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#4482 異国(とつぐに)に領占められし Feb. 8, 2021 [21. 北方領土]

 『遺稿集田塚源太郎』の最後のページに掲載された詩を#4480で紹介したが標題の句にどこか異様なニュアンスを感じて頭の中で反芻していた。そこには消化しがたい何かがあった。わたしは次のように書いている。

「 「異国(とつぐに)に領占められし」は「領」に「リョウ」という音と「くび・えり・おさめる・うける」の訓があるから、「とつぐににくびしめられし」が素直な読みだろう。このように読むとちゃんと五音のあとに七音になっている。」

 文脈が詩の理解に必要なので後半部分を採録しておく。

 ふるさとよ雪に島山
 胸いたく迫り来るがに
 対(むか)ひ佇(た)つものをいざなふ
 異国(とつぐに)に領占められし
 還へらざるわがふるさとと
 思ふさへ今にくやしも
 いくたびか冬は来向ふ
 還へざる島山見つつ
 ものなべて失ひつつも
 なお生きて島よ還へれと
 待ちがたく待ちがたくゐる
 人ありしと思ふにくやし
 思ふさえ今にくやしくも


 朝まだきに、この句を頭の中で繰り返し反芻していて気がついたことは、ふるさとである国後島がいまもロシアに「占領」されていること。すなおに「占領」と読んでいいのだということ。
 白川静『字統』で「占」を引いてみる。「セン うらなう・しめる」とある。うらないは神意を訊くものだから「神意は絶対のものであるから、のち占有の意となる」とある。わざわざひっくり返して「領占」と書いた、そして「首絞められ」と直截的な表現を避けたのはそこに込めた思いを読み手に受け取ってもらいたかったのではないか。この「領占」が田塚先生が読み手にかけたナゾナゾだとしたら、読み解いてみたくなるのは当然だ。何か重要なメッセージが隠されている気がしてくる。

 「とつぐにに 首絞められて」と訓で読める。これはどういう意味だろうかと夜明け前のベッドの中でうつらうつらしながら考えていた。
 国後島の大きな蟹漁師の網元、いや蟹は籠で獲るから「籠元」だろう、豊かな海から獲れる蟹で、ずいぶんとぜいたくな暮らしができたことは、北構さん・高坂さんと3人で東京の東横デパート屋上で撮った写真にも表れている。二人は根室商業の制服の上にコートを着込み徽章のついた制帽をかぶっているが、田塚先生だけはコートにスーツとオシャレなハットをかぶって写っている。10歳くらいも年上かと感じるような服装であり、根室商業を卒業したばかりの青年の姿ではない。これだけ衣服にお金を投じることができ、ファッションに興味もあったということだ。詩歌に対するセンスは服装にも表れている。当時の国後島ではファッション雑誌や映画を見る機会があったようだ。戦前の国後島の大きな漁師の財力がうかがわれる。ちなみに北構さんも根室では良家のお坊ちゃんである。お父さんが根室信金の理事長をされていたし、兄弟もわたしが高校生の頃に理事長だった。戦前に根室商業から大学へ進学できたのは、財産のある良家の子息だけだった。お金はかかるが、いまは普通の家庭の子が多少の無理は伴なうだろうが、学力さえあれば東京の大学へ進学できる、そういう時代になった。

 四年間軍医として北支を転戦し、敗残の身となって戦後しばらくしてから本土の土を踏み、札幌で親友の北構さんに再開する。根室が空襲に遭い、五百人が焼死したことを聞いただろう。そしてその後根室に住み歯科医院を開業することになる。「とつぐににくびしめられ」は豊かな前浜の漁場を奪われ、母親や姉たちが生活の糧を失ったということを言いたいのだ。ふるさとを追われ根室へ引き揚げてきた母親と姉たちは文字通り、ソ連の国後島占領によって首を絞められたかのような生活状態に陥っていた。引き揚げてきた者たちはそれぞれに苦労があった。エトロフ島蘂取村出身の岩田先生も水晶島出身で予科練の実技試験に合格し終戦を迎えた柏原栄先生も、択捉島蘂取村から引き揚げてきた根室に住む叔母や尾岱沼の叔父もたくさんの引揚者の数の中に入る。

 「くびしめられ」には「占」の字が使われている。首を何者かに抑えられて声も出せないとの意味もでてくる。訓が「しめられ」だから「絞められ」と「占められ」に二通りにい読める。
 根室空襲で財産すべてを失いし者たちが多かった。お袋は焼夷弾の包囲網を運よく潜り抜けて、ホロムシリまで逃げた。替えのパンツも持ち出せなかったとわたしが35年ぶりで根室へ戻ってきてから当時を回想して話してくれた。岡野洋裁店で縫子をしていたが、お店は空襲でなくなり、住むところも着替えも食べ物もない、そんな中を少なからぬ根室町民が生き延びてきたのである。だから、田塚先生は「ふるさとの国後島を返せ」とは思っていても口に出しにくい状況が続いたのだろう。そこを「占められ」の言葉に込めた。言い出しにくい空気があったということ。根室の漁師は一人も漁場を失っていないが、空襲で全財産を失った人たちが多かった、同じ痛みを分かち合っていると感じていたのではないだろうか、だから声高に言えなかった、そういう想いが「くびしめられ」にはある。

 そこまで読んでみたら、別の文字が気になってきた。「異国(とつぐに)に領占められし」の「異国」とはどこかという問題に行きあたってしまう。国後島占領だけの問題なら「ソヴィエトに」と書けば五音の音合わせはできる、なぜそうしなかったのか?
 根室空襲で無辜の根室町民を市街地を囲むように落としてから、中心部を叩く、東京大空襲と同じ大量虐殺の戦術をとった米国への憤りを込めたようにわたしには読める。人の痛みに敏感に反応し共感を抱いてしまう田塚先生のお人柄から推してそう読めてしまうのだ。だから、「異国(とつぐに)に」という漢字を充てた。

 すごいなと思う。田塚先生は精神的には孤高の人ではなかったか。こんな視点を獲得してしまっていたら、見える景色が普通のインテリとはまったく違う。

 最近の話だが、北構さんと田塚先生を知る人が、「北構さんはとっても気さくで、分け隔てのない人だった」と具体的な事例をいくつか挙げて話してくれた。わたしもそういう事例をオヤジから直接聞いて知っている。北構さんの人柄だ。北構さんについては実業家としての顔と研究者として文学博士の顔があるから、そこに敬意を表して「先生」の継承をつけることが多いのだが、つけてしまうとお人柄が失われる場合があるので、そういうエピソードに触れるときには「北構さん」と書く。北構さんについて聞いた後で、親友であった「田塚先生の方はどうでしたか?」と尋ねてみた。「近寄りがたい感じがして、ほとんどお話したことがないのです」とおっしゃった。わたしは、小学生の1年生のときにはビリヤードの相手をしてもらって、面白がって遊んでくれた田塚先生に「近寄りがたい」という感じを抱いたことがなかった。冬に家の前で車がスタックすると、「手伝ってくれ」といって、車を押して抜け出すと、お小遣いをくれる。え、こんなことでお小遣い?とびっくりしていると、微笑んでいた。

 さて、とりとめのない話はこれくらいにして、標題にした句の意味をまとめておこう。
① 「異国(とつぐに)」は国後島を占領して住民を追い払ったソ連であり、根室空襲で無辜の市民500人を焼き殺した米国のことである。ひどい目に遭った人へ共感する心の強い人だったからこの漢字表記には二つの大国への憤りが感じられる。
 自分が北支を四年間転戦し、敗残の身となって戻ったこと母と姉たちがひどい目に遭ったから、同様な目に遭った人たちへも心の底から共感できたし、否応もなく心の琴線が鳴ったのだろうと思った。

② 「領占められし」は「くびしめられし」と訓をつけた。占領をひっくり返したのだから、ソ連に占領され生まれ故郷の国後島のことを言っているのは当然だが、想いはそこにとどまらぬ。国後島の豊かな漁場を奪われふるさとを追われた母と姉二人が、生活の糧を失った事実を「領占(くびしめ)」の二文字に込めた。同じ音の漢字にすると「首絞め」である。
 根室空襲では根室を出港したばかりの北方領土への定期船が撃沈されている、船には多数の乗客がいた。択捉島へ定期船に乗って戻るところだった山本昭平さんと妹、そして父親もその中の一人。父親はグラマンの投下した魚雷の犠牲、妹軍と一緒に重油の浮かぶ海に投げ出された。根室の海は夏でも14度を超える日は数日しかない。軍艦でもないのに魚雷を投下して撃沈した、理不尽な話である。そして焼け出されて財産すべてを失ない、職も失って路頭に迷ったたくさんの根室町民への共感も、「くびしめられて」に込めたのである。みんな生活の糧を失ったのだ。根室を故郷とする人たちへの共感が、生まれ故郷の国後島を返せという心の叫びに蓋をさせることになったのではないか。田塚先生のやさしさを思い出すと、そう読めてしまう。


 大学を卒業した年に根室で結婚式をしたが、披露宴のときの田塚先生の祝辞がいまも耳元に残っている。オヤジが根室で下駄屋をやっていたときの話をしてくれた。
「...冬の寒い日に、店の戸を開けて、下駄に鼻緒をせっせとつけていた。お客が入って来やすいようにとの気遣いだったが、そんな仕事の仕方をする下駄屋は五郎さんだけだった...」
 オヤジの仕事に対する姿勢がよく表れている。仕事に関しては妥協がない。焼き肉屋をやってとんでもなく繁盛した。釧路の屠場の責任者が兄弟子だった。その人がなくなり、仕入れルートを失い、地元の肉屋から肉を仕入れて少しの間やってみたが、すぐに店を閉めた。肉の質が格段に落ちる、納得がいかなかったのだろう、あっさり店を閉めてしまった。そういう人だった。ビリヤード店の方を癌を患ってからもやっていた。再発して入院する間際まで仕事していた。
 歌人の視野の中に若いころの下駄屋のオヤジがいた。

 

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