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#5125 公理を変えて資本論を書き直す③ Dec. 8, 2023 [A2. マルクスと数学]

  マルクス『資本論』は投下労働量が商品の価値を規定するという前提から出発しています。その前提が誤りであれば、演繹体系としての『資本論』は根底から崩れてしまいます。
 マルクスは1867年に『資本論第一巻』を公刊してから、第2巻を出すためにたくさんの原稿を書き貯めましたが、死ぬまで続巻を出版しませんでした。重大な理由があるはずですが、そこを問題にしたマルクス経済学者はいません。
 死ぬまで書き溜めた原稿は斉藤幸平氏の著書に明らかです。晩年は新しい経済社会のデザインを夢見ていたようです。
 死ぬまでの16年間沈黙を守り続けたのは、第2巻の市場論でマルクスは労働価値説が破綻することに気がついたからというのがわたしの説です。ヘーゲル弁証法では第2巻が展開できないことはすでに#5124で具体的に述べましたから、ヘーゲル弁証法で市場論を展開することは不可能です。一つ手前の生産過程でもジンテーゼに該当する概念がありませんから、ヘーゲル弁証法では展開できないことはお分かりいただけたのではないでしょうか。
 ところで、労働価値説が破綻している事例をすでに3つ挙げていますが、今回はさらに2つ付け加えます。事例はこれで終わりです。そのあとは「労働価値説と生産性」の問題に焦点を当てます。これもマルクス経済学者は今まで誰一人採りあげたことがありません。取り上げられない理由があるからですが、それも明らかにします。四つのシミュレーションで明確に解説するつもりです。


<事例-4:東北の臨床検査会社CC社との資本提携>
 副題:実現できなかった黒字化案
 経営分析をして、資本提携交渉をまとめて、先方の要請で経営企画担当取締役として出向したのは1993年でした。3年の約束で、黒字転換と子会社化するという指示を創業社長の藤田さんから直接受けていました。このとき北陸の臨床検査会社の買収と東北のCC社の資本提携の両方を藤田さんの特命案件で担当していました、それでどちらも首尾よく言ったので、好きな方を選んでいいよと言われ、金沢の臨床検査会社の子会社化は大きな問題が一つありましたが、首尾よく交渉し終えており、子会社化以後は生産性向上のためにシステム開発案件だけで大きな問題がないのでCC社を選びました。
 資本提携交渉をしたときにCC社のT社長は社内を見せてくれました。システム部門でパソコン十数台をつないだマルチコントローラを開発していました。許可をいただいてから、ボードをひっくり返して配線を確認したらマッピングではなくてプリント基板でしたので、「社長、これ売るつもりですね、プリント基板で配線しているということはもうプロトタイプの段階ではないのですね」と告げるとギョッとした顔をしていました。「中止したほうがいいと思いますよ、アッセンブラでの開発の時代ではないのです、メンテができないので売ればトラブルになります、使用しているパソコンも沖電気製で計算が引けない代物です」社長室に戻って、率直に意見を述べました。
 前年に千葉ラボではAS400とプログラミングできなくてもSQL文を書くだけでデータを扱えるRDBマシンで生産性を2倍にしたシステムが稼働していたので、マルチコントローラでパソコン十数台を運用するような時代ではなかったのです。おまけに、あいかわらずアッセンブリー言語でした。これでは開発担当者だってメンテはたいへんです。とっくにC++の時代でした。千葉ラボの旧システムはCC社が開発したものでした。アッセンブリー言語で開発した、メンテナンスが著しく困難なシステムでした。
 このときに、5年間の財務資料と人員データで経営分析した資料と当期の損益シミュレーションデータを見ながら、売上推計値を説明しましたが、それはCC社のT社長と一緒でした。自分のノートパソコンを見せてくれましたが、EXCELの表計算を利用した営業所別の売上高の線形回帰分析データが並んでいました。
「最小二乗法で計算している...」とCC社の社長の説明が始まりました。
「ああ、営業所別に線形回帰をしたのですね、わたしの方は別の方法でやってます。もっと簡便な方法ですがデータの精度は一緒です」
 統計に知識のある人同士の話ならは「最小二乗法…」という説明はしません。線形回帰分析という専門用語があるので、ひと言で済みます。
 この時もギョッとしていました。ただの財務屋だと思っていたのですから、統計の専門知識がないと思っての解説でした。15年前の輸入商社勤務時代に(1978年)に、プログラムのできる科学技術用の卓上関数計算機HP97HP67を使って、自社の経営改革のための経営分析で線形回帰分析を頻繁に繰り返していました。性能が低くてまだ国内のパソコンが仕事ではつかえなかった時代です。オモチャでした。

 決算資料を見たときに、検査試薬費の比率が11%くらいだったかな、あまり低いので、質問をさせてもらいました。
「社長、これ試薬の購入費が他のラボに比べて低いのですが、何か特別な事情がありそうですね、この価格では通常は仕入れられません。教えていただけますか?」
 1978年に開発した25ゲージ5ディメンションの経営分析モデルを使って、一般検査子会社の財務資料の分析をしていたので、材料費比率がどれくらいか知っていました。これもドンピシャでした。CC社会長の息子が薬剤師で大手試薬の卸問屋の勤務なので特別価格で仕入れているとのこと。よくこんな価格で仕入れができるとからくりがわかってこちらがびっくりでした。データに粉飾があるとあとで困ったことになるので、5年分の財務データを経営分析モデルへ入力して、異常なデータがあれば、理由を確かめるようにしていました。そういうことが習慣になっていました。輸入商社にいた1978-83年まで6年間、経営改善を目的としたシステム開発をしながら、経営分析をしていました。四半期ごとに役員全員へ解説してましたから、数字を見ただけで、異常なものには勘が働きます。知らない間にセンスを磨かせてもらっていたのです。それがCC社との資本提携交渉に役に立ちました。
 同じフロアの営業所に行くと、コールター(海外メーカーで性能はいい)の血球計算機が置いてありました。普通はシスメックス(国内メーカー)のものを使います。メンテナンスがいいからです。わたしは機器購入担当をしていた時に、ばらばらにいろんな会社の血球計算機を入れられては、人の異動の時に困るので、ブランチラボの血球計算機はシスメックスの製品に統一していました。もちろん、全国どこでも緊急メンテナンス対応するという条件でです。それで
「コールターの性能がいいのは知っていますが、メンテに問題があるはずです、これは社長のチョイスですか?」  
 故障で2日間も検査できなかったら会社の信用にかかわるので、メンテナンスのよしあしはとっても大事なのです。臨床検査技師のT社長が性能重視で選んだものでした。なるほど、そういう技術的な的な視点を優先して経営しているのかと合点がいきました。
 後でお酒を飲んだ席で、「わけがわからない、経営分析を頼んだのだから財務屋さんだと思っていた」、そう言ってました。財務屋で、SEでもあります。日本最大の臨床検査ラボの機器については社内でもっとも詳しい社員の一人です。産業用エレクトロニクスの輸入商社で6年間マイクロ波計測器や時間周波数標準機、質量分析器、液体シンチレーションカウンター、スパイが使うレシーバや航空機搭載の機器等の軍需機器、毎月欧米50社の新製品の技術説明会に出席して、世界最先端の理化学機器について6年間専門知識を蓄えてきましたから、臨床検査機器の理解は簡単なのです。ディテクター部があり、データ処理や制御部のコンピュータ部があり、そして出力部(GPIBインターフェイス)で構成されている点では同じですから。ディテクトする周波数や前処理がいろいろだというだけのことでした。経験と学習はどこで役に立つのかわからぬものです。役に立たぬ経験も学習もありえないというのがわたしの経験です。
 提携交渉でそういう経緯があり、資本提携はわたしが取締役で出向するという条件が付与されました。T社長は赤字が続いているCC社の経営改善を期待していました。 15か月間という短期間ではありましたが、腹を割って話ができるパートナーでした。

 出向して3か月目くらいの時に2箇所あるラボのうち栃木県にある細菌検査ラボを見せてもらいました。細菌検査システムが導入されたばかりでしたが稼働していません。細菌検査担当者に理由を訊いたら「使い物にならないし開発した担当者が来ない」というのです。CC社の本社へ戻って直接本人へ確認すると、「文句を言われるので行かない」そう言ってました。これでは商品としてラボシステムを販売できるわけがありません。千葉ラボの旧システムがどういう状態だったのか、これでよくわかりました。
 生産性とメンテナンスのしにくいシステムでは製造コストも販売した後のコストも高くついてしまいます。その一方で品質が劣るのですから、市場では低販売価格で勝負するしかありませんから、利益が出ません。システム技術が高いと自負していたT社長はそのシステム技術にこだわって経営を悪化させていました。世の中の動きよりだいぶ遅れていましたが、周りに助言してくれるスキルの高い専門家がいませんでした。社長業とは孤独なものです。後ろを見たって相談する相手はいません、それでも決断はしなけりゃいけません。
 生産性は商品価値と密接に関係しています。品質と商品の価値は密接な関係があります。

 染色体検査事業をSRLと連携することで、SRL側は受注抑制を解除できますし、CC社は染色体事業の売上規模を拡大して売上高経常利益率を1520%へ持っていけます、win-winの黒字戦略案を15か月で作成して文書でSRL創業社長の藤田さんへ文書で報告し、最終確認のためにSRL本社へ呼ばれました。その席で藤田さんと副社長のY口さんからストップがかかってしまいました。陸士と海士を両方合格したY口さんは、戦後東大に入り直して富士銀行へ就職、そこからSRLは役員出向・転籍、このころは専務から副社長へ昇格していました。

 経営改善案では、SRLよりも売上高経常利益率が高くなるし、SRLの子会社の中ではダントツにナンバーワンの高収益企業となる予定でした。私の作成した損益シミュレーションは具体的な戦略の裏付けがあるので外れません、年間16~20億円の検査試薬のコストカットを提案し、3年間実際の交渉をやって見せてます。千葉ラボの生産性2倍アップの新システム導入でも損益シミュレーションで黒字化の実績がありました、だからストップでした。こういう子会社が出現することが藤田さんいやだったのです。その時まで藤田さんの真意が読めていませんでしたね。難易度の高い仕事だったので、夢中で仕事してました、間抜けでした。(笑)
 実質的な幕引き交渉は藤田さんと二人で、浜松町の東芝ビルに入っていたJAFCOとやりました。
 子会社社長は親会社の取締役兼務が慣例になっていましたから、社長もSRLの営業担当常務に交代する交渉までしてありました。T社長の持ち株の譲渡まで、条件を飲んでもらっていました。
 交代で3人出向しましたが、染色体事業分野の拡大という選択肢がとれなくなって、赤字は拡大、1年後に持ち株を他社に譲渡して資本提携を解消しました。交代で出向した方たちは気の毒でした。

 染色体画像検査分野は生産能力があるのに、営業が弱くて検査をもってこれません。だから、この部門をSRLの下請化して、東北市場で受注した分をCC社仙台ラボへ流すつもりでした。SRLの方は3IRS社の染色体画像解析装置を使って処理していましたが、処理能力が受注に追いつかないので受注抑制していました。だから、この事業分野の提携は「winwin」の関係だったのです。提携することで、CC社側では生産できる商品の価値(売上)が34億円ほど増える予定でした。もちろん、検査方法や精度管理基準を合わせないといけませんので、そういう調整仕事に入る寸前で、ストップとなりました。ある点でやり方に重大な違いがあり、どちらの方法が優れているのか、データをとって確かめないといけない状況でした。

 話の要点を絞ります。同じ人数で売上が34億円増えるということは、生産される商品の価値が34億円増大するということです。開店休業状態の部門がフル稼働になるだけですから、投下労働量にはほとんど影響ありません。英国IRS社の染色体画像解析装置は生産性が高いのです。それまでは写真にとって23対46本個の染色体を大きい順に鋏で切りぬきと糊で検査報告書に切り貼りしていました。それが大きい順にDisplay上で自動的に並べられて、写真と同等の品質のプリンターで出力されるのです。切り貼りの要員がゼロになります。切り貼りのやり方に比べたら、3倍以上の生産性があります。コストは下がるし、検査報告書の品質も格段にアップしました。切り貼りしていませんから、経年変化で脱落しないのです。
 染色体画像解析分野での提携とは別の選択肢が一つだけありました。業務提携の必要のない案(SRLに依存しない案)で、千葉ラボのラボシステムを委嘱するだけで黒字転換が可能でした。稟議書原案は黒字化損益シミュレーションを添付してわたしが書いたものでしたので、資料をもっていました。交代で行った3人のうち一人はあの時の損益シミュレーション付きの稟議書を見ていましたが、システム開発・スキルがなければできない仕事でした。創業社長の藤田さん、1年もしないうちに見切りました。わたしに本社への異動辞令を出した時点で腹は固まっていたのです。持ち株を他の検査センターへ売却処分してます。
 黒字化は二つの方法がありました。染色体分野で、SRLと方法を統一して売上拡大をする方法と、千葉ラボのラボシステムと業務システムを移植する方法です。要はシステム開発や臨床検査機器に関する専門知識とスキルの有無、そしてマネジメントの巧拙。赤字会社はそう苦労しないで黒字の高収益会社に化けます。真っ正直に仕事したらいいだけです。「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」でいいのですよ、余計なことは考えない黒字にして仕事を楽しくし、そして給料アップがついてくれば、人は張り切って仕事するものです。自分たちで会社を浴したという自信が湧いてきます。関係者みんなの幸せを願って仕事したら、自ずと道は拓けます。そういうものです
 藤田さんとY口さん、わたしが会社を辞めてCC社へ移籍する可能性を考えていたかもしれません。一部のうわさが飛んでいました、わたしには出まだやりたい仕事があったので、そんなことは考えたこともありませんでした。
 立川本社に呼ばれて、藤田さんとY口さんと話して、数日後に出向解除辞令が出ました。同時に出されたのは「本社経理部管理会計課長・社長室・購買部兼務」、異例の1部署と2部署兼務でした。こうして3年間の出向のお約束が15か月で終わりました。古巣に戻った感じでした。
 朝6時にCC社の隣の温泉で朝湯に入って、食事して、8時半ころ出勤してました。東北、とってもよかった。CC社の社員のみなさんにはたいへん申し訳ないことになりました。黒字化して、みんなの年収を200万円アップしたかった。

<事例-5:帝人との治験合弁会社>
 SRL社長の近藤さんの案件でした。合弁事業を立ち上げるために子会社の東京ラボから呼び戻されました。合弁会社立ち上げプロジェクトが暗礁に乗り上げたからです。経営の全権委任を条件に四つの課題を引き受けました。
 治験検査受託から事業の柱を、治験検査データ管理へシフトして、3年目に黒字化しています。これもマネジメントです。転籍する両方の社員へ親会社を超える給与を保障したくて仕事してました。マネジメント次第で社員の処遇は激変します。
 机とイスとパソコンとサーバーはSRL本社よりもいいものを揃えてあげました。処遇の異なる2社の出向者が机を並べて仕事します。親会社以上の処遇をめざしているということを形で示してやらないと納得しないでしょう。課長職で12の年収格差がありました。
 課題は4つ。①期限通りに合弁会社を立ち上げること、②3年間で黒字化すること、③合弁を解消してSRLで帝人の持ち株を引き取ること、④帝人の臨床検査子会社を買収してSRLの子会社とすること。①の課題は2か月後に期限が迫っていました。合弁会社の本社を置く場所も決まっていませんでした。もっていく保管資料の量も、販売会計システムも「これから」でした。期限通りに会社はスタート、残りは3課題は3年の期限で全部クリアしました。マネジメント次第なのです。交渉では帝人本社の石川常務にお世話になりました。合弁会社の資本提携解消と帝人持ち分の買取りを申し入れたら、帝人の臨床検査子会社を合弁解消後の新会社の子会社にするので、そちらも兼務で社長をやってほしいという申し入れを受けましたが、 近藤さんの当初構想通りに帝人臨床検査子会社も買収したいと提案して、快く受け入れていただきました。帝人にはその案を受け入れる帝人社内事情がありました。帝人が染色体画像解析装置を購入した1989年から、こういう買収のチャンスが巡ってくることは予測してはいましたが、まさか自分の手でやることになるとは思いませんでしたね。

 ところで、治験検査ではSRLは検査料金を支払わなければなりませんので粗利益率が20~25%くらいでしたから、永久に利益が出ません。事業の柱がもう一本必要でした。製薬メーカーからに依頼で、いくつか治験データ管理システムを開発してありましたので、NTサーバーを使って汎用パッケージを開発し、カスタマイズをして、販売することに決めました。メーカーごとに特注に応じるのに比べると、生産性は10倍ほどにもアップしました。したがって利益率が抜群に高いので、この分野の売上を伸ばすことで黒字転換する計画を立てました。いいデータ管理システムをもっていたら、治験検査の売上も一緒に増えます。相乗効果がありました。新しい治験基準が1年後に公表されて、それが厳格過ぎて製薬メーカーの治験が一時ストップしましたが、1年以上もとまることは考えられなかったので、深刻には受け止めませんでした。ケセラセラでした。経営に責任を持つものが額にしわ寄せて深刻な表情してたら、社員が心配します。
 首都圏の国立大学病院から開発中の治験データ管理システムが暗礁に乗り上げたので、相談に乗ってほしいと応援要請があり、担当者をシステムとデータ管理業務の担当者を4人ほどつれて行き、ドクターから話を聞きました。製薬メーカーの次は病院向けの治験データ管理システムを考えていたので、渡りに舟でした。無償で支援することに決めました。大学病院側のニーズを知っておく必要があったからです。この大学病院の治験データ管理システムはその後半年ぐらいかけて本稼働しています。担当のドクターは大喜びでした。製薬メーカー向けよりは病院向けの方の需要が大きいので、貴重な経験を積ませてもらいました。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」で仕事すれば、智慧も沸くし、給料も増やせるので、社員の士気が違いますから、赤字会社も黒字になります
 黒字化するとその企業がつくる商品の価値も大幅にアップします。商品の価値をアップするのに必要なのは、マネジメントと品質向上や高収益の事業分野の開発です 


<<品質と市場価格>>
 マネジメントの巧拙で生産性は大きく違ってきます。工程改善や単純作業の機械化、システム化で商品の品質改善にもお金がかけられます。品質が向上すれば市場価格が違ってきます。1980年代半ばの頃のことですが、臨床検査は保険点数で単価が決まっています。SRLは保険点数の70%ほどで受注していました。業界2位のBML50%前後でした。同じ検査でなぜそんなに差が出るのかというと、商品ラインの幅の広さと品質に大きな差がありました。検査項目別原価計算資料によれば、3000項目の内、採算のとれているのは200項目ぐらいでした。それでも200項目は量が多いので他の少量の2800項目の赤字がカバーできてました。ラボで働いているのは臨床検査技師や薬学部出身者の社員がほとんどで占められていることが品質の高い理由でした。ルーチン検査部門でも申請すれば新規開発に必要な機器や試薬が買ってもらえました。研究部や特殊検査部以外のルーチン検査を担当している人たちが、多数新規開発してました。あるとき、臨床化学部の社員と話をしていたら、2000万円の2次元電気泳動の機械の申請をして、検査管理部にはねられたというので、根回ししておくから、「わたしがもう一度購入協議書を出すように言っていると上司に話して、手続してください」と伝えて、希望をかなえてあげました。10億円くらいは、ルーチン検査部門で熱心な社員にほしいものを買い与えていいんです。この仕事をしていた間に、検査試薬のコストカットで3年間で50億円利益を増やす貢献をしているので、数億円の案件なら、わたしがOKすれば経理担当役員も副社長もだまって稟議書や購入協議書に承認印を押してくれます。
 本社にいると、そういう情報が全く入って来ません。入ってきても何が有望かどうか判断つきません。 
 新規開発は10個に一つ成功すればいいのです。失敗していい、それで社員が成長して、めげずに次の新規項目開発にチャレンジしてくれたらそれでいいのです。そのために高収益である必要があるのです。元気な会社はそうやって創ればいい。
「売り手よし、買い手よし、従業員よし、世間よしの四方よし」
 このビジネス倫理が実現できている企業の商品価値は群を抜いて高いものになるでしょう。
 それにはそれぞれの専門分野のスキルをもった職人がいること、そして質の高いマネジメントがなされていることが不可欠な条件です。

 次回は、労働価値説と生産性の問題を扱います。1867年の『資本論第一巻』以後、マルクス経済学者やレーニンや毛沢東などの後継者たちが見落としてきた重要なポイントを俎上に載せます。


#5124 資本論の論理構造とヘーゲル弁証法 Dec. 5, 2023 




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