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#4082 左脚にかすかな異常あり: Sep. 13, 2019 [36. 健康]

 座ってブログ記事をタイピングしていると、左脚がしびれと麻痺があることがある。右脚にはそういうことがない。右脚の上に左脚を組んで載せているときに起きるようだ。椅子から立ち上がりざまに左脚がしびれていてよろけることがたまにある。
 そういえば1か月くらい前に、近くのコンビニへ行くのに、車が来るのを気にしながらすこし急いで道路を横断して、25㎝の高さの縁石に左足先をひっかけて転倒したことがあった。左足がぶらんとする感覚がして一瞬力が入らずに、つま先が思ったほど上がっていなかった。だから如何にも年寄りらしい無様な転び方だった。
 昨年10月に東京へ行ったときに、家から最寄りの駅まで15分ほど歩いた。駅まであと200mというところで低血糖症状とともに、左脚からカクンと力が抜けてへたり込みそうになった。いま思い出してみると、左脚が一瞬云うことを聞かぬという同じ感覚があった。気持ちでは左脚を前に出しているのに、実際に足が前に進んでおらぬ、足首から先が挫くようにカクンと横になった。

 いま、膝を高く上げて足踏みを100回ほどしてみたら、やはり左脚の神経系が右足に比べてヘンな感じがする。反応が違うのである。左脚のほうが「いうことをきかない」感じがかすかにしている。言語や思考には差支えがないから、右脳に梗塞があるのではなさそうだ。
 ちなみに、この1年ほどはサイクリングはするが、散歩はまったくしない。面倒なのだ。風を切ってロードバイクで走るのは気分がいいが、散歩はそういうことがないので、つまらない。スキルス胃癌で退院したころは、向かい側にある母校(中学校)のグラウンドの周りを毎日5週ほどしていた。1周550mある。40日間の入院で衰えた脚のリハビリのために1年間ほど必死に歩いた。それほど足が弱っていた。走るとよろけた。

 加齢によって大腿部の血管が細くなってつま先の毛細血管の血流が悪くなり、左脚の神経系へ影響しているのかもしれない。まあ、人間、齢(よわい)70を数えると年々ポンコツになるのはいたしかたなし。(笑)
 いずれ、本格的に何か症状がでたら、レポートしたい。
 動かさないのがいけない?サイクリングと散歩では使う筋肉が違う、ほどほどに散歩もしないといけないかな?

<余談>
 スキルス胃癌と巨大胃癌の手術は2006年7月だった。その後、TS-1という抗癌剤治療をした。そのお陰でいまこうして生きているのだろう。髪の毛が抜けたが禿はしなかった。両足のふくらはぎの横の部分が、薬の副作用で老化が進み黒ずんだ。その部分は皮膚が乾燥したようになっている。13年がたち、少しは色がうすくなったようだが、ほとんどそのまま。皮膚に異常が出るということは、両脚になんらかの異常があることはたしからしい。とくに左脚のようすがおかしい。でも日常生活にはほとんどこまらぬ。縁石を超えるときに左足つま先が上がらず、転倒して手をすりむいて痛い思いをしただけ。あと十年したら、上手に転べずに、大腿骨骨折や腕の骨折で入院、その後車いす生活となるやもしれない。あなおそろしや。歩けるうちにお迎えが来てくれたら、それはそれで幸せ。

<徒然草より>…同じサイトに現代語訳も載っています
http://www.esdiscovery.jp/knowledge/japan/tsuredure032.html
第108段:寸陰(すんいん)惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。 
されば、道人(どうにん)は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩(ぎょうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて(わたりて)、一生を送る、尤も愚かなり。 
謝霊運(しゃれいうん)は、法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思を観ぜしかば、恵遠、白蓮(びゃくれん)の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。


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#4081 英語短期特訓授業 5th:"Gamification" Games May Save the Word Sep.11, 2019 [78-1Vivid 3短期特訓補習]

<最終更新情報>
9/12朝9時追記:pとfの発音について

 高3英語教科書を使った、英語が苦手な高2対象の短期特訓授業は5回目である。前期期末テストがあったので2週間中止し、今日から再開した。
 Lesson 2のGamificationの章だ。
 いままで、本文を10-30回音読し、全文黒板に書いて、文型解説をしていたが、慣れてきたようなので、板書せずに口答で説明していったら、'part 1'と'part 2' を消化できた。速度が倍になったから、残り5回で3章やれるかな。
 数回音読した後、英語が苦手な生徒4人に節単位に区切って文型を訊いてみた。4人束になって正解が半分程度だった。これには苦笑。あまり復習していない様子。1人は高3教科書を第1章から順にやり始めたから、大きな変化が起きた、N君。英語の文法問題集に取り組み始めた生徒はH君。あとの二人はなんとか授業に出席している状態かな。マインド・セットが変わった様子が見えるのはこの4人のうちでは二人。
 音読は、最初はゆっくり、同じ文章を5回10回15回と回数がアップするごとにだんだん速度を上げていく。必死についてきているのがわかる。大きく口を動かすように言っても、実際にはほとんど動かせない者もいるから、ときどき子音の発音で具体的に口の動かし方と息の出し方を注意する。今回はpとfだった。おあつらえ向きにpとfが多く出てくる文があった。

 Participants put the data of their energy comsumption online.
 For example, some cars are equipped with a game function showing fuel effeciency.


 文型と意味解説をした後で、意味を頭に浮かべて5-10回音読する、イメージ音読と名付けている。弊ブログに投稿してくれていたHirosukeさんのメソッドである。30回音読10回書き取りというのは、英語の達人、ハンドルネーム「後志のおじさん」のトレーニング・メソッド。いいとこどりさせてもらっている。「学ぶ」の語源は俗説によると「真似る」ということらしいが、わたしはその通りにやっている。生徒たちの手本になればうれしい。ニムオロ塾の英語授業は日々進化している。(笑)
 いまにして思うことがある。ブログ投稿欄での議論はとっても役に立つことが多い。意見が違うほど学ぶことも増える。時におちゃらかしのあるのはしかたがない。そういう場合でも、議論につきあうことにしている。投稿者の知的レベルが文章に現れていることがある。そういう投稿者に付き合って対話していると、途中からまともな議論に変化することがある。それも愉しい。四国の阿波の国の住人で、面白い人がいた。使う言葉で四国出身者ということはすぐに分かった。だいたいは気真面目な人が多いようだ。たくさん投稿してくれた人ではkoderaさん、Hirosukeさん、後志のおじさんがそうだ。それぞれお得意の分野で一家言のもち主である。

 ゲーミフィケーションというのは聞きなれない言葉だが、たとえば、老人施設で考えられるのは、椅子に座ったり、椅子から立ったりするのを、圧力センサーでキャッチして、パソコンへ伝送し、スクリーン上に木を表示して、やった回数に応じて、木が成長していくというようなことである。ゲーム感覚で、老人の健康促進、あるいは病気予防を愉しくやろうということのようだ。
 電気節約事例では、電気器具ごとの電力消費量を知り、節電の量を競い合うことで、一番節電した人が優勝するというようなこと。
 車の燃費データをオンラインで伝送し、燃費向上を競い合うことも事例に挙げられていた。いまは可能性の話だろうが、そろそろ実現しそうだ。

 音読主体の授業なら、英語が苦手の生徒たちの緊張が切れることはない。2時間ノンストップであっというまに7時になっていた。授業はやりようだね、毎回いい集中力を見せてくれてるが、成績と連動するかどうかは、家での勉強次第だ。わずか2時間×10回=20時間で大きな効果が出るはずがない。1000時間投入できたら、成績は劇的に変わる。学年チップクラスに誰でもなれる。今回の特訓授業サービスの役割は生徒たちの家庭学習のきっかけ作りだ。

<余談:大学入試共通試験>
 生徒たちが、英語の入試制度がどうなるのか不安を口にしていた。
*「柴山文科相に批判の嵐 英語民間試験に異議の学生を強制排除
https://news.livedoor.com/article/detail/16993288/
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 現在、実施されているセンター試験に代わる「英語民間試験」には、高校生や保護者、学校関係者から「不公平」や「不透明」など懸念が噴出し、実施団体「TOEIC」まで離脱。「AERA」が実施した教員、保護者、生徒へのアンケートでは、「中止すべき」が72%、「延期すべき」が23%と圧倒的多数が「ノー」だった。
 ところが、柴山文科相は、16日付のツイッターで〈サイレントマジョリティは賛成です〉と根拠もなく、異論を一蹴。1人の賛成論者を取り上げて〈エキスパートはこう主張しています〉(17日付)と露骨なつまみ食いをした。
 さすがに、〈周りに賛成している人一人もいませんよ〉〈都合のよい声だけを取り上げ、誇張している〉と批判が相次いだ。

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#4080 分屯地周回平均時速24.1㎞! Sep.8, 2019 [85.サイクリング]

 航空自衛隊根室分屯地周回コース4.3㎞で、平均時速24.1㎞を達成、いままでで最高速だった。
   正午の気温25.6度、南西の風5.8m/s、湿度84%

 日曜日だから、日曜ドライバーには要注意だ。進路をふさがれる可能性があるので、角々では30mほど手前からしっかり確認。ペダルが軽かった。
 koderaさんから、昨日届いた松戸の新高梨をいただく。ほどよい甘さと水気がたっぷりあっておいしい。

SSCN3133.JPG

 程よく汗をかき、シャワー、そして梨、さわやかな一日だ。
 累計走行距離5203km


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#4079 日本語音読トレーニング再開 Sep. 8, 2019 [47.1 読み]

 日本語音読トレーニングを再開することにした。三つの理由でニーズが生じた。
理由その1: 夏休み以降入塾した生徒が二人いる。そのうちの一人は進研模試の国語テストの点数が一番低かった。訊いたら苦手だという。入塾のきっかけは得意だったはずの数学の点数が下がったため。問題をやっているときに、問題の読解力が貧弱なことにすぐに気がついた。数学の問題だけなら、読み方に慣れてくれば何とかなるが、国語に問題があると、そうはいかぬ。英語の学力にも響く。たとえば、文に一つわからない単語があるとすると、文全体あるいは前後の文からその単語の意味の推測がつかない。日本語の文でも、意味のわからない漢字や読めない漢字が出てくると、その文全体の意味の推測がつかない。長文読解速度を上げるためにスラッシュリーディング指導をやるがそれが不可能になる。ぶつ切りにしてしまうと、それをつなげて文意を理解できない。文ごとの論理展開の筋も読めないことになる。もちろん、段落読み(段落相互の論理的関係を頭に描きながらの音読)もできない。英語の学力がアップしても、母語に問題があると、すぐに伸びが止まるタイプである。事実その通りの経緯をたどっている。根室は幼児英語に熱心な地域だが、その一方で母語がおろそかになっているケースが多い。母語での読書スキルはすべての教科の学力を支える基礎なのだ。母語の読解力がなければ予習ができないことをあげれば十分だろう。いまや高校生3人に1人がそういう状態にある。
理由その2: 夏休み以降に入塾したもう一人、中3の生徒のほうは国語は平均的な点数だが、やはり数学の文章題の読みに問題があった。基礎計算にも精度と速度の両方で問題があったから簡単な計算問題をやっていた。総合Aまでは毎日来るように伝えたが、数日しても「カルク」が終わったら今度は別の問題集の同じレベルの計算問題をやっている。難易度の高い計算問題や文章題をやろうとしないので、学力テスト総合Aの過去問をやるように指示した。この生徒に理解できるようなレベルの解説をすればやれるようになる。難易度の高めの問題をやらないと学力テストの点数がアップしない。独力では難易度の高い問題が解けないのでやさしい問題へ逃げるのが癖になってしまっているように見えた。進路の希望を訊いたら、救急救命士になりたいので、そちらの専門学校に進学したいという。「救急救命士はかっこういい!」と憧れの目をして云った。看護師と同程度の医学知識が必要とすれば、医学専門書をたくさん読まなければならない。看護専門学校では500頁ほどのA4版の本を3年間で30冊読む。一番必要な能力は、読書力。「音読トレーニング」を木曜日4時からやろうと思うが、来るかと訊いてみた。お母さんが送ってくれないと無理があるので可能かどうか訊いた。来れる、やりたいとの返事。
 学力テストで国語が平均点だと、高校生になったらほとんど予習ができないと判断すべきだ。3人に一人は日本語読解能力が貧弱で、教科書を読んで理解できない。スマホの普及で読書をしなくなっている、そういう時代なのである。
理由その3: 札幌の看護学校進学志望の高3の生徒がいる。やはり国語が苦手で、数英国のうち国語の点数アップに困っていた。センター試験国語問題の過去問を夏休みの間毎日大問にひとつづつやるように言ってあるが、国語の学力が上がっている実感がないという。国語の学力を上げるのは高校受験5教科のうちで一番難しい、そして時間がかかるから1か月でそんな手ごたえがあるわけもない。でも、センター過去問だけでは不十分であるのも事実だ。この生徒が標準的なレベルの読書速度を手に入れたら、20点ほど国語の点数アップができるかもしれない。数学はいまやっている問題集が2周目、ほとんど終わりかけているから問題がなくなってきている。英語か国語のどちらかが20点アップすれば安全圏へ滑り込める。ドキドキハラハラだ。

 4人までなら一度にトレーニングできるので、国語の学力アップに悩む高2の生徒に電話して、音読トレーニングに誘ってみた。「ポケモンゴー」などのネットゲームにずっとはまっていたが、最近あることを契機に、ネットゲームや「二次元の世界」から脱した。人間、きっかけがあれば変われる。この生徒は「熱い鉄」の状態にあるから、「いま」トレーニングすればなんとかなる。1年ほど前に誘ったが、色よい返事はしてくれたが、音読トレーニングに参加しなかった。水を飲みたくない馬を池のそばまで連れて行っても水は飲まぬ。2月の進研模試の結果票を見てこのままではいけないと自覚した。そしてあるきっかけが訪れた。今度は喜んで「参加させてください、お願いします」、別人のようだ。それで、いいのだよ、まっていた。(笑)

 読む速度が遅いと、試験時間内に読んで解答を各時間が足りなくなる。良質の過去問を解いて、解き方に慣れるだけでなく、平均的な速度以下の生徒は読書スピードをアップしなければなんともならない。
 それで、毎週木曜日、4時から40-50分ほど音読トレーニングをすることに決定した。これしかとれる時間帯がないから、学校が終わったらまっすぐに塾に来てもらう。
 使うテクストは、

  斉藤孝著『読書力』岩波新書

 斉藤孝先生、初期のころの著作で、最近出している本に比べて文章が拙いところが散見されるが、中身がいいから、まあ、ご愛嬌だ。斎藤先生、作文の腕をずいぶん上げたことがわかる。
 10回を予定しているが、そのまえに終了できたら、うちどめ。さてどうなるか。

 このトレーニングに効果が大きいことは過去のデータがある。出てきた漢字、熟語で読めないものは10回書き取り、意味の不明な単語は国語辞書を引き、ノートに書く。場合によっては漢和辞典で字義解釈を読む。
 ちゃんとやり切ったら、国語の点数は必ず上がる。期待値は、進研模試で20-30点アップだ。参加しているだけで、家でこうした作業と、音読の反復トレーニングをまったくしなければ、効果はほとんどない。本気でやらないと学力アップができるはずもない。

 合計4人だが、ほかにも数人希望者がいるはず。10回終了したら、また別のメンバーで本を変えて10回程度の「日本語テクスト音読トレーニング」をやろうと思う。ちいさな私塾だから、塾長の判断次第でやれるところが強みだ。
 口を大きく動かし、はじめはゆっくり、だんだん速度アップしていく先読み技術を磨くのが目的並行して、三色ボールペンで線を引かせたい(斉藤孝メソッド)先読み技術を習得できたとたんに高速音読ができるようになると同時に文意の理解が飛躍的に改善できる。音読トレーニングは格闘技のようなもの。かなり体力がいるのだ、もつかな?アハハ。なんとかなるさ。わたしにとってもチャレンジだ。


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読書力 (岩波新書)

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  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書
語彙力こそが教養である (角川新書)

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  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2015/12/10
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#4078 野に咲く季節の花 Sep. 7, 2019 [85.サイクリング]

 台風15号が父島の東260㎞にある。中心気圧970hPa、最大風速35m/s。ゆっくりと関東沿岸へ近づいてくる。明日午後遅く関東へ上陸しそうだ。東京は数時間激しい雨に見舞われる。35年間住んだ東京は第二のふる里、洪水にならなければいいが。
 根室は曇り空、天気予報では根室の午前中は横殴りの雨だったが、空振り。
 14時、気温20.9度、南南東の風2.0m/s、湿度87%
 曇り空、風がないので、絶好のサイクリング日和だ。
 14時ころ家を出た。牧の内T字路までの直線往復コースである。

①うっすらと国後島最高峰爺々岳1822mを望む
 この時期はめったに見えることがない、いま気に曇り空なのに、見えた。国後島は北国賛歌の作詞者田塚源太郎さんのふる里である。昭和43年に作曲者の飯田三郎氏と一緒に作詞したようだ。わたしは昭和42年に高校卒業とともに東京へ、それ以来35年間東京で暮らして、根室へ戻った。ふだんは「田塚先生」とお呼びしていた。背が高くて、品のよい人だった。小学生のころ、ビリヤードで遊んで相手してくれた。考古学者で文学博士の北構保男氏とは根室商業の同級生である。北構先生はご健在だ。
SSCN3127.JPG 

②薄紫のぼんぼりの花と、白い花
 名前がわからない。路肩に咲いていた
SSCN3126.JPG

③黄色い野の花
 この黄色い花は、ぱらぱらとあちこちに咲いていた。
SSCN3125.JPG

 鳥も虫も鳴いていない静かな原野を車輪が滑るように走る。往きは路肩に罅(ひび)われが少ないから、快適に走れる。風がないのでとっても楽だ。
 往復して戻ってきて、根室高校のグラウンドが視界に入ると、ずっと眺めてしまった。路肩の白線よりも外側を走っていたので、ハンドルがちょっと左にブレたとたんに25㎝の高さの縁石に前輪をぶつけ転倒してしまった。
 リムが変形したかと焦ったが、なんでもなかった。厚手のサイクルパンツをはき、腕にサポータをしていたので、けがなし。転び方が上手になったかな。(笑)
 縁石にぶつけて転倒したのはこれで2度目。のんびりと景色を見ながら走っているときが危ない。
 航空自衛隊根室分屯地にヘリが舞い降り、プロペラを回したまま待機しているのを見ながら走ったときに縁石んぶつけたことがあった。あの時は脚と左腕をちょっと擦りむいたから、痛かった。ペダルに器具が取り付けてあり、つま先がペダルの器具から抜けないまま転倒したから、縁石の角に脚をぶつけ、腕が路面に当たってしまった。路肩を走るときは長いことよそ見をしない。あたりまえか。痛い思いをしながら、時々勉強している。
 今週は25㎞走った。

 本日の走行距離12㎞、平均時速20.1㎞、最大瞬間速度37.4㎞/h
 累計走行距離5199km 今年の累計走行距離377㎞

*ブログ・根室音楽事情
https://blogs.yahoo.co.jp/honda_nem/1577379.html
 北国賛歌作曲作詞のことが書かれている。たぶん、トロンボーンの本田さんのブログ。
根室市の開基100年を記念し、昭和43年に田塚源太郎・飯田三郎作詞、飯田三郎作曲により作られた曲です。 第1楽章「序曲」第2楽章「集い」第3楽章「霧によせるハミング」第4楽章「テシロップ」第5楽章「讃歌」からなる交響曲で、毎年秋に市民によって演奏、歌われ続けています。
全国的には毎年ベートーベンの第九でその年の音楽を締めくくりますが、根室では、それが「北国讃歌」です。
このブログでは、北国讃歌を中心に根室の音楽事情を書いてみたいと思ってます。

<COOLPIX6900>
  2014年にでたコンデジである。買ったのはいつだったか忘れた。2万円弱で購入した。
 軽くて小さいから、サイクリングには便利がいい。ロードバイクの小さなバッグにガラケイの携帯と一緒に入るので、気軽に持ち歩ける。さきほどマニュアルを調べたら、マクロ撮影機能のあることが分かった。試してみたら、5㎝でもピントが合う。先日、アカスジコマチ蜘蛛を撮影したときにこの機能を使えばよかった。知らなかった。大事な機能の一つを使いこなせていない。
 光学倍率は10倍ほどだろうか。①の写真は光学倍率の最大のところで撮ったものだ。カメラが小さく軽いので手振れしてしまう。③の写真は少し距離があったので、光学倍率半分くらいの位置で撮影した。
 ほしいカメラが二つあるのだが、使うシーンを考えたら、そのカメラの優れた機能のほとんどが使わないもの。カメラの性能はすばらしが、使うシーンがない。そろそろ終活しなくっちゃ、なるべくモノを増やさない、買ってしまえば10年ほどでゴミになる。


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#4077 Sapiens:p.5-6 Sep. 5, 2019 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

 明日は前期期末テストの最終日である。数Ⅱが明日だというのに、教科書準拠問題集の復習は退屈でつまらないからハラリを読みたいという。数学と英語はケアレスミスがない限り百点だろうから、まあいいか。この生徒は進研模試とZ会の模試の偏差値アップにしか興味なし。(笑)
 時間はかかるが、だんだん読めるようになってきた。今日は一つだけ、代名詞 it が何を受けているのかについて確認があったのみ、もちろん正解だった。とくに解説が必要なところはなかった。面白いことが書いてあったので、その部分を紹介する。

 The more eastern regions of Asia were popurated by Homo erectus, 'Upright Man', who survived there for close to 2 million years, making it the most durable human species ever.

 it: Upright Man
  there: the more eastern regions of Asia

  makingの主語は前の文章と同じだから、分詞句となっていることはいままで何度も解説した通り。以下のふたつの単文が元。

The more eastern regions of Asia were popurated by Homo erectus.
The more eastern regions of Asia made it the most durable species ever.

 こういう二つの文章がandで接続され、そのあとで同じ主語なので後続の方が省略され、動詞のmadeが分詞句となったのだ。
(アジアのもっと東側に住んでいたのが、ホモ・エレクトス(「直立した人」の意)で、そこで200万年近く生き延びた。)柴田訳

 訳がうまいね。主語は'The more eastern regions of Asia'だが、翻訳者の柴田さんはここでは副詞句に訳している。これはよく使うテクニックだから覚えておくとよい。主語が人や生き物ではないときには副詞句にして訳すというのは翻訳の常套手段だ。この生徒は、高校3年間分の教科書を読んだ際に、こうしたテクニックを知ってはいるが、まだ十分に使いこなせていない。慣れるためにハラリの著書は便利がいい。その都度、本にマークを入れていけばいいのだ。どれくらいの頻度で出てくるか見当がつく。

 わたしの興味を引いたのはアンダーラインを引いた部分である。
 ホモ・エレクトスが約200万年にわたって生き抜いたということ、これはすごいことだ。ホモ・サピエンスが東アフリカで進化し始めたのが20万年前、そして認知革命が
7万年前である。200万年にわたって生き抜いたということは、環境に適応して生きたということであり、ホモ・エレクトスは自らの生存環境=生態系を激変させなかったということだ。生態系と共存するという姿は、鎮守の森を大切にし、生態系を破壊しないような生き方を選択してきた日本人の文化や伝統に近い。そういう選択肢が、現代の今でもあるということ。


 ホモ・エレクトスと比較したときに、ホモ・サピエンスの異様さがよくわかるホモ・サピエンスは急激に環境を変えてしまったし、いまも激変させつつある。同属を絶滅に追いやっただけでは飽き足らず、地球に生きる他のありとあらゆる生物種を絶滅に追い込んできたし、いまもそうしている。サピエンスの地上での増殖はどこか癌細胞の増殖に似ている。そうだとすると、じきに宿主を殺して自ら滅んでいく。
 地中を掘り起こして、ウランを含むさまざまな金属を取り出し、消費する。石炭も石油も掘り出して消費する。原子力発電所を数百基稼働させて、海水の表層を温め、海洋水の温暖化を進める。このままだと北極の氷は原子力発電所の排熱によってなくなるだろう。原子力発電所が生み出すエネルギーの2/3が海へ放出され、海水を温めている。
 プラスチックが海へ大量に流出して、マイクロプラスチックと化し、海産物を通して人間の体内に蓄積されつつある。いまや水道水すらマイクロプラスチックが含まれており、人間の体内でどのような影響をもたらすのか見当もつかない状況である。
 ハラリは次のように書いている。

 This record is unlikely to be broken even by our own species. It is doubtful whether Homo sapiens will still be around a thousand years from now, so 2 million years is really outoof our league.

(これほど長く存在した人類種は他になく、、この記録はわたしたちの種にさえ破れそうもない。ホモ・サピエンスはいまから1000年後にまだ生きているかどうかすら怪しいのだから、200万年も生き延びることなど望むべくもない。)柴田訳


 ところで、生徒はこの本の語彙にだいぶ慣れてきた。生物種へのラテン語名の付け方、そして個々の意味や階層構造を知ったので、何を言っているのかよく理解できるようになってきた。
 families(科)⇔genus(属)⇔species(種)
 Homo属にはsapiensである我々のほかに、Homo erectusやHomo neandelthalensisやHomo rudolfensisなどのsiblings(兄弟たち)がいる。
 ホモ・サピエンスとはホモ(ヒト)属のサピエンス種ということだ。ラテン語名の命名のしかたは「属名ー種名」になっている。たとえば、ホモ属サピエンス種だから、ホモ・サピエンス、パンテラ(豹属)・レオはライオンのラテン語の学名という風に。
 わたしたちは、ヒト科ヒト属サピエンス種ということになる。ネコ科にはライオンとチータと家猫がおり、犬科には狼とキツネとジャッカル、象科には象とマンモスとマストドンがいる。
 同種でないと交雑できないということになっているが、サピエンスと同種ではないはずのネアンデルタール人やホモ・ルドルフェンシス人のDNA解析が進み、いま世界中の種族のこれらヒト属のsiblingsたちとの交雑の程度が比較できるようになっている。種が違うと交雑できないということだったが、DNA解析からは微妙な問題がもちあがっている。広範囲に交雑している種族もあるから、一部は別種とは言い切れない存在かもしれない。そういう事情は、次回読むことになる。

 良質の原書は読み方によっては奥が深く、とっても面白いし、1頁読むごとに達成感がある。使われている専門用語が集積され、周辺知識が整理されてくると、とっても読みやすくなる。本を読む速度が上がると同時に、理解が深くなる。だから、「はじめちょろちょろ、なかぱっぱ、赤子泣くとも蓋とるな」なのだ。
 和辻の『古寺巡礼』や『風土』、西田幾多郎『善の研究』を日本語音読トレーニングで読もうかと思ったことがあったが、文脈読みのスキルを磨き、読解力をさらに育てることは、ハラリ 'Sapiens'でもできそうだ。


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#4076 蜘蛛:アカスジコマチグモ? Sep. 5, 2019 [A8. つれづれなるままに…]

 車庫前を掃いていたら、蜘蛛の糸が一筋風に乗って流れて来た。箒でまきとり、塀を見たら禍々(まがまが)しい色をした10mmほどの蜘蛛が1匹とまっていた。
 カメラをもってきて写真を撮ろうとしたら、ピントが合わない。安いデジカメだから、10㎝ほどに近づくとピントが合わないのである。一眼レフカメラで28mmくらいのレンズが欲しい。
 写真を撮ってから、ネットで調べると、どうやらアカスジコマチグモのようだ。頭が下側、黄色いのは同体である。

SSCN3118.JPG




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#4075 出席状況表:各人別に毎月配布 Sep. 4, 2019 [71.データに基づく教育論議]

<最終更新日時>
9/7朝9時半:<余談-2>追記

  ニムオロ塾は個別指導だから、用事があって休んでも、振替が効きます。ところが、振替しない生徒もいます。いったいどういう出席状況になっているのか、九月から一人一人出席状況データを毎月フィードバックすることにしました。出席日数が足りないケースはまず生徒と話をすることにします。必要と感じたら保護者にもお話します。データがあった方がお互いに話がしやすい。
 表のフォーマットは次のようになっています。

<出席状況表> 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月
出席日数 6 13 9 9 5 0 0
標準出席日数 9 9 8 9 6    
  11月 12月 1月 2月 3月 累計  
  0 0 0 0 0 42  
            41  
               
  Q1 Q2 Q3 Q4   H1 H2
  28 14 0 0   42 0
  26 15 0 0   41 0

 実物は3行で横1列なのですが、3段にしないとブログに掲載できないので、そうしました。
●上段:月
●中段:出席実日数
●下段:標準日数(出席すべき日数)
●累計:各月までの累計値
●Q1:第1四半期合計
●Q2:第2四半期合計
●Q3:第3四半期合計
●Q4:第4四半期合計
●H1:上期合計
●H2:下期合計

 4月から8月まで5か月間のデータが揃いました。
 (出席日数/標準日数)で、データを出席実日数の多い順に上位2人と下位2人を示すと次のようになっています。

  (67/41)(57/41)...(32/41)(28/41)

 順にAさん、Bさん、Cさん、Dさんとします。それ以外は出てくる順に、Eさん、Fさん、Gさんとします。
 先週、高校生には生活時間調査票をわたしていますから、提出済みの生徒は家庭での学習時間が確認できています。
 週単位でみるとAさんは、塾で勉強している時間の2倍は家で勉強しています。「67-41=26」回分「得?」してます。(笑)
 Bさんは「57-41=16」回「得」してますが、家であまり勉強している様子がうかがえません。国公立大学志望なので、学力を上げないといけませんが、学力はこの1年間低迷しています。いや、下がり始めました。進研模試の偏差値データは正直です。心配してます。
 Cさんは「32-41=-9」ですから、9回分「損」してます。部活が忙しくて休みが多くなっていますが、休んだ分の振替が一部しかできていません。本人の弁では家で毎日1時間くらい勉強するようになりました。その点はえらい!以前は、部活が終わり、塾で勉強すると、あとは家に帰ってお風呂に入りすぐに寝てました。成長期は眠たくなるものです。寝ている間に成長ホルモンが分泌されて身長が伸びます。一生懸命に部活をやる生徒は疲れるんです。それでも4人に一人くらい、文武両道をしっかり貫く人がいます。根室では珍しい。ケガの治療でしばらく部活は休まないといけないので、「損」した分を取り戻してもらいます。部活の指導はスポーツ医学的な配慮をしてもらいたい。指導資格制度のないのが問題です。部活で傷害を追う生徒は少なくありません。
 たとえば、ピッチャーの肘と肩、バドミントン選手の膝、サッカーやバスケットボール選手の膝や脚の腱、成長期で骨が伸びるのに、腱や筋肉が追い付いて行くのにラグがあるので、関節や腱と骨の接合部に過度の負荷がかかります。ひどい時には剥離骨折します。腱と骨の接続部がはがれてしまいます、市立根室では治療できませんから、札幌の大病院まで通院あるいは入院する必要がありますから、とっても厄介です。
 部活の指導者にスポーツ医学的な知識と配慮があれば、ほとんどが防げるものです。中学校までは、先生も生徒も保護者も、地区大会での勝ちにこだわってはいけません。小学校と中学校は基礎作りに徹して、身体の成長期が終わっている高校で本格的なトレーニングをしてください。ようするに、生涯にわたって好きなスポーツが楽しめるように、成長期には理にかなったトレーニングをすべきだということです。

  ebisuの父は元落下傘部隊員、60歳から本を見て独習して一輪車に乗り始め、すぐにマスター、一輪車を小学校に寄付して小学生に教え始めましたが、体協の資格がないと教えてはいけないと、誰かが言い出し、高校の先生たちの応援があり、試験を受けて体協の資格を取得しました。戦時中なら「空の神兵」と言われて尊敬を集めた秘密部隊員ですから、体協の資格などなくても、どこからもクレームはつかなかったでしょう。特別なの運動能力と胆力のもち主しか選ばれてませんし、訓練は命懸けの厳しいものであったからです。落下傘部隊員は正規兵3人を相手に戦えました。いまでも空挺部隊(落下傘部隊)自衛隊の中ではエリート集団です。部活を指導している先生に体協の資格が必要なんて話を聞いたことがありません。オヤジは、日本一輪車協会の初代根室支部長でした。NHKが取材し放映したビデオが3本残っています。40代の人たちの中に、オヤジに一輪車の乗り方を習った根室っ子がいるでしょう。


 Dさんは、「28-41=-13」回分「損」してます。いろいろ忙しいことがあるので、ついつい休みが多くなり、休んだ分の振替も積極的ではありません。やってることが多すぎて、忙しくて時間が取れないのです。専門学校への進学を考えているから、勉強する強い動機がないのです。でも、数学のクラスはアップしたい。こういう「いまより明日はもっとよくなりたい」という心が大切です。
 なかには就職希望(消防署)の生徒もいます、地元でしっかりした職に就くのはなかなかたいへんです。地元で就職を考えている生徒は、文武両道を貫きしっかり勉強してもらいたい。運動能力が高く、学習意欲も十分です。職に就いたら、その職を通じて明日の根室を支えてくれます。素直で、よく頑張る生徒、Eさん、たのもしいね。

 家で勉強しない生徒は成績が上がらない、これだけははっきりしています。Bさんが好例ですが、他にもFさんがいます。テレビやスマホで時間を潰すのが生活習慣になっているので手ごわいのです。どちらもスマホ中毒と言っていい。家に帰ればずっとテレビを見るかスマホと戯れて勉強する暇なんてありませんから、塾にくるのはお金と時間の無駄です。やめると成績が下がるので怖くてやめられないのかもしれません。下がったとしてもちょっとだけです、家で勉強しないのですから、塾をやめてもそんなに成績に影響ありません。どちらの生徒の保護者にもスマホのことは伝え、勉強1時間し終わるまでは取り上げるように話しています。Fさんは2週間くらいで、元に戻ってしまいました。でも4月以降は部活を理由に塾を休むことがなくなりました、出席率は(42/41)で1勝してます。来れば積極的に勉強してます。あっけらかんとしていて嘘のない生徒です。この生徒はしばらく様子見することにしました。

 Dさんは、7割ほどしか出席していないので、データを見せて本人と相談しました。テストの前だけはちゃんと来てます。「週2回の授業は100%出席が無理のようだから、お金の無駄だから週1回に変更しよう、お母さんと相談するように」伝えました。納得ずくで、9月から、週1へ切り替えています。ちゃんと来るつもりなら、いつでも週2に戻します。いくつか事情が重なっているので3か月は無理そうです。

 根室高校は火曜日から前期期末テストが始まっているので、家庭学習していない生徒は結果が出たら、面談します。成績が上がるはずがありません。家で勉強して来なければ、理解が浅くなるし、先週やったところも、理解が不十分で、むずかしめの問題をもう一度やらせたらできません。あいまいなところを、家でしっかり詰め切っておかないからそうなります。どうしたいのか本人に訊いてみたいと思います。

 出席率の上位二人は、標準日数を実出席日数がかなり上回っています。累計値で1割以上、上回っている生徒が3人に1人います。
 一クラス最大7人編成の個別指導です。四月からばらばらと生徒が増えました、夏休み以降も2人増え、混みあうことが多くなって、いま塾生の6割が高校生です。一人で見られる人数には限界があり、来年はニムオロ塾の8割が高校生になりそうで、急激な変化に驚いています。体力の関係から、ニムオロ塾は2年前に、月火木金の週4日間に切り換えました。来年も週4日体制は崩しません。

 机と椅子が7セット、他に1.5m×1mの座卓があるので、2階の教室スペースに席が9個あります。そのほかに1Fに3人机と椅子がありますから、こちらで自習できます。2階が一杯のときには、レギュラーの時間帯の生徒を優先し、週3回以上来ている生徒は1Fに回ってもらうことになるかもしれません。
 そういうことが必要になれば、レギュラーの「出席曜日・時間帯登録票」を配布して記入してもらい、希望曜日と時間帯(A:4時半~7時、B7時半~9時)の確認をします。
 もちろん、席が空いていれば今まで通りの運用を続けます、来たいだけ来ればいい。なるべく、ABいずれかの時間帯にしてください。空いているときはずっといても構いません。(笑)

 入塾1か月間は、勉強スタイルに慣れてもらうために、毎日来てもらうことがあります。数学なら計算問題に慣れてもらう、たとえば、分数や小数の四則演算とか、無理数の計算とか、一次関数の基本問題とか、証明問題とか、入塾の時期にも左右されます。空いている穴を埋めなければ効果がないからです。英語なら子音の発音のトレーニングと教科書音読を個別指導するためです。入塾時に必要のない生徒にはそういう措置はしません。

<余談:親への感謝の心>
 習い事をさせてもらい、塾にも来させてもらって、親に感謝して当たり前と思います。授業が終わって、迎えに来てくれていますから、ありがとうぐらい言って車に乗り込んでほしい。感謝の言葉を口に出せば、その都度自分の心が浄化されます。思春期は反抗期でもありますが、感謝の言葉を口に出すことで、気持ちもしだいに穏やかで素直になります。
 高校卒業してから、進学させてもらえるなんて、よく考えてみたらとってもありがたいことなんです。根室には大学がない、短大がない、そして専門学校すら一つもありません。だから親元から学校へ通うことができません。大きなハンディなんです。
 親だから当たり前だと思う人は、自分が親になったときの姿を想像してください
子どもを大学進学させることあるいは専門学校へ進学させることはたいへんなことなんですどのような職業に就いて、年収どれくらいで、子どもに習い事をさせて、塾へ通わせて、進学に必要なお金を捻出することを、自分自身の問題として考えてください。親に感謝せずにはいられないでしょう。有難いのです。有難いとはそう有ることが難しいから、ありがたいのです。親としての責務を果たすというのはじつに有難いことなんです。大半の親は、一生懸命に生きています。

 平成30年度、根室高校の卒業生は175人いました。そのうち大学進学者はわずか66人です。地元に大学があったら、あと30人ほどは大学進学しているでしょう。根室の最高学府は根室高校です。その根室高校はこの十数年間で著しく学力が落ちました。大学進学実績を見たらわかります。大地みらい信金への就職者数をみてもわかります。わたしたち団塊世代のころは、富士銀行や拓銀が商業科のトップクラス、道銀がその次あたり、根室信金は中の上の学力レベルの高校生の就職先でした。根室高校の中の上でもあの当時は優秀な人たちがまざってました。同期の中卒がおよそ1000人、根室高校へは350人ですから、およそ3人に1人しか進学できない高校でした。高校統廃合以後は、実質無試験、全員入学できています。競争がないというのは怖いことなのです。
 大学が地元にない根室は残念ですが全国レベルで見ると教育僻地と言えます、こどもたちはそれだけで大きなハンディを背負っています。
 さらに根室高校生の進路データを挙げます。平成30年度は道内私大が54名、道外はわずか5名でした。進学先のレベルがこの15年間で著しく落ちています。首都圏の私大への進学者が激減してます。平成28年度の進路データでは、道外私大への進学者数は12名です。15年前は30人くらいいたのではないでしょうか。
 看護学校進学が21人います。根室市の奨学金が「10万円×36か月」でているので、ニムオロ塾塾でも、看護系専門学校への進学を薦めています。市立根室病院へ3年間勤務すれば奨学金の返済が免除されます。初任給21万円で、根室で一番高額です。地元企業の高卒初任給は12-15万前後でしょう。ボーナスも違いますから、たった三年間勉強してきただけで、年収にたいへんな違いが出ます。5年もしたら、年収で200万円の差がつきます。
 短大5名、専門学校60名、就職市内36名、就職市外11名。
 就職する人こそ、文武両道を貫き、高校3年間をエンジョイしてください。人生で、勉強とスポーツだけしていていい最後の三年間になります

*根室高校進路データ
http://www.nemuro.hokkaido-c.ed.jp/?action=common_download_main&upload_id=3103

<余談-2:落下傘部隊員の戦闘能力>
 秘密部隊であった落下傘部隊員は正規兵3人を同時に相手にして互角に戦えたと書いた。
 戦後、オヤジは富良野で食糧の買い付けをしていたことがある。仕入れて転売して戦後の混乱期を食いつないでいたのだろう。10歳ほど離れた甥っ子と富良野の映画館で映画を見ていたとき、地元のヤクザ5人ほどに絡まれて、「面を貸せ」とトイレへ行ったそうだ。甥っ子が心配して少し時間をおいて様子を見に行ったら、五人とも床に伸びていた。平成5年のオヤジの葬式の時に聴いた話だ。オヤジは加藤隼戦闘隊という戦時宣伝映画での降下訓練の際に、飛び出すときに直前の隊員が降下気迫が失われ躊躇ったので、押しながら一生に飛び出したら、主導索に右腕をもっていかれて複雑骨折してブランと垂れ下がったまま、左腕で操作してパラシュートを開き、下りた。その後遺症で戦後しばらく右腕が上がらなかった。つまり左腕一本でヤクザ五人を相手にしたのである。落下傘部隊員の戦闘能力はすさまじい。以後、富良野のヤクザは通りですれ違う時には、すっと道を開けたという。そういう自慢話をしないオヤジだった。本来は暴力が嫌いだった。十代のときに一度人を殴ったことがあり、十数年後に出遭ったら、前歯が金歯になっていたと苦虫をかみつぶしたような顔をした。カッとなってやってしまったが、ずっと後味の悪い思いをしたようだ。
  ebisuが小学生のころ、自衛隊の空挺部隊教官として来てほしいと誘いがあったらしい。落下傘部隊の生き残りはわずかだから、空挺部隊を訓練する教官が不足していた。オヤジはノーだった。結婚もしない、子どもも残さずに戦友たちは死んでいった。教官になって若い隊員たちを訓練すれば、今度は自分が教えた若者たちが二度と戻らぬことになるかもしれない、やれっこなかったのである。恩師である哲学者の市倉先生もゼロ戦パイロットで特攻隊員だったから同じ思いをしている。オヤジと同じ年の生まれだった。
*市倉宏祐『特攻の記録 縁路面に座って』
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306180343-1


 富良野で調達した農産物の一部は根室でも売りさばいたようだ。当時緑町にあった銭湯松乃湯で地元のヤクザの若頭のTさんと目が合い、表へ出ろと外へでた。話はそこまでて、結末を言うことはなかった。訊いても無駄だった。Tさんとオヤジはその後仲がよかったのである。その話をオヤジの甥っ子に話した時に、ニヤッと笑って、富良野のヤクザとの一件がでた。甥っ子は旭川で畳屋をやっていた。腕がよくて大臣賞を授与すると言われたが、断わるような頑固者、そして陽気な人である。
 Tさんはビリヤードの常連客だった。あるとき三下が用事があって店に来た。「ここは〇〇さんの店だ、お前たちはこの店に出入りはならぬ」と厳命、幹部4人だけが常連だった。オヤジとどういう関係だろうと不思議だった。幹部のみなさん言葉遣いは丁寧で、礼儀正しかった。親分のTさんは、わたしに一度もビリヤードしようと言ったことがない。それも不思議だった。歯科医のT塚先生が小学生低学年のころ、面白がってよく相手してくれたのを覚えている。娘さんが同級生だった。ビリヤードが大好きで毎日数時間、店のお手伝いをしていたから、常連客でわたしとゲームしたことのない人はいないだろう。Tさんだけが例外だった。気を使ってくれていたのだ。いろんな職業の大人たちに守られていたようだ。
 高校時代に根室では大きめのスナックで飲んでいた時に、ネチネチ絡まれたことがあったが、幹部で一番若い人がたまたま店に入ってきて、「息子、どうした?」と声をかけてくれて、事情を話すと、「わかった」とカウンターの端の方で絡んでいた客のところへ行って、一言二言話したら、黙ってしまった。ひょっとしたら、お店の人がKさんへ電話して呼んでくれたのかもしれない。店へ入るなり若頭のKさんが、カウンターのわたしのところへまっすぐに来たのはタイミングが良すぎた。ビリヤード店の店番を小学校のときからずっと手伝っていたから、小遣いがあった。高校時代の1年間ほどは、高橋珠算塾の高橋尚美先生に頼まれて汐見町の珠算塾で教えていたから、両方から同じくらい小遣いが入る。あわせると当時の高卒の給料ほども毎月お金があった。友人たちにおごっても、使いきれないのである。(笑)
 だが、それいらい、「夜の町の探索」はやめた。もめごと起こして喧嘩でケガさせたら、学校は退学になる。小学生のころから、廃材や焚き付け用のざっぱを拳や手刀で割っていたから空手の有段者並みの破壊力があった。大きな鉞を振りかぶって地面につけて、そこからゆっくり円を描いて持ち上げながら真上にきたところで一気に力を入れて手を絞り、狙ったところを渾身の力を込めて叩く、五寸角の角材を十数回も叩いて叩いて、叩き割っていたから、足腰が異常に強かった。腰のひねりだけで、手刀や拳の威力は倍加した。高校卒業した年に、同級生三人(ヒロシとムサシ)で新宿でパンチボールを叩いたら、180㎏超えだった。同じウエイトのプロボクサー並みの破壊力があった。素手で顔面を叩いたら、殺してしまう。だから、人を叩いたことが一度もない。自分の命や友人の命に危険が及ばぬ限りは、人を殴らないと決めていた。叩き折る焚き付け用のざっぱの中には生木も混じっており、半端な速度で叩いても撓(しな)ってはじき返される。生木を叩き折るには速度と力の入れ方にコツがあった。すっかり慣れてしまっていたので、加減できない、危険すぎた。高校時代に2度切れそうになったが、堪えた。一度は1年生の時、数学の先生を殴りそうになったことがある。将棋の自慢話ばかりして、授業は手抜き、それにカチンときていたところに、6月ぐらいにテストで大きな採点ミスがあり、くだらぬ言い訳をごたごた言うので、教壇の前で「なに!」と声を荒げたら、O先生慌てて眼鏡をはずした。クラスがシーンとなったので、冷めた。こんなくだらない先生を殴って退学では泣くに泣けない、一気に熱が冷めくるりと踵を返して席へ戻った。わたしはおとなしい生徒だった。あとで、A部が「殴ると思った」と心配してくれていた。仲のいい俺が退学になったらさみしいからな、あいつは一昨年だったか癌で亡くなった。羅臼の大きな漁師の長男坊だった。二度目は2年生のときのある出来事だった。あの時切れていたら、いまの人生はない。殴れば3人のうち一人は殺しただろう。他人よりいくぶん腕が長く腰が切れて、身体が柔らかいので、拳がまともに当たれば頭蓋骨を粉砕するくらいの破壊力はあった。同期はだれもそんなことを知らない。
  根室高校の体育のI島先生は柔道部顧問で空手もやっていた。あるとき柔道場で体育の授業をしたときのこと、I島先生が「ebisuちょっと来い」というので、行くと、バーベルにいくつも鉄の輪をつけ始めた。全部で85㎏あった。二人に補助させて、わたしの首のところまで上げて、背中に背負わせ、そのままスクワットしてみろという。ずっしり重かった。15回やると、「よし!」と降ろさせた。あの時の体重は64㎏だった。危険だから他にはだれにもそんなことさせなかった。I島先生は85㎏で何回スクワットやれるか試してみたかったのだろう。70㎏まではジャークで持ち上げていた。柔道部に3か月ほどいたのだが、ある事情があり、退部した。I島先生はお袋のところへ来て、説得したようだが、「息子の決めたこと」と取り合わなかった。当時の柔道部には背の高い部員がいなかった。身体が柔軟で、腕力があったから、期待してくれたのだろう。ひょっとしたら、拳を見て空手2段のI島先生は気がついていたのかもしれない。8年間も焚き付けを手刀や拳で叩き折り続けたのだから、空手部員のようなケンダコはなかったが、人差し指と中指の付け根の部分がそれなりに硬くなっており、見る人が見たら、気がついただろう。
 勉強もよくしたけど、なにかと問題ごとの多かった高校時代だった。もう一度高校時代をやり直したら、どこかでプッツンして、別の人生になってしまうだろう。あんなにうまくはやれそうもない。
 親分のTさん、お袋を「姉さん」と呼んでいたが、「息子に何かあったら、言ってくれ」と当時言っていたらしい。若頭のKさんから報告があったのだろう。お袋が亡くなる3年くらい前に話してくれた。「Tがそういってたよ」と笑ってた。その道のプロだから、Tさんはわたしの本性を見抜いていたのだ。穏やかな表情の裏に隠した激しい気性が見えていたのだろう。一人一人の顔が思う浮かぶ、みんななつかしい。



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#4074 Sapiens:p.6 Sep. 1, 2019 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

<最終更新日時>
9/4朝8:45

 9/2、お昼過ぎに庭の松の木のてっぺん付近でセミが鳴いていた。庭でセミの声を聞くのははじめてだ。小学生のころは根室にはセミがいなかった。60年が過ぎて、いつのまにか気候が温暖になっているのだろう。

  Sapiensは進研模試英語偏差値70オーバーの生徒向けの授業である。原書が読めるレベルまで英文読解力を鍛錬することを目的としている。対象は一人だけ、だから生徒が興味をもてそうな分野の本を選んでいる。この本は生物学や宗教や技術の進化に言及するから、それらの専門用語に慣れるまでしばらくかかる。使われている語彙の範囲は万のレベルだろう。2000語程度で書かれている高校英語教科書とはだいぶ差がある。差が大きいのは使用語彙だけではないことが、このシリーズの記事をお読みいただけばわかるだろう。

 さて、生徒から質問のあった個所は6頁の1行目だ。

 Moreover, as we shall see in the last chapter of the book, in the not-so-distant future we might again have to contend with non-sapiens humans.

 in the last chapter of the bookとmight、これらふたつをどう訳していいのかわからないということだった。前者は「本の最後の章」ってなんのことか、具体的な意味(=話の筋)が分からない、どういうことですかというのが質問の主旨。
 書き手が言葉を紡ぎながら脳内につくりあげたイメージを読み手が自分の脳に再現し、それを母語である日本語の語彙を駆使して、滑らかな作文をするのが和訳と常日頃言っているので、この生徒は「本の最終章」という日本語にはしたものの、著者の脳内の具体的なイメージを受け取りそこなっていることを自覚していたということ。かれにとっては、「本の最終章」は具体的な内容をもたぬ意味不明な日本語であった。だから、わたしの役割は、ひとつはなぜそういう質問が生じたのかの背景を探ることと、文法的な解説を交えながら「本の最終章」という言葉に具体的な内容を与えることだった。

  Moreoverという接続詞のあとに、asという接続詞が節を引き連れて登場してくる、そしてその直後に強調のために語順が変わり in the not-so-distant future という場所を示す副詞句が文頭に来て、主語という順になっているので、まごついたのだろう。might have to contend with という助動詞を伴う動詞句も長ったらしい。こういう風にイレギュラーな事項が三つもあるから、簡単な前置詞句、in the last chapter にまごついたのだろう。この程度の文はすぐに慣れる。
(前置詞句と言ったり副詞句と言ったりするが、文の機能に注目しているときは副詞句と書き、単語の並びに注目しているときは前置詞+名詞なので前置詞句と書くので、以後、そのように理解していただきたい。副詞句と書いた方が概念が広くなる。前置詞句ではなく、実際に副詞がくる場合があるからだ)

 in the last chapterは定冠詞がついているから、すぐにそれと特定できるものだ。書き手のハラリと読み手のわたしたちの間で、すぐにそれとわかる最終章と言えば、いま読んでいるハラリの本の最終章以外にない。それが定冠詞の役割なのである。そしてそのあとの前置詞句of the bookにも定冠詞がある。だから、「この本の最終章のことだから、目次を見てごらん」と指示した。
 目次の最終章のタイトルは、「20 The end of Homo Sapiens」(ホモサピエンスの終焉)である。ページをめくってみたら、最終章である第20章には以下の6つのサブ・タイトルがある。「そう遠くない将来in the not-so-distant future」とハラリが予告した内容が6項目並んでいる。いま地球上を支配しているサピエンスに非ざる生き物が出現して、わたしたちが競争に敗れ、支配的地位から転落する運命が訪れるかもしれないと具体例を挙げて最終章で論じているのである。

20 The end of Homo Sapiens
 ● Of Mice and Men
 ● The return of the Neanderthals
 ● Bionic Life
 ● Another Life
 ● The Singularity
 ● The Frankenstein Prophecy

  サピエンス自身にどのような「進化」が訪れるのか、あるいはまったく別の生き物が出現しサピエンスを亡ぼす可能性があるのか、写真も載っているから、ページをめくってざっとみたらいい。人間の耳を背中に生やしたマウス、ネアンデルタール人のDNAをサピエンスの卵に移植して、ネアンデルタール人を産み出すことも可能になる。コンピュータの指数関数的な進化は、近い将来人工知能が一つの生命体として君臨しかねない可能性を大きくしている。人工知能とネットワークと機械が一体化したまったく別種の生物(自ら考え、自己を設計改良し、自分自身を再生産する機械)が出現するかもしれないのである。
 好奇心の強いこの生徒は「シンギュラリティ」という用語を知っていた。「な~んだ、そういうことか」と納得、自分が視野狭窄に陥っていたことに気がついた様子。
 文構造が複雑になると、わけが分からなくなり、そこで脳のワーキングエリアを使い果たし、簡単な句の理解にまで脳の資源をまわす余裕がなくなるのである。数学でもこういうことはよく起きる。計算トレーニングを十分に積んでこなかった者は、複合問題で計算にワーキングエリアを使ってしまい、ミスが出やすくなる。十分に計算トレーニングを積んできた者は、計算ではほとんどワーキングエリアを使わなくて済む。
 普通の文でこの場所を示す前置詞句が出てきたら、理解できないわけがない。第3文型に場所を示す前置詞句がついただけの簡単な構造なのだから。生徒とともに歩く、こういう「道草」が愉しい。

 面白そうだから、ハラリはここでなぜwillを使わずにshallを使ったのかと訊いてみた。「willを使うとどのようにニュアンスが変わるのか、対比しながら答えを探してみろ」、ebisu先生から生徒への質問と指示。生徒は電子辞書でshallを引きはじめる。
 こういう細かいところが大事なのだ。ハラリはwillではなくて、shallをここで使った。同じ意志未来でもwillとshallはニュアンスが違う。willは「~するつもり」だが、shallはもう決まっていてそこに向かって否応なく進行していく感じがする。
(この生徒は翌週、推定の助動詞と推量の助動詞の違いを質問した。古典は英語に比べて助動詞が多くて活用があるから、攻略に苦労する。それだけ微妙なニュアンスが表現可能ということで、日本語が心の機微を実に事細かに表現できる機能をもっていることに驚かされるのである。「旺文社古語辞典別冊 助動詞・助詞の早わかり表と百人一首の手引き」によれば、32個の助動詞があり、それぞれ活用をもっているので、英語の比ではない。日本語の場合は動詞のあとに助動詞がつき、それも二個連続でつく場合もあるから、複雑この上なし。
 端(はな)からたいへんだとおもっているし、事実その通りだから、余計にこんがらがって見えてくる。質問した生徒は「推定」と「推量」の語彙のニュアンスがわからないらしい。推定は何か客観的な根拠があってのことだが、推量は主観的判断であるから多少不確かさをその語のニュアンスに含んでいる。willとshallの使い分けのように、推定と推量の助動詞の使い分け、機能や意味の違いが判らなければ、書かれた文章の意味を精確に理解することはかなわない。この生徒は1月ごろに初めて受験した漢検が2級、そして見事に合格しているが、本の濫読期がなかったので、運用の場面でのこういう意味の近い語彙のニュアンスに対する感度が鈍いのはしかたがない。説明が終わった後で分厚い辞書、大辞林で語義を確認し、当該項目を読んで聞かせた。疑問に思ったら、かれがもっている電子辞書で引けばわかること。広辞苑のひとつ前の版が入っているはず。目の前にいたから、ebisu先生を辞書代わりに使ったのだろう、いいように使われてます(笑):9/4日追記)
 彼の電子辞書にはジーニアス4版が載っているので、それを引いていた。わたしが使っているのも同じもの、もちろん頑固に紙の辞書だが。そろそろ電子辞書がほしい。(笑)

shall:意志未来〈軽い予告・予定から厳かな予言まで〉

 ハラリは著作全体のプロット(大まかな筋立て、構想、章割り)を決めてから書き始めたようだ。具体的な章割りまですんでいたのかもしれない。書き方には大きく分けて2種類ある。たとえば、小説家にはプロットを細かく決めてから書き始めるタイプと、とにかく書き始めて、主人公が自由に動き回るうちにテーマと展開すべき章が決まっていくというスタイルをとる書き手がいる。最近読んだ岩井圭也『夏の陰』は前者であり、35年前に読んだ夢枕獏は典型的な後者、発散型である。どこへ飛んでいくのか、主人公が何を始めるのか、書いている本人がわからない。のめりこむうちに物語の主人公に書かされているのである。
 ハラリは第1章を書いている時点で、すでに最終章の内容が決まっていたということ。プロットを周到に検討して書き綴るタイプ、緻密な書き手だ。

 こういう時は、文法書の当該箇所、shallの項を読んでおいた方がいい。たとえば、江川泰一郎『英文法』のshallの項(219頁)だ。もちろん、手持ちの文法書でいい。

 では、asは?
 asが従属節を導く接続詞であることは形を見たらすぐにわかる。品詞を決めてから辞書を引くのが原則だと前にも書いた。asの項目を引くと、接続詞だけでも意味がたくさんある。

as:同じほど、ように、すると同時、するにつれて、なので、けれども、

 辞書に並んだ和訳を暗記する必要はないのだよ。ようするに、主節と従属節をつなぐのだから、その両方を訳してみたらいい。それから、どういう接続詞がふさわしいのか、日本語で考えたらいいのである。whileも文脈から判断するしかない扱いが厄介な接続詞だ。~する間にのほかに、逆接の接続詞だったり、添加だったり、譲歩だったり、対照だったりするから、文脈で判断するしかないケースが多い。

 mightはよく出てくる助動詞である。助動詞はすべて話者(この場合は書き手であるハラリ)の心的態度を表すものだ。mayの過去だから、mayよりも現実から離れている(だから過去形を用いる)感じがする。調子が弱くなるのである。canとcould、willとwouldも同じことが言える。

(そのうえ、本書の最終章で見るように、そう遠くない将来、わたしたちは再び、サピエンスでない種の生き物(現生人類)と競い合う羽目になるかもしれない。)柴田裕之訳

 アンダーライン下部分を空欄にして、適当なつなぎ言葉はなにかと生徒に訊いたら、正解した。辞書引かなくても、接続詞の意味は文脈が読めたら、わかるものだ。
  スラッシュを入れて、頭から読む方法を書いておく。
 Moreover, as /we shall see /in the last chapter of the book/, in the not-so-distant future/ we might again have to contend /with non-sapiens humans.
(その上さらに/わたしたちは見ることになる/本の最後の章で/そう遠くない将来に/わたしたちは再び競い合うことになるかも/サピエンスではない者たちと)
 接続詞asは、ここまでやってから適切な日本語の接続詞がなんなのか、文脈から判断するとよい。
 スラッシュで切り刻んでしまうから、一つ一つの句と文の理解が簡単になる。慣れると頭の中でスラッシュを挿入しながら、チャンク(意味の塊)単位で読むようになり突然読解速度が大きくなる。この生徒の場合はどのあたりからそうなるのか、注目している。繰り返しているうちに、それはある日突然に臨界点に達して、変化が起きるのだろう。

  だいじなことは、母語でちゃんと文脈が読めることだ。日本語の本をたくさん読まずに、書かれた英語が読めるようにはなかなかならぬ。母語のテクストの文脈が読めないのに、英語で書かれた文脈が読めるはずがないではないか。この生徒は日本語テクストの音読授業で15冊ほど読んだから、論説文の読解力はできのよい大学生並みである。最後に読んだのは福沢諭吉著『福翁自伝』と山本義隆著『近代日本150年史ー科学技術技術力総力戦体制の破綻』、この2冊は大学生でも読むのに苦労するだろう。

 わたしは、大学でこういう原書講読授業を受けてみたかった。ほしかったものを手に入れる時期は過ぎ、欲しかったものを与える季節のなかで暮らしている。
 それはそういう授業の提供を願う生徒がいるから可能なのだ、ニムオロ塾で勉強しようと集まってくれている生徒たちと通わせてくれている保護者のみなさんに感謝。
 ニムオロ塾の提供する授業がどういう形になるのかは出遭った生徒一人一人で違ってくる。授業の中身を決めているのはどうやらわたしではなくて、それを受ける生徒の学力レベルということになっている。だから、英語が苦手な高校2年生5人に対しては、高3教科書を使った10回の短期特訓授業がうまれた。英語が苦手のはずの2年生たちが、すべての文を音読10-30回やってリズムを体にしみこませ、すべての文の文型分解に付き合い、和訳(自分たちの日常会話レベルの訳文)にチャレンジしている。
 2時間半の授業なのにちっとも嫌がっていないのが不思議だ。勉強の仕方がわからなかっただけで、音読作業や文型分解作業、和訳作業に参加しているうちに、それぞれの作業が案外楽しく、時間の過ぎるのが早い、食わず嫌いだったことに気がついたのだ。「独力で英語の勉強ができるようになる」というのが、この短期特訓授業の獲得目標である。
*https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306052528-1



<濫読のススメ>
 小学校高学年で、濫読期を通過すべきだ。ジャンルを問わず、興味の赴くまま、片っ端から読む時期を経験した子どもは高校生になってからも学力が大幅にアップする。日本語読解力はすべての科目を制覇するための基礎技術である。読解力が急激に伸びる時期に濫読が起きれば、いわゆる「伸びしろの大きい子」に育ってしまうから、国語も英語も学力アップに制限がなくなる。数学も社会も理科も教科書は日本語で書かれているから、予習するためには、十分な読解力が必要だ。
 そして本を読むことで、様々な見方、考え方、性格(人間類型)のあることを知るから、親元を離れて大学生になっても、インチキ・グルに影響されてカルトに染まるというリスクも大幅に減ずることができる。

〈 音読リスト〉…
*#3726 
日本語音読トレーニングのススメ:低下する学力に抗して Apr. 18,2018
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-04-18-1

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< 国語力アップのための音読トレーニング >
 中2のトップクラスのある生徒の国語力を上げるために、いままで音読指導をしてきた。読んだ本のリストを書き出してみると、
○『声に出して読みたい日本語』
○『声に出して読みたい日本語②』
○『声に出して読みたい日本語③』
○『坊ちゃん』夏目漱石

○『羅生門』芥川龍之介
○『走れメロス』太宰治
○『銀河鉄道の夜』宮沢賢治
 『五重塔』幸田露伴
 『山月記』中島敦
●『読書力』斉藤隆
●『国家の品格』藤原正彦
●『すらすら読める風姿花伝・原文対訳』世阿弥著・林望現代語訳
●『日本人は何を考えてきたのか』斉藤隆

『語彙力こそが教養である』斉藤隆
●『日本人の誇り』藤原正彦

◎ 『福翁自伝』福沢諭吉

 14年間で14冊読んでいる、現在進行形が2冊で合計16冊。
 これから読むものをどうしようかいま考えている。だんだんレベルが上がってきた。哲学に踏み込むかどうかは生徒の意欲次第。

◎『善の研究』西田幾多郎
◎『古寺巡礼』和辻哲郎
『風土』和辻哲郎
 『司馬遼太郎対話選集2 日本語の本質』文春文庫
 『伊勢物語』

(○印は、ふつうの学力の小学生と中学生の一部の音読トレーニング教材として使用していた。●印の本はふつうの学力の中学生の音読トレーニング教材として授業で使用した実績がある。◎は大学生レベルのテクストである。音読トレーニング授業はボランティアで実施、ずっと強制だったが2年前から希望者のみに限定している。)
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夏の陰

夏の陰

  • 作者: 岩井 圭也
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/04/26
  • メディア: 単行本
キマイラ 1 幻獣少年・朧変 (ソノラマノベルス)

キマイラ 1 幻獣少年・朧変 (ソノラマノベルス)

  • 作者: 夢枕 獏
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/06/06
  • メディア: 新書

 この英文法書は43年前に、黒田さん(当時早稲田大学大学院英文学研究科)へ「文法書は何使っているの?」と訊いたときに、「これ一冊だけ」とかれが推薦してくれたものだ。まさか受験英文法書を挙げるとは思いもよらなかった。以来、本棚の隅に飾ってある。(笑) 院生になって半年ぐらいしたら、空手部に入部していた。
英文法解説

英文法解説

  • 作者: 江川 泰一郎
  • 出版社/メーカー: 金子書房
  • 発売日: 1991/06/01
  • メディア: 単行本


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#4073 いまを生きる:加齢と圧迫骨折に注意:上村著『頚損挽歌』 Sep. 1, 2019 [85.サイクリング]

<最終更新日時>
9/2午後2時半

 午後2時、気温21.5度、北北東の風3.3m、湿度83%、サイクリング日和だ。
 オホーツク海コースを走ってきた。原野では草叢の虫たちがようやく鳴き始めている。海上は水分が多く、国後島はまったく見えない。
 原野中央部からオホーツク海沿いの道路への接続部はほとんどUターンにちかいきついカーブになっている。その200m手前までは下り坂で、速度が大きくなる。今日は向かい風ではなかったので時速50㎞を超えていた。下り切ったらペダルをこぐのはやめて減速しながらU字カーブへ突っ込んでいく。見晴らしがいいので左右から車が来ないことが確認できたら、ノーブレーキでそのまま曲がる。たぶん時速30㎞ほどで大きく回ったはずだが、ぎりぎり斜め右側に倒して体を左側にもっていってもあわや縁石に激突するところだった。ざわっとした。速度計を見てもうすこし減速すべきだった。あれ以上倒したらタイヤが滑って転倒だろう。縁石にぶつけたらリムが変形してしまうから交換必死、あぶないあぶない。もし縁石に激突なら、勢いに逆らわず、ぶつかった瞬間にすっ飛んだ方がけがの程度が少ないだろうな。受け身に自信があっても、大きめの石が転がっていたらアウトだ。畳の上でいくら練習しても、石や岩があれば命がない。市街地でT字路を右折してきた車に進路をふさがれて急ブレーキ、くるっと一回転して頭をかばいながら受け身はしたのだが、あいにくと25㎝の高さの縁石に大腿部をしたたかにうち、みるみる腫れて来たことがあった。一瞬骨折を疑ったが、大丈夫だった。直角のカーブを斜めに曲がって進路をふさがないでもらいたい。時速20㎞でもとっても危険だ。市街地を普通の速度で走行する方が、よほど危険が大きい
 Bコースは縁石がないが、道路わきの草の中には何が隠れているかわからない。でもね、たまにはロードバイクでギリギリのあたりを攻めてみる、そうでなくてはサイクリングは面白くない。冒険してみたくなるのは性癖。
 ebisuは車の運転はとってもおとなしい。車は重くて危険だから、「法定速度+10㎞」程度で走っていることが多い。釧路へ行くときは、たくさんの車に追い抜かれる。後ろから高速で車が近づいてきたら、張り合わずに左側によって、お先にどうぞ。道路が空いているし見通しがいいから、じつにゆったり走れる。

 速度計に電池交換時期を知らせるマークがつきはじめたので取り替えた。電池はCR2032である。まだ170㎞しか走っていないのにどういうわけか消耗が早い。積算㎞の入力がうまくいかないので、この次から5174㎞を足さなければならない。まあ、いっか。(笑)
 どなたか、CATEYE MICRO Wireless cyclocomputer CC-MC200W の積算距離入力のしかたを知ってたら教えてください。m(_ _)m
  9/1夜9時33分、セットできました。ネットでキャッツアイのホームページからマニュアルをダウンロードして、やったらOKでした。

 今日の走行距離18.8km 累計走行距離5174㎞
 瞬間最高速度51.3km/h、平均速度18.9㎞
 平均時速が20㎞を割っている、このコースで19㎞/hを切ったのは初めてだ。昨年も、そして先月までは、このコースは平均時速21-22㎞/hくらいで走っていた。脚力の衰えはロードバイクに乗れば、どの程度かすぐに知れる。
 昨年は8月末まで553㎞走っているが、今年は397㎞、前年比71.7%である。

 7/31に市立根室病院で大谷先生に左目の白内障の手術をしてもらったので、路面の割れ目や穴凹の確認がしやすく、そしてサイドミラーに写る車が小さくてもよく見えるので、後方確認しながら安全に走れる。これはとってもありがたい。信号が一つもなく、車の通行量も少ない、こんなにいいコースが根室にはある。道路の罅割れが昨年よりは大きくなった。路肩付近を走らずに車線の中央部を走っている。後方から車が来たら路肩へ戻る。あの罅割れを埋める安くて便利な充填剤が開発されないだろうか?

 ロードバイクは空気圧が8.5barと高いので、路面のガタツキがそのままお尻へ伝わってしまう。MTBは4.5barでタイヤ幅も倍くらいあるので、1㎝程度の幅の罅割れが蜘蛛の巣のように走っていてもちっとも気にならない。比較のために挙げると、わたしの乗っている車の空気圧は前輪が2.3barである。減っているように見えるときには自転車の空気入れで、規程圧まで調整している。ゼロから入れるのは無理だが、足しますくらいなら、自転車の空気入れで十分だ。


①写真
 原生花園方向の風車は2基だったが、いつのまにか3基に増えている。左側の背の高いものが新しい風車だ。手前側にあるのか、それとも本当に大きいのか、そのうちに行って確認したい。気になる。(笑)
SSCN3103.JPG

②牧の内ダムの水面
 根室の上水道の水源である。写した場所から200mほど離れている。
SSCN3105.JPG

③望遠機能を使わなければこう写る
 奥の水面が牧の内ダム
SSCN3106.JPG

④野に咲く花
 薄紫のぼんぼりのような花がたくさん咲いてます。フキは茶色く変色して枯れはじめました。草花の季節が動いています。暖かくなって草叢ではようやく虫が鳴いている。今年は虫が鳴かないのかと心配してました。
SSCN3107.JPG


⑤ロードバイクに乗ったおっさんと『頚損挽歌』の著者

SSCN3104.JPG

  暖かかったので半袖Tシャッツ。前腕部から肘までは転倒時の黒の保護サポータ。手首には赤い毛糸のサポータ。転倒時のケガのリスクを小さくするために生地の厚いサイクルパンツを着用している。
 身長は2.6㎝縮まって171.9㎝、体重61㎏。東京時代からは8kg、高校のときより3㎏痩せてます。軽い運動して、筋肉量を維持するには、愉しくなくっちゃいけません。風を切って走ると、耳にゴォーという音が響くんです。今年の走行距離はは昨年の7割程度です。体力見合いで愉しめたら、それで十分、ほどほどがいい。無理をしたら、身体のどこかに故障が起きそう。
  「もういい加減な歳なんだから、昔のように逆療法なんて絶対やるなよ」と言っていたのに、妹は、背中が痛いからと痛みを我慢してスクワットをすれば治ると信じて繰り返し、次第に痛みが増して立てなくなった。整形医の診断では腰椎2か所の圧迫骨折。たぶん、脊椎のほかの部分も圧迫骨折に近いものがいくつかあるはず。腰椎2か所だけで、あんなに身長が縮まるわけがないのですから。いくつになってもめんこい妹は数か月間車椅子のお世話になった。いまは家の中と近所のコンビニまでは何とか歩けます。163㎝あった身長が155㎝程度に縮まって一気に老けました。運動能力が高かったので、高校1年生の時に女子のマラソンで、折り返し地点までの5000m15分台の記録をもっています。トラックではなく、登り坂下り坂ありの10㎞コースですから、当時は驚異的な記録でした。新しい靴を履いて前日にコース確認のために走って、踵の皮が擦り剝けた状態、翌日同じコースを走って出した記録でした。記録は根室新聞に載ってました。現在のトラック競技、女子5000mの日本記録は福士加代子15'05"07
 体力には自信がある、だから、どこかが痛いと、逆療法だと無茶するんです、性格ですね。そろそろ危ないと、心配していました。忍者まがいの訓練に明け暮れた落下傘部隊員のオヤジがそうでした。
 60歳を過ぎて身長が3㎝以上低くなっていたら、脊椎(頸椎、胸椎、腰椎)いずれかの圧迫骨折を疑ってレントゲン検査を薦めます。水産加工場で長年働いた60歳すぎのおばちゃんたちは、家の柱で身長を測って、チェックしてみたらいい。身長が若いころに比べて3㎝以上低くなっていたら、脊椎の圧迫骨折予備軍ですから、重い者をもつのは厳禁です。いったん壊れてしまうと元には戻らないから、他人ごとではありません。

<上村数洋『頚損挽歌』を読む>
 数日前から、上村数洋さんの『頚損挽歌』を読み始めています。1981年に自動車事故で頸椎を損傷されて、以来四肢麻痺、口でタイピングして執筆活動やNPO法人を運営されています。年齢が近いなとずっと思っていました、本に載っている写真をみたので、距離が以前よりも近くなった気がします。ebisuよりも2歳年長です。弊ブログ投稿欄へなんどかコメントいただいてます。miopapaさんのハンドルネームで、もう5年以上のお付き合いになります。胃と胆嚢と大腸の一部切除ですから、わたしは四肢が動きます。どんな人も、病を抱え体のどこかを失えば、それぞれ不自由さはありますが、覚悟を決めたら残った機能で人生を豊かにすることはできます。amazonでは出てきませんが、書店で注文すれば1週間くらいで手に入ります。
 発行所:株式会社シービーアール ISBN 978-4-908083-22-8 C3047
*miopapaブログ
https://kids-dream.blog.so-net.ne.jp/



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