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#4075 出席状況表:各人別に毎月配布 Sep. 4, 2019 [71.データに基づく教育論議]

<最終更新日時>
9/7朝9時半:<余談-2>追記

  ニムオロ塾は個別指導だから、用事があって休んでも、振替が効きます。ところが、振替しない生徒もいます。いったいどういう出席状況になっているのか、九月から一人一人出席状況データを毎月フィードバックすることにしました。出席日数が足りないケースはまず生徒と話をすることにします。必要と感じたら保護者にもお話します。データがあった方がお互いに話がしやすい。
 表のフォーマットは次のようになっています。

<出席状況表> 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月
出席日数 6 13 9 9 5 0 0
標準出席日数 9 9 8 9 6    
  11月 12月 1月 2月 3月 累計  
  0 0 0 0 0 42  
            41  
               
  Q1 Q2 Q3 Q4   H1 H2
  28 14 0 0   42 0
  26 15 0 0   41 0

 実物は3行で横1列なのですが、3段にしないとブログに掲載できないので、そうしました。
●上段:月
●中段:出席実日数
●下段:標準日数(出席すべき日数)
●累計:各月までの累計値
●Q1:第1四半期合計
●Q2:第2四半期合計
●Q3:第3四半期合計
●Q4:第4四半期合計
●H1:上期合計
●H2:下期合計

 4月から8月まで5か月間のデータが揃いました。
 (出席日数/標準日数)で、データを出席実日数の多い順に上位2人と下位2人を示すと次のようになっています。

  (67/41)(57/41)...(32/41)(28/41)

 順にAさん、Bさん、Cさん、Dさんとします。それ以外は出てくる順に、Eさん、Fさん、Gさんとします。
 先週、高校生には生活時間調査票をわたしていますから、提出済みの生徒は家庭での学習時間が確認できています。
 週単位でみるとAさんは、塾で勉強している時間の2倍は家で勉強しています。「67-41=26」回分「得?」してます。(笑)
 Bさんは「57-41=16」回「得」してますが、家であまり勉強している様子がうかがえません。国公立大学志望なので、学力を上げないといけませんが、学力はこの1年間低迷しています。いや、下がり始めました。進研模試の偏差値データは正直です。心配してます。
 Cさんは「32-41=-9」ですから、9回分「損」してます。部活が忙しくて休みが多くなっていますが、休んだ分の振替が一部しかできていません。本人の弁では家で毎日1時間くらい勉強するようになりました。その点はえらい!以前は、部活が終わり、塾で勉強すると、あとは家に帰ってお風呂に入りすぐに寝てました。成長期は眠たくなるものです。寝ている間に成長ホルモンが分泌されて身長が伸びます。一生懸命に部活をやる生徒は疲れるんです。それでも4人に一人くらい、文武両道をしっかり貫く人がいます。根室では珍しい。ケガの治療でしばらく部活は休まないといけないので、「損」した分を取り戻してもらいます。部活の指導はスポーツ医学的な配慮をしてもらいたい。指導資格制度のないのが問題です。部活で傷害を追う生徒は少なくありません。
 たとえば、ピッチャーの肘と肩、バドミントン選手の膝、サッカーやバスケットボール選手の膝や脚の腱、成長期で骨が伸びるのに、腱や筋肉が追い付いて行くのにラグがあるので、関節や腱と骨の接合部に過度の負荷がかかります。ひどい時には剥離骨折します。腱と骨の接続部がはがれてしまいます、市立根室では治療できませんから、札幌の大病院まで通院あるいは入院する必要がありますから、とっても厄介です。
 部活の指導者にスポーツ医学的な知識と配慮があれば、ほとんどが防げるものです。中学校までは、先生も生徒も保護者も、地区大会での勝ちにこだわってはいけません。小学校と中学校は基礎作りに徹して、身体の成長期が終わっている高校で本格的なトレーニングをしてください。ようするに、生涯にわたって好きなスポーツが楽しめるように、成長期には理にかなったトレーニングをすべきだということです。

  ebisuの父は元落下傘部隊員、60歳から本を見て独習して一輪車に乗り始め、すぐにマスター、一輪車を小学校に寄付して小学生に教え始めましたが、体協の資格がないと教えてはいけないと、誰かが言い出し、高校の先生たちの応援があり、試験を受けて体協の資格を取得しました。戦時中なら「空の神兵」と言われて尊敬を集めた秘密部隊員ですから、体協の資格などなくても、どこからもクレームはつかなかったでしょう。特別なの運動能力と胆力のもち主しか選ばれてませんし、訓練は命懸けの厳しいものであったからです。落下傘部隊員は正規兵3人を相手に戦えました。いまでも空挺部隊(落下傘部隊)自衛隊の中ではエリート集団です。部活を指導している先生に体協の資格が必要なんて話を聞いたことがありません。オヤジは、日本一輪車協会の初代根室支部長でした。NHKが取材し放映したビデオが3本残っています。40代の人たちの中に、オヤジに一輪車の乗り方を習った根室っ子がいるでしょう。


 Dさんは、「28-41=-13」回分「損」してます。いろいろ忙しいことがあるので、ついつい休みが多くなり、休んだ分の振替も積極的ではありません。やってることが多すぎて、忙しくて時間が取れないのです。専門学校への進学を考えているから、勉強する強い動機がないのです。でも、数学のクラスはアップしたい。こういう「いまより明日はもっとよくなりたい」という心が大切です。
 なかには就職希望(消防署)の生徒もいます、地元でしっかりした職に就くのはなかなかたいへんです。地元で就職を考えている生徒は、文武両道を貫きしっかり勉強してもらいたい。運動能力が高く、学習意欲も十分です。職に就いたら、その職を通じて明日の根室を支えてくれます。素直で、よく頑張る生徒、Eさん、たのもしいね。

 家で勉強しない生徒は成績が上がらない、これだけははっきりしています。Bさんが好例ですが、他にもFさんがいます。テレビやスマホで時間を潰すのが生活習慣になっているので手ごわいのです。どちらもスマホ中毒と言っていい。家に帰ればずっとテレビを見るかスマホと戯れて勉強する暇なんてありませんから、塾にくるのはお金と時間の無駄です。やめると成績が下がるので怖くてやめられないのかもしれません。下がったとしてもちょっとだけです、家で勉強しないのですから、塾をやめてもそんなに成績に影響ありません。どちらの生徒の保護者にもスマホのことは伝え、勉強1時間し終わるまでは取り上げるように話しています。Fさんは2週間くらいで、元に戻ってしまいました。でも4月以降は部活を理由に塾を休むことがなくなりました、出席率は(42/41)で1勝してます。来れば積極的に勉強してます。あっけらかんとしていて嘘のない生徒です。この生徒はしばらく様子見することにしました。

 Dさんは、7割ほどしか出席していないので、データを見せて本人と相談しました。テストの前だけはちゃんと来てます。「週2回の授業は100%出席が無理のようだから、お金の無駄だから週1回に変更しよう、お母さんと相談するように」伝えました。納得ずくで、9月から、週1へ切り替えています。ちゃんと来るつもりなら、いつでも週2に戻します。いくつか事情が重なっているので3か月は無理そうです。

 根室高校は火曜日から前期期末テストが始まっているので、家庭学習していない生徒は結果が出たら、面談します。成績が上がるはずがありません。家で勉強して来なければ、理解が浅くなるし、先週やったところも、理解が不十分で、むずかしめの問題をもう一度やらせたらできません。あいまいなところを、家でしっかり詰め切っておかないからそうなります。どうしたいのか本人に訊いてみたいと思います。

 出席率の上位二人は、標準日数を実出席日数がかなり上回っています。累計値で1割以上、上回っている生徒が3人に1人います。
 一クラス最大7人編成の個別指導です。四月からばらばらと生徒が増えました、夏休み以降も2人増え、混みあうことが多くなって、いま塾生の6割が高校生です。一人で見られる人数には限界があり、来年はニムオロ塾の8割が高校生になりそうで、急激な変化に驚いています。体力の関係から、ニムオロ塾は2年前に、月火木金の週4日間に切り換えました。来年も週4日体制は崩しません。

 机と椅子が7セット、他に1.5m×1mの座卓があるので、2階の教室スペースに席が9個あります。そのほかに1Fに3人机と椅子がありますから、こちらで自習できます。2階が一杯のときには、レギュラーの時間帯の生徒を優先し、週3回以上来ている生徒は1Fに回ってもらうことになるかもしれません。
 そういうことが必要になれば、レギュラーの「出席曜日・時間帯登録票」を配布して記入してもらい、希望曜日と時間帯(A:4時半~7時、B7時半~9時)の確認をします。
 もちろん、席が空いていれば今まで通りの運用を続けます、来たいだけ来ればいい。なるべく、ABいずれかの時間帯にしてください。空いているときはずっといても構いません。(笑)

 入塾1か月間は、勉強スタイルに慣れてもらうために、毎日来てもらうことがあります。数学なら計算問題に慣れてもらう、たとえば、分数や小数の四則演算とか、無理数の計算とか、一次関数の基本問題とか、証明問題とか、入塾の時期にも左右されます。空いている穴を埋めなければ効果がないからです。英語なら子音の発音のトレーニングと教科書音読を個別指導するためです。入塾時に必要のない生徒にはそういう措置はしません。

<余談:親への感謝の心>
 習い事をさせてもらい、塾にも来させてもらって、親に感謝して当たり前と思います。授業が終わって、迎えに来てくれていますから、ありがとうぐらい言って車に乗り込んでほしい。感謝の言葉を口に出せば、その都度自分の心が浄化されます。思春期は反抗期でもありますが、感謝の言葉を口に出すことで、気持ちもしだいに穏やかで素直になります。
 高校卒業してから、進学させてもらえるなんて、よく考えてみたらとってもありがたいことなんです。根室には大学がない、短大がない、そして専門学校すら一つもありません。だから親元から学校へ通うことができません。大きなハンディなんです。
 親だから当たり前だと思う人は、自分が親になったときの姿を想像してください
子どもを大学進学させることあるいは専門学校へ進学させることはたいへんなことなんですどのような職業に就いて、年収どれくらいで、子どもに習い事をさせて、塾へ通わせて、進学に必要なお金を捻出することを、自分自身の問題として考えてください。親に感謝せずにはいられないでしょう。有難いのです。有難いとはそう有ることが難しいから、ありがたいのです。親としての責務を果たすというのはじつに有難いことなんです。大半の親は、一生懸命に生きています。

 平成30年度、根室高校の卒業生は175人いました。そのうち大学進学者はわずか66人です。地元に大学があったら、あと30人ほどは大学進学しているでしょう。根室の最高学府は根室高校です。その根室高校はこの十数年間で著しく学力が落ちました。大学進学実績を見たらわかります。大地みらい信金への就職者数をみてもわかります。わたしたち団塊世代のころは、富士銀行や拓銀が商業科のトップクラス、道銀がその次あたり、根室信金は中の上の学力レベルの高校生の就職先でした。根室高校の中の上でもあの当時は優秀な人たちがまざってました。同期の中卒がおよそ1000人、根室高校へは350人ですから、およそ3人に1人しか進学できない高校でした。高校統廃合以後は、実質無試験、全員入学できています。競争がないというのは怖いことなのです。
 大学が地元にない根室は残念ですが全国レベルで見ると教育僻地と言えます、こどもたちはそれだけで大きなハンディを背負っています。
 さらに根室高校生の進路データを挙げます。平成30年度は道内私大が54名、道外はわずか5名でした。進学先のレベルがこの15年間で著しく落ちています。首都圏の私大への進学者が激減してます。平成28年度の進路データでは、道外私大への進学者数は12名です。15年前は30人くらいいたのではないでしょうか。
 看護学校進学が21人います。根室市の奨学金が「10万円×36か月」でているので、ニムオロ塾塾でも、看護系専門学校への進学を薦めています。市立根室病院へ3年間勤務すれば奨学金の返済が免除されます。初任給21万円で、根室で一番高額です。地元企業の高卒初任給は12-15万前後でしょう。ボーナスも違いますから、たった三年間勉強してきただけで、年収にたいへんな違いが出ます。5年もしたら、年収で200万円の差がつきます。
 短大5名、専門学校60名、就職市内36名、就職市外11名。
 就職する人こそ、文武両道を貫き、高校3年間をエンジョイしてください。人生で、勉強とスポーツだけしていていい最後の三年間になります

*根室高校進路データ
http://www.nemuro.hokkaido-c.ed.jp/?action=common_download_main&upload_id=3103

<余談-2:落下傘部隊員の戦闘能力>
 秘密部隊であった落下傘部隊員は正規兵3人を同時に相手にして互角に戦えたと書いた。
 戦後、オヤジは富良野で食糧の買い付けをしていたことがある。仕入れて転売して戦後の混乱期を食いつないでいたのだろう。10歳ほど離れた甥っ子と富良野の映画館で映画を見ていたとき、地元のヤクザ5人ほどに絡まれて、「面を貸せ」とトイレへ行ったそうだ。甥っ子が心配して少し時間をおいて様子を見に行ったら、五人とも床に伸びていた。平成5年のオヤジの葬式の時に聴いた話だ。オヤジは加藤隼戦闘隊という戦時宣伝映画での降下訓練の際に、飛び出すときに直前の隊員が降下気迫が失われ躊躇ったので、押しながら一生に飛び出したら、主導索に右腕をもっていかれて複雑骨折してブランと垂れ下がったまま、左腕で操作してパラシュートを開き、下りた。その後遺症で戦後しばらく右腕が上がらなかった。つまり左腕一本でヤクザ五人を相手にしたのである。落下傘部隊員の戦闘能力はすさまじい。以後、富良野のヤクザは通りですれ違う時には、すっと道を開けたという。そういう自慢話をしないオヤジだった。本来は暴力が嫌いだった。十代のときに一度人を殴ったことがあり、十数年後に出遭ったら、前歯が金歯になっていたと苦虫をかみつぶしたような顔をした。カッとなってやってしまったが、ずっと後味の悪い思いをしたようだ。
  ebisuが小学生のころ、自衛隊の空挺部隊教官として来てほしいと誘いがあったらしい。落下傘部隊の生き残りはわずかだから、空挺部隊を訓練する教官が不足していた。オヤジはノーだった。結婚もしない、子どもも残さずに戦友たちは死んでいった。教官になって若い隊員たちを訓練すれば、今度は自分が教えた若者たちが二度と戻らぬことになるかもしれない、やれっこなかったのである。恩師である哲学者の市倉先生もゼロ戦パイロットで特攻隊員だったから同じ思いをしている。オヤジと同じ年の生まれだった。
*市倉宏祐『特攻の記録 縁路面に座って』
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306180343-1


 富良野で調達した農産物の一部は根室でも売りさばいたようだ。当時緑町にあった銭湯松乃湯で地元のヤクザの若頭のTさんと目が合い、表へ出ろと外へでた。話はそこまでて、結末を言うことはなかった。訊いても無駄だった。Tさんとオヤジはその後仲がよかったのである。その話をオヤジの甥っ子に話した時に、ニヤッと笑って、富良野のヤクザとの一件がでた。甥っ子は旭川で畳屋をやっていた。腕がよくて大臣賞を授与すると言われたが、断わるような頑固者、そして陽気な人である。
 Tさんはビリヤードの常連客だった。あるとき三下が用事があって店に来た。「ここは〇〇さんの店だ、お前たちはこの店に出入りはならぬ」と厳命、幹部4人だけが常連だった。オヤジとどういう関係だろうと不思議だった。幹部のみなさん言葉遣いは丁寧で、礼儀正しかった。親分のTさんは、わたしに一度もビリヤードしようと言ったことがない。それも不思議だった。歯科医のT塚先生が小学生低学年のころ、面白がってよく相手してくれたのを覚えている。娘さんが同級生だった。ビリヤードが大好きで毎日数時間、店のお手伝いをしていたから、常連客でわたしとゲームしたことのない人はいないだろう。Tさんだけが例外だった。気を使ってくれていたのだ。いろんな職業の大人たちに守られていたようだ。
 高校時代に根室では大きめのスナックで飲んでいた時に、ネチネチ絡まれたことがあったが、幹部で一番若い人がたまたま店に入ってきて、「息子、どうした?」と声をかけてくれて、事情を話すと、「わかった」とカウンターの端の方で絡んでいた客のところへ行って、一言二言話したら、黙ってしまった。ひょっとしたら、お店の人がKさんへ電話して呼んでくれたのかもしれない。店へ入るなり若頭のKさんが、カウンターのわたしのところへまっすぐに来たのはタイミングが良すぎた。ビリヤード店の店番を小学校のときからずっと手伝っていたから、小遣いがあった。高校時代の1年間ほどは、高橋珠算塾の高橋尚美先生に頼まれて汐見町の珠算塾で教えていたから、両方から同じくらい小遣いが入る。あわせると当時の高卒の給料ほども毎月お金があった。友人たちにおごっても、使いきれないのである。(笑)
 だが、それいらい、「夜の町の探索」はやめた。もめごと起こして喧嘩でケガさせたら、学校は退学になる。小学生のころから、廃材や焚き付け用のざっぱを拳や手刀で割っていたから空手の有段者並みの破壊力があった。大きな鉞を振りかぶって地面につけて、そこからゆっくり円を描いて持ち上げながら真上にきたところで一気に力を入れて手を絞り、狙ったところを渾身の力を込めて叩く、五寸角の角材を十数回も叩いて叩いて、叩き割っていたから、足腰が異常に強かった。腰のひねりだけで、手刀や拳の威力は倍加した。高校卒業した年に、同級生三人(ヒロシとムサシ)で新宿でパンチボールを叩いたら、180㎏超えだった。同じウエイトのプロボクサー並みの破壊力があった。素手で顔面を叩いたら、殺してしまう。だから、人を叩いたことが一度もない。自分の命や友人の命に危険が及ばぬ限りは、人を殴らないと決めていた。叩き折る焚き付け用のざっぱの中には生木も混じっており、半端な速度で叩いても撓(しな)ってはじき返される。生木を叩き折るには速度と力の入れ方にコツがあった。すっかり慣れてしまっていたので、加減できない、危険すぎた。高校時代に2度切れそうになったが、堪えた。一度は1年生の時、数学の先生を殴りそうになったことがある。将棋の自慢話ばかりして、授業は手抜き、それにカチンときていたところに、6月ぐらいにテストで大きな採点ミスがあり、くだらぬ言い訳をごたごた言うので、教壇の前で「なに!」と声を荒げたら、O先生慌てて眼鏡をはずした。クラスがシーンとなったので、冷めた。こんなくだらない先生を殴って退学では泣くに泣けない、一気に熱が冷めくるりと踵を返して席へ戻った。わたしはおとなしい生徒だった。あとで、A部が「殴ると思った」と心配してくれていた。仲のいい俺が退学になったらさみしいからな、あいつは一昨年だったか癌で亡くなった。羅臼の大きな漁師の長男坊だった。二度目は2年生のときのある出来事だった。あの時切れていたら、いまの人生はない。殴れば3人のうち一人は殺しただろう。他人よりいくぶん腕が長く腰が切れて、身体が柔らかいので、拳がまともに当たれば頭蓋骨を粉砕するくらいの破壊力はあった。同期はだれもそんなことを知らない。
  根室高校の体育のI島先生は柔道部顧問で空手もやっていた。あるとき柔道場で体育の授業をしたときのこと、I島先生が「ebisuちょっと来い」というので、行くと、バーベルにいくつも鉄の輪をつけ始めた。全部で85㎏あった。二人に補助させて、わたしの首のところまで上げて、背中に背負わせ、そのままスクワットしてみろという。ずっしり重かった。15回やると、「よし!」と降ろさせた。あの時の体重は64㎏だった。危険だから他にはだれにもそんなことさせなかった。I島先生は85㎏で何回スクワットやれるか試してみたかったのだろう。70㎏まではジャークで持ち上げていた。柔道部に3か月ほどいたのだが、ある事情があり、退部した。I島先生はお袋のところへ来て、説得したようだが、「息子の決めたこと」と取り合わなかった。当時の柔道部には背の高い部員がいなかった。身体が柔軟で、腕力があったから、期待してくれたのだろう。ひょっとしたら、拳を見て空手2段のI島先生は気がついていたのかもしれない。8年間も焚き付けを手刀や拳で叩き折り続けたのだから、空手部員のようなケンダコはなかったが、人差し指と中指の付け根の部分がそれなりに硬くなっており、見る人が見たら、気がついただろう。
 勉強もよくしたけど、なにかと問題ごとの多かった高校時代だった。もう一度高校時代をやり直したら、どこかでプッツンして、別の人生になってしまうだろう。あんなにうまくはやれそうもない。
 親分のTさん、お袋を「姉さん」と呼んでいたが、「息子に何かあったら、言ってくれ」と当時言っていたらしい。若頭のKさんから報告があったのだろう。お袋が亡くなる3年くらい前に話してくれた。「Tがそういってたよ」と笑ってた。その道のプロだから、Tさんはわたしの本性を見抜いていたのだ。穏やかな表情の裏に隠した激しい気性が見えていたのだろう。一人一人の顔が思う浮かぶ、みんななつかしい。



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