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#4082 左脚にかすかな異常あり: Sep. 13, 2019 [36. 健康]

 座ってブログ記事をタイピングしていると、左脚がしびれと麻痺があることがある。右脚にはそういうことがない。右脚の上に左脚を組んで載せているときに起きるようだ。椅子から立ち上がりざまに左脚がしびれていてよろけることがたまにある。
 そういえば1か月くらい前に、近くのコンビニへ行くのに、車が来るのを気にしながらすこし急いで道路を横断して、25㎝の高さの縁石に左足先をひっかけて転倒したことがあった。左足がぶらんとする感覚がして一瞬力が入らずに、つま先が思ったほど上がっていなかった。だから如何にも年寄りらしい無様な転び方だった。
 昨年10月に東京へ行ったときに、家から最寄りの駅まで15分ほど歩いた。駅まであと200mというところで低血糖症状とともに、左脚からカクンと力が抜けてへたり込みそうになった。いま思い出してみると、左脚が一瞬云うことを聞かぬという同じ感覚があった。気持ちでは左脚を前に出しているのに、実際に足が前に進んでおらぬ、足首から先が挫くようにカクンと横になった。

 いま、膝を高く上げて足踏みを100回ほどしてみたら、やはり左脚の神経系が右足に比べてヘンな感じがする。反応が違うのである。左脚のほうが「いうことをきかない」感じがかすかにしている。言語や思考には差支えがないから、右脳に梗塞があるのではなさそうだ。
 ちなみに、この1年ほどはサイクリングはするが、散歩はまったくしない。面倒なのだ。風を切ってロードバイクで走るのは気分がいいが、散歩はそういうことがないので、つまらない。スキルス胃癌で退院したころは、向かい側にある母校(中学校)のグラウンドの周りを毎日5週ほどしていた。1周550mある。40日間の入院で衰えた脚のリハビリのために1年間ほど必死に歩いた。それほど足が弱っていた。走るとよろけた。

 加齢によって大腿部の血管が細くなってつま先の毛細血管の血流が悪くなり、左脚の神経系へ影響しているのかもしれない。まあ、人間、齢(よわい)70を数えると年々ポンコツになるのはいたしかたなし。(笑)
 いずれ、本格的に何か症状がでたら、レポートしたい。
 動かさないのがいけない?サイクリングと散歩では使う筋肉が違う、ほどほどに散歩もしないといけないかな?

<余談>
 スキルス胃癌と巨大胃癌の手術は2006年7月だった。その後、TS-1という抗癌剤治療をした。そのお陰でいまこうして生きているのだろう。髪の毛が抜けたが禿はしなかった。両足のふくらはぎの横の部分が、薬の副作用で老化が進み黒ずんだ。その部分は皮膚が乾燥したようになっている。13年がたち、少しは色がうすくなったようだが、ほとんどそのまま。皮膚に異常が出るということは、両脚になんらかの異常があることはたしからしい。とくに左脚のようすがおかしい。でも日常生活にはほとんどこまらぬ。縁石を超えるときに左足つま先が上がらず、転倒して手をすりむいて痛い思いをしただけ。あと十年したら、上手に転べずに、大腿骨骨折や腕の骨折で入院、その後車いす生活となるやもしれない。あなおそろしや。歩けるうちにお迎えが来てくれたら、それはそれで幸せ。

<徒然草より>…同じサイトに現代語訳も載っています
http://www.esdiscovery.jp/knowledge/japan/tsuredure032.html
第108段:寸陰(すんいん)惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。 
されば、道人(どうにん)は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩(ぎょうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて(わたりて)、一生を送る、尤も愚かなり。 
謝霊運(しゃれいうん)は、法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思を観ぜしかば、恵遠、白蓮(びゃくれん)の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。


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