#5136 学力の高さは遺伝が50%、環境が30%は本当か?:脳の使い方が決め手! Dec. 29, 2023 [5.1 脳の使い方]
遺伝の影響はありますね。でも、具体例を探すととても少ないのです。
私の周囲でそれを感じたのは一人だけでした。隣の男の子でした。IQ180という噂でした。あの子はたしかに遺伝的な影響が大きかったのでしょう。10歳くらい離れていたお姉さんも高校で学年トップでしたから。でも、他の兄弟はそうでもありませんでした。同じ父と母から生まれても、学力の個体差は大きいのです。
好いことばかりではありません、こういう特別な子は社会的な適応がむずかしいのです。普通の頭のわたしたちには考えもつかない悩みを抱えています。
(霊能力の強い人も同じです。異能の人はそれぞれその能力が故の悩みも抱え込んでしまいます。見たくないシーンが時空を超えて見えてしまうなんてことがあります。都合の良い方向だけには働かないのです。両親が死んでしまうのが1か月前からわかってしまったらどうします?父親は病気で死の病に臥せっているのに、元気な母親もすぐになくなってしまうことがあらかじめ見えてしまったら、1か月泣いて暮らすしかありません。兄弟姉妹に告げるのもつらい。叔母がそうでした。祖母も特別な人でしたから、たしかにこの種の異能は遺伝と関係があります。ご亭主の浮気のシーンが見えてしまったらどうします?女性の染色体に鍵となる遺伝情報が載っているのかもしれませんね。)
学力に関しては、遺伝で確実だと思える例は1/1000くらいなものです。この手の調査で看過されているのが脳の使い方です。
具体例を三つ挙げましょう。将棋のプロは頭がいいと言いますが、たしかにそうですね。それでは頭がよいから将棋のプロになったのかというと、逆だと思うのです。将棋して夢中で遊んだから頭がよくなったということ。簡単な理屈でしょ?
少し具体的に説明します。プロになったときには、自分が指した将棋を暗譜していて、最初から手順通りに並べられます。これはプロなら当たり前の技です。脳に映像として残っているので、それを盤上で再現したらいいだけです。異常な集中力が働くと、映像を脳が勝手に記憶してしまいます。自由に引っ張り出せる領域に保存してしまうのです。だから、プロの棋士は脳の使い方が違っています。わたしのように普通の人が、指した将棋を初手から詰み迄、間違いなく並べるなんて芸当はできませんよ。奨励会を抜け出てプロになったときには、こうした能力が身についてしまっているのでしょう。もちろん、その能力は自分の指した将棋の手順を記憶できるだけにとどまるはずもありません。読みが深く、盤上の戦況を俯瞰できるようになります。論理的な読みが深くなるだけでなく、ああこの手筋は悪手だ、こちらの手の方が好手だと感覚的な判断も正確になってきます。
わたしは小学生のころから、床に就くと、ビリヤードのテーブルと赤いボールと白いボールが映像として浮かびました。脳内でビリヤードできるんです。これも昼間に夢中でゲームしたからです。集中力が異常に高くなると起きる現象です。
(スリークッションの世界チャンピオンだった小林伸明先生もビリヤード店の息子でしたが、脳内でビリヤードのトレーニングやっていたはずです。小林先生のお店の「四つ球常連会」で4年間ほどお付き合いがありました。国内でさまざまな種目で60回以上チャンピオンになっている町田正さんも八王子のビリヤード店「チャンピオン」の次男坊でしたが、同じことをしていたと思います。素振り用の鉄製のキューまでありました。町田さんのお父さん(プロのビリヤードコーチ)に少しだけ習ったことがあります。ブログの検索ボックスに検索キーとして小林伸明先生や町田正先生のお名前を入れたら、いくつか記事が出てきます。)
ビリヤード店と居酒屋が家業でしたから、ビリヤード台の上に載って5歳のころから遊んでいました。お客さんで、ビリヤードをやり始めの頃の人が、ご飯を食べようとして、無意識に左手でレストを作って、箸でご飯茶碗を突っついてしまい、はっと気がついたなんて人はときどきいましたね。
就寝してから映像が浮かびだすと、数時間眠れません。ずっと脳内でビリヤードをやっており止められません。脳内で球を撞いているのに、球を撞くときの感触が指にあります。脳はいろんなものを再現してくれます。脳の中でやった基本パターンを実際に、目が覚めてからビリヤード台でやってみます。手の感触を含めて、比較してみるのです。上達しないわけがありません。
台の枠木の上に、紺色のピース(タバコ)の空箱を乗せます。ピースの箱は小ぶりでその幅は1.5㎝くらいなものですが、キューを素振りして、(キューの先端が)10㎝くらいはみ出すようにストロークします。これは基本トレーニングのひとつでした。肘が安定しないとピースの箱の紙の部分に触ってしまい、台から空箱が落ちます。慣れてくると、目をつぶってやれるようになります。目をつぶっても脳には見えています。映像が浮かんで、空箱の空間の中心部分を正確に撞けます。100回連続しても紙に触れることはありません、不思議ですね、見えている、つまり映像が脳に浮かんでいます。そうすると、実際にはキューをもたないでも、イメージするだけでトレーニングできるのです。
ブログも目が疲れているときは、目をつぶってタイピングし、漢字変換するときに目を開けて確認します。目をつぶっている方がキーボードにミスタッチが少なくなります。意識が集中していて、気が散らないからでしょう。
珠算を習い始めたのは小5、中2まで高橋珠算塾でトレーニングしてました。算盤玉が脳に浮かびます。ビリヤードで脳で映像を操ることになれてしまっていたからです。だから、暗算が得意でした。暗算の時に珠の動きに合わせて手を動かすと、やはり実際に珠をはじく感触があります。その方が楽です。計算が終わるとソロバン珠の映像と指の感触で珠がどのような配置になっているのかわかります。
古里で最初に商工会議所主催で市民珠算大会を開催したときに、わたしは主催者側の一人でした。10ケタの読上げ算の読み手が市内には3人だけでした。一人は高橋珠算塾の高橋尚美先生、もう一人は富士珠算塾の板野国男先生、そしてわたしの3人でした。根室高校には高速読上げ算のできる先生はいませんでした。
暗算部門だけは出場したかったので出ました。第1回市民珠算大会で暗算部門で優勝の実績を残しておきたかったからです。根室高校珠算部員ではありませんでしたが、生徒会の先輩の指示(「来週、全道大会行くぞ」って、急に言われます)で高校の全道大会に毎年選手として出場していたので、ローカルな大会では暗算部門以外は興味がありませんでした。総なめにする自信はありましたよ。(笑)
この映像記憶というものを脳で操れたら、それを学習に利用しただけで、学力は格段にアップします。この技が学習に利用できることに気がついたのは中2のとき。すぐに学力が上がっていき、高校生の時には授業ではつまらなくて、公認会計士二次試験講座の参考書で独学で学習を始めました。
当時は七つの試験科目(簿記論・会計学・原価計算・経営学・商法・経済学・経営学・監査論)があり、経済学は近代経済学でしたが、マルクス『資本論』やヘーゲル哲学へも手を伸ばしました。すぐに公認会計士2次試験勉強では飽き足らなくなっていました。授業中に脳内で公認会計士受験参考書の理解できなかった文章を思い浮かべて、考え抜くことができるようになっていました。哲学書も同じでした。数行の文章そのまま記憶して、暇なときに引き出しから取り出すように記憶を引っ張り出して、俎板に載せます。意識の集中が始まると授業はまるで聞こえてません。(笑) 意識を手中しても答えが見つからないときは、意識を分散します。無関係に見える事象の中に相似なパターンがみえてつながってきます。
原価計算は学校の授業(選択科目で工業簿記)で習う前に、1年次の春休み1週間で問題集1冊丸ごとやり終えていました。10時間前後の勉強を7日間続けると、脳が興奮して、就寝しても勝手に昼間の学習事項が脳内に浮かんできて消えません。疲れきるまで眠れなくなります。あの当時なら1か月そんな生活を続けたら、たぶん気がおかしくなったでしょうね。年齢を重ねるごとに、限界時間は長くなっていきました。1か月くらいならへっちゃらに。それにしてもクールダウンは必要でした。
都市銀行に就職して独学で公認会計士になるつもりでしたから、根室高校商業科へ進学。中学校の担任から母親が2度呼び出され、「この子は大学へ進学する子だから、普通科がいい」と言われ、「商業科へ進学して公認会計士になるというのが息子の意志ですから」とあきらめてもらったのですが、山本幸子先生が見抜いた通りになりました。高校3年の春に担任の冨岡先生から進路を問われて、都市銀行へ就職して公認会計士になる旨告げると、「都市銀行には就職したい生徒がいるので、譲ってやれ、おまえは生徒会でも活躍したし、日本銀行に学校推薦できるので、そちらにしろ」と言われたのです。高卒で一生大卒に使われるのは御免でした。日銀だと近くても釧路勤務です。好きな彼女もいたので、日銀勤務なら翌年ぐらいに結婚していたでしょう。
家業も毎日手伝っていたので、どうしたらいいのかわけもわからず、12月になってしまい、宙ぶらりん。結局、オヤジに相談して大学へ進学していいか確認しました。オヤジは即答、OKでした。オフクロもわたしが言い出すのを待っていたようでした、ありがたかった。しかし、受験勉強2か月で目標の大学に合格できるわけもなく、浪人。店番しながら勉強すればいいやくらいに思っていたら、同級生の根室高校最後の総番長だったヒロシが「ebisu、東京へ一緒に行こう」と誘ってくれました。3年生の秋頃からあいつと二人で一緒に歩いて帰ることが何度かあり、気が合っていました。すぐにオヤジの許可をもらって、ヒロシと一緒に羽田空港に降り立ちました。あいつがわたしの運命を変えてくれました。その大事な友が今年1月に亡くなった。もう一人同じクラスで東京の大学へ進学したムサシが10/30に亡くなっています。最初の初夏のころに「ホームシックで寂しい、会ってくれ」と葉書が来ました。ヒロシのところへ集まって、朝まで酒飲みました。ムサシは人っ子のいい奴でした。
閑話休題、学力の高さの話でした。遺伝や環境以外の要素で非常に影響が大きいと思われるのは、脳の使い方です。子供時代に何かの遊びに夢中になる時期を過ごした人は、脳の使い方が他の人とは違ってくるというのがわたしの仮説でした。プロの棋士にその典型例を見ます。
遊びへの熱中や意識的な脳の使い方のトレーニングの次第で、学力は上がるし、将棋は上手になるし、ビリヤードもセミプロクラスには上達できます。
だれだって、先祖には頭のよかった人も悪かった人もいますよ。頭の使い方次第で学力ぐらいはいくらでも何とでもなります。無心に遊んで、そして勉強もしてください。脳の使い方が変容します。
職人だって頭を使わないやつは一人前にはなれません。いや、職人こそいい頭脳にしておかないと、よい仕事ができゃしません。(笑)
<余談:意識の集中と分散を切り替えるスィッチ>
脳を集中モードにもっていくのは簡単ですが、分散モードにするのはトレーニングが必要です。意識の集中は凸レンズの作用に似ていて、特定の事象に焦点が集まり、周辺が見えなくなります。意識の分散モードはどこにも意識を置かないのです。ボーっとしている状態なのですが、とても有用な働きがあります。論理的に考えたら、異分野でまるで関係ない事象が関係してきます。異分野の知識に同型性が見つかります。たとえて言うと「クォンタム・リープ」が起きます。これは集中モードではできないことです。だから、両方を使い分けられたら、とっても便利です。
座禅やヨガの瞑想は呼吸のコントロールで意識の切り替えを可能にしてくれます。いつのころからか、自然に使い分けていました。数呼吸で意識モードを切り替えられますが、切替スィッチを意識して繰り返すと、スィッチが実体化してきます。
意識の仕組みってよくわからないことが多いのです。たとえば、意識と心って関係があることは誰にでもわかりますが、どの部分が重なって、どの部分が重なっていないのか、そしてそれらの間の関係はどのようなものなのか、なんてことはまだ誰にもわかりません。人間の脳とか意識、こころを丸ごと人間の脳をで把握するという試み自体が矛盾をはらんでいるのかもしれません。人間の脳よりもスペックの高い意識やこころがなければ、不可能なのかもしれないのです。しかし、自分の意識の構造や働きを、自分自身が観察した結果は書けます。
*#5137 DNAや遺伝子だけではわからない学力 Dec.31, 2023
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<所要時間>
この記事は作成に30分かかっていません。後で編集するでしょうね。文字数は2583です。
29日午後10時、編集後3228文字です。
29日午後11時、3520文字。
30日午前9時、4042文字。
30日正午、4608文字
私の周囲でそれを感じたのは一人だけでした。隣の男の子でした。IQ180という噂でした。あの子はたしかに遺伝的な影響が大きかったのでしょう。10歳くらい離れていたお姉さんも高校で学年トップでしたから。でも、他の兄弟はそうでもありませんでした。同じ父と母から生まれても、学力の個体差は大きいのです。
好いことばかりではありません、こういう特別な子は社会的な適応がむずかしいのです。普通の頭のわたしたちには考えもつかない悩みを抱えています。
(霊能力の強い人も同じです。異能の人はそれぞれその能力が故の悩みも抱え込んでしまいます。見たくないシーンが時空を超えて見えてしまうなんてことがあります。都合の良い方向だけには働かないのです。両親が死んでしまうのが1か月前からわかってしまったらどうします?父親は病気で死の病に臥せっているのに、元気な母親もすぐになくなってしまうことがあらかじめ見えてしまったら、1か月泣いて暮らすしかありません。兄弟姉妹に告げるのもつらい。叔母がそうでした。祖母も特別な人でしたから、たしかにこの種の異能は遺伝と関係があります。ご亭主の浮気のシーンが見えてしまったらどうします?女性の染色体に鍵となる遺伝情報が載っているのかもしれませんね。)
学力に関しては、遺伝で確実だと思える例は1/1000くらいなものです。この手の調査で看過されているのが脳の使い方です。
具体例を三つ挙げましょう。将棋のプロは頭がいいと言いますが、たしかにそうですね。それでは頭がよいから将棋のプロになったのかというと、逆だと思うのです。将棋して夢中で遊んだから頭がよくなったということ。簡単な理屈でしょ?
少し具体的に説明します。プロになったときには、自分が指した将棋を暗譜していて、最初から手順通りに並べられます。これはプロなら当たり前の技です。脳に映像として残っているので、それを盤上で再現したらいいだけです。異常な集中力が働くと、映像を脳が勝手に記憶してしまいます。自由に引っ張り出せる領域に保存してしまうのです。だから、プロの棋士は脳の使い方が違っています。わたしのように普通の人が、指した将棋を初手から詰み迄、間違いなく並べるなんて芸当はできませんよ。奨励会を抜け出てプロになったときには、こうした能力が身についてしまっているのでしょう。もちろん、その能力は自分の指した将棋の手順を記憶できるだけにとどまるはずもありません。読みが深く、盤上の戦況を俯瞰できるようになります。論理的な読みが深くなるだけでなく、ああこの手筋は悪手だ、こちらの手の方が好手だと感覚的な判断も正確になってきます。
わたしは小学生のころから、床に就くと、ビリヤードのテーブルと赤いボールと白いボールが映像として浮かびました。脳内でビリヤードできるんです。これも昼間に夢中でゲームしたからです。集中力が異常に高くなると起きる現象です。
(スリークッションの世界チャンピオンだった小林伸明先生もビリヤード店の息子でしたが、脳内でビリヤードのトレーニングやっていたはずです。小林先生のお店の「四つ球常連会」で4年間ほどお付き合いがありました。国内でさまざまな種目で60回以上チャンピオンになっている町田正さんも八王子のビリヤード店「チャンピオン」の次男坊でしたが、同じことをしていたと思います。素振り用の鉄製のキューまでありました。町田さんのお父さん(プロのビリヤードコーチ)に少しだけ習ったことがあります。ブログの検索ボックスに検索キーとして小林伸明先生や町田正先生のお名前を入れたら、いくつか記事が出てきます。)
ビリヤード店と居酒屋が家業でしたから、ビリヤード台の上に載って5歳のころから遊んでいました。お客さんで、ビリヤードをやり始めの頃の人が、ご飯を食べようとして、無意識に左手でレストを作って、箸でご飯茶碗を突っついてしまい、はっと気がついたなんて人はときどきいましたね。
就寝してから映像が浮かびだすと、数時間眠れません。ずっと脳内でビリヤードをやっており止められません。脳内で球を撞いているのに、球を撞くときの感触が指にあります。脳はいろんなものを再現してくれます。脳の中でやった基本パターンを実際に、目が覚めてからビリヤード台でやってみます。手の感触を含めて、比較してみるのです。上達しないわけがありません。
台の枠木の上に、紺色のピース(タバコ)の空箱を乗せます。ピースの箱は小ぶりでその幅は1.5㎝くらいなものですが、キューを素振りして、(キューの先端が)10㎝くらいはみ出すようにストロークします。これは基本トレーニングのひとつでした。肘が安定しないとピースの箱の紙の部分に触ってしまい、台から空箱が落ちます。慣れてくると、目をつぶってやれるようになります。目をつぶっても脳には見えています。映像が浮かんで、空箱の空間の中心部分を正確に撞けます。100回連続しても紙に触れることはありません、不思議ですね、見えている、つまり映像が脳に浮かんでいます。そうすると、実際にはキューをもたないでも、イメージするだけでトレーニングできるのです。
ブログも目が疲れているときは、目をつぶってタイピングし、漢字変換するときに目を開けて確認します。目をつぶっている方がキーボードにミスタッチが少なくなります。意識が集中していて、気が散らないからでしょう。
珠算を習い始めたのは小5、中2まで高橋珠算塾でトレーニングしてました。算盤玉が脳に浮かびます。ビリヤードで脳で映像を操ることになれてしまっていたからです。だから、暗算が得意でした。暗算の時に珠の動きに合わせて手を動かすと、やはり実際に珠をはじく感触があります。その方が楽です。計算が終わるとソロバン珠の映像と指の感触で珠がどのような配置になっているのかわかります。
古里で最初に商工会議所主催で市民珠算大会を開催したときに、わたしは主催者側の一人でした。10ケタの読上げ算の読み手が市内には3人だけでした。一人は高橋珠算塾の高橋尚美先生、もう一人は富士珠算塾の板野国男先生、そしてわたしの3人でした。根室高校には高速読上げ算のできる先生はいませんでした。
暗算部門だけは出場したかったので出ました。第1回市民珠算大会で暗算部門で優勝の実績を残しておきたかったからです。根室高校珠算部員ではありませんでしたが、生徒会の先輩の指示(「来週、全道大会行くぞ」って、急に言われます)で高校の全道大会に毎年選手として出場していたので、ローカルな大会では暗算部門以外は興味がありませんでした。総なめにする自信はありましたよ。(笑)
この映像記憶というものを脳で操れたら、それを学習に利用しただけで、学力は格段にアップします。この技が学習に利用できることに気がついたのは中2のとき。すぐに学力が上がっていき、高校生の時には授業ではつまらなくて、公認会計士二次試験講座の参考書で独学で学習を始めました。
当時は七つの試験科目(簿記論・会計学・原価計算・経営学・商法・経済学・経営学・監査論)があり、経済学は近代経済学でしたが、マルクス『資本論』やヘーゲル哲学へも手を伸ばしました。すぐに公認会計士2次試験勉強では飽き足らなくなっていました。授業中に脳内で公認会計士受験参考書の理解できなかった文章を思い浮かべて、考え抜くことができるようになっていました。哲学書も同じでした。数行の文章そのまま記憶して、暇なときに引き出しから取り出すように記憶を引っ張り出して、俎板に載せます。意識の集中が始まると授業はまるで聞こえてません。(笑) 意識を手中しても答えが見つからないときは、意識を分散します。無関係に見える事象の中に相似なパターンがみえてつながってきます。
原価計算は学校の授業(選択科目で工業簿記)で習う前に、1年次の春休み1週間で問題集1冊丸ごとやり終えていました。10時間前後の勉強を7日間続けると、脳が興奮して、就寝しても勝手に昼間の学習事項が脳内に浮かんできて消えません。疲れきるまで眠れなくなります。あの当時なら1か月そんな生活を続けたら、たぶん気がおかしくなったでしょうね。年齢を重ねるごとに、限界時間は長くなっていきました。1か月くらいならへっちゃらに。それにしてもクールダウンは必要でした。
都市銀行に就職して独学で公認会計士になるつもりでしたから、根室高校商業科へ進学。中学校の担任から母親が2度呼び出され、「この子は大学へ進学する子だから、普通科がいい」と言われ、「商業科へ進学して公認会計士になるというのが息子の意志ですから」とあきらめてもらったのですが、山本幸子先生が見抜いた通りになりました。高校3年の春に担任の冨岡先生から進路を問われて、都市銀行へ就職して公認会計士になる旨告げると、「都市銀行には就職したい生徒がいるので、譲ってやれ、おまえは生徒会でも活躍したし、日本銀行に学校推薦できるので、そちらにしろ」と言われたのです。高卒で一生大卒に使われるのは御免でした。日銀だと近くても釧路勤務です。好きな彼女もいたので、日銀勤務なら翌年ぐらいに結婚していたでしょう。
家業も毎日手伝っていたので、どうしたらいいのかわけもわからず、12月になってしまい、宙ぶらりん。結局、オヤジに相談して大学へ進学していいか確認しました。オヤジは即答、OKでした。オフクロもわたしが言い出すのを待っていたようでした、ありがたかった。しかし、受験勉強2か月で目標の大学に合格できるわけもなく、浪人。店番しながら勉強すればいいやくらいに思っていたら、同級生の根室高校最後の総番長だったヒロシが「ebisu、東京へ一緒に行こう」と誘ってくれました。3年生の秋頃からあいつと二人で一緒に歩いて帰ることが何度かあり、気が合っていました。すぐにオヤジの許可をもらって、ヒロシと一緒に羽田空港に降り立ちました。あいつがわたしの運命を変えてくれました。その大事な友が今年1月に亡くなった。もう一人同じクラスで東京の大学へ進学したムサシが10/30に亡くなっています。最初の初夏のころに「ホームシックで寂しい、会ってくれ」と葉書が来ました。ヒロシのところへ集まって、朝まで酒飲みました。ムサシは人っ子のいい奴でした。
閑話休題、学力の高さの話でした。遺伝や環境以外の要素で非常に影響が大きいと思われるのは、脳の使い方です。子供時代に何かの遊びに夢中になる時期を過ごした人は、脳の使い方が他の人とは違ってくるというのがわたしの仮説でした。プロの棋士にその典型例を見ます。
遊びへの熱中や意識的な脳の使い方のトレーニングの次第で、学力は上がるし、将棋は上手になるし、ビリヤードもセミプロクラスには上達できます。
だれだって、先祖には頭のよかった人も悪かった人もいますよ。頭の使い方次第で学力ぐらいはいくらでも何とでもなります。無心に遊んで、そして勉強もしてください。脳の使い方が変容します。
職人だって頭を使わないやつは一人前にはなれません。いや、職人こそいい頭脳にしておかないと、よい仕事ができゃしません。(笑)
<余談:意識の集中と分散を切り替えるスィッチ>
脳を集中モードにもっていくのは簡単ですが、分散モードにするのはトレーニングが必要です。意識の集中は凸レンズの作用に似ていて、特定の事象に焦点が集まり、周辺が見えなくなります。意識の分散モードはどこにも意識を置かないのです。ボーっとしている状態なのですが、とても有用な働きがあります。論理的に考えたら、異分野でまるで関係ない事象が関係してきます。異分野の知識に同型性が見つかります。たとえて言うと「クォンタム・リープ」が起きます。これは集中モードではできないことです。だから、両方を使い分けられたら、とっても便利です。
座禅やヨガの瞑想は呼吸のコントロールで意識の切り替えを可能にしてくれます。いつのころからか、自然に使い分けていました。数呼吸で意識モードを切り替えられますが、切替スィッチを意識して繰り返すと、スィッチが実体化してきます。
意識の仕組みってよくわからないことが多いのです。たとえば、意識と心って関係があることは誰にでもわかりますが、どの部分が重なって、どの部分が重なっていないのか、そしてそれらの間の関係はどのようなものなのか、なんてことはまだ誰にもわかりません。人間の脳とか意識、こころを丸ごと人間の脳をで把握するという試み自体が矛盾をはらんでいるのかもしれません。人間の脳よりもスペックの高い意識やこころがなければ、不可能なのかもしれないのです。しかし、自分の意識の構造や働きを、自分自身が観察した結果は書けます。
*#5137 DNAや遺伝子だけではわからない学力 Dec.31, 2023
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この記事は作成に30分かかっていません。後で編集するでしょうね。文字数は2583です。
29日午後10時、編集後3228文字です。
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