#5129 高校同期会で有楽町へ Dec. 14, 2023 [90.根高 こもごも]
昨日12/13、同期会が有楽町であるので出かけた。昨年11月下旬に極東の町から東京へ戻ってきてからは、半径3㎞以内で暮らしていたので、都心へは出かけたことがなかった。だから、不安だった。
新宿までの長いこと、永遠につかないかと思ったがそんな私の心情を特急電車がくみとってくれるはずもなし、ようやく電車は新宿駅へ到着。滅多に来ることがないので地下街を5分ほど偵察、21年前とはまるで様子が変わっていた。SRLへ転職した理由の一つが、西口駅前の「超高層ビル」のNSビル22階に本社があったからだった。せっかく東京で仕事するのだから、一度は超高層ビルで仕事したかった。1984年2月、念願がかなったわけだ。本社勤務は2年間だけだった。そのあと1~3年でさまざまな部署(購買課⇒学術開発本部⇒関係概査管理部⇒東北の関係会社へ出向⇒本社経理部管理会計課・社長室・購買部兼務⇒SRL東京ラボ出向⇒帝人との合弁会社出向)を異動して歩いた。普通の会社からは考えられない、会社都合で「支離滅裂な異動」が続いた、半分くらいは自分のせいでもあるのだが…。
そんな感慨に浸りながら、どういう経路で行けばいいのか考えるのも面倒なので、山手線で渋谷・品川回り(内回り)で行くことに決めた。電車は込み合っていた。有楽町で降りたら、駅構内がまるっきり違っていた。中央口から京橋口までなが~い通路ができている。中央西口から出たら、ここはどこ?って感じで、パニックに陥る。
18歳で東京に出てきたときにも感じたことがなかった街との違和感、違和感というよりももう異次元の世界だ。2002年の春まで2年間銀座五丁目スズラン通りのとある会社の本社ビルで上場準備の仕事をしていたのが嘘のような「お上りさん」状態なのだ。
会場のこじゃれた居酒屋までどうやっていったらよいのか茫然自失、面倒なので「0101」の新しいビルの前からヒロコへ電話を入れた。
「駅前の丸井のビルの正面玄関にいるんだけど、迎えに来てくれない?」
「え!20日だよ」
(笑)聞き違えたのだろう、有楽町界隈、銀座をぶらぶらする気力なしで、戻ってきた。有楽町駅から日比谷への通りが、電飾できれいだったのが思い出された。
帰路、スマホをチェックすると知らない固定電話から何度も着信があったが無視していた。原則出ないことにしている。夜8時過ぎにまたかかってきたので電話に出たら、
「トシ、久しぶり」
タケシから電話だった。仕事場から用事があって電話を何度もかけたが出ないと叱られた。(笑)
タケシも同級生で数年前に古里で、劇画家となってから五十周年記念展を開いた。
タケシの要件は調べて明日返事するからと伝えて電話を切ると、今度はヒロコからだった。
ケンキチの方から日時と場所の案内をメールで送るように手配したという。
1967年だったかな、ケンキチが学生運動で反対セクトに捕まったという情報が流れて、喫茶店に缶詰めになっているので、様子を見に行ってくれと頼まれたことがあった。セクトには関係したくなかったが、友達の一人だから、しかたなくいったらすでにいなかった。後で無事に戻ってきたようだ。あの場にいたらちょっとやばいことになっただろう。助け出すのを黙って見ているはずがないからだ。素手で1~2人戦闘不能にすれば、ひるんでスキが出るだろうと修羅場を覚悟して「偵察」にいった。角材を拳で受けても骨折しないくらい小学生の時に鍛えてあった。ただ殴れば場所によっては危険すぎるので場所を選ばなくてはいけないが、動くからちゃんを思ったところに拳を叩き込めるか心配だった。二十歳前に殺人犯にはなりたくなかった。
ケンキチはカナメと同じ郡部出身だったから、カナメを通じて知った。カナメは優秀な奴で、短大卒業した年に税理士試験に合格して、それ以来有楽町で税理士事務所を構えている。若いのに一等地で勝負しようとは見上げた根性だ。1年生の時に同じF組だった。今回の同期会の会場設定はカナメの仕事だ。
丸刈り坊主頭の校則改正をやった後で、生徒会の先輩の副会長FさんとHさんの二人に「俺たちが応援演説やるから会長に立候補しろ」と「指示」があった。ノーは言えないので生徒会顧問へその旨申し出たら、校長からストップ。生徒会会計なのでダメだという。何をやりだすかわからない危険人物視されてました。警察の公安からも目をつけられていました。
昔の生徒会会計は生徒会の帳簿をつけて決算業務をしていました。だから先輩の生徒会会計から後輩へ指名制で決められていました。各部への予算の割り振りも生徒会会計が個別に各部の部長と副部長を生徒会室に呼んで、順に査定を申し渡しました。だから、権限は絶大、簡単には変えられないのです。でも、両方だってやれるし、後輩のH田に任せてバックアップすればいいだけ。生徒会顧問が困った顔をしたので、裏の事情を察して先輩二人に話して立候補は取りやめたのです。その代わりに優秀な友人がいるので副会長に立候補させるから、応援演説をしてもらえるか訊いたら、OKでした。それでカナメを説得した。ヒロコは中央執行委員、同級生のカズコも中央執行委員に立候補した。そして中学校の時に一人で褌を占めて鉄炮をしていたオサムが会長に立候補した。当時は私立高校が1校あり、その生徒会とも交流をもったし、部活も女子バレー部で親善試合を組んだ。やりたいことはいつだってやれるものだ。やれないいいわけなんかしてないでどんどん始めたらいい。古いことを壊したり、新しいことを始めると危険視されるのはいつの時代でもあることです。
一緒に歩いてくれた、いい仲間たちだった。
一度「予行演習」したので、今度は不安な気持ちなんてない、迷わず会場へ足が運べるだろう。ケンキチから今日か明日にもメールが入る、楽しみだ。
今年は同級生が二人亡くなった。一緒に東京へ出てきたヒロシとムサシだ。ヒロシは根室商業以来続いた総番制度の最後の総番長だった。ムサシは副番長3人のうちの一人だった。一番早く死にそうになったわたしが生き残り、元気だった二人がそれぞれ病気と闘って逝ってしまった。東京へ出てきたころ、ヒロシのところへ行って何度か朝まで飲んだ。
タケシの用件は先ほど電話で済ませた。
70歳を過ぎると、癌を患う人が増える。2006年にステージ3.5?だったわたしもいつ逝っても不思議ではない。速度のわからない列車に乗っているうえに、終着駅がどのあたりかもわからぬ、ただ、車窓から旅を楽しむのみ。
一休さんのこの短歌に痺れる...
門松や 冥土の旅の 一里塚
雨降らば降れ 風吹かば吹け
20日の同期会で会うのが今生の別れとなる人もいるかもしれない、楽しく飲みたい。
他人ごとと思ってお気楽に書いてはいるが、自分事かもしれません(笑)
<余談:スマホの道案内機能>
その後使っているihoneで道案内機能を試してみた。ihoneオリジナルのアプリよりもGoogleMapsの方が使い勝手がよいことが分かった。これは「お上りさん状態」のわたしには便利がいい。来週はこの機能を使って会場まで行ってみたい。楽しみが一つ増えました。
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新宿までの長いこと、永遠につかないかと思ったがそんな私の心情を特急電車がくみとってくれるはずもなし、ようやく電車は新宿駅へ到着。滅多に来ることがないので地下街を5分ほど偵察、21年前とはまるで様子が変わっていた。SRLへ転職した理由の一つが、西口駅前の「超高層ビル」のNSビル22階に本社があったからだった。せっかく東京で仕事するのだから、一度は超高層ビルで仕事したかった。1984年2月、念願がかなったわけだ。本社勤務は2年間だけだった。そのあと1~3年でさまざまな部署(購買課⇒学術開発本部⇒関係概査管理部⇒東北の関係会社へ出向⇒本社経理部管理会計課・社長室・購買部兼務⇒SRL東京ラボ出向⇒帝人との合弁会社出向)を異動して歩いた。普通の会社からは考えられない、会社都合で「支離滅裂な異動」が続いた、半分くらいは自分のせいでもあるのだが…。
そんな感慨に浸りながら、どういう経路で行けばいいのか考えるのも面倒なので、山手線で渋谷・品川回り(内回り)で行くことに決めた。電車は込み合っていた。有楽町で降りたら、駅構内がまるっきり違っていた。中央口から京橋口までなが~い通路ができている。中央西口から出たら、ここはどこ?って感じで、パニックに陥る。
18歳で東京に出てきたときにも感じたことがなかった街との違和感、違和感というよりももう異次元の世界だ。2002年の春まで2年間銀座五丁目スズラン通りのとある会社の本社ビルで上場準備の仕事をしていたのが嘘のような「お上りさん」状態なのだ。
会場のこじゃれた居酒屋までどうやっていったらよいのか茫然自失、面倒なので「0101」の新しいビルの前からヒロコへ電話を入れた。
「駅前の丸井のビルの正面玄関にいるんだけど、迎えに来てくれない?」
「え!20日だよ」
(笑)聞き違えたのだろう、有楽町界隈、銀座をぶらぶらする気力なしで、戻ってきた。有楽町駅から日比谷への通りが、電飾できれいだったのが思い出された。
帰路、スマホをチェックすると知らない固定電話から何度も着信があったが無視していた。原則出ないことにしている。夜8時過ぎにまたかかってきたので電話に出たら、
「トシ、久しぶり」
タケシから電話だった。仕事場から用事があって電話を何度もかけたが出ないと叱られた。(笑)
タケシも同級生で数年前に古里で、劇画家となってから五十周年記念展を開いた。
タケシの要件は調べて明日返事するからと伝えて電話を切ると、今度はヒロコからだった。
ケンキチの方から日時と場所の案内をメールで送るように手配したという。
1967年だったかな、ケンキチが学生運動で反対セクトに捕まったという情報が流れて、喫茶店に缶詰めになっているので、様子を見に行ってくれと頼まれたことがあった。セクトには関係したくなかったが、友達の一人だから、しかたなくいったらすでにいなかった。後で無事に戻ってきたようだ。あの場にいたらちょっとやばいことになっただろう。助け出すのを黙って見ているはずがないからだ。素手で1~2人戦闘不能にすれば、ひるんでスキが出るだろうと修羅場を覚悟して「偵察」にいった。角材を拳で受けても骨折しないくらい小学生の時に鍛えてあった。ただ殴れば場所によっては危険すぎるので場所を選ばなくてはいけないが、動くからちゃんを思ったところに拳を叩き込めるか心配だった。二十歳前に殺人犯にはなりたくなかった。
ケンキチはカナメと同じ郡部出身だったから、カナメを通じて知った。カナメは優秀な奴で、短大卒業した年に税理士試験に合格して、それ以来有楽町で税理士事務所を構えている。若いのに一等地で勝負しようとは見上げた根性だ。1年生の時に同じF組だった。今回の同期会の会場設定はカナメの仕事だ。
丸刈り坊主頭の校則改正をやった後で、生徒会の先輩の副会長FさんとHさんの二人に「俺たちが応援演説やるから会長に立候補しろ」と「指示」があった。ノーは言えないので生徒会顧問へその旨申し出たら、校長からストップ。生徒会会計なのでダメだという。何をやりだすかわからない危険人物視されてました。警察の公安からも目をつけられていました。
昔の生徒会会計は生徒会の帳簿をつけて決算業務をしていました。だから先輩の生徒会会計から後輩へ指名制で決められていました。各部への予算の割り振りも生徒会会計が個別に各部の部長と副部長を生徒会室に呼んで、順に査定を申し渡しました。だから、権限は絶大、簡単には変えられないのです。でも、両方だってやれるし、後輩のH田に任せてバックアップすればいいだけ。生徒会顧問が困った顔をしたので、裏の事情を察して先輩二人に話して立候補は取りやめたのです。その代わりに優秀な友人がいるので副会長に立候補させるから、応援演説をしてもらえるか訊いたら、OKでした。それでカナメを説得した。ヒロコは中央執行委員、同級生のカズコも中央執行委員に立候補した。そして中学校の時に一人で褌を占めて鉄炮をしていたオサムが会長に立候補した。当時は私立高校が1校あり、その生徒会とも交流をもったし、部活も女子バレー部で親善試合を組んだ。やりたいことはいつだってやれるものだ。やれないいいわけなんかしてないでどんどん始めたらいい。古いことを壊したり、新しいことを始めると危険視されるのはいつの時代でもあることです。
一緒に歩いてくれた、いい仲間たちだった。
一度「予行演習」したので、今度は不安な気持ちなんてない、迷わず会場へ足が運べるだろう。ケンキチから今日か明日にもメールが入る、楽しみだ。
今年は同級生が二人亡くなった。一緒に東京へ出てきたヒロシとムサシだ。ヒロシは根室商業以来続いた総番制度の最後の総番長だった。ムサシは副番長3人のうちの一人だった。一番早く死にそうになったわたしが生き残り、元気だった二人がそれぞれ病気と闘って逝ってしまった。東京へ出てきたころ、ヒロシのところへ行って何度か朝まで飲んだ。
タケシの用件は先ほど電話で済ませた。
70歳を過ぎると、癌を患う人が増える。2006年にステージ3.5?だったわたしもいつ逝っても不思議ではない。速度のわからない列車に乗っているうえに、終着駅がどのあたりかもわからぬ、ただ、車窓から旅を楽しむのみ。
一休さんのこの短歌に痺れる...
門松や 冥土の旅の 一里塚
雨降らば降れ 風吹かば吹け
20日の同期会で会うのが今生の別れとなる人もいるかもしれない、楽しく飲みたい。
他人ごとと思ってお気楽に書いてはいるが、自分事かもしれません(笑)
<余談:スマホの道案内機能>
その後使っているihoneで道案内機能を試してみた。ihoneオリジナルのアプリよりもGoogleMapsの方が使い勝手がよいことが分かった。これは「お上りさん状態」のわたしには便利がいい。来週はこの機能を使って会場まで行ってみたい。楽しみが一つ増えました。
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