社の富士レビオの子会社である東レ富士バイオから購入していました。岩本経理部長からグループ企業間取引は上場審査要件だから、値段の決め方を先方の役員と打ち合わせて決めてきてくれと言われ、新宿西口ニッセイビル(都庁ビル前)22階の本社から練馬の子会社SRL東京ラボへ出向き打ち合わせました。TFBがその近くにあったからでしょうね。1か月間のTTBの平均値で翌月の仕入レートをすることを提案し、予定の決済ドル額に対して、為替予約をしておくことで、東レ富士がわに差損が発生しないようできることを説明して了解いただきました。入社して2か月目くらい、桜が咲いている頃でした。だから、CA19-9は懐かしい検査項目なのです。CA19-9だけでは何の癌かわからないので、CEAと組み合わせて絞り込みます。CA19-9が(+)でCEAが(-)の場合と(+)の場合があり得ます。CEAが高値の場合は、胃癌や大腸癌などの消化器系の癌や肺や肝臓の炎症が疑われます。CEAが基準値以下なら、消化器系以外の癌の疑いがあるというわけです。消化器系の癌と言えば膵癌もあります。
(1991年の塩野義製薬と膵癌マーカーの検査試薬共同開発を学術開発本部で仕事しているときに担当しました。開発部が学術開発本部に所属していたので、開発部内の共同開発会議に出席するだけでなく、共同開発手順を標準化するために2項目だけ担当させてもらいました。自分の手でやってみることも大事なのです。開発部のメンバーからヒアリングし、PERTを使って2か月ほどで共同開発手順を標準化してます。メンバーそれぞれが自分独自の手順で仕事していたので、開発課長の藤波さん(京都大学出身者)も学術開発本部長の石神取締役もマネジメントに困っていました。もう一つの共同開発検査試薬はDPC社のⅣ型コラーゲンでした。藤波さんマネジメントが不得手なだけで、人っ子のいい人でした。彼との仕事は愉しかった。学術開発本部長の石神さんはわたしを後釜に据えるもりでしたね。学術情報部の仕事も精度保証部の仕事もわたしに担当させました。三つの部の仕事をマネジメントできる人材がいなかったのです。石神さんに誘われて購買課から異動して、2年弱後に、あたらしい「関係会社管理部」ができることになり、社内公募があったので応募しました。これには一つ理由があったのです。そのまま学術開発本部にいたほうがずっと楽でした。競争相手はいませんでしたから、人と争うこともありません。何より上司の石神取締役の仕事の信頼が厚かったのです。あるときこんなことを言ってました。「数年後には俺がお前に使われているかもしれないな」。公募に応募した後、上司の石神さんに報告するつもりでした。本社の副社長からすぐに電話があり、話があるから応接室の予約をしておけと指示され、すぐに八王子ラボまで谷口副社長が来て、「上司の石神取締役には報告するな、報告すればこの異動はなくなる」と言われ、しかたなく報告しませんでした。異動の社内公示があって、石神さんに呼ばれて叱られました。彼にとっては寝耳に水でしたから。本社で経営情報系システムの更新をしなければならず、わたしを呼び戻そうとしたが、石神さんがわたしの経営管理部への異動に強硬に反対したことがあったのです。それで谷口副社長が事前に漏れないようにわたしに口止めした理由がわかりました。)
 そういうわけでCA19-9のほかにCEAも検査報告書に載っていました。どちらも異常なし。毎度のことですが、血液検査とその結果を主治医の口から聴けるのは幸せです。いままでの病状を知ってもらっていますから、安心なのです。

 いつも思うのですが、岡田医院も市立根室病院も、通院するとこんなに病気の人がいるんだと驚かされます。今日はとっても混んでいました。お年寄りが多いですね、わたしも含めて。身体はだんだん壊れていくんです。同じくらいの年配の人同士が話していました。
「どうした?」
「癌と脳梗塞と...」
「元気だからいいね」
「成人病はあるし、病気のデパートだ」

 ...誰でも老います、だから、主治医がいることはとっても大切でありがたいことなのでしょう。


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#3834 サバス・ホエイプロティンの功徳:ああ、ありがたや Oct. 12, 2018 [38. cancer]

 ebisuはスキルス胃癌と巨大胃癌で胃の全摘手術を2006年7月20に受けている。術後は体重が11㎏減少して58㎏、それからは59-61kgの間を行ったり来たりしていた。

 弊ブログへ投稿してくれるkoderaさんがサバス・プロティンの飲用を勧めてくれて、根室のドラッグストアで探したがなかったので、そのままになっていた。
 サイクリングによる「出力」と筋肉の材料となるたんぱく質の「入力」のバランスを考えると、「入力」不足を感じていた。ebisuは運動すると筋肉がつきやすい質(たち)なのである。
 ふと思い出してネットで検索してamazonに注文したら日曜日10/7に届いた。引用の規定量は「水もしくは牛乳200-300ccに付属のスプーン3倍」なのだが、そんなに飲んだら下痢して痩せるので、「牛乳100ccにスプーン1杯」を毎日飲んでいる。すでに5日たったが、体重は61.0㎏から62.0㎏へ増えた。これは術後で最大値である。太腿周りは1㎝増えて49.5㎝効いている!koderaさんに感謝!
 大腿部に筋肉がつくと、バランスを失いふらついたときに踏ん張りがきくのでよろけない

 身体に合っているようなのでこのままの分量を続けようと思う。ebisuの身体を使った実験データは随時ブログへアップします。胃癌で全摘手術を受けた方、あるいはこれから受ける方の参考になれば幸いです。

 運動とプロティン補給は両方のバランスがとれれば効果が大きいので、ebisuが普段やっているストレッチや運動のことを書いておきます。
 運動量としてはほとんどカウントできないくらいの軽いメニューをいくつか気の向いたときにやってます。
 毎朝ベッドの上で10-15分くらい4タイプのストレッチをしてから起きますが、これはルーチンですから、毎日やります。開脚で胸がぴたっと床につきます。開脚したまま手の先を握りながらゆっくり左右に倒します。左右3回ずつやります。ベッドの端で背中をそらせます。手術の前まではブリッジしてそのまま立てました。術後は切った部分が突っ張るのでやらなくなったらできなくなりました。最後は足を組んで体をねじります。これも左右3回ずつ。身体がきもちいいと声を発するところまでひねります。4種類ともスローで反動を付けません、身体の重みを利用しながら動かすだけ。動作ごとに身体が「キモチいい」と声をあげます。繰り返しやっていたら身体の声が聞こえてきます。冬以外は窓を開けて朝の新鮮な空気を入れて、すべての動作でゆっくり深い呼吸を続けます。
 気が向いたときに1.2㎏、110㎝の素振り用木刀を50回ほど振ります、身体が温まる程度で十分です。お相撲さんがやるように蹲踞の姿勢ですり足で庭を往復します、もちろん気が向いたときだけですが、大腿部に筋肉がつくだけでなく股関節がやわらかくなります。
 気が向けば車庫前でMTBの8の字乗りやジグザグ走行、車の来ない脇道で時速3㎞以下でのバランス走行、速度計がつねにゼロを指すような速度で。
 あとは週に2度くらい13㎞と4㎞のサイクリング。昨年は毎週18㎞のコースを2回以上走っていました。年間1800㎞走りましたが、今年は半分以下です、自然に減りました。体力が落ちたのでしょう。あるがままを受け入れるようにしています。
 テレビを見ながらスクワットもたまにしてます。使っている筋肉を一つ一つ意識しながら、スローなほど効きます。(笑)

<ザバス・ホエイプロティン>
 袋のサイズが結構大きいのです、これで50日分入っているので、1週間分量くらいを広口の瓶に移して使ってます。
SSCN2200.JPG




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#3795 「12周年」:what?⇒スキルス胃癌生還 Aug. 1, 2018 [38. cancer]

 今日水曜日は仕事はお休みです。昨年から体力に合わせて週休3日体制で仕事してます。
 すっかり忘れていました、スキルス胃癌の手術をしてから12年が過ぎてしまってました。内視鏡で癌の診断をつけてくれ、その後ずっと経過観察とアドバイスをしてくれている岡田優二先生、そして困難な(そして手遅れだった)外科手術を担当してくれた後藤幹裕先生(当時30歳代前半?)のお二人に感謝申し上げたい。

 2006年6月初旬に胃癌の自覚症状があり、地元の岡田医院で若先生の優二さんに見ていただいたら、やはり「巨大胃癌」(術後のSRL八王子ラボ病理検査報告書に記載の表現)が幽門前庭部にみつかりました。胃の幽門は十二指腸へつながりますが、幽門の手前、前庭部にできた悪性腫瘍が腸への経路を塞いでおり、すでに食べ物が通る状態ではなくなっていました。ヨーグルトだけで2週間ほど持たせました。中学生の期末テストが23日からだったので、授業を休むつもりがありませんでした。ドクターからは「そんな状態ではない、すぐに入院すべきだ」と叱られました。わがままな患者でした。スキルスの自覚症状があったので岡田医院で検査をお願いしましたが、粘膜のサンプル採取は胃粘膜に穴をあけるリスクがあるので、外科設備のある施設でないと無理、だからすぐに入院するように強く勧められました。結局23日に釧路医師会病院へ入院し継続して検査、やはりスキルスはありました。スキルスは胃粘膜内部にできて、広がっていくので、内視鏡で胃粘膜を観察しても見つけられないのです。胃壁の内部を内視鏡鉗子でつまんでサンプルを採取し病理検査しないと判定がつきません。自覚症状はあります。
 スキルスの自覚症状を説明しておきましょう。胃が冷たく重い感じがしてそれがじわじわと日に日に広がっていくのがはっきりわかりました。じっとしていても体の声が聞ければわかりますし、瞑想してもわかります。体の中に冷えた金属があって広がっていくような薄気味悪いものです。体の中に異生物ができてじわじわ広がっていくのがわかります。自己流のヨーガを十代からやっていたので、身体の声を聞くことに慣れていました。それでスキルスがあるとわかったのです。
 スキルスの内科的診断は副院長の消化器内科医富田先生が丁寧なガストロ造影で診断をして発見してくれました。胃大彎(たいわん)部**粘膜の病理サンプルも北大病院へ送り確認しましたが、やはりスキルスとの診断でした。
 診断がついたら手術のスケジュールが組まれます。スキルスがあるはずだから調べてほしいと余計な注文を付けてために診断が遅れました。手術は7/20入院してからほぼ一月たっていました。その間は食事は摂れず、経管栄養補給と液状の栄養補給剤を飲んでいました。二年に一度ほど断食していたのでこれもどうってことはありませんでした。断食期間中は食欲そのものがなくなりますから、楽なんです。手術前に体重は8㎏ほど減少していました。退屈だから高校数学の問題集を2冊解き、毎日ストレッチをして楽しんでました。壁に片足を上げて180度に開いて挙げた足を抱えるようにして伸ばします。伸ばされた筋肉が気持ちいいと声を上げるのが聞こえます。

 5年たった時に、定期診察時に「もうだいじょうぶですね」というと、優二先生が「7年目の再発という事例があります」と、冗談ではなさそうなご託宣でした。その7年目も無事すぎました。ありがたい。
 12年目の今年は、7/20の手術日をすっかり忘れていました。

 筋肉量維持(=体重維持)と楽しみのためにサイクリングをしていますが、原野中央部からオホーツク海へ出て、また原野を横断して太平洋沿いを走るDコース22㎞はきつくなってきたようです。土曜日に走りましたが、水分バランスが戻るまで4日間を要しています。28日土曜日の最高気温は26.4度、湿度84-100%、この夏二番の暑さ(7/16の最高気温27.0度が一番、7月に25度を超えたのは2日だけです)でした。汗を1500㏄ほどかいていますが、水分補給は走っているときに150㏄程度、家に戻ってきてから200㏄くらい、あとは徐々に水分補給をするしかありません。コップ一杯でも一気に飲むと下痢をして水分が失われ、体重が減るのでできないのです。胃がないと水分補給がむずかしい
 体細胞に水分が不足すると、自分の声が頭蓋骨に響きます。女房殿にはすぐにわかるようで嘘はつけません。
 体の水分バランスが崩れて、回復に4日間かかることが2度の実験データでわかりました。20度を超えている日は22㎞のDコースはやめておきます。納沙布岬仲介コースは46㎞ありますが、いける日があるかな?昨年は3度走っています。
 昨年はロードバイクとマウンテンバイクで1800㎞走ったのですが、今年は700kmくらいに抑えます。同じことをやったら体調を崩すだけでなく、水分不足で血液の粘度が上がり脳梗塞を起こしかねません。暮れから正月にかけて尿管結石で一月間ほど体調を崩しました。どのように姿勢を変えても眠れないのです。それと痛い。主治医に症状を話すと「尿管結石だろう」との診断、痛みが我慢できなければ救急車、我慢できるなら正月5日に市立病院でCT画像撮影といわれ、撮ったら膀胱に「真っ白く輝く宝石」が写ってました。最後の一粒だったようです。

 夏場の水分補給はむずかしい、あまり無理をすると身体に何らかの形で影響が出ます。ポンコツになりつつある体はだましだまし大事に使うしかありません。(笑)

 術場の看護師さん三人、お一人だけ1年くらいたったときに外来で偶然お目にかかりました、なかなか美人な方でした。術後に身体を拭いてくれたヘルパーさん、点滴針を挿してくれた看護師さん、根室出身の看護師さんもしました、N埼さん、元気でいるかな?釧路医師会病院は閉院したので、みなさんそれぞれ違う病院でお仕事していらっしゃるのでしょう。
 地元の消化器内科専門病院の岡田医院では3か月に一度定期検診をしていただいてます。血圧を測るとびっくりした顔をして測りなおす看護師さんもいました。「低いんでしょ、50-90くらい?」、「大丈夫死んでいませんから」そういう冗談も必要なくなりました。皆さんご存知ですから。(笑)
 例年になく暑い夏です、お世話になったそしていまもお世話になっているみなさんの健康をお祈り申し上げます。


*音更町「木野東クリニック」院長後藤幹裕先生
https://www.kinohigashi-clinic.com/guide/

**胃の構造図
https://ja.wikipedia.org/wiki/幽門

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