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#4063 津波ではない、地震で炉心制御不能になった Aug. 14, 2019 [13. 東日本大震災&福島原発事故]

 福島第一原子力発電所事故は津波で起きたのではなく、地震で起きたことを、元東京電力の炉心専門家が実名告発をした。文芸春秋9月号にその記事が載る。炉心の流量に関する膨大なデータを精査した結果の結論である。

 原子炉格納容器の下には、さまざまな計器類やパイプがぶら下がっている。その様はまるでタコの足のようだ。あれが地震で揺られて破損すれば、炉心は制御不能になる。
*原子炉の底の写真
https://www.bing.com/images/search?q=%e5%8e%9f%e5%ad%90%e7%82%89%e6%a0%bc%e7%b4%8d%e5%ae%b9%e5%99%a8%e4%b8%8b%e9%83%a8%e3%81%ae%e5%86%99%e7%9c%9f&id=4531DF81E6927620784F62074B33ABA57EA47581&FORM=IQFRBA

https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&id=4531DF81E6927620784F62074B33ABA57EA47581&thid=OIP.X6FYCBv4lIyYHt6r-bhjFQHaE8&mediaurl=http%3A%2F%2Fgendai.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fc%2F0%2F640m%2Fimg_c0dc8df6f6b42b8b15bce3ee1358872f274320.jpg&exph=400&expw=600&q=%e5%8e%9f%e5%ad%90%e7%82%89%e6%a0%bc%e7%b4%8d%e5%ae%b9%e5%99%a8%e4%b8%8b%e9%83%a8%e3%81%ae%e5%86%99%e7%9c%9f&selectedindex=0&ajaxhist=0&vt=0&eim=1,6

 この写真は原子炉圧力容器の底部のようだ。沸騰水型原子炉(BWR)では底の方から燃料棒を入れるようになっている。したがって、原子炉圧力容器の底の部分が構造上弱いということ。簡単にメルトスルーしてしまう。
 制御用の機器がたくさんぶら下がっていたのは格納容器の底部だろうか?わたしにはわからない。以前、タコの脚のようにたくさんパイプや計器類がぶら下がった写真をみたが、この原子炉圧力容器の底部の写真とは違っていた。見つけました。

*原子炉格納容器の底部 2012年8月20日
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201202080615.html
TKY201202080625.jpg
東京電力福島第二原発4号機原子炉格納容器内の底部を視察する福島県などの調査団。頭上には原子炉圧力容器の底に通じる制御棒の装置や中性子の計測機器が見える。福島第一原発では溶けた燃料がここから落ちたとみられている=8日午後、福島県富岡町、代表撮影
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 原子炉格納容器の下にたくさんぶら下がっている制御用のパイプや計器類が震度6の地震で破損して原発が生後不能になり爆発したのなら、堤防を高くしても、電源を二重三重にしても対策にはならないことになる。
 堤防を高くし、電源を二重三重にして、安全性を高めたということで各地の再稼働が次々になされつつある。原因が津波ではなく、地震によるものだとしたら、これらの対策は意味がないことになる。直下型、あるいは各地に点在している原子力発電所の近くを震源とする地震が起きて、震度6以上なら、福島第一原発事故が再来するということだろう。

 東京電力は炉心流量(炉心内の水の流れ)に関するデータを隠していた。調査委員会が3つ立ち上げられ、それぞれ調査報告書がだされたが、炉心流量に関するデータを見ていない。隠されていたから当然だ。調査委員会には調査能力がなかったということ。
 したがって、3つの調査委員会はそろって見当はずれの結論を出したことになる。ことは重大だ。
 真相が明らかになるまで8年間もかかってしまった。もう一度、事故調査委員会を立ち上げて、真相究明と対策の見直しをしてもらいたい。真相を解明し、原発事故のメカニズムが分かれば、適切な措置をしてリスクを大幅に減らせるはず。嘘や隠ぺいや忖度はもうたくさんである。

 文芸春秋九月号が間もなく出る、読んでみたい。

https://bunshun.jp/articles/-/13348?page=2

*
https://ja.wikipedia.org/wiki/東京電力福島原子力発電所事故調査委員会


<原子炉格納容器の黄色い蓋>
 1号炉と3号炉の爆発のシーンがユーチューブに載ってます、ぜひ見てください。1号炉は白い煙が横に広がっていきます。水素爆発だから、爆発によって水素と酸素が結合して水蒸気が横に広がった。3号機は紅い閃光が走って、その直後に黒いキノコ雲が垂直に立ち上ってますよ。これ核爆発でしょ。1号炉と3号炉、爆発の様相がまったく違ってます。1号建屋の爆発では白い煙が横に広がるだけで、大きな瓦礫は落ちてきてません。上に噴き上げてないからでしょ、3号炉の爆発ではキノコ雲が800mくらいまで立ち上って、大きな構造物がばらばら落ちてくるのがはっきり見えます。原子炉圧力容器が上に向けて爆発したらどうなりますか?原子炉格納容器の頑丈な蓋、黄色い構造物が爆発で吹き飛ぶはずです。原子炉圧力容器と原子炉格納容器が大砲の筒の役割を果たして、上部の黄色い蓋を真上に吹き飛ばす、そしてそれらの原子炉の上部構造物が大きな瓦礫となって降ってくる。そうなってませんか?ご自分の目で見てください。
 3号炉の爆発だけでもチェルノブイリを上回る爆発で、それ以上の放射生物質が放出されたってことじゃないですか?小児甲状腺癌がチェルノブイリ以上に出ているのはあたりまえです。放出放射能の推計が、前提条件から間違っているのですから。3号炉は水素爆発だったという前提条件で、放出された放射能量を計算している。とんでもない話です。
*1号建屋と3号炉の爆発の瞬間の映像
https://www.youtube.com/watch?v=VLJspb_mo-s


 原子炉格納容器は黄色い大きなコンクリート製の蓋で覆われています。次のサイトの写真を見てください。4号建屋の右側に黄色い構造物がはっきり写っています。3号建屋はもっと下まで木っ端みじんに吹き飛んでいますが、原子炉格納容器の黄色い蓋が事故後の写真では確認できませんでした。赤い閃光を出して、黒い雲が真上に上がったあの3号建屋の爆発のビデオシーンではガラガラと何か大きな構造物が落ちてくるのが写ってました。瓦礫となった黄色い蓋だったのでしょう。MOX燃料の3号原子炉圧力容器が爆発して上部が吹っ飛んでいたら、チェルノブイリを上回る放射生物質が飛散していることになるでしょう。#1460に3号建屋の写真が載っているので、下記の青字のサイトにある4号建屋の黄色い構造物の写っている写真とご自分の目で見比べてください。どんなに隠蔽しても、事実は少しずつ姿を現します。東京電力はいまだに隠蔽し続けています。

*https://matome.naver.jp/odai/2145104336855583901

*#1460 「原子炉圧力容器損傷か?:写真で検証
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-03-1

 #1462 「裸の王様:原子炉圧力容器は破損している 論より証拠、よく写真を見てごらん
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-05

 #1463 「福島第1原発3号炉はもう無い:東京電力社員退去要請の意味」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-06

*read:https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%a0%e7%b7%9a%e9%87%8f%e8%a8%88%e3%81%8c%e9%b3%b4%e3%82%8a%e3%81%be%e3%81%8f%e3%82%8a%e3%80%81%e5%be%a9%e8%88%88%e9%80%b2%e3%81%be%e3%81%ac%e5%b8%b0%e5%ae%85%e5%9b%b0%e9%9b%a3%e5%9c%b0%e5%9f%9f%e3%81%ae%e4%bb%8a-%e7%9f%ad%e6%9c%9f%e9%9b%86%e4%b8%ad%e9%80%a3%e8%bc%89%e3%83%bb%e5%85%a8%e5%9b%bd%e5%8e%9f%e5%ad%90%e5%8a%9b%e3%83%bb%e6%a0%b8%e6%96%bd%e8%a8%ad%e4%b8%80%e6%8c%99%e8%a8%aa%e5%95%8f%e3%81%ae%e6%97%852/ar-AAFX4ZJ


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#4062 CAN-AM 三輪バイク Aug. 12, 2019 [85.サイクリング]

 庭を掃いていたら、東根室駅方向からロードバイクが上がってきた。短パンに茶色のリュックサック、ツーリングのようだが、キャンパーではない。テントはリュックに入るが、マットは入らないから、上に括りつける。それがなかった。朝9時過ぎだったから、ホテルか民宿に泊まったのだろう。夏休みはツーリング客が多い。


 めずらしい三輪バイクが通り過ぎたと思ったら、停止、Uターンした。バックはできないだろうから曲がり切れないと厄介なことになるが、しっかりUターンした。案外小回り利くようで、日本最東端の駅、東根室駅へ下りて行った。
 ネットで調べたら、バックできるし、オートマ限定免許で乗れる、試乗ビデオにバックするところが写ってる。
*https://www.youtube.com/watch?v=QsISATk1PbE

 名古屋ナンバーのバイクで、BRP社(カナダ)のCAN-AN(キャンナム)。乗っていた人に訊いたら200台くらいしか輸入されていないという。前輪が2輪になっているので、「自動2輪」区分ではなくて、乗用車扱いだ。だからヘルメットの着用の義務はないが、安全のためにフルフェイスのヘルメットをしていた。
 写真を撮ってもいいかと訊くと、OKしてくれた。めずらしいので、行ったところで声を掛けられることが多いという。写真を数枚撮らしてもらって、これからどちらへと訊くと、「花咲の車石」を見に行くという。円形の柱状節理は日本であそこだけ。地質学的に貴重なもの、もちろん天然記念物に指定されている。
 いってらっしゃい!

<写真①>
 四輪のオープンカーと似たような感覚で時速百キロくらいでゆったり走れる。2輪だとアクセル全開にしたくなるが、三輪バイクは制限速度で景色を見ながらゆったりツーリングするのに向いていそうだ。
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<写真②>
 車幅は普通車と変わらないように見えるね。縁石から白線まで155㎝ある。
SSCN3072.JPG

<写真③>
 姿勢が楽だ、前傾でも、背筋をピンと伸ばしてもいい。長い時間乗るには姿勢が変えられるというのはメリットだ。ロードバイクのドロップハンドルも、持つ位置を変えることで、姿勢を変えられる、そういう乗りやすさがありそうだ。停車中も足を地べたにおかなくていい。アクセルはハンドルで操作し、ブレーキは足でかける。ABSもついている。
SSCN3073.JPG

<写真④>
 ハンドルの間にスマホをセットして、ナビとして使っていた。
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<写真⑤>
 アメリカンスタイル。足置きは前後に移動できる。前傾姿勢のときは後ろへずらせばいい。簡単にセットできる。さっそうと花咲港の車石へ向かった。安全な旅を楽しんでください。
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*キャンナム・ホームページ
https://jp.brp.com/spyder/


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#4061 金刀比羅神社例大祭:本宮の夜 Aug. 10, 2019 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 8/10、夜7時から緑町1丁目交差点で行われた、太鼓の競演を見に行きました。まだ、太鼓の音がジンジンしてます。写真10枚アップします。

<写真①>
 緑町3丁目交差点(花咲街道)から見た夜店の列です。弥生町1丁目まで続いています。
 夜店の数は少しずつ減ってます。55年前は、梅ヶ枝町三丁目から一丁目まで夜店が並んでいました。花咲通りにも梅ヶ枝町から緑町まで夜店が並んでいました。当時は植木屋さんは場所をとるので、鳴海公園でした。現在の2倍くらいありました。いまはこの通り一本だけです。気温は15度くらいでも、浴衣姿の人は多い。本音はウールの着物の方がぴったりです。
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<写真②>
 緑町2丁目交差点左側の「型抜き」の夜店です。この奥がスマートボール。この区画だけは60年前とあまり変わりません。旧川原商店前ですね。お昼には歩道に商品が山積みになり、それが夕方にはほとんどなくなっていました。お客さんでごった返していました。スマートボールの夜店の向かい側が「山田豆腐店」でした。がんもどきやアブラゲを毎日揚げてました。数人人を使っていたお豆腐屋さんでした。長女だったかな中学生の時の同級生でした。
  左側、手前角から、川原商店、山一、九谷屋金物店が一区画でした。派手な色彩の九谷焼の大きな陶器が窓辺に並んでいたのを覚えています。陶器屋さんだと思っていました。ご主人物書きだったのですね。北海道新聞が根室高校シリーズを連載していますが、その記事で知りました。子ども心にも、商売に熱の入っていないお店だというのがよくわかりましたが、理由がわからなかった。60年たってようやく理由を教えてもらった気がします。(笑) 川原商店も山一も商売熱心でお客さんでごった返していましたから、じつに対照的でした。商人というものは、その心掛けが商売にそのまま出るモノなんです。わたしには懐かしい一角です。道路右側には、靴屋さん、山田豆腐店、銭湯の松乃湯、文具屋さん(五番館?)、宮本おもちゃ店が並んでいました。この辺りまでは、梅ヶ枝町3丁目、道銀向かいに生まれてから高校卒業までの18年間住んでいたわたしのテリトリーでした。常磐町のヨッコもこのあたりがシマでした。あいつは北斗小学校、わたしは花咲小学校、光洋中学校で同じクラスになりました。あれから58年間のつきあいになります。
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<写真③>
 第一祭典区の太鼓演奏が7時23分から始まりました。
 太鼓の数は8つです。肩から下げた太鼓が重そうです。
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<写真④>
 東部祭典区の太鼓演奏です。軽い音のする小さい太鼓を6個、パイプ製の台にセットして地面に直接置いてます。大太鼓が一つと、3個並べて一人で叩いてました。太い撥を両手で持って打ち下ろすので、腰の力がモノをいいます。演奏は、タンタンタンと軽快な音から始まりました。
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<写真⑤>
 第三祭典区の太鼓部隊です。太鼓は10個でした。もちろん各祭典区には太鼓のほかに、3人の笛と、シャンシャンシャンとなる、金属の灰皿のような楽器を打ち鳴らす人がいます。リズムに合わせてダイナミックに動きます。それも見どころの一つです。
 御旅所のあるところに、ヤチダ靴店「靴のトガシ」がありました。2階建てで2階も売り場になっていました。
*靴のトガシ:http://www.midoreet.com/m042.html
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<写真⑥>
 第三祭典区-2
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<写真⑦>
 第三祭典区-3
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<写真⑧>
 西部祭典区
 どの祭典区の技術レベルも高いのですが、西部祭典区には根室太鼓の佐藤さんがいます。この祭典区が一番根室太鼓のメンバーが多いのではないでしょうか。
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<写真⑨>
 1丁目交差点での太鼓共演がはねた後、緑町2丁目交差点で第一祭典区の山車と第三祭典区の山車が角を突き合わせて、太鼓をたたき合っています。第一祭典区の女の子が太い撥を笑顔で突き出している表情がいい。「よいよいよいよい!」と大きな掛け声とともに、バチを突き出し、第三祭典区の叩き手を挑発してます。第三祭典区の方は細い撥で、神田ばやしを高速連打です。年に一度だけ、太鼓の競演が終わっても余韻まだ冷めやらぬといったところです。
 2丁目角の酒店さんは60年前にもありました、老舗です。緑町1丁目の小林酒店さんも老舗でしたが、数年前に閉店しています。1丁目では伊沢書店さんも老舗の書店の一つでしたが、一番最後に閉店となりました。ご主人の顔が浮かびます。お元気にしておられるかな。本を買う人が減っていけば、町から本屋さんがなくなります。

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<写真⑩>
 同じシーンを、少し引いて写しました。2丁目交差点は熱演に声援を送る観客でいっぱいです。午後8時33分のシーンです。左端の手前側が第三祭典区の山車、奥側が第一祭典区の山車です。
 右側の角の店が、老舗の酒店さん、60年前にもありました。小酒井さんと言ったかな。斜め向かいに北洋相互銀行そして坂を下った方に札幌銀行がありました。北洋相互瓶工は60年前にもありました。若い元気な行員さんがビリヤードしていたので覚えてます。
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 どの祭典区だったな忘れましたが、肩から掛けた大きな太鼓を、片手で両面を連打する技がすごかった。ソロ演奏が長かったんです。この技は、根室太鼓の佐藤さんが3年くらい前にやって見せてくれたのが、わたしが見た初めてでした。金刀比羅神社のお祭りを横糸とすると、根室太鼓という縦糸があって、一つの織物となって技が受け継がれていってます。お祭り練習だけでは、技倆がこんなに上がらなかっただろうと思います。60年前との大きな違いは、根室太鼓という和太鼓のグループがあり、一年を通してトレーニングしているからです。その担い手の一人が、佐藤さんです。太鼓に打ち込むあまり、だんだん太鼓になってきました。仕事も一生懸命にやる人です。


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#4060 金刀比羅神社例大祭 Aug. 10, 2019 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 2時ころにお祭りを見に行った。緑町は人でごった返していた。2時の気温は14.8度だが、浴衣姿の人が多い。中高生と家族連れでがほとんど、若い人は少ない。時々小雨がぱらついていました。

 今夜6時半からの、各祭典区の太鼓の競演がすばらしいのです。観客が多いほど盛り上がります。太鼓の技量は昔に比べると、比較にならぬほどアップしてます。太鼓だけは、後継者もしっかり育っています。

<写真①>緑町はいつもどおり夜店が並んでいた。
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<写真②>お神輿が来た!
正面に白装束の人がいますが、毎度おなじみ、お神輿の先導役のK浦さんです。忙しそうなので眼で挨拶、根室高校1年生の時に同級生でした。当時、かれはアマチュア無線が趣味でした。わたしは家業のビリヤードが趣味と同時に店番お手伝い。たった一年間の同級生でしたが、35年ぶりで根室へ戻っても、「お!、ebisu」「お!上浦」といきなり高校1年生からワープしてきた感じで、違和感なし。お祭りのときに立ち話するだけ、毎年そうしてお互いの生存を確認してます。(笑)
 後ろに歩道橋が写っていますが、お神輿が通るときに歩道橋に人がいたら、下りてもらいます。お神輿には神様が乗っておられますので、お神輿よりも高いところから見物してはいけません。
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<写真③>根室駅前 お神輿ラン!
 根室駅まで走ります。惰性がつくので、とめるのたいへんなんですが、すんなりとまってました。青い装束の人たちが神輿の制御役です。1.5tのお神輿ですから、勢いがつくと危険なのです。組んでいる木をいれたら、1.8tあるのかな?重いので、綿の入った分厚い肩当をして担ぎます。52年前にわたしも肩当をして担ぎました。緑町の下り坂で、道路わきにとめてあった車を大破させ、出雲神社の大灯篭を吹っ飛ばしました。お神輿の枠木にちょっとあたりました。2mを超す石灯篭が吹っ飛びました。間に人が入ったら、即死です。神輿を担ぐ人たちは、途中でお酒を飲まなくなりましたね。昔は、結構飲む人が多かった。だから危なかった。ご利益か不思議に怪我人がでない。
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<写真④>息切れしてます(笑)
 担ぎ手は2つのグループに分かれているので、ここで交替です。
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<写真④>着飾ったお稚児さん 
 お母さんと6人の子どもたち、ではありません。(笑)
 いくつかのグループに分けて、それぞれお世話係のお姉さんがついてます。このお姉さん、子どもの扱いがとっても上手。
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<写真⑤>西部祭典区山車
 根室駅前の国道から撮影
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<写真⑥>第三祭典区山車
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<写真⑦>第三祭典区先太鼓
各祭典区には「先太鼓」グループが2組ついています。子どもと大人ですが、いまは大人がすくなくなって、中高生がほとんどです。子どもの方は小学生が主体。境目がはっきりしなくなってきました。昔は先太鼓を高校生が叩くということはありませんでした。20-30代の大人の男だけでが叩いてました。先太鼓の競演では、「喧嘩太鼓」、腕力勝負、力任せにたたいてました。(笑)
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<写真⑦>東部祭典区山車(遠景)
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<写真⑧>東部祭典区山車(ズームアップ)
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#4059 白内障手術後の夜間ドライビング Aug. 10, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

 昨日(8/9)は金刀比羅神社例大祭の宵宮だった。各祭典区の寄付集め担当者たちは、透明の雨具に身を包んでいたが、激しい雨降りの中を歩いて個別訪問だから、ずぶ濡れ、ご苦労様。昨日の最高気温は15.8度だったから、風邪をひいてなけりゃいい。東部祭典区が来なかったのは、雨がひどいので、回り切れない地域があったのだろう。
 あんなに雨が降り続いていたのに、夕方5時ころ雨が上がったが、6時半からの緑町1丁目交差点での「山車競演」は中止になった。昨年は見に行ったが、今年は昨年弊ブログにアップした写真を見て愉しんだ。(笑)
 今日が本宮である。神輿を見に行こう。

 一昨日(8/8)、用事があって夜7時半頃に車の運転をして、気がついたことがある。左側の暗闇がよく見えない感じがした。車幅の感覚も少し違う。夜間の運転は数年ぶりだから、そのせいかもしれないが、感覚が違った。
 夜9時ころ、庭で確かめてみた。歩き回って体の位置を変えて、白内障手術した左目側が暗闇が来るような位置でどうなのかやってみたのである。明かりがついていれば問題なしだが、どうやら、暗闇の場合は視認性が落ちているようで、車の運転のときに感じたことは事実と認めざるをえぬ。

 車の運転をしていて一昨日何が起きたのかというと、車幅感覚が曖昧で、街灯が切れたところの視認性が悪く、行先の家を通り過ぎてしまった。通り過ぎた瞬間、右側が見えていたのでおかしいと気がついて停車した。家の電気が消えていたので気がつかなかったのである。脳の方は目的の家が近づいているので、無意識に家をサーチしていたが、目がそれをとらえられなかったらしい。

 夜散歩してさらに確かめてみようと思うが、夜間の車の運転は避けたほうがいいのだろう。

<8/10、23時追記>
 助手席に乗って左側の暗闇が見えるかどうか試してみたら、大丈夫だった。一昨日は、雨が降っていたので、対向車が来ていて、ぎらついて見えにくかったようだ。
 雨の日の夜間ドライブは、薄い黄色のサングラスを着用したほうがよさそうだ。



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#4058 髪を洗うのは術後1週間 Aug. 7, 2019  [36-1 白内障手術とその後]

  7/31に白内障手術をし,、8/2た退院のときに、「白内障手術を受けられ退院する方へ」という紙をいただいた。

 書いてあるのは次の3項目。
①退院後の点眼薬の使い方
②受診の目安⇒点眼薬がなくなるころ
③術後の日常生活について⇒術後1週間たってから入浴・洗髪・洗面をいつも通りに

 さっそく風呂にはいり洗髪した。2度洗いして髪がすっきりした。昨日まで、ロードバイク用のサングラスをして、顔と目に水がかからぬようにしてシャワーですませていた。毎日最高気温が25度くらいだったので、暑かった。それでも夜になると8度くらい下がる。
 今日の最高気温は25.5度、最低気温は17.8度である。

 パソコンでタイピングするのがとっても楽だ。50㎝ほど離れて両目がバランスよく焦点が合うので、目の疲れ方がはっきり違う。
 地元に腕のよい眼科専門医がいて、世界一であるZEISS製手術機械が導入され、息の合ったチームの治療が受けられるのはほんとうにありがたい。
 3月下旬に東京で眼鏡屋さんに左目の視力がこんなに低下したのは目の病気の可能性があるので、眼科医の診察を勧められた。すぐに近所の眼科医で受診すると、白内障の診断があり、白内障の手術をしてから眼鏡を作るように言われた。レンズには単焦点と多焦点レンズがあり、前者は保険適用だが、後者は保険適用外という説明だった。保険適用外の多焦点レンズはピントが2か所で合うが、それほどいいものではないと羽藤先生、「わたしなら、単焦点にします」ときっぱり。多焦点レンズは病院によって価格に幅があり、50-70万円くらいだという。単焦点レンズに決めた。
 根室に戻ってから主治医の岡田先生に相談すると、市立根室病院の眼科を勧めてくれた。大谷先生に紹介状を書いてもらい診察を受けた、やはりレンズは単焦点と多焦点があり、多焦点レンズの手術が必要なら別の病院を紹介する、根室では単焦点レンズの手術のみやっていると説明があった。それで手術のスケジュールが決まった。眼科の手術は毎週水曜日、白内障の患者が多いから、3か月後に手術ということになった。2.5万人の人口で8000人が老人である。根室は高齢化が進み、老人の比率が3割を超えている。
 予定通り7/31に手術をしてもらった。手術予定の患者は6人だったが、途中で緊急オペが入り、40分ほど遅れた。予定の6人プラス1人、手術チーム待ったなしで対応だから厳しい仕事だ。
 術後1週間がたち、今日のんびりお風呂に入り、髪を洗って気分もすがすがしい。

 白内障手術体験記がどなたかの役に立てば幸いと思いながら、書き綴りました。カテゴリー「36-1 白内障手術とその後」にまとめてあるので、本欄左側のカテゴリー区分蘭の該当箇所をクリックすれば、記事が新しい順に並びます。
 白内障の手術をしようかどうか迷っている方、そして白内障でもないのに、読んでくれたあなたにも、ありがとうです。

 8月の最後の週には次の点眼薬が必要になるので、処方箋をもらいにいきます。もちろん、その際には診察も受けます。3か月間、月に一度の頻度で受診の予定になっています。術後の経過観察もちゃんとしてもらったほうがよい。
 鏡で眼球をよく見たら、レンズの羽が固定されている部分が光の屈折率に違いがあり、わかった。すごいものだ、こんなことができるんだ。


 新しいメガネは、東京のメガネ屋さんで視力の検査をして、眼科受診を勧めてくれた方にお願いするつもりです。視力検査のあとで、こういってくれました。
 「いまつくっても、つくれないことはないのですが、無駄になりますから、先に眼科の受診をお勧めします」
とても親切な方でした。

<余談:インプラント>
 7年くらい前に東京聖蹟桜ヶ丘駅前の林歯科医院でインプラントを2本入れてもらいました。歯の治療もあるので、毎年東京へ行くたびに、インプラントもチェックしてもらってます。インプラントをした後は定期点検を毎年やったほうがいいと、林先生。わたしもそのほうが安心です。胃を全摘しているので、歯のトラブルは食べる量が減るので、体力がもちません。歯の健康はとっても大事なのです。歯科医の林先生とはもう20年くらいのお付き合いになっています。最近は、孫も。



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#4057 白内障手術前の点眼薬「ガチプロ」:Aug. 6, 2019 [36-1 白内障手術とその後]

 白内障手術の4日前から「ガチプロ」というキャップが赤の点眼薬を一日五回使用する。この眼薬は目の細菌を殺菌する作用のあるもので、細菌のDNA阻害剤であるから、手術直前の点滴が終わると、看護師さんが回収した。1度に2滴の投薬もやってはいけない、量が多すぎるからだ。作用が強いだけでなく、他の点眼薬とは薬理作用が違っていてDNA合成阻害剤ということもある。細菌のDNA合成を阻害するだけならいいが、正常細胞のDNA阻害という副作用が生じるような使い方になってはいけないのだろう。

 手術後は別の3種類の点眼薬を使うことは、#4053で説明した。
*ガチプロ
https://www.qlife.jp/meds/rx14534.html

 ところで、術後の「点眼液2=リンデロン(炎症止めのステロイド剤)*投薬後瞬きしないこと」には、ネットで調べたら注意書きがあったが、なぜだろうと考えていた。
 点眼後に瞬きをすると、薬剤が眼球の裏側に流れ落ちるのがわかる、前面の方が薄くなる感じがある。手術の際に眼球の表側の端のほうへメスを入れて、手術機器を挿入・操作するので、傷は表側にある。抗菌作用のある目薬はその傷のところに作用してほしいのだから、瞬きをして「裏側にこぼして」しまっては薬剤の効果が小さくなるからだろう。リンデロンは黒の遮光袋に入っている。

 術後に1日4回、5分おきに点眼する3種類の目薬は、投薬後はどれも瞬きしないほうが目の表面にとどまって効きがよいということになる
 7/31の手術だから、ちょうど7日目だ。明日から頭髪を洗える。3種類の点眼薬は3か月継続するように、大谷先生に指示されている。21回やったので、面倒な手順に慣れた。

 投薬前の指の除菌と目の周囲の清拭そして投薬、手順の解説は#4053をご覧ください。


<感謝!... m(_ _)m>
  白内障手術をしたあと、左右の視力が同じになったので、とっても見やすいのです。以前の眼鏡をかけると、テレビに映る細かい字の輪郭がくっきり見えます。裸眼でもテレビ画面に映る字が読めるのでありがたい。パソコン操作にちょうど良いところで、焦点があってます。手術をした左眼でも、していない右目でも小さい字がくっきり見えてます。
 プラスチック・レンズは透明度が違うようで、手術をしていない右目の方が色がすこしくすんで見えてます。
 大谷先生の技術力が高いことと、四人の手術チームの呼吸がぴったりあっているから結果がいいのでしょう。手術機器も世界最高のZEISSです。
ソニーのカメラがツァイスのレンズを採用しています。



*#4053 白内障手術体験記(2):術後の点眼薬3種類3か月 Aug. 3, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-08-03

 #4052 白内障手術体験記(1) Aug. 2, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-08-02

 
*#4026 眼科受診:白内障術前検査小話 July 4, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-07-04



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#4056 サイクリング日和:気温24.3度 Aug. 5, 2019 [85.サイクリング]

 月曜日だが仕事は休み、金刀比羅神社のお祭りが終わるまでニムオロ塾は夏休みだ。
 2時の気温は24.3度、南南西の風4.3m/s、湿度84%
 1時50分に牧の内Bコース(オホーツク海周り)を走ってきた。昆布干しの香だろうか、磯の匂いが原野の中まで風の加減で漂ってくる。鳥がジーと急に大きく啼いた。虫の音はまだない。
 海は空気中の水蒸気量が増えて、国後島はまったく見えない、その向こう側に貼るはずの知床半島の山嶺も見えない。7月下旬から8月に夏に納沙布岬へきても、国後島はほとんど見える日がない。湿度が下がって空気が澄む秋が一番いい。カニ祭りもさんま祭りもある。

 8㎞地点までの平均時速は27.0㎞だった。空気圧が高かったから走りやすかった。昨日走ったときにスピードが乗らないので、空気圧を調べたら、5barだった。タイヤの規定値は7.0-10.5barである。8.5barに調整してから、走った。ペダルが軽くて、平地走行でしばらくは時速30㎞で楽に走れる。
 ロードバイク用のサングラスは顔にフィットするから目に風が当たらなくてとっても具合がいい。

 今日の走行距離18.5㎞、平均時速22.0km、累計走行距離 5131km


<写真①>
 根室高校前から8500m地点。風力発電所が小さく写っている。肉眼ではもっと明るい緑色だった。どうも青みがかって写る。
SSCN2979.JPG

<写真②>
 緑色の線は左下から斜め上に向かって伸びているが、始点が根室高校生徒玄関前。青線との接点を左折して、オホーツク海へ向かう。この左折点までは2600m。オホーツク海にでて右折するところまでが、4800m、そしてオホーツク海沿いを走って、原野中央部へ右折するところが7000m地点である。青と緑と赤の交わる地点までが10800m地点、原野中央部をまっすぐ根室高校まで走るとちょうど16000mある。赤のラインは太平洋シーサイド・コース。
SSCN2985.JPG

<写真③>
 すぐれもの。ロードバイク用サングラス
SSCN2983.JPG



<余談:北方領土返還運動>
 昨日、北方領土返還運動の集会が野外会場で行われた。メドベージェフ・ロシア首相が国後島を訪問したことへの抗議集会だったのではないかと思う。テレビニュースで見たが、道新には載っていなかった。柏原栄先生が鉢巻をして壇上から叫んでいた。先生、数年前にお見かけしたときに比べて、急に老け込まれたご様子。健康を害されているのでなければよいが…、とってもおしゃれな先生である。花咲小学校⇒光洋中学校⇒根室高校と団塊世代とともに小学校から高校まで転任して歩んでこられた。わたしは中2のときに1年間だけ日本史をならったことがある。授業はとっても上手だった。中高6年間で社会科の先生ではナンバーワンでした。
 昨年来、「返せ!北方領土!」の言葉が封印されていたが、ロシアに全然返す気がないので業を煮やしたのだろう、今回の集会では旗も鉢巻もあった。柏原先生は水晶島出身である。
 柏原先生と岩田先生は花咲小学校時代の同僚だった。岩田先生には一度も習ったことがなかったが、近所にお住まいだったのでよく知っている。「話に来い」と言ってくれてたのに、つい先延ばしているうちに、さっと逝ってしまわれた。ニホロで山本昭平(『セルツェ』という本になっている)さんの講演会があった折に、五十数年ぶりでお会いした。「貞子お姉さんの長男」と叔母が紹介してくれた時、すぐに思い出したようだった。先生のお宅へ線香をあげに行ったときに、岩田先生の奥さんと話していて、親戚のてっちゃんが同級生だと知った。お転婆だった千歳の叔母と岩田先生が択捉島蘂取村で幼馴染、よく遊んだようだ。愉しい話を叔母からたくさん聞いた。千歳の友子叔母はよく笑う人だった。



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#4055 サングラスとサイクリング Aug. 4, 2019 [85.サイクリング]

 14時に気温20.0°南南東の風3.6m/sになったので、牧の内へサイクリングに出かけた。左目の白内障手術をしたので、眼鏡矯正だと1.5の視力なので、十数メートル先の路面の罅割れや亀裂がよく見える。
 メガネにクリップ付きのサングラスをつけた(写真①)
 セブンイレブン前を過ぎたら、道路にユンケル瓶の破片が落ちていた。円筒形になっていて上1/3あたりがかけており、ギザギザにとがっているのが見えたので、よけて走る。すぐに平たくつぶれた缶コーヒーがあった。これも踏まずに通り抜けた。よく見える。
 少し走っていたら、メガネは視界全部を覆っておらず、メガネのわきから入る強い日差しがまぶしい。視線を動かすと、メガネの周辺から入ってくる強い日差しの部分とサングラスを通して見る部分がコントラストが極端で疲れる。速度が上がると風も巻き込んできて、目に当たる。これは嫌な感じだ。あとで白内障の手術をした方の目が就寝直前までゴロゴロした感じがした。

 サイクリングはロードバイク用のサングラスの方が断然よい。顔にピッタリしているので、風が入り込まないのがいいし、視野全部がサングラスで覆われるので、目が疲れない。

 牧の内Aコース 13㎞、平均時速20.5㎞
 ロードバイク累計走行距離 5112㎞


<写真①>
 眼鏡に装着した状態。サングラス部分が顔から距離があるために、顔との間に隙間があって、目に風が当たるし、サングラスの外側が視野に入って見づらい。
SSCN2975.JPG

<写真②>
 クリップ付きのサングラスと近眼用の眼鏡。眼鏡の真ん中の部分にサングラスをクリップで止める。
SSCN2972.JPG

<写真③>
 赤いミラーグラスのロードバイク用サングラス。3000円を切っている。グラスは簡単に取り換えることができて、4枚くらいついていた。透明なもの、濃い色のもの、薄いブルーのもの。このサングラスは頬に密着するので、下から風を巻き込まない。ドライアイにはとっても重宝なサングラスである。
SSCN2974.JPG




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#4054 白内障手術後のサイクリング Aug. 3, 2019 [85.サイクリング]

 暑い、22時の気温は22度、今日の最高気温は11時34分の31.2度である。
  暑気払いに、緑色の缶のエビスビール<ザ・ホップ>を呑みながらブログをタイピング。ツマミは女房殿のお土産、函館カールレイモンのサラミ。酒やビールを置いてある地下蔵の室温は今日も15度。

 夕方6時少し前に、涼しくなったので、4.3㎞走っった。ロードバイクのサイドミラーがくっきり見える。遠くから車が近づいてくるのが余裕でわかる。小さく写っていてもはっきり見える。
 夕方6時の気温は23度だった。平均時速23.0㎞、これは市街地を走る平均底度としてはちょっと危険な速度だ。カーブでは車が来てないことを確認してから曲がる。時速33㎞で90度を曲がったら、タイヤが滑りそうでちょっと危なかった。(笑)

 昨日も12㎞走った。3時に21.7度まで気温が下がったので、走る気になった。道路の穴凹や亀裂がよく見えて走りやすい。昨日は海は霧の中でまったく見えなかったが、今日は友知の浜も向かい側にある2つの無人島もよく見えた。
 眼鏡の度数がぴったりなので、明日は眼鏡使用で走ってみたい。

 ロードバイク 累計走行距離5100km


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