#5271 循環器専門医Dr. Iさんに相談 Aug. 10, 2024 [38. cancer]
昨日(8/9)気が向いたので、午後からクリニックへ受診に行ってきました。8月に行く予定になっていたので、とっても暑い(最高気温は35.8度)けど、出かけました。
昨日の循環器専門医はDr. Iでした。呼ばれて診察室へ入るなり、「わたしは2度目ですね」、そして「心配していました」、そうおっしゃった。4回目の受診で、今まではその都度担当医が変わりました。どうやら、毎週金曜日は4人のドクターが交代で派遣されているようです。
心配してくれたのは、電子カルテを見て、イグザレルト服用を6/1から中止していることを知ったからでしょう。
事情を説明しました。胃と胆嚢がないことと、横行結腸の一部切除をしているので、歯にトラブルがあると咀嚼できずにすぐに衰弱してしまうので、歯科治療を優先していますと話したら、それはそうしてくださいとのこと。
そういうわけで、抜歯したときにイグザレルトを飲んでいると問題が生じるので、仕方のない話です。
「どれくらい飲みましたか?」と訊かれて、4月に受診した時から5/31までの1.5か月間と答えました。2か月と10日間飲んでいません。
心拍数が190/分に上がった3回は、標高差60mの上り坂を自転車で時速10kmオーバーで登ったときと、孫と戯れながら駆け足で登ったとき、3度でした。そういうことをしないようにしたので、その後、心拍数が急激に上がったことは一度もありませんと報告しました。
たまたま、昨日中学生の時からの親友のYへ電話して、近況を訊いたら、7月に2週間脳塞栓症で入院治療したとのこと。心房細動があったのかと確認したら、あったと。具合が悪いのを少し我慢していたら、症状がきつくなりおかしいと気がつき、受診、即入院治療となりました。
わたしの一歩先を行っていたようで、親友が亡くなったら寂しいので、あいつも同じことを考えているでしょうね。同病相憐れむの図です。(笑)
同じ日に、高校の同級生で特に仲のよかったYの息子へ電話して、「お父さんその後どうしている?」と尋ねたら、「癌が消えました、髄膜炎を起こして身体にマヒが残っているので、地元の療養型病床の障碍者病棟へ入院してリハビリをしています」とのこと。危機は脱したようで、とっても嬉しい知らせでした。
昨年は、高校同級生のヒロシとムサシが1月と10月に亡くなっています。一緒に東京へ出てきた仲間、とっても寂しい思いをしました、いや、いまもしています。
サイトウタカオの弟子で劇画家になったタケシがたまに電話をかけてきます。お互いの生存確認を兼ねてね。みんな、どこかしら病気を抱えています。身体がポンコツになっていきますから仕方がありません。彼も同じ高校の同級生です。三年生の夏休みが終わると、学校をやめてサイトウタカオのところへ飛んでいきました。押しかけ弟子入りでした、思いっきりの好い奴です。(笑)『御用牙』という作品を記憶している人がいるでしょう。テレビドラマ化もされましたから。原作は小池一夫氏が書いていました。
話を元に戻しますが、ドクターの説明では、心房細動が起きてそのあとが危ないのだそうです。脳梗塞を起こすリスクが高くなります。Yが罹患した脳塞栓症は脳梗塞のひとつです。
カテーテルアブレーション手術は3か月間イグザレルトを飲んだ後でないとできないそうです。2度手術した人が職場の後輩(KY君)でいました、そういうこともあるのですねと言ったら、「4~5回の人もいます、効きの悪い人がいるんです」。わたしの場合は「効きがいいと思います」とのこと。心房細動が頻発するようになると、カテーテル・アブレーション手術の効きが悪くなるようです。
高周波電流で焼灼する方法と冷凍凝固する方法があると説明を受けました。「冷凍は液体窒素でやるのですか?」と確認したら、そうだとのこと。カテーテルで心臓の目標地点まで液体窒素が送り届けることが可能というのは、なかなか信じがたいですが、実際にやっているようですからね。細いカテーテル内を液体窒素が通過していくうちに、体温で液体窒素が温まりますから。手術を決める前に、具体的に尋ねてみようと思います。どちらかを選ばないといけません。
医療用の液体窒素は外科用に1980年頃産業用エレクトロニクス輸入専門商社の関商事(後に、セキテクノトロンと社名変更し、店頭公開、2010年頃に業績不振で上場廃止、他社へ吸収合併)が最初に扱いました。魚の目があったら取ってあげるよと、担当者が勧めてくれましたが、その時はありませんでしたので、試せませんでした。魔法瓶のような容器に液体窒素が充填してあり、30㎝くらいの金属棒をその中に突っ込んで、少量吸い込み、それを患部にたらします。するとその部分が壊死して、新しい細胞に入れ替わります。不思議でした。
歯科治療が終わったら、また受診して、カテーテルアブレーション手術をする方向で調整するつもりです。血液抗凝固剤イグザレルトを3か月間飲み続けるのは、まだ抵抗があります。脳出血のリスクが大きくなるからです。
不整脈も心房細動も自覚症状がありません、ドクターは念のために聴診器を当てて心音を聞いてくれました。
「大丈夫ですね!心房細動ありません!」
専門医のお墨付きがでました。ところで、Dr. Iは目の大きな女医さんです。
<余談:三人>
古里の極東の町へ35年ぶり(2002年)に戻ってきて、御仲人さんの北構保男先生のところへ挨拶に行きました。北構先生は根室印刷の創業者であると同時に考古学者、還暦を過ぎてからオホーツク沿岸の発掘調査に基づいた本を出版し、国学院大の文学博士の学位を取得されています。
根室商業を卒業して歯学部へ進学した田塚源太郎先生と高坂さんの3人で、銀座のデパート屋上で撮った写真が残っています。田塚先生は短歌を詠む人でした。遺稿があったので、奥様と二人の娘さんの協力を得て、北構先生が本にして出版しています。
同期がみんな亡くなって寂しいと仰っていました。田塚先生は国後島の蟹の大漁師の一人息子でした。5月になってから、根室商業に入学してきたと言ってました。田塚先生の2女と小中高とずっと同じクラスでした。そんなこともあって、小学生の頃はよくビリヤードの相手をして遊んでくれたのです。お人柄もよく存じています。北構先生は親友の田塚先生の昔話をするのがお好きでした。嬉しそうに、思い出しながら話してくれました。「こんな話のできるのは、もう君くらいしかいないよ」と言ってました。
昔話をする相手がいないので、時々きて話に付き合えと言われました。
戦時中に文科省からの依頼でベトナムの王族に日本語を教え、フランス語を教えてもらった話は面白かった。当時のベトナムはフランスの植民地でしたから、王族はフランス語が話せたのです。先生は井之頭線沿線に住んでおり、当時の様子を話してくれました。アテネフランセは通ってフランス語の勉強をしたことも。元々は新聞社を創業したかったようです。それが諸事情でかなわぬとなったときに、その代わりに印刷会社を...
根室市議を南紀かやった後、団塊世代のわたしが高校生の時に根室市長選挙に立候補して敗れたことがあります。その後政治の世界からはすっかり足を洗い、印刷業と考古学調査研究の2足の草鞋を履いていました
高校を卒業して、ヒロシとムサシと一緒に東京へ出てきて、三人でしか話せない昔話ももう不可能です。北構先生が、同期がみんな亡くなってしまって寂しいと言ったことが、いまはよくわかります。
昨日の循環器専門医はDr. Iでした。呼ばれて診察室へ入るなり、「わたしは2度目ですね」、そして「心配していました」、そうおっしゃった。4回目の受診で、今まではその都度担当医が変わりました。どうやら、毎週金曜日は4人のドクターが交代で派遣されているようです。
心配してくれたのは、電子カルテを見て、イグザレルト服用を6/1から中止していることを知ったからでしょう。
事情を説明しました。胃と胆嚢がないことと、横行結腸の一部切除をしているので、歯にトラブルがあると咀嚼できずにすぐに衰弱してしまうので、歯科治療を優先していますと話したら、それはそうしてくださいとのこと。
そういうわけで、抜歯したときにイグザレルトを飲んでいると問題が生じるので、仕方のない話です。
「どれくらい飲みましたか?」と訊かれて、4月に受診した時から5/31までの1.5か月間と答えました。2か月と10日間飲んでいません。
心拍数が190/分に上がった3回は、標高差60mの上り坂を自転車で時速10kmオーバーで登ったときと、孫と戯れながら駆け足で登ったとき、3度でした。そういうことをしないようにしたので、その後、心拍数が急激に上がったことは一度もありませんと報告しました。
たまたま、昨日中学生の時からの親友のYへ電話して、近況を訊いたら、7月に2週間脳塞栓症で入院治療したとのこと。心房細動があったのかと確認したら、あったと。具合が悪いのを少し我慢していたら、症状がきつくなりおかしいと気がつき、受診、即入院治療となりました。
わたしの一歩先を行っていたようで、親友が亡くなったら寂しいので、あいつも同じことを考えているでしょうね。同病相憐れむの図です。(笑)
同じ日に、高校の同級生で特に仲のよかったYの息子へ電話して、「お父さんその後どうしている?」と尋ねたら、「癌が消えました、髄膜炎を起こして身体にマヒが残っているので、地元の療養型病床の障碍者病棟へ入院してリハビリをしています」とのこと。危機は脱したようで、とっても嬉しい知らせでした。
昨年は、高校同級生のヒロシとムサシが1月と10月に亡くなっています。一緒に東京へ出てきた仲間、とっても寂しい思いをしました、いや、いまもしています。
サイトウタカオの弟子で劇画家になったタケシがたまに電話をかけてきます。お互いの生存確認を兼ねてね。みんな、どこかしら病気を抱えています。身体がポンコツになっていきますから仕方がありません。彼も同じ高校の同級生です。三年生の夏休みが終わると、学校をやめてサイトウタカオのところへ飛んでいきました。押しかけ弟子入りでした、思いっきりの好い奴です。(笑)『御用牙』という作品を記憶している人がいるでしょう。テレビドラマ化もされましたから。原作は小池一夫氏が書いていました。
話を元に戻しますが、ドクターの説明では、心房細動が起きてそのあとが危ないのだそうです。脳梗塞を起こすリスクが高くなります。Yが罹患した脳塞栓症は脳梗塞のひとつです。
カテーテルアブレーション手術は3か月間イグザレルトを飲んだ後でないとできないそうです。2度手術した人が職場の後輩(KY君)でいました、そういうこともあるのですねと言ったら、「4~5回の人もいます、効きの悪い人がいるんです」。わたしの場合は「効きがいいと思います」とのこと。心房細動が頻発するようになると、カテーテル・アブレーション手術の効きが悪くなるようです。
高周波電流で焼灼する方法と冷凍凝固する方法があると説明を受けました。「冷凍は液体窒素でやるのですか?」と確認したら、そうだとのこと。カテーテルで心臓の目標地点まで液体窒素が送り届けることが可能というのは、なかなか信じがたいですが、実際にやっているようですからね。細いカテーテル内を液体窒素が通過していくうちに、体温で液体窒素が温まりますから。手術を決める前に、具体的に尋ねてみようと思います。どちらかを選ばないといけません。
医療用の液体窒素は外科用に1980年頃産業用エレクトロニクス輸入専門商社の関商事(後に、セキテクノトロンと社名変更し、店頭公開、2010年頃に業績不振で上場廃止、他社へ吸収合併)が最初に扱いました。魚の目があったら取ってあげるよと、担当者が勧めてくれましたが、その時はありませんでしたので、試せませんでした。魔法瓶のような容器に液体窒素が充填してあり、30㎝くらいの金属棒をその中に突っ込んで、少量吸い込み、それを患部にたらします。するとその部分が壊死して、新しい細胞に入れ替わります。不思議でした。
歯科治療が終わったら、また受診して、カテーテルアブレーション手術をする方向で調整するつもりです。血液抗凝固剤イグザレルトを3か月間飲み続けるのは、まだ抵抗があります。脳出血のリスクが大きくなるからです。
不整脈も心房細動も自覚症状がありません、ドクターは念のために聴診器を当てて心音を聞いてくれました。
「大丈夫ですね!心房細動ありません!」
専門医のお墨付きがでました。ところで、Dr. Iは目の大きな女医さんです。
<余談:三人>
古里の極東の町へ35年ぶり(2002年)に戻ってきて、御仲人さんの北構保男先生のところへ挨拶に行きました。北構先生は根室印刷の創業者であると同時に考古学者、還暦を過ぎてからオホーツク沿岸の発掘調査に基づいた本を出版し、国学院大の文学博士の学位を取得されています。
根室商業を卒業して歯学部へ進学した田塚源太郎先生と高坂さんの3人で、銀座のデパート屋上で撮った写真が残っています。田塚先生は短歌を詠む人でした。遺稿があったので、奥様と二人の娘さんの協力を得て、北構先生が本にして出版しています。
同期がみんな亡くなって寂しいと仰っていました。田塚先生は国後島の蟹の大漁師の一人息子でした。5月になってから、根室商業に入学してきたと言ってました。田塚先生の2女と小中高とずっと同じクラスでした。そんなこともあって、小学生の頃はよくビリヤードの相手をして遊んでくれたのです。お人柄もよく存じています。北構先生は親友の田塚先生の昔話をするのがお好きでした。嬉しそうに、思い出しながら話してくれました。「こんな話のできるのは、もう君くらいしかいないよ」と言ってました。
昔話をする相手がいないので、時々きて話に付き合えと言われました。
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根室市議を南紀かやった後、団塊世代のわたしが高校生の時に根室市長選挙に立候補して敗れたことがあります。その後政治の世界からはすっかり足を洗い、印刷業と考古学調査研究の2足の草鞋を履いていました
高校を卒業して、ヒロシとムサシと一緒に東京へ出てきて、三人でしか話せない昔話ももう不可能です。北構先生が、同期がみんな亡くなってしまって寂しいと言ったことが、いまはよくわかります。
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2024-08-10 11:59
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