#5298 ノーベル文学賞有力候補の一人多和田葉子さん Oct. 7, 2024 [22. 人物シリーズ]
村上春樹氏は常連ですが、多和田葉子さん(1960年生まれ)という人が、ノーベル文学賞有力候補の一人であると報道されています。神保町の洋書店の娘さんです。都立立川高校で第2外語にドイツ語を履修したのは、そうした生活環境も寄与したのでしょう。あの地域でナンバーワンの進学校ですが、第2外語を履修できるんですね。高校生がその才能をのばすために、とってもいい制度です、すばらしい!
早稲田大文学部ロシア語学科を卒業して、すぐにドイツへ渡り、書籍取次店で研修生として働き始めました。その時のことが今回のテーマになっています。彼女は後にハンブルク大で博士号を取得(2001年)しています。
ドイツの書籍取次店で働き始めたときに、ある日同僚が言った罵りフレーズに驚きます。日本人の発想では出てこない表現だったのです。そのあたりのことをTalisman(お守り)という作品に収められたVon der Muttersprache zur Sprachemutter(母語から語母へ、英語で書くとFrom mother language to language mother)に書き記しています。面白いので原文を紹介します。
Eines Tages hörte ich, wie eine Mitarbeiterin über ihren Bleistift schimpfte: "Der blöde Bleistift! Der will heute nicht schriben! " Jedes Mal, wenn sie ihn anspitzte und versuchte, mit ihm zu schreiben, brach die Bleistiftmine ab. In der japanischen Sprache kann man einen Bleistift nicht auf diese Weise presonifizieren. Ein Bleistift kann weder bölde sein noch spinnen.
<日本語訳>
「ある日、同僚が自分の鉛筆を罵っているのを耳にした。『このバカな鉛筆!どうかしてる!今日はちっとも書こうとしないんだから!』 彼女が鉛筆を削って書こうとするたびに、芯が折れるのだった。日本では、誰かが自分の鉛筆をこのように擬人化することはあり得ない。日本では、誰かが自分の鉛筆を、まるでそれが人間であるかのように罵るのを聞いたことはなかった。」
ドイツ人は鉛筆(物)に魂が宿っているかのように扱い、言語化するようです。戸惑いますね。ドイツ語に限らず英語にも「モノ主語=無生物主語」が多いことと、このようなアミニズム的な物的外界の把握は関係があるのかな、とふと思いました。そうしたものを言語表現を産み出す源ということで「語母Sprachemutter」と命名したのでしょう。
(ところが、彼女はそんな読み方(隠喩)を見事にひっくり返してくれます。キーを叩けば次々と言を産み出してくれるタイプライターに語母という単語を当てているのです。これは直喩ですね。)
早稲田大文学部ロシア語学科を卒業して、すぐにドイツへ渡り、書籍取次店で研修生として働き始めました。その時のことが今回のテーマになっています。彼女は後にハンブルク大で博士号を取得(2001年)しています。
ドイツの書籍取次店で働き始めたときに、ある日同僚が言った罵りフレーズに驚きます。日本人の発想では出てこない表現だったのです。そのあたりのことをTalisman(お守り)という作品に収められたVon der Muttersprache zur Sprachemutter(母語から語母へ、英語で書くとFrom mother language to language mother)に書き記しています。面白いので原文を紹介します。
Eines Tages hörte ich, wie eine Mitarbeiterin über ihren Bleistift schimpfte: "Der blöde Bleistift! Der will heute nicht schriben! " Jedes Mal, wenn sie ihn anspitzte und versuchte, mit ihm zu schreiben, brach die Bleistiftmine ab. In der japanischen Sprache kann man einen Bleistift nicht auf diese Weise presonifizieren. Ein Bleistift kann weder bölde sein noch spinnen.
<日本語訳>
「ある日、同僚が自分の鉛筆を罵っているのを耳にした。『このバカな鉛筆!どうかしてる!今日はちっとも書こうとしないんだから!』 彼女が鉛筆を削って書こうとするたびに、芯が折れるのだった。日本では、誰かが自分の鉛筆をこのように擬人化することはあり得ない。日本では、誰かが自分の鉛筆を、まるでそれが人間であるかのように罵るのを聞いたことはなかった。」
ドイツ人は鉛筆(物)に魂が宿っているかのように扱い、言語化するようです。戸惑いますね。ドイツ語に限らず英語にも「モノ主語=無生物主語」が多いことと、このようなアミニズム的な物的外界の把握は関係があるのかな、とふと思いました。そうしたものを言語表現を産み出す源ということで「語母Sprachemutter」と命名したのでしょう。
(ところが、彼女はそんな読み方(隠喩)を見事にひっくり返してくれます。キーを叩けば次々と言を産み出してくれるタイプライターに語母という単語を当てているのです。これは直喩ですね。)
たとえば、The sign says "keep out around here".「標識に、「この付近は立ち入り禁止」と書いてあります」。「標識が言っている」なんて感覚や表現は日本語にはありません。そういう「モノ主語」の文章を産み出しているのが、意識の底にあるアニミズム的な外界の把握です。ふだんは意識していませんから、潜在的な意識に属しているようです。それぞれの言語に特有な、そうした無意識層の外界の把握の様式が、固有のあるいはいくつかの言語に共通な文章表現を産み出していることは、日本語を母語として育ち、ロシア文学を第2外国語として学び、ドイツ語を第3外国語として言語を重層的に学んだからこそ、気がつけたように思います。言語に対する彼女自身のユニークな視点がさまざまな作品の中に見つかるかもしれません。
「鉛筆」ではなく「Bleistiftブライシュティフト」と声に出すと、たしかに鉛筆が魂をもっているかのように感じると多和田さんが書いています。使いものにならぬと罵られて、屑籠に棄てられたBleistiftが、「突然生きているように思われた」のです。日本語の「鉛筆」という語が頭に浮かんだら、多和田さんにそんな感覚は生じないということなのです。
同じ対象を指している言葉なのに、ドイツ語だからそうした感覚が生まれることに気がつきました。ドイツ語という言語に固有の現象だと感じたのでしょう。
三つの言語を日本で学んだだけではこのような感覚は生まれそうもありませんね。大学を卒業してドイツに住んで仕事をしたからこそ、このような感覚が生まれたのでしょう。
使う言語によって異なる反応が自分の脳内に起きることを多和田さんはよく観察しています。
自分の脳内の反応を観察するって楽しいのです。哲学用語では「内省」といい、仏教用語では「内観」といいます。仏教用語の方がピッタリきます。わたしもよくやるので、内観はほとんど習慣になっています。
多和田さんは言葉の感覚の鋭い人のようですから、作品の中からそうした表現を発見するのは楽しいことになるでしょう。amazonから何冊かリスト・アップしてみます。終活で本の半分以上2500~3000冊ほどを処分したので、なるべく本は買わないようにしています。近くの図書館で手に入るものを次々に読んでみるというのがよさそうです。一人の作者の本を片っ端から読んでみるというのは、他人様の脳内を覗かせていただくようなものです。
夏目漱石、司馬遼太郎、津村陽、三島由紀夫、池波正太郎、筒井康隆、夢枕獏、山本周五郎、浅田次郎、...。18歳のゴールデンウィークが終わったときから、この種の本を読むのを十年間ほど封じました。だから、ぱらぱらと挙げた本は20代後半から、暇なときに読んだ本です。十代と二十代の前半は哲学や経済学で読みたい本があったからです。一日24時間は誰にも平等に与えられていますから、人生のある時期、何に優先的に使うかはとっても重要なのです。毎日十時間程度を費やして、1年かけなければ理解できないことがいくつかありました。いや、30年かかったものもあります。愚鈍ですから、時間がかかります。大きな遠回りに見えて、実際はそうではありませんでした。思いがあれば道は自然に拓かれるものです。
ところで、ドイツ語原文は、NHKドイツ語10月号から引用しました。
彼女は日本語で書いた本もあります。数々の賞を受賞しています。こういう日本人がいることを今まで知りませんでした。高校で第2外語を履修できるというのは、すばらしいことですね。多和田さんのように、第2外国語にのめり込む高校生が他にも出てきてほしいですね。主な受賞記録を書いておきます。
1993年『犬嫁入り』で芥川賞
2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞と谷崎潤一郎賞
2005年ゲーテ・メダル
2016年クライスト賞(ドイツ)
2018年全米翻訳図書賞
ドイツ語で本を書いている女性がもう一人います。松原久子さん(1935年~)という人です。『驕れる白人と闘うための日本近代史』という本を書いています。世界史を履修している高校生のみなさんにおススメします。
1987年にドイツから米国へ移住しています。
高校生のみなさん、チャンスを作って、若いうちに、海外へ飛び出してみたらいい。
<余談:便利なグーグル翻訳>
下線を引いたwieという単語は、辞書を引くと「1.how、2.what、3.as、4.like」しかありませんが、どれもピッタリきません。3と4は接続詞ですが、thatがないのです。大独和辞典でも引いてみました。
wie以下は動詞hörteの目的語になっているので、英訳すると次のように書き換えられます。
One day I heard (that) a collegue swore at her pencil.
独英翻訳ソフトがあれば確かめられると思って、ネット検索したら、グーグル翻訳がありました。ドイツ語をそのまま入れたら、次の英文が表示されました。
One day I heard a co-worker complaining about her pencil.
どうやら、目的語のthat節を導くために、ドイツ語ではwieを使うようです。グーグル翻訳便利です。わからないときはドイツ語を英訳してみて、グーグル翻訳と比べてみることにします。
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「鉛筆」ではなく「Bleistiftブライシュティフト」と声に出すと、たしかに鉛筆が魂をもっているかのように感じると多和田さんが書いています。使いものにならぬと罵られて、屑籠に棄てられたBleistiftが、「突然生きているように思われた」のです。日本語の「鉛筆」という語が頭に浮かんだら、多和田さんにそんな感覚は生じないということなのです。
同じ対象を指している言葉なのに、ドイツ語だからそうした感覚が生まれることに気がつきました。ドイツ語という言語に固有の現象だと感じたのでしょう。
三つの言語を日本で学んだだけではこのような感覚は生まれそうもありませんね。大学を卒業してドイツに住んで仕事をしたからこそ、このような感覚が生まれたのでしょう。
使う言語によって異なる反応が自分の脳内に起きることを多和田さんはよく観察しています。
自分の脳内の反応を観察するって楽しいのです。哲学用語では「内省」といい、仏教用語では「内観」といいます。仏教用語の方がピッタリきます。わたしもよくやるので、内観はほとんど習慣になっています。
多和田さんは言葉の感覚の鋭い人のようですから、作品の中からそうした表現を発見するのは楽しいことになるでしょう。amazonから何冊かリスト・アップしてみます。終活で本の半分以上2500~3000冊ほどを処分したので、なるべく本は買わないようにしています。近くの図書館で手に入るものを次々に読んでみるというのがよさそうです。一人の作者の本を片っ端から読んでみるというのは、他人様の脳内を覗かせていただくようなものです。
夏目漱石、司馬遼太郎、津村陽、三島由紀夫、池波正太郎、筒井康隆、夢枕獏、山本周五郎、浅田次郎、...。18歳のゴールデンウィークが終わったときから、この種の本を読むのを十年間ほど封じました。だから、ぱらぱらと挙げた本は20代後半から、暇なときに読んだ本です。十代と二十代の前半は哲学や経済学で読みたい本があったからです。一日24時間は誰にも平等に与えられていますから、人生のある時期、何に優先的に使うかはとっても重要なのです。毎日十時間程度を費やして、1年かけなければ理解できないことがいくつかありました。いや、30年かかったものもあります。愚鈍ですから、時間がかかります。大きな遠回りに見えて、実際はそうではありませんでした。思いがあれば道は自然に拓かれるものです。
ところで、ドイツ語原文は、NHKドイツ語10月号から引用しました。
彼女は日本語で書いた本もあります。数々の賞を受賞しています。こういう日本人がいることを今まで知りませんでした。高校で第2外語を履修できるというのは、すばらしいことですね。多和田さんのように、第2外国語にのめり込む高校生が他にも出てきてほしいですね。主な受賞記録を書いておきます。
1993年『犬嫁入り』で芥川賞
2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞と谷崎潤一郎賞
2005年ゲーテ・メダル
2016年クライスト賞(ドイツ)
2018年全米翻訳図書賞
ドイツ語で本を書いている女性がもう一人います。松原久子さん(1935年~)という人です。『驕れる白人と闘うための日本近代史』という本を書いています。世界史を履修している高校生のみなさんにおススメします。
1987年にドイツから米国へ移住しています。
高校生のみなさん、チャンスを作って、若いうちに、海外へ飛び出してみたらいい。
<余談:便利なグーグル翻訳>
下線を引いたwieという単語は、辞書を引くと「1.how、2.what、3.as、4.like」しかありませんが、どれもピッタリきません。3と4は接続詞ですが、thatがないのです。大独和辞典でも引いてみました。
wie以下は動詞hörteの目的語になっているので、英訳すると次のように書き換えられます。
One day I heard (that) a collegue swore at her pencil.
独英翻訳ソフトがあれば確かめられると思って、ネット検索したら、グーグル翻訳がありました。ドイツ語をそのまま入れたら、次の英文が表示されました。
One day I heard a co-worker complaining about her pencil.
どうやら、目的語のthat節を導くために、ドイツ語ではwieを使うようです。グーグル翻訳便利です。わからないときはドイツ語を英訳してみて、グーグル翻訳と比べてみることにします。
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驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫 ま 21-1)
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/09/03
- メディア: 文庫
#5297 裏金議員一部非公認へ:健全な保守主義 Oct. 7, 2024 [8. 時事評論]
裏金議員を一部非公認とすると石破新総理が発表した。
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右寄りとかリベラルとかという基準ではなく、健全な保守主義へ回帰してもらいたいと思っていました。まっとうで正直な政治がじわじわ広がってほしい。国民も政治に対する向き合い方を問われています。
石破新総理、この点は国民の期待に応えましたね。
ちょっとずつ改善していけばいいのです。
立憲民主党首の野田さん、裏金議員が全部非公認にはなっていないなんて、重箱の隅突かずに、石破総理を褒めてあげたらどうですか?裏金議員は非公認にしろというのはあなたたちの主張でもあったわけですからね。
統一教会と関係があり、裏金でも政倫審で釈明すらしなかった、萩生田氏の公認を外したのですから、ご立派。一罰百戒。
やりすぎましたよね、わが世の春を謳っていた安倍派は、驕る平家と同じ運命のようです。
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自民党の派閥の裏金事件を受け、石破総理は6日、10月27日予定する衆議院選挙の公認について、党の処分が継続している萩生田元政調会長らを非公認とする考えを明らかにしました。
石破総理
「相当程度の非公認が生ずることとなるが、国民の信頼を得る観点から、公認権者として責任を持って最終的に判断をしていくものとする」
石破総理は6日、森山幹事長や小泉選対委員長と衆議院選挙の公認などをめぐりおよそ1時間にわたり協議しました。
協議の結果、石破総理は今年4月に政治資金収支報告書への不記載で処分を受けた議員のうち▼「選挙における非公認」よりも重い処分を受けた議員のほか、▼「選挙における非公認」よりも軽い「党の役職停止1年」の処分を受けた議員であっても、萩生田元政調会長ら政治倫理審査会に出席していない議員については「非公認」とする考えを示しました。
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右寄りとかリベラルとかという基準ではなく、健全な保守主義へ回帰してもらいたいと思っていました。まっとうで正直な政治がじわじわ広がってほしい。国民も政治に対する向き合い方を問われています。
石破新総理、この点は国民の期待に応えましたね。
ちょっとずつ改善していけばいいのです。
立憲民主党首の野田さん、裏金議員が全部非公認にはなっていないなんて、重箱の隅突かずに、石破総理を褒めてあげたらどうですか?裏金議員は非公認にしろというのはあなたたちの主張でもあったわけですからね。
統一教会と関係があり、裏金でも政倫審で釈明すらしなかった、萩生田氏の公認を外したのですから、ご立派。一罰百戒。
やりすぎましたよね、わが世の春を謳っていた安倍派は、驕る平家と同じ運命のようです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。
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