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#5096 国民の40%が頭痛持ち:北里大学客員教授五十嵐久佳医師 Oct. 30, 2023 [36. 健康]

 朝5時37分頃からのNHKラジオ番組で、頭痛学会理事の五十嵐久佳(ひさか)医師が解説していました。
 日本人の40%が頭痛持ちで、女性は男の3.6倍も多いということですから。男が9%、女性が31%であわせて人口の40%が頭痛持ちということになります。総人口に対する割合なので、男の9%、女性の31%ではありません。それでは合わせて総人口の20%にしかなりません。
 めんどうなの男女比が1:1だと仮定すると、男の18%、女性の62%が頭痛持ちということですよ。何だかヘンだと思うでしょ、日本の総人口は2023年10月1日現在推計値で1億2千4百万人ですからそれを使って計算してみましょう。男女比は1:1とします。男女はそれぞれ6200万人ですから、男は「6200万人×18%=1116万人」、女性は「6200万人×62%=3844万人」、両方の合計は4960万人です。これを総人口で割って百分率にすると、「4960/12400×100=40%」となります。女性は6割強の頭痛持ちがいるということです。男も6人に一人の割合、18%いるのですから、少ないとは言えません。それぞれ皆さん社会生活を営んでいますから、頭痛を抱えている人は日常生活や仕事に支障が出ているケースも少なくないでしょう。

 片頭痛と偏頭痛と2通りの書き方がありますが、日本の頭痛学会では「片頭痛」と書くそうなのでそれに倣います。

 ずいぶん多いなという気がします。古里の極東の町へ戻って20年間小さな私塾をやっていました。あるとき、中学生の女の生徒の手が止まって、しばらく観察していても動かないので、異常を感じて、そばに行って、「ひょっとして具合悪くない?」と小声で訊いたら、「わたし頭痛もちなんです、しょっちゅう頭痛がするんです、いまもそうなんです」、そう聞いてびっくりしました。この生徒は看護専門学校へ進学して看護師さんとして仕事しています。
 数回中耳炎になったことがありますが、耳の奥を針で指すような痛みで、とても本など読めません。歯痛でも同じで、痛みが増すと数学の問題を解くのもしんどくなります。意識が痛みを発しているところは集中してしまいます。周期的に襲うので、次の痛みが来るのではないかと不安になるのです。頭痛も似ているのかなと想像するしかありません。
 岩見沢の看護学校へ進学した男子生徒も片頭痛の持ち主でした。やはり授業中の様子がちょっとおかしいことがあったので、聞いてみましたら、当たっていました。照明が強いとそれが引き金になるようでした。頭痛がしてくると勉強が頭に入らない。「突っ伏して寝ていていいよ、おさまったら問題やってください」、塾長一人で教えている1クラス最大7人編成の個別指導塾ですから、調子の悪い時は寝ていて、他の曜日に来てもいいのです。集団指導ではありませんので、授業進度に問題はありません。問題集を解いて、理解できないところをわたしに質問して、その生徒の学力に応じた解説をするだけですから。
 軽度の頭痛に悩んでいる人は塾生たちを見ても少なくありませんでした。ひどいと学力の伸びにブレーキをかける場合があります。自分の頭痛に対する理解と、周囲の理解があれば、頭痛と上手に付き合い、影響を小さくできます。

 こんなに多い頭痛ですが、市販の痛み止めを飲んで我慢している人が多いのだそうです。
 五十嵐医師は頭痛専門医の受診の目安を5つ挙げていました。
①頭痛が1か月に5日以上ある
②毎週2日は頭痛薬を飲んでいる
③薬を飲んでも、頭痛が1時間たってもよくならない
④家事や仕事に差し支えるほど頭痛がする
⑤頭痛が不安になる⇒予期不安を抱えている

 市販の鎮痛剤の乱用で出てくる頭痛のことをMOH(薬物乱用頭痛)と言います。生理痛でロキソニンやバッファリンを常用している人が少なくないのですが飲み過ぎによって頭痛が起きますから、服用回数の多い人は予防薬へ切り換えたほうがいいそうです。頭痛専門医へご相談ください。塾生の何人かは効かなくなって飲む量が増えているって言ってました。
 これで、女性が男の3.6倍の頭痛持ちのいる原因がわかったような気がします。

 痛みを抱えているが、我慢して日常生活を送り、頭痛専門医で受診していない人が多いので、上記①~⑤に該当する人や、ふだんよりも急に頭痛が激しくなったという人は、頭痛専門医に受診をお願いしましょう。
 脳疾患、例えば脳出血や脳腫瘍で起きる頭痛があるので要注意です。
 三叉神経とは12対ある脳神経のひとつですが、三叉神経が圧迫されて起きる三叉神経痛や脳疾患で起きる頭痛など頭痛の原因はさまざまで、解明がされていない原因がよくわからない頭痛も多いようです。頭痛のタイプと自分の頭痛症状の特徴を照らし合わせて、どのタイプなのか探ってみましょう。一生付き合うことになるかもしれないので、相手(頭痛)をよく知っておくことは大切です。悪化させないことができるかもしれません。

 明日10/31朝5時35分頃から2回目の放送があるので、頭痛持ちの方は聞いて参考にしてください。
 頭痛持ちのみなさんの、悩みと痛みと不安がいくらかでも軽減できたらうれしい。

 片頭痛について解説した医師のサイトがあったので、紹介します。
*「片頭痛の特徴」

<余談:頭痛専門医の偏在、それを打開する遠隔診断システム>
 古里の地域中核病院は市立病院ですが、人口2.4万人で135ベッドの規模ですから、頭痛専門医は今までいたこともないし、これからもいないでしょう。120m離れた、釧路市の市立病院か芦野にある脳神経専門病院で受診するしかありません。
 片頭痛の潜在患者がたくさんいても、地域に頭痛専門医がいなければ拾いきれません。専門医の受診ができるのはごくわずかです。この問題はなかなか解決が難しいように思えますが、遠隔診療で対応で来る日がそう遠くありませんね。市立根室病院の頭痛外来を設置して、釧路の病院の脳神経科のドクターが症状を聞いて遠隔診断すればいい。MRIはあるので、頭部のスキャンはできるので、その画像の伝送も問題ありません。入社2年目の1986年に「臨床診断システム開発と事業化案」を書いて、SRL創業社長藤田さんの承認をもらい、フィジビリティスタディをしたことがありましたが、そういうシステムが地域医療を支える時代がようやく現実になりつつあります。うれしいですね。血液検査も病院が違っても、臨床医学会公表の日本標準臨床検査項目コードで全国の病院やクリニックのシステムが動いているので、問題なく使えます。1991年に大手6社と臨床病理学会(現臨床医学会)の産学協同プロジェクトで成立しています。コード管理事務局はいまでもSRLの学術情報部がやっているのかもしれません。あれは「臨床診断システム開発と事業化案」で提案した10個のプロジェクトのうちのひとつでした。臨床病理学会臨床検査項目コード検討委員会の櫻林郁之助教授(当時:自治医大助教授)と大手6社の産学共同プロジェクトを立ち上げるために最初の3度ほど参加しています。3年間くらい毎月一回の作業部会を開いて完成しました。臨床診断システム(エキスパートシステム)事業化はグローバルな展開を考えていたので、世界標準臨床検査項目コードがシステムを支えるインフラとして必要でした。
世界標準コードを制定するつもりでした。事業化案を書いてから36年、いまなら、通信速度やコンピュータの処理速度の制限がないので事業化できます。海外の企業がいくつも走っていますね。
 根室高校から旭川医大へ現役合格した生徒は、道北・道東推薦枠で現役トップ合格でした。2次試験の小論文が300点満点で295点でしたが、面接の点数が低かった。遠隔地域医療が面接で話題になったそうです。エキスパートシステムの話を、授業中に何度か雑談していたら、面接の点数もトップだったでしょうね。高校生には少し専門的過ぎる内容でしたのでしてませんでした。コンピュータシステムやコンピュータプログラムを利用した医学教育システムもその中に含まれていました。もちろん遠隔診断や遠隔手術に関する僻地医療の問題も網羅されていたのです。NTTデータ事業本部が美しいイラストをたくさん作成していましたね。NTTとのミーティングで、「30年後に必要となるので、それまで大切に保管しておきましょう」なんて発言したような気がします。
 こういう成長力がありリスクの大きいビッグプロジェクトを牽引できる人材が日本の大企業にはいないのでしょうね。年間売上が十兆円を超える事業分野に成長するでしょう、もったいない。
 政府が成長政策を声高に唱えても、やるのは民間企業ですから、大企業にそうした人材のいないことが大問題なのでしょう。なぜか?受験勉強ではそうした戦略構想力や実行力が育つことはないからです。難関大学出身者が多い企業は成長できないのでしょう。生態系と同じで、いろんな能力を備えた者が適当に混ざっているのがいい。
 難関大学出身者というラベルでひとくくりにしてはいけませんね。受験エリートたちの世界も玉石混交ですから。凄い人がたまにいます。


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#5095 茹でガエルの日本:150円/ドル 円への信認が崩れてしまっている Oct. 29, 2023  [95.増え続ける国債残高]

  前回ブログ「#5094全米自動車労組初任時給68%増の28ドルへ」という記事で、トヨタ北米工場で働く新入社員の年収は900万円、日本の工場で働く新入社員は300万円と書いた。その原因の一つは為替が円安であることにある。
 安倍政権発足時は80円/ドルだった為替レートはいまや150円/ドルまで円安になっている。日本は「茹でガエル」状態にあることにそろそろ気がつこうではないか。円の国際的な価値がこの11年間で半減した事実をみているのに、なぜこういう事態に至ったのか、政治の世界でも経済学者の間でもほとんど議論になることがない。

 円の国際的な信認が崩れたというのは、政府が平時なのに赤字国債を増発し続けて、国債を含めた政府の借金の残高が1270兆円に膨れ上がり、いまも膨れ上がり続けていることによるだけではない。日本銀行が国債発行残高の半分を超える540兆円を保有しているからだ。金利が3%に上がれば、日銀はその純資産の3倍もの実質評価損を抱え、債務超過に陥る。
 金利はすでに0.85%に上昇してきている。保有国債の実質評価損で日銀の純資産が間もなく消えてなくなる。日銀が国債購入を停止すれば、民間銀行のシンジケート団が引き受けるしかないが、そのときに金利は3%を超えて暴騰するだろう。変動金利で住宅を購入した人たちは返済不能に陥るものが多くなる。

 政府財政が破綻すれば、為替レートは一時200円/ドルを超えるような事態が出来するが、預金封鎖、東京証券取引所封鎖、不動産登記封鎖により、課税すれば、政府の借金はチャラにできる。そのあと新円発行で為替相場は落ち着くことになるだろう。
 マイナンバーが便利なツールとして預金や株式や不動産の名寄せに使われるだろう。そのためにポイントをつけて普及を必死に図っている。

 タックスヘイブンと言われているケイマン諸島などに預金を移し、海外での株式投資などをしている者たちは、政府財政破綻によるあと始末の課税を免れることができるだろう。「悪い者ほどよく笑う」のは理不尽な話だが事実である。
 金地金に変えて財産を保有していたら、課税を逃れることができる。しかし、金の保有には強盗に遭うリスクがある。国民のほとんどが政府財政破綻による、課税を免れることができない。お金に執着しても仕方がないが、生活をする資金は誰にでも必要である。

 一人4万円の減税なんて言っているが、支払った税金のほんの一部が戻るだけだ。所得のあるなしにかかわらず、3人世帯で月に30万円の生活費が掛かっていたら、年間36万円の消費税を支払っている。そのほかに現役世代は所得税も支払っている。ガソリンにもお酒にも別途税金が上乗せされている。3人世帯で12万円戻ってくることでごまかされてはいけない。そのあとには増税が待っている。
 銀行預金の3割になるのか5割になるのか、とにかく歴代政府がばら撒きを続けてきた借金の山を崩すために、預金封鎖で強制的に課税・没収されることになる。3000万円の預金をもっている老人世帯なら、その半分をもっていかれる可能性があるということ。バラマキの片棒を担いだのは公明党だろう。野党だって、与党ほどではないがバラマキ経済政策には賛成してきた。

 富士山が噴火しても、首都圏で直下型の大震災が起きても、東南海連動型巨大地震と津波が起きても、それらがきっかけになって、政府財政破綻の引き金になりかねない。金利が暴騰して、数百兆円の復興予算を組むための赤字国債を発行する必要が生じるからだ。
 金利を低く抑えて政府財政破綻を伸ばすことはできるだろうが、円は200円/ドルへ向かってじわじわ下がり続ける。生活必需品がさらに1.4倍となり、所得が増えない状態が続くということ。ヘッジファンドがどこかで円先物取引のトリガーを引き、円売りを浴びせて、日銀を破綻に追い込むだろう。結果は同じことになる。国民の財産で政府が積み上げた借金の山を崩すことになるのである。

<余談-1:背理法と『資本論』>
 資本論の体系構成論理を明らかにして、資本論の端緒に措定された価値概念、抽象的人間労働が商品の価値の現象形態であるという概念規定、を背理法で成り立たぬことを証明しました。資本論体系の出発点の概念規定が否定されたら、体系全体が崩れます。労働価値説が真ではないことは√2が分数では表せないというのと同じくらい確かなことです。背理法は数学だけでなく、あらゆる学問に普遍的な、命題の真偽の判定ツールです。
*「#5088資本論の論理と背理法:労働価値説の破綻を証明」


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#5094 全米自動車労組初任時給68%増の28ドルへ Oct. 28, 2023 [8. 時事評論]

<最終更新情報>10/28午後11:50 ビジネス倫理の追記

 標記のニュースが昨日(10/27)配信されている。
 28ドル*8時間*22日*12か月=59136$
 年間6万ドル弱が、米国の自動車産業労働組合員の初任給である。一昨日の為替レートは150.36円/ドルだから、円換算すると908万円の年収になる。
 2020年12月の資料によれば、トヨタの初任給は大卒で20.8万円、年収では300万円弱だろう。米国の自動車産業に比べると、1/3の初任給である。

 米国な物価も高いから、給与が高くても当然だが、それにしても3倍はないだろう。どうしてそういうことになるのだろう?
 為替レートが円安過ぎるからだ。75円/ドルなら、443万円である。感覚的な話だが、この為替相場なら、日米の物価の差も給与差もリーズナブルに思える。

 ではどうしてこんなに異常な円安になっているのだろう?
 
 国際金融筋が、GDPの2.3倍もの国債残高を抱えている日本はすでに財政破綻状態だとみなしていることによるのではないか?ヘッジファンドや国際金融機関の円への信認が崩れてしまったのではないか。安倍政権スタート時は80円/ドルだったのが、11年をかけて150円/ドルまでじわじわ下がり続けているが、今頃になってどうやら円への国際的信認が根底から崩れていることに気がつかざるを得ない。為替レートがそうした背景を反映している。
 これはわたしの単なる仮説にすぎないが、そうでも考えないと、同じ業種のこの大きな賃金格差の説明がつかない。

 海外から日本へ来る観光客は、日本の食べ物がおいしくて安価なことに喜んでいる。本国で食べる半分以下で食べられるからだ。オーバーツーリズムも円安が産み出したあだ花かもしれぬ。

 英語が達者な職人は海外で働けば、年収が3倍になるような世の中に様変わりしてしまった。技術職の一部は3倍以上の年収を求めて海外へ出ていくだろうが、それでも全体の1割には届かないだろう。
 英会話をマスターして海外移住することが年収アップにつながる時代になった。その原因の一つは、無責任な赤字国債増発と日銀の国債買い入れにある。日銀の国債保有残高は540兆円を超え、すでに国債残高の半分を超えた。
 日銀が買い入れを停止したら、政府は国債の新規発行ができなくなり、金利を3%程度まで上げざるを得なくなる。日銀は国債の実質評価損を抱えることになるが、純資産額をはるかに上回り、債務超過に陥る。もちろん政府財政は破綻する。預金封鎖が起きて、赤字国債残高の処理のために課税され、預金残高は半分程度になるのだろうか。

 減税なんてする余裕なんてとっくにない。そんな資金があるなら、平時の赤字国債発行を辞めるべきだ。首都圏大震災、千島海溝沿いの巨大地震と津波、東南海連動巨大地震、富士山噴火など、地震や津波だけでも発生すれば、数百兆円もの復興資金が必要になる。温暖化で生態系が変わりつつあり、農作物や水産資源に激変が起きつつある。高齢化社会へ対応するためのインフラ整備すらできていない。お金をバラまいて借金を増やす余裕なんてとっくにないのだ。

 実質評価損の計算は何度か提示したので過去ログを見てください。カテゴリ―「95 増え続ける国債残高」に設例があります。

(注:仮説が正しいかどうかはわかりません。ほかにこれが理由ではないかというようなものがあれば、コメント欄へ書き込んでください。)

 さて、ここからが本論です。視点が少し変わることになります。トヨタには北米に6か所生産拠点があります。同じトヨタで、北米工場で働く新入社員と豊田市の工場で働く新入社員では、給与格差が1:3ということになります
 労働価値説の立場に立てば、同じ会社の同じ生産システムでの労働ですから労働価値は一緒ですし、生産性も違いはありません。しかし国が違えば、円とドルの貨幣の交換比率(対ドル為替相場)によって、格差が生まれるというのは事実です。つまり、労働価値学説は国が異なれば破綻しているということです。労働価値説が破綻すれば、剰余価値学説もドミノ倒しに倒れます。そして不払労働を搾取しているという理論も成り立ちません。これら三つのドミノは連続して倒れてしまいます。
 それにしても、この給与格差は理不尽です。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」というビジネス倫理からも許容できません。売り手と買い手の外に、「企業で働く従業員もよし」でなければいけません。
 この理不尽な給与格差に直面して日本のトヨタ労組とトヨタの経営者はどうするのでしょう?注目してよいと思います。


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#5093 ゆるブラック企業にスキルアップはないのか? Oct. 28, 2023 [9. 相対的なものの見方]

今朝の羽鳥さんのモーニングショーを見ていたら、千葉商科大の先生が「ゆるブラック企業」について説明していた。この先生、長嶋さんや玉川さんの話を聞いて、ちゃんとまとめてわかりやすい言葉を選んで整理ができる稀な人でした。「聞く耳もっている」というのはこういう人のことを言うのでしょう。日本の総理大臣もこのレベルの知性が欲しいですね。

 ところで、世の中には「ゆるブラック企業」というのがあるそうで、このネーミングは初耳でした。ブラックとホワイトの中間が「ゆるブラック」だそうで、案外に居心地がよく、マニュアル化されたルーチン業務をこなしていれば、週休2日で残業もほとんどなく、のんびり社会生活を楽しめます。大きな業務改革がない変化の少ない職場ですから、当然仕事のスキルは伸びません。こんな職場は案外どころか、とっても多いですよ。

 スキルは今までとは違った仕事のやり方を創造することで伸びていきます。本ばかり読んでいてもスキルは伸びないのです。どれだけ仕事の改革をやったのかでスキルの伸びが決まります。もちろん自分に与えられた仕事が真ん中にどんとあります。仕事は孤立していないので、関連する業務もあなた次第で、仕事のやり方の改革ができます。今までにはない、合理的な仕事のやり方をデザインします。実務デザインってとってもむずかしいのです。合理的で、リーズナブル(費用対効果)なデザインができるためには、事務屋ならシステム化が、工場やラボならシステム化や新システム開発や機械化が必要になります。そういうスキルをもっていますか?

 日本の企業でも外資でもそういうチャンスはいくらでもありますが、それを担えるだけのスキルと専門知識を備えた人は稀です。複数の専門知識と仕事で良質の実務経験を積まないとスキルは育たないからです。

 自分の仕事を片っ端からシステム化してしまって、ルーチン業務がそれまでの10%の労働時間で可能になれば、毎日7時間余裕が生まれます。仕事時間中に好奇心の向くままに専門書を読んだり、企業内の図書室で英文の医学専門雑誌やScienceやNatureなどの科学雑誌を読みふけることもできます。暇ですから、大きな業務改善プロジェクトメンバーに指名されても余裕があります。そういう人間に大きな仕事が回ってくる、企業というのは規模の大小を問わず、そういう風になっています。20代で大きなプロジェクトの実務をいくつもしっかりとやることですね。実績を摘んだら、30代では大きなプロジェクトを任せてもらえます。誰もが不可能だと思うようなプロジェクトが回ってきます。社員が何人いようが、複数の専門知識と経験が必要な仕事がこなせるのは、いつでもごく少数です。偏差値で言うと80ですよ、つまり社員千人に一人くらいの出現確率です。数十人もそんな仕事を任せるだけの量はありません。ごくごく少数しか育たないようになっています。

 何が言いたいかというと、「ゆるブラック企業」ではスキルを磨けないと思っているあなた、見方を変えてみてください。あなた自身が担っている仕事を含めて、改善すべき業務だらけですよ。
 赤字の企業ならもっとスキルが磨けます。そうしないと、会社がつぶれますからね。
 実績のない者に大きなプロジェクトは任せません。コストが大きくて、失敗できない社運のかかるプロジェクトだってありますから。

 会社に勤めて3年で群を抜いて仕事の実績を叩きだせなければ、大きなプロジェクトを担うのは無理でしょうね。
 若いうちに、自分の可能性に大いにチャレンジしてください。

<余談-1:文科系大学院への進学率>
 理系は大学院進学率が3割ですが、文科系は20~30人一人だそうです。理由は就職にメリットがないから。文系の院卒は大学の先生になるかどこかの研究所くらいしか就職先がないのです。そういうところは給料面では恵まれません。魅力が薄いのです。
 理系の大学院は数が多いので民間企業では就職上のメリットはあまりなさそうです。
 企業で働くのに院卒のメリットは文系理系を問わないと思います。学力は学卒とはかなり差があるのは事実です。研究文野が狭くて使いにくい、潰しがきかない人が多いのも事実です。「受験学力」は企業では通用しませんよ。後は仕事の実力次第です。
 団塊世代の文科系大学院進学者は100人に一人以下でしたね。肝心なことは、自分の学力を仕事でどのように生かすかです。
 わたしは高校で簿記と会計学と原価計算と近代経済学をよく学びました。大学では商学部会計学科でしたが、ゼミは市倉宏祐教授(哲学)のゼミに3年間所属していました。大学院での専攻は経済学、それもマルクス経済学で、数学にまで手を伸ばして学問の体系構成に関する研究をしていました。どの専門知識や研究方法も仕事で役に立たなかったものはありません。
 産業用エレクトロニクスの輸入専門商社で、入社後1週間目に社運をかけた業務改善プロジェクト5つを任されました。ラッキーでした。自分の仕事を軽量化するために、入社1か月後には小型計算機HP-67とHP97を使ってプログラミングしてしまい、経営分析計算業務量を劇的に減らしました。それまでプログラミングなんてやってことがありません、仕事で必要なので、400ページを超える英文のマニュアル2冊を1週間で読んでマスターしました。専門書は学部と大学院で読み慣れていたので、可能でした。それを足掛かりに、社内に導入済みだったオフコンのプログラミング言語をマスターし、いくつかのシステムをデザインして、次々に業務のやり方を変えていきました。6年目には経営統合システム開発では国内トップレベルでした。1983年のことです。いい仕事にたくさん恵まれたからですよ。オーナー社長の関周さんに感謝です。
 長期経営計画委員会、資金投資計画委員会、収益見通し分析委員会、電算化推進委員会、為替対策委員会の5つの外に私が担当していない利益重点委員会がありました。メンバーは役員と部長、課長でメンバーは為替対策委員会と利益重点委員会の二つのみ。実務を担っている課長が任命されていあした。日経新聞へ中途採用の募集広告がでていたので、応募しています。先に応募していたファッションメーカから社長面接で採用が決まったので、終わってすぐに電話で断りを入れたら、総務経理担当取締役の中村さんが、日本橋本社まで来て、オーナー社長の関周さんにあっていけというので、電話では失礼かもしれないと、お会いしました。慶応大大学院経済学研究科卒の2代目社長だったから、専門分野が近かったので話があいました。研究分野を確認して、簿記1級をもっているので異質な人材だと判断してくれたようです。技術部にHP社のマイクロ波計測器制御用の高性能パソコンがゴロゴロしていたので、興味を引きました。使ってみたいと思ったのです。気が変わって、その場で入社することに決めました。
 入社1週間目でよくあれだけのプロジェクトを任せてくれましたね。メンバーは取締役と部長だけ、課長二人だけメンバーでした。どれもシステム化案件にならざるを得ないので、すぐにプログラミング言語をマスターし、システム開発の専門書を20冊ほど読んで仕事で使いました。外国為替については大方は知識があったので、専門書を2冊読んで、実務レベルのことは担当課長へ確認してます。輸入業務も担当次長へ確認。実務はそれぞれの会社に特有のものがあるので、必ず確認します。そしてそれらを丸ごと変えてしまいます。
 6年間海外50社のメーカーが新商品説明のために技術営業へ説明に来るので、その商品説明講習会へ欠かさず出席して商品知識を蓄えていきました。世界最先端のマイクロ波計測器や質量分析器など、門前の小僧は習いながら経を読めるようになっていたのです。ありがたいことです。文系出身のわたしが理系とのハイブリッドになりました。仕事やスキルアップではラッキーなことは重なっておきます。
 1984年2月1日に転職した臨床検査最大手のSRLでは、産業用エレクトロニクス輸入商社で学んださまざまな専門分野の知識と経験が全部役に立ちました。ルーチン業務は予算編成と予算管理、すぐに経営統合市捨てうのかいっはつを担当しています。予算管理をしていた時に検査試薬の20%コストカットを提案してプロジェクトを作ってもらい、実現しています。これも提案を購買課長が不可能だと発言したからお鉢が回ってきました。「プロジェクトをつくるので言い出しっぺのお前がやれ」といったのは、当時富士銀行から専務取締役(管理部門担当)で転籍していたY口さんでした。陸士と海士に合格して、陸軍士官学校へ、戦後になって、当代へ入り直して学歴を書き直したユニークな人でした。16-20億円のカットでしたから、影響が大きいので、翌年も担当させるために購買課へ異動になりました。専務の意向でした。管理会計課から購買課への異動なんて最初で最後の事例です。検査機器の購入担当を2年半してましたが、SRL八王子ラボの検査機器やシステムがまるで時代遅れに見えました。検査機器は標準インターフェイスがまだありませんでした。ラボの自動化は黎明期で、そういうニーズすらなかった。そのあと、学術開発本部へ異動、本部長付のスタッフで、沖縄米軍から依頼の出生前診断検査導入のためのシステムデザインと開発を担当し、そのすぐ後に、慶応大学病院と出生前診断検査トリプルマーカMoM値の日本準標準値に関する産学共同プロジェクトを担当しています。91年頃だったかな。数年前まで、そのとき制定した基準値が日本人の基準値になっていました。入社2年目の86年には「臨床診断支援システム開発と事業化案」を書き、創業社長の藤田さんの承認をもらって、フィジビリティスタディをしました。10個のプロジェクトに仕事を分解してありました。その内の、臨床検査項目コードの日本標準制定は大手六社と臨床病理学会との産学協同プロジェクトを立ち上げ、1991年に臨床病理学会から標準コードが発表されて、全国の病院やクリニックで現在使われています。世界標準コードを作るつもりでした。エキスパートシステムはNTTだーた通信事業本部と数回打つ合わせして、通信速度やコンピュータの処理能力が要求仕様を満たすまで30年かかるという結論になり断念しています。とっくに要求スペックを満たしているので、さまざまな企業がこの分野の事業化に手を染めています。
 学術開発本部のあとは関係会社管理部へ異動し、赤字子会社の黒字化や同業他社の買収や資本提携交渉を1年半担当しています。そのあと、資本提携交渉をまとめた企業へ役員出向。15か月で黒字化案をまとめたら、創業社長の藤田さんから、中止の指示があり本社勤務へ異動。管理会計課長と社長室、購買部の三つの部署を兼務。それぞれ案件がありました。意に添わぬことがあったので、半年で異動を自分の方から言い出して、子会社へ出向。1年半で呼び戻されて、帝人との臨床治験検査合弁会社の経営を任されます。3年間で、①期限通りの会社立ち上げ、②黒字化、③帝人臨床検査子会社の吸収合併、④合弁解消。これら4課題をクリアし、SRLを卒業しています。老人医療に興味があり、300ベッド弱の特例許可老人病院の常務理事に就任、新日本製鉄のゼネコン部隊にお願いして、病棟建て替えをやっています。1年半で、外食産業の株式上場準備要員として転職、1年半で辞職して、古里へ戻って小さな私塾を20年間やりました。7年間かけて偏差値45の根室高校から、国立大学医学部へ現役合格できるメソッドを開発しました。真似してやってくれる人が出たらうれしい。方法は弊ブログに詳細な記録を残してあります。
 あとは、孫と遊ぶだけ。(笑)

 スキルは良質の仕事、責任の重い仕事を次々に担うことで磨かれます。業績が悪かったり赤字の会社はそうした仕事であふれていますから、宝の山です。それに気がついた人は、果敢にチャレンジすればスキルを飛躍的にアップできるでしょうね。
 不幸にして、何らかの理由でオーナー社長がそういう仕事を任せてくれないなら、転職したらいい。スキルがしっかりしていたら同じ給料ぐらいなら可能ですよ。数年で給料は前職以上にアップします。50歳前後で、複数分野の良質なスキルをもっていたら、上場を予定している企業へ転職して、そのまま取締役になることだって、そんなにむずかしくありません。

 でも、お金はキリがありませんよ。どこかでそういう人生から離れて、元々したかったことをしたらいいのです。つましくやれば、したいことができます。60歳過ぎて、「お金がもっと欲しい」なんて情けない。欲を抑えたら、したかった生活ができます。60歳を過ぎてもお金が欲しいなら、週に3日ぐらい働けるようなスキルを一つ持っておけばいい。(笑)

<余談-2:医療関係の仕事>
 病院の中でも療養型はのんびり仕事ができます。急性期の患者さんではないですし、手術もほとんどありません。でもだんだん体が動かなくなり、寝たきり、そして看取りということになります。それはそれで総合病院の看護師とは違って、ストレスが大きいと婦長さんの一人が言ってました。元気になって退院する患者さんは殆どいませんからね。医療療養型病床の病院はそれはそれで、スキルがあります。「縛らない看護」もその一つでしょう。工夫が必要です。どこでも、スキルは磨けるということのようです。
 療養型で数年勤務したら、総合病院勤務はきついでしょうね。総合病院でも術場の看護師さんの仕事はきつそうです。
 緩い仕事でも、必要な仕事ですから、それを大勢の人たちが支えています。


*「#5084資本論の論理と背理法:労働価値説の破綻を証明」

 労働価値説が成り立たないことを背理法で証明したら、ジ・エンドです。この証明は「数学的に真」ですから。もちろん世界初の証明ですよ。


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 わたしのもっていた慢性期病院の「縛らない看護」が出てきませんので、急性期病院のものを貼り付けます。看護専門学校へ進学した生徒にあげちゃったので、手元にありません。



急性期病院で実現した 身体抑制のない看護 ―金沢大学附属病院で続く挑戦

急性期病院で実現した 身体抑制のない看護 ―金沢大学附属病院で続く挑戦

  • 作者: 小藤幹恵
  • 出版社/メーカー: 日本看護協会出版会
  • 発売日: 2018/06/15
  • メディア: 単行本

 検索したら、出てきましたこの本です。抑制外しのスキルが具体的に解説されています。療養型病院で働く看護師さんたちに読んでもらいたい。
『縛らない看護』


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#5092 厚岸の秋刀魚120g/尾 Oct. 24, 2023 [86.1 食]

 生活クラブでまた厚岸の秋刀魚が載っていたので購入した。3尾で800円ほど、2パックで6尾。
 獲れたて秋刀魚をすぐに冷凍したものだから鮮度はよい。漁場が近いのだろう。漁場が遠ければ、鮮度は悪くなる。
 焼くと脂がオーブンに5mmほどの厚さで残る。これぐらい脂がなけりゃおいしくない。少し焦がした秋刀魚に、真っ白い大根おろしと醤油が似合う。秋刀魚水揚げ日本一、古里の極東の町が懐かしい。

 北海道漁連が厚岸で冷凍加工しているようだ。
 東京でこれだけの鮮度の冷凍秋刀魚が食べられたら大満足です。

 15年ほど前までは丸々と太った180g/尾が普通だった。庭で炭火で焼くと脂に火がついた。
 いまは120gで満足。
 極東の町で育った子どもたちだってもう180g/尾の秋刀魚なんて食べたことも、見たことすらもないでしょう。
 水産資源保護は大切です。

*#5072に130g/尾の秋刀魚をグリルで焼いたときのオーブンに残った脂の写真が載っています。


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#5091 岡本綺堂と泉鏡花の関東大震災記録 Oct. 22, 2023 [12. 自然災害への備え]

 今朝の最低気温は7.2度で、秋になって初めて10度を切った。

 NHKラジオ朝6:45からの番組を聴いていた。泉鏡花の震災記録「露宿」と岡本綺堂の書き残したものが取り上げられていた。

 岡本綺堂は1923年9月1日の関東大震災で千代田区麹町の家も蔵書も34冊にも及ぶ日記も、一切合切消失している。麹町に住んでいたが、震災後の火事が起きても一時小さくなり、風上でもあったので大丈夫だろうと何も持ち出せずに避難した。鏡花だったか綺堂だったか、上野の博物館で何かを見ていた時に地震があったが、上野の博物館の建物には窓に少し被害があっただけ、家にも帰れずのんびりしていたら、その内に騒がしくなった。地盤の軟弱な地帯は甚大な被害が出ていることに、数時間は気がつかなかった。地震当日麹町六番町は火災が起きていない。余震が何度もあり、麹町周辺の火災がひどくなるのは翌日以降である。
 家が崩れたときに焼死した者、たとえば家の梁が外れて挟まって焼死した者は震災の直接の死者だが、数日後に亡くなったものが実に多いことを書き留めている。震災関連死である。
 麹町六番町のすぐ近くの四番町まで炎症が広がったので、鏡花は一時宮城前広場へ避難する。そこには大店の貨物が積み上げられ、仮設のテントが張られて番をする者たちがいた。そこにいたときにテントの中から、男女の声が聞こえる。「ここへ泊っていけよ」「そんな...厭々」、そのあとすぐにキスの音が聞こえてくるなんていうこともあったと『露宿』に記している。
 神戸大震災でも東北大震災でも、避難所でのレイプが問題になった。1923年の関東大震災の折には「口説き」⇒「合意」なんて粋な手続きがふだんとかわらずにあったようだ。「援助交際」を彷彿とさせる「give&take」な関係は存外に古くからあるのかもしれぬ。文を使わして口説き、返歌があってから、女の元へ夜中に通うなんて王朝文学が千年も読まれてきたのだから、セックスの儀式に「口説き」と男女の合意が欠かせないのは日本の性風俗そのものかもしれぬ。避難所でのレイプは人間の品が落ちたようでいただけない。そうしたやり取り、コミュニケーションすらできない人間が増えているのだろう。
 女も男もトイレに困ったそうだ。泉鏡花はよほど品の良い人らしかったようで、おしっこがしたくなり、妻の行きつけの美容院へ駈け込んで小用を足したなんてことが『露宿』に書いている。立ションはしない人だったようだ。
 岡本綺堂も麹町だが、鏡花とは番地が違うようで、焼け出されている。家財道具も蔵書も、17歳の時から書き溜めた35冊の日記も一切合切消失した。
 再び関東大震災が起きれば、水と電気は止まる。下水処理場は「化学プラント」のようなもので、水と電気のいずれかが止まれば、機能しない。数か月間そういう状態が続くだろう。一部の公園に災害対策用のトイレが設置されているが、あんなのはやった振りのようなもので、いざ震災が起きれば数が少なすぎてほとんど役には立たない。家庭のトイレも下水処理場が止まればアウトだ。流す水がないので、臭気がたちこめ、すぐに使えなくなる。下水道も地割れのある所では断裂して地下水を汚染するだろう。
 せめて飲み水は100m以内に1ッ箇所は使える井戸を用意してもらいたい。太陽光発電で動くポンプも設置してくれたら、井戸の周辺の住民がどんなに助かるかしれない。1300万都民に半年にわたって給水車で水を運ぶなんてことは誰がどう考えても不可能だろう。

 ところで木曜日からジェット水流の口腔洗浄機を使っているが、すこぶる気持ちがいい。口腔内の清潔の保持に欠かせない道具にたったの四日間でなってしまった。関東大震災が来たら、水が手に入らなくなるし、電気もアウトだ。この口腔洗浄機も動かない。歯を磨く水さえ確保するのに不自由になるだろう。口内の衛生が保てなければ、胃のないわたしは腸へ雑菌がそのまま送られ、腸内細菌叢がガタガタになる。食事も不自由になり、水分摂取もままならないようになったら、とても生きてはいけない。2週間くらいで動けない状況に陥るだろう。食事が摂れずに枯れるように餓死するのはちっとも苦しくありません、そのまま受け入れたらいいだけのことです。...穏やかな震災関連死ならありがたい。

 病弱な年寄りは生き延びられない。大震災を生き延びても、そのあと数か月の間に、たくさんの年寄りがなくなるだろうから、遺体は積み上げて野焼きするしかない。しまいにゃ臭いにもなれます。しばらく辛抱してください。

 人口が多くて空き地が少ないからトイレがたいへんなことになります。野グソになれるのが一番ですが、人の通るところでの排便にも慣れるのでしょう。非常時は非常時の対応、できないことを数えるよりも、やれる方法でやる、たくましくやるしかありません。
 極東の町から1967年に東京へ来ました。板橋区内のある商店街で買い物して小路を抜けようとしたら、前を歩いていたお婆さんが、ひょいと着物の裾をたくし上げて、中腰で放尿しました。あれには驚きました(笑)
 高校生の時に、極東の町の現在イオンのある裏側の坂を歩いて登っていたら、上の方で根室高校の制服を着た女の子が急にしゃがみました。すると、幅5㎝ほどの水が坂道を下ってきました。水源はスカートの中、すれ違う時にしゃがんだまま、真っ赤な顔してました、まだ水が流れていました。男の子はおしっこを途中で止めることができますが、女の子はおしっこを途中で止められないのです。近くにトイレがなくて、どうにも我慢できないときは、年齢を問わず、平時でもやれますよ。生理現象ですから冷やかしちゃいけません、それがエチケットです。あれは、ちょっと寒くなった初秋の黄昏時の思い出。

 でもね、震災後に活躍してくれる可能性の高い若い人たちがちゃんと生き延びられるように最低限の備えはしてもらいたい。

<余談:与謝野晶子訳源氏物語草稿
 与謝野晶子は千代田区富士見に住んでいて震災に遭う。外堀へ避難したが、駿河台の文化学院が火災で焼失し、そこに保管してあった源氏物語の草稿を1万枚余を失っている。毛布で財を成し小説家でもあった小林天眠から依頼があり、1909年から23年まで書き溜めた草稿が灰燼に帰した。晶子は震災後文化学院の焼け跡をどんな思いで眺めただろう。大事なものは土の中深くに埋めておけばよかったと後悔しきりであった。ようやく震災から12年がたってから、「新新訳源氏物語」として出版された。後に、与謝野晶子の次男が小林天眠の娘と結婚している。
 


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*「#5088資本論の論理と背理法:労働価値説の破綻を証明」


露宿

露宿

  • 作者: 泉 鏡花
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/10/08
  • メディア: Kindle版
『露宿』は著作権が切れているので閲覧できます。文学者が関東大震災をどのように描写しているのか、こちらをクリックしてご覧ください。
『露宿』

火に追われて

火に追われて

  • 作者: 岡本 綺堂
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/14
  • メディア: Kindle版
これも著作権が切れているので、青空文庫で原文が読めます。クリックしてください。
*『火に追われて』


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#5090 運転免許証の返納と「運転経歴証明書」交付について Oct. 21,2023 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 運転免許証の更新の通知が来た。昨年11月に首都圏へ引っ越した時に車は処分したので、免許証の更新はしないつもりだ。

 1年間、車のないバス利用の生活をして、日常生活に支障がないことは確認できた。
 身分証明がなくなるのは困ると思っていたが、所轄の警察署で「運転経歴証明書」の交付が受けられることが分かった。運転免許証とそっくりのデザインだから違和感がない。運転経歴証明書の方は更新がないので生涯保持し続けられます。
 3月で免許証の更新期限が来るので、それまでに手続きをしようと思う。



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#5089 ジエット水流の口腔洗浄機をつかってみた Oct. 20, 2023 [39. インプラント治療]

 左上の歯が2本、すこし並びが悪いので裏側が磨きにくかった。先週、化膿して晴れたので、歯科の主治医のH先生がセフゾンを処方してくれた。3日で腫れが引いた。
 細菌の繁殖を抑えるために抗生剤を飲むとスキルス胃癌で胃を全適しているわたしは、腸内の細菌叢が根こそぎやられてしまうようで、「腸炎⇒口内炎」を起こす。
 今回は起きなかったが、腸内の細菌叢はダメージを受けているだろう。免疫が下がるから、インフルエンザや新柄コロナには要注意だ。人ごみはマスクをする。

 ところで、ジェット水流の口腔洗浄機を使ってみようとして調べてようやく買う機種を決めたら、女房殿が、「兄が昨年自分の使っているのと同じものを使ってみたらと送ってきたけど、洗面所に水が飛び散るので使っていない」と宣(のたま)った。きれい好きだから、使うたびに鏡や洗面台に飛び散る水の始末が許せかなったのだろう。
 Bryxze(Potable 10 Smart Oral Irreigator) と書いてある箱から出してみた。USB充電になっているので、すぐに充電して昨夜バスルームで使ってみる。パルス水流でかなり強く、最初はビックリしたが、すぐに慣れた。なるほど、使い慣れぬうちは水が飛び散る。しかし慣れたら洗面所でも水を飛び散らさぬように使えそうだ。
 歯ブラシでは落ちなかった口腔内の細かい汚れが出てくるので、使用後の口腔内はとっても爽やかだ。胃がないので、食事の回数は毎日5回、間食も多いので口腔環境が悪くなります。食後に簡単に洗浄できるのでうれしい。1度使ったら、癖になりそうです。(笑)
 胃癌で全適した皆さん、試してみる価値ありそうです。合わなかったらやめたらいい。そんなに高いものではありませんので。これは4000円ほどで買えます。3000~6000円の価格帯のものが多い。フィリップスとかパナソニックとか、有名メーカーは高いです。手ごろなコモデティがお得意な電気メーカ、アイリスオーヤマも出しています。

 いろいろなメーカーから出ているが、要するにジェット水流で、パルス式、強さは3段階選べるというのがほとんどの製品に共通していること。
 タンク式とコップ内の水を吸い上げる方式の2種類があるが、下の歯を裏側から洗浄するときにはタンク付属方式は使えない。傾けて底が高くなると水流が止まる。コップ内の水を吸い上げる方式の方は水道からコップに水を注ぎながら使えます。


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#5088『資本論』の論理と背理法:労働価値説の破綻を証明 Oct. 17, 2023 [A2. マルクスと数学]

<最終更新情報>10/23朝6:40 ヒルベルト『幾何学基礎論』と平行線公準に言及 11/12追記

 数学の証明法のひとつである「背理法」を知らない人はほとんどいないでしょう。
  中3で無理数が出てくるので、中学校の数学の先生の中には√2が無理数であることを背理法で証明して見せる人が少なからずいるはずですし、もちろん高校の数学授業では背理法による証明は「定番」ですから、皆さん記憶の隅っこにいまでも残っているのではないでしょうか。今回は、背理法を使ってマルクス『資本論』の労働価値説が成り立たないことを証明してみようと思います。そんなことを試みた経済学者はいません。マルクス経済学が根底から崩れます。

 まず背理法のおさらいです。
 √2が有理数であると仮定して矛盾に導くことで、√2が有理数(分数)ではないことを証明するのが背理法です。
① √2は分数で表せるので、m,nを互いに素とし、「√2=m/n」とする。⇒√2は分数で表せるという假定
 両辺を2乗して、「2=m^2/n^2」⇒式変形操作
② さらに、両辺をn^2倍すると、「2(n^2)=m^2」⇒反例
③ ところで、mとnは互いに素(互いに素というのは最大公約数が1ということ)ですから、2という約数をもつことは最初の前提に矛盾します。
④ したがって√2は分数では表せない数、無理数だということが証明されました。

 もう少し一般的な言い方をすると、次のように定義されます。
「結論の否定を仮定して矛盾を導き、そのことによって結論が正しいとする証明法」(松坂和夫著『数学読本1』岩波書店 p.10)
 背理法とはある假定(命題)を措定して、その命題を矛盾に導くことで反例を一つ示して、最初の假定が成り立たないことを証明することなのです。

 わたしはこれから、労働価値説が成り立たぬというころを論証するために、労働価値説が成り立つという命題を假定をして、矛盾を導き、労働価値説が成り立つという命題の假定が偽であるということを証明したいと思います。

 わたしがここで何をやろうとしているのかをあらかじめ説明しておきます。
「資本論第1巻の商品分析の端緒に措定された抽象的人間労働(労働価値概念)を正しいと仮定して市場論で矛盾に導くことで、労働価値説が成り立つという命題が「偽」であることを証明します。」
 これが証明されたら、公理が崩れるのでマルクス経済学、なかんづく『資本論』が学問として成り立たないということになります。公理が偽ならそれに基づいて演繹的に記述された経済学体系は成り立たないのです。
 わたしは資本論が演繹的な体系をもっていると前提して議論を進めています。そういうことを述べているマルクス経済学者は皆無ですので、もし反論があれば聞きたいと思います。資本論体系がどのようなものであるかについて、確たる見通しもなしに資本論成立(1867年)後、さまざまな議論が157年間なされてきたのです。いまある『資本論第二巻』と『資本論第三巻』はマルクス死後にエンゲルスが編集して出版したものです。

 資本論第1巻は、資本家的生産様式の社会の富は商品として現れるので、それゆえ我々は商品の分析から始めると、体系の端緒を措定しています。そして商品を概念的に定義します。抽象的人間労働が商品の価値として現れ具体的有用労働が使用価値として現れるということです。これが『資本論第1巻』でなされる商品のの最初の概念規定ですから、公理的な演繹体系では公準や公理にあたります。公準や公理が否定されたら、その学問体系が根底から崩れます。
(少し横道に分け入ります。平行線公準に対する疑義が持たれていました。それを外して公理を整理したのは19世紀の数学者ヒルベルトです。『幾何学基礎論』(1899年)の中でユークリッドの公理を整理しています。公理が普遍的なものですから、球面幾何学では成り立たない平行線公準を公理群から外しました。たとえば、ユークリッド幾何学で平行線公準を否定すると、球面幾何学が定義できます。対象とする幾何学が別のものになるので、普遍的ならざるものとして平行線公準を公理群から外したのは当然のことでした。
 なお、ヒルベルトはユークリッド『原論』では区別されていた公準と公理という概念の使い方をやめて「公理」と書いています。わたしもヒルベルトの用語に倣いたいと思います)

 話を元に戻しましょう。
 マルクスは資本論冒頭で、次のように述べています。
「商品は、まず第一に、外的対象である、その諸属性によって人間の何らかの種類の欲望を満足させるものである。」(カール・マルクス著『資本論第1巻第1分冊』47ページ、青木書店、1968年第Ⅱ刷)
 体系の公理はこれでよかったのです。商品の価値を規定するのは人間の欲望=ニーズであると体系の公理を規定したらよかった。なぜ、そうできなかったのか?
「ある一つのものの有用性は、そのものを使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮いているのではない。この有用性は、商品体の所属性に制約されているので、商品体なしには存在しない。それゆえ、鉄や小麦やダイヤモンドなどという商品体そのものが使用価値または財なのである。... 使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。」(同書48ページ)
 このあとから、スミスやリカードの労働価値説とヘーゲル弁証法の二元論に引っ張られていくように見えます。

「使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかに関わりなく、富の素材的な内容を表している。われわれが考察しようとする社会的形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっているー交換価値の。交換価値は、まず第一に、ある一種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、砂割り割合として現れる。それは、時とところによって絶えず変動する関係である。」(同書49ページ)
 この部分は価値形態論へのプロローグです。そして、抽象的人間労働による商品の価値概念規定が現れます。これで、スミスやリカードの労働価値説とつながるのです。生産過程はそれで説明が可能です。しかし市場関係では労働価値説が破綻します。投下労働量で市場価値は決らない、消費者のニーズで決まるというのが反例です。投下労働量の大きさによらす、消費者のニーズで市場価値が決まります。たった一つの反例で、労働価値説が崩壊します。リカードは比較生産費説で、国際的な商品価格と、国内市場に置ける生産性と商品の価値の関係を分析しています。マルクスの研究がこの分野に及ぶのは『資本論第一巻』を出版したあとでした。かわいそうなマルクスは、後で労働価値説が市場関係では展開できないことに気がついてしまいました。

 端緒に措定した商品の最初の概念規定であり、価値と使用価値に次いで、<価値表現の関係>が分析されますが、そこでは抽象的人間労働に還元することで使用価値の異なる商品が等価であるとされます。次に展開されるのは<交換関係>である交換過程です。交換過程では商品の価値は交換価値として現れ、客観的なものになります。このように商品の価値は次第に豊かでより具体的なもの・現実的なものになっていきます
 交換価値は貨幣へ転化し、生産過程では貨幣が資本へ転化します
(本源的な貨幣は金だとマルクスが言明しています。これは「真」です。紙幣はその発行の裏付けがなくなればただの紙切れ、あるいは価値が著しく低下するリスクがありますが、本源的な貨幣である金にそうしたリスクがありません。いつでもどこでも貨幣として通用します。)
 貨幣が資本へ転化すると、そこから<生産関係>で資本の生産過程論が開始されます。生産過程論で不払労働として剰余価値が定義されます搾取理論は不払労働にあるという説明です。労働価値説が偽であれば、剰余価値も不払労働による搾取も偽となります資本論の公準が「真」であればいいのですが、それが「偽」なら、資本論という経済学体系が根底から崩れます。必要なのは高校数学だけ、後で証明してみます

 マルクスは資本論第1巻を1866年に出版します。それから1883年3月14日に死ぬまでの17年間、資本論の続巻を出版しませんでした。膨大な遺稿を整理して資本論第2巻と3巻を出版したのはエンゲルスでした。
 なぜ、マルクスは資本論続巻の膨大な遺稿を残しただけで、資本論第2巻を出さなかったのかについては、疑問に思ったマルクス経済学者もその理由を論理的に突き止めたマルクス経済学者もいません。

 さて、背理法による証明です。資本論第3巻は<市場関係>論です。個別企業の市場競争が扱われます。「もっとも単純な市場関係」が分析されています。「剰余価値の利潤への転化」や「市場価格と市場価値、超過利潤」が扱われます。
 ところで、市場では需要のない(=使用価値のない)商品は価値がありません。これは自明です。需要と供給曲線の交わるところで市場価格が決まることは経済法則のひとつです需要がなければ投下労働量が大きくても市場価格はゼロです。いまでは再生産に労働力を要しない商品すら存在しています。デジタル商品です。消費者がネットからコピーするだけで再生産されます。
 デジタル商品の存在はともかく、マルクスだって需要と供給の経済法則に気がついたはずです。それが何を意味しているのかは明らか、投下労働量は市場価格には関係がないということです労働価値説は市場関係論で破綻するということ、そのことに気がついたので、マルクスは書き溜めた膨大な原稿を没にしました。資本論の続巻が出版できなくなったのです。体系構成に関わる破綻、労働価値説が「偽」であることがわかってしまったのだろうと想像します。
 『資本論第1巻フランス語版(1872年)』がマルクスの著作としては最後のものです。そこから数えると、11年間、研究生活を続けていながら、1冊も本を出していません。それどころか資本論第1巻をフランス語版では書き直しているのです。フランス語版はドイツ語版の翻訳書ではなかったのです、書き直しでした。11年間の沈黙は異常なことだとわたしは感じます。それが感じられないマルクス経済学者は感覚が鈍すぎます。

 おさらいしましょう。マルクスは『資本論第1巻』を商品分析から始めて、その概念規定をします。商品には価値があり、それは抽象的人間労働の現象形態であると、同時に商品には使用価値があり、それは具体的有用労働の現象形態であると、仮定したのです。
 その仮定が、市場関係論で破綻するということは、労働価値説が偽であるということを意味しています。
 資本論第1巻の仮定、商品の価値とは抽象的人間労働の現象形態だという概念規定(公準=要請)が「偽」だということが背理法で数学的に証明されたということを意味しています
。背理法で偽であると判定されたら、覆しようがありません。背理法という真偽の判定法が偽であるという証明をしなければなりません。それは無理というもの。背理法で労働価値概念が否定されたということは、√2が分数では表せないこと(=無理数)であることと同じくらい確かなことだということ。
 資本論という経済学体系が根底から崩れていく音がします。

 マルクスは『資本論第1巻』を出版した後に『資本論第2巻』と『資本論第3巻』の原稿を書き貯めましたが、市場関係論を書き始めてようやく論理的な矛盾、ヘーゲル弁証法の破綻に気がついたのだとわたしは推測します。
 エンゲルスと共同執筆で『共産党宣言』(1848年)を出版して、世界中をあおっておいて、いまさら『資本論』は誤りでしたとは言えなかったのでしょう。矛盾に気がついたからこそ、第2巻と第3巻が出せなかったのですから、死ぬまで悶々としていたと思います、自分の犯したミスに気がついてしまった不幸な人でした。いまさらミスとは言えない状況だったことは理解できます。

 マルクス経済学者は『資本論第1巻』とその前に書かれた『経済学批判要綱全6冊』をもっと読むべきです。『人新世の資本論』の著者の斎藤幸平氏のように翻訳されていない膨大な遺稿を読むのも結構ですが、まずは『資本論第1巻』と『経済学批判要綱』をしっかり読んでもらいたい。マルクスが残した唯一の経済学の体系的な記述である『資本論第1巻』もきちんと読めていないマルクス経済学者が多すぎます。
 視野を数学にまで広げないと、マルクスと同じところで躓くだけです。最初から正解がないところで思考しているだけ。実数の範囲では解けない複素数の問題を、実数の範囲内で考えているようなものです。問題の的を射る前に、的のある方を向いていないのですから、外してしまいます。

 皆さんが高校数学で習った背理法で、資本論体系がガラガラと崩れることが、こんな簡単な操作=背理法でできます。労働価値説は「偽」なのです。したがって、剰余価値学説も偽となります。生産過程論よりも、より具体的な市場論で展開すればすぐにわかることです。
 方法論をヘーゲルに依拠したことが間違いでした。紀元前3世紀にユークリッド『原論』が学の体系構成の方法を明らかにしました。公理論的な演繹体系です。背理法もその中で紹介されています。背理法はユークリッドの考案ではありません。紀元前4世紀の数学者エウドクソスの発見と言われています。
*『原論』第1巻47章に三平方の定理があり、第10巻30章に背理法が載っています。

 ところで、マスクスを信奉している経済学者もマルクス主義者にとってもがっかりさせられる事実なのですが、マルクスは数学音痴でした。『数学手稿』を読むと微分の無限小概念が理解できなかったことが明らかにされています。あれはマルクスの単なる数学・学習ノートでした、公刊するようなものではありません。『数学手稿』から推して、ユークリッドの『原論』もデカルトの『方法序説』も、読んでも理解できなかったでしょうね。苦手ですから、読もうとすらしなかったと推測します。数学嫌いの高校生を思い浮かべたら、遠からず当たっていますよ。(笑)
 マルクスって、できの良いところとできの悪いところ、生真面目なところと放縦なところが共存していて、かわいいんですよ。
 彼のところにはお手伝いさんがいましたが、その人が産んだ子供はマルクスの子供だったことがわかっています。男の子だったかな。マルクスは神様ではありませんね、平平凡凡で、とっても人間臭いところがあります。
 共産主義で世界中を嵐に巻き込んだアジテータ、そして論理的に破綻したことに気がついて晩年は絶望の淵に沈んではいます、が優秀な経済学者でもありました。その実像は性欲の点からもごく普通の人でもあったのです。周りの人たちはもちろん知っていたでしょうね。でも、内緒にしたようです。わたしにはとっても親近感のわく人物です。

 泉下のマルクスはいま喜んでいると思います。資本論第1巻を出版してから死ぬまでの17年間、悶々と苦しむだけで自分の口には出せなかったことが明らかにされたのですから。
 今よみがえったら、資本論の書き直しはしないでしょう。コンピュータと数学の素養がないので無理なことは彼にも理解できます。別の課題があります、新しい経済社会のデザインに興味が湧くでしょうね。それは企業のマネジメントに関する研究です。私有財産の否定で生産手段を共有化しても理想の社会はつくれません。ロジックが子供じみていた粗雑すぎます。心根の曲がったテクノクラートに支えられた独裁者が支配する恣意的な経済社会に化けてしまうだけです。共産主義や社会主義経済というのは異様な経済体制です。秘密警察と労働者同士が互いの政治傾向を秘密警察に通報することでした維持できない、異様な経済体制です。
 なぜマネジメントが鍵なのはは別稿に譲ります。個別企業で賃金格差を生んでいるのは強欲なマネジメントです。企業間での賃金格差を生じさせているのは経営者のマネジメントの巧拙が深くかかわっています。赤字の企業にはボーナスが出せないことはだれでもわかります。業績の思わしくない企業の平均賃金は、高収益の企業の従業員の平均賃金よりも低くなるのはモノの道理です。労働組合も社会主義国家もマネジメントを敵視してきました。阿呆な話です。マネジメントの重要性を主張したマルクス経済学者はわたしの外にはいないでしょう、だから別稿で改めて書きます。
 もう少し、マネジメントとビジネス倫理について言及して置きます。
 マルクスの関心はビジネス倫理とマネジメントの研究に向かうはず、つまり私と楽しく共同研究をするということ。面白いでしょ!
 そのビジネス倫理とは
●「信用が第一」
●「売り手よし・買い手よし・世間よしの三方よし」
●「浮利を追わない」
●「足るを知る」
 これらの当たり前のことを、現実の企業経営で遵守していこということが新しい経済社会の建設のカギですよ。労働という概念は消滅します。日本人が昔からしてきたのは労働ではなくて仕事なのです。だから、21世紀になっても、日本では職人仕事の世界がますます広がっています。あれは苦役ではないのです。自己実現の手段でもあります。仕事は自己表現の場でもあるのです。芸術活動とかわらない、どんな仕事も極められます。より高いところがあります、完成することがありません、無限ですから楽しい。
 わたしは、51歳まで、そういう方針(ビジネス倫理)で民間企業をいくつかわたり歩いて仕事していました。そのうち3社は上場企業になっています。ぎりぎりのところで、意に添わなければ辞表を書いて他の企業へ転職しました、何度も。だから、衝突するのは決って社長です。社長の特命の仕事が多かったからです。約束した仕事はどれも期限内に約束通りに実現しています。そのあと、自分の意にそわないような事態になったら、進退を明確にするだけ。わがままとも言えますね。(笑)

<余談-1:数学的帰納法>
 数学の証明法には古典的な証明法である背理法の外にもう一つ、新しくて有力なものがあります。それはドミノ倒しのような数学的帰納法です。現代数学の証明にはこれが頻繁に使われています。高校数学では、数Bの数列の分野で出てきます。
(古里にある根室高校普通科では、十数年前は数ⅡBは必修科目だったことがありますが、数年前から、数Bだけでなく数Ⅱも選択科目になってしまいました。生徒の学力レベルがこの十年間で、数Ⅱすら必修科目にできぬほどに激落ちしたということ。これから人材確保で困るのは地元企業です。2040年に生き残っている地元民間企業は半数程度になりそうです。地元の民間企業の採用も半分程度になれば、人口は現在の2.3万人から1.5万人前後へ減少するでしょう。地域の高校生の学力低下は、地元経済の活力を奪い、人口減少の主要な要因になります。だから、まず小中高生の学力低下を止めなければいけません。2002年11月から、2022年10月までの20年間、古里で小さな塾で子どもたちを教えてきましたが、塾に来ていた生徒たちの学力に劣化は感じませんでしたが、学力テストや全国模試での得点の分布をチェックしていると、中高生の学力低下は否定できない事実です。釧路根室管内の中学校では、根室市内の中学校は最底辺です。それでも、国立大学医学部へ現役合格できるレベルの素質をもった生徒は毎年数人います。小4から育てたら間に合いますが、そういう意識がないので、高校生になってから全国模試で実力を知ってからではアウトです。それほどむずかしくない北大へ現役合格だって数年に一度しか現れません。能力の高い子どもたちを育てそこなっています。じつにもったいないことです。育った地域で大半の子どもたちの学力レベルが決まります。)

<余談-2:公理的な演繹体系の俯瞰>
 学問(科学・学問:英語ではscience、ドイツ語ではdas Wissenshaft)の体系構成方法には公理に基づく演繹体系しかありません。ユークリッド『原論』がその端緒です。デカルトが17世紀に『方法序説』(1637年刊)で「科学の方法・四つの規則」で言及しています。デカルトは哲学者や物理学者であっただけではなく数学者でもありました。次に言及し、ユークリッド『原論』の公理群を整理したのはヒルベルト『幾何学基礎論』(1899年)でした。
 19世紀のヘーゲル弁証法は流行り病のようなものでした。哲学者たちがこぞってかぶれました。新型コロナのようなものです。二項対立でものごとが記述できるほど現実は単純ではありません。
 20世紀になってから、二コラ・ブルバキというペンネームを使って、フランスの若手数学者の集団が現代数学の体系化を試みました。1934年がスタートですから、90年にもなりますね。集合論を核にして現代数学を演繹体系として統一的に記述しようという試みです。数学の細分化の速度が大きすぎて、いまだに理想は実現されていませんし、今後も完成する見込みはないでしょう。でも、公理的な体系構成法以外に、学問(科学)の体系構成法は発見されていません。やるなら、公理的な体系構成しか選択肢がありません。
 数学以外の学問分野で、演繹的体系構成にチャレンジしたのは経済学でマルクスのみです。その点ではわたしはマルクスに敬意を払っています。たとえ失敗していても、失敗自体が大きな意味のあることでした。

<余談-3:文系と理系の区別は幻想>
 学問に文系と理系の区分は意味がありません。とくに両方にまたがる分野についてはそれが言えます。現在経済学は数学が得意な理系分野の学生たちが選択し、マルクス経済学は数学が比較的得意ではない文科系の学生たちが選択してきました。だから、マルクス経済学者の視野の中に公理的演繹体系構成法が入って来ませんでした。愚かな話だと思います。学問の体系構成法のお手本にはユークリッド『原論』しかないのに、それを読みもしないから、160年間誰もマルクス『資本論第1巻』の体系構成上の論理的な破綻に気がつきませんでした。マルクス自身は気がついて17年間沈黙を守りました。
 企業経営でも、文系理系の区別はありません。困難な問題はこれらの複合分野として現れていますから、両方の素養がなければ、複雑な問題を解決できないのです。もちろん、新しい経済社会の建設はその先にあります。どのように企業経営をデザインするのかということが、問題を解くカギです。

#5113 公理を変えて『資本論』を演繹体系として書き直すことは可能か? Nov. 13,2023



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 わたしが持っているのは中村幸四郎訳の第7版(1976年清水光文堂)です。初版は1969年。


幾何学基礎論 (1969年)

幾何学基礎論 (1969年)

  • 出版社/メーカー: 清水弘文堂書房
  • 発売日: 2023/10/23
  • メディア: -





幾何学基礎論 (ちくま学芸文庫)

幾何学基礎論 (ちくま学芸文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/12/01
  • メディア: 文庫


ブルバキ数学原論〈〔第2〕〉集合論 (1969年)

ブルバキ数学原論〈〔第2〕〉集合論 (1969年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -
 ブルバキ『数学原論』は30冊ほど出ています。『数学史』と『集合論1』だけ本棚にあります。『数学史』の方は文科系の大学生にも一読をススメます。東京図書株式会社のハードカバーは絶版のようですから、手に入る文庫本の方を紹介しておきましょう。
ブルバキ数学史〈上〉 (ちくま学芸文庫)

ブルバキ数学史〈上〉 (ちくま学芸文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/03/01
  • メディア: 文庫
ブルバキ数学史〈下〉 (ちくま学芸文庫)

ブルバキ数学史〈下〉 (ちくま学芸文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/03/01
  • メディア: 文庫
 数学史はもう一冊読んでいました。おや、これも絶版ですね。1975年の初版1刷りが本棚にあります。数学史に関してはこの本が最高なのですが、読む人が少ないのか、絶版になってしまいました。日本人の知的レベルの低下を表しているようで、悲しいです。経済学者はもっと視野を広げてこういう分野の本も読んでほしい。
数学史 (1975年) (数学講座〈18〉)

数学史 (1975年) (数学講座〈18〉)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -




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#5087 数取機:名品は消え去るのか? Oct. 14, 2023 [C1. ながーくだいじに使う]

 数取機が必要で、1年ほど前にコクヨ製品を購入して愛用しています。最近もう二つ必要になって、ゼロリセットがワンタッチでできるデジタル製品をamazonで2台注文しました、こちらは150円前後でした、安すぎるので不安でした。
 数日して注文を受け、発送したというメールが入りましたが、それからもう1週間たつのに到着しません。おかしいと思って調べたら中国製品でした。中国の発送だから、到着まで2-4週間かかるようです。オモチャみたいな製品ですがカウントできればいいくらいに思っていました。国産製品だと思い込んでいました。音読回数をカウントするだけだから、壊れたら使い捨てでいいと思っての注文でした。バッテリーの種類も不明です。amazonは中国発送商品はその旨識別できるような表示をしてもらいたい。あまり安いのは粗悪品でしょうから避けたいのです。

 昨日、百円ショップへ行ったら数取り機がありました。110円でした。使ってみたら、プラスチック製品です。中身のメカもプラスチックのようで、カチャカチャと音がうるさい。要するに使い捨ての消耗品。使う頻度が激しければ1~2年でガタが来そうです。使う頻度が小さい用途になら十分な製品です。

 コクヨ製品は定価2050円、ステンレス製品で堅牢、そしてなめらかな感触がします。メカニズムに使われている部品材質も違うので気持ちよい音です。30年でももちそうです。
 用途で使い分けたらいいと思います。
 この価格差では、堅牢で精密なコクヨの「数取器手持式」は、売れなくなり、廃番の運命でしょう。
 わたしたち消費者が、使わないと、どんなに素晴らしい日本製品でもなくなってしまうのです。安物の消耗品のような道具しかない世の中はなんだかつまらない気がします。
 コクヨ製品大事に、長~く使います。

●左が百均ショップ製品、右がコクヨの数取器です。見た目は似ていますが、材質も使い勝手もまるで別ものでした。どちらも大事に使います。
DSCN7458s.jpg

 英単語のワード数をカウントするのに便利がいいのです。英語の音読回数のカウント、脚上げ運動の回数のカウントなどつかっています。散歩のときの歩数カウントにも使ってみたいと思います。十歩に1回押せばいい。デジタル歩数計の精度確認にも使えます。
 歩数カウントはスマホでもやれますね。好みでいいのでしょう。


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