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#4795 土曜日英語音読特訓:railsはどうして複数形か? Aug. 6, 2022 [49.1 英語音読トレーニング]

  高校1年生3人対象の土曜英語音読特訓は高2の英語教科書「VIVIDⅡ」を使っています。今日は93~104頁まで、少しハイペースでやりました。生徒達がこの程度の英文に慣れてきたからです。スラッシュリーディングにすっかり慣れましたね。1月からの生徒と2月からの生徒、そして4月からの生徒ですから、4-8か月間トレーニングを経験してます、音読慣れするのにそれくらいかかるということ。一つの文を14回ほど繰り返し読みます。どういう順序でやるかは、「#4790」で解説しているのでそちらを見てください。青太字をクリックすると当該記事へジャンプします。

 「part 1」では富山市の軽量軌道鉄道(LRT: Light Rail Transit)が話題に取り上げられています。仮定法過去の文章が出てきているが、これは中3で既習項目で、3人ともちゃんと押さえていました。

 If there were no trafic jams, we could get to school or work faster.
 (交通渋滞がなければ、学校や仕事にもっと早く行けるのに(実際には交通渋滞で速くは行けない))

 面白かったのはpart2の次の文です。
  There are several reasons for this.  First, running on rails, they are very punctual.
 (これには2~3の理由がある。第一に、レールの上を走るので、LRT路面電車は時間が正確である)

 分詞構文の意味があいまいになる理由は前回述べました。付帯状況、理由、「~のとき」の3タイプですが、文脈でよさげなものを選びましょう。
 ここで、「railsはなぜ複数形なのですか?」と生徒三人に質問をしました。
「???」
 ボーっとしてたら、チコちゃんに叱られます。
 そこでヒントを出します。
「ears, eyes, arms, hands, parents, pants, scissors, ...」
 これで気が付きました。
 そうなのです。路面電車のレールは2本で1セットです、だから、railではなくてrailsなのです。
「なーんだ!」

 そこまで理解して、書き手が書いたことをちゃんと理解したことになるんですよ。
 書き手は脳にイメージしたことを、自分の使っている語彙で文章を紡ぎ出しますから、同じイメージを自分の脳内に再現してはじめて文章を理解したと言えるのです。自分の脳の動きを常に意識(イメージ)すること。
 こういうトレーニングは脳にイメージしたものを日本語で表現し、それを英作文するときにも役に立ちます。だんだん慣れたら、イメージがそのまま英語になります。日本語の媒介が必要なくなります。どこまでやるかはそれぞれの具体的なニーズで決まるのでしょう。よほどの英語好きがそうなります。わたしの場合は、英語は情報を得る手段であって、目的ではありません。あなたはどちらですか?

 「part3」に富山市の人口が出ていました。
 The city had about 400,000people, but it population density was very low compared with other local cities.
(富山市の人口は約40万人ですが、人口密度は他の地方都市に比べてとても低かったのです。)

 富山市の人口が約40万人になっていますが、調べてみたら、町村合併しています。旧富山市は32万人、合併後(平成17年4月に7市町村が合併)に41.8万人になっています。令和3年に41.1万人です。16年間で約7000人減少しています。比較の材料として根室市の人口減少を比べてみましょう。さて、同じ期間にどれくらい減っていると思います?7530人です。平成17年(2005年)31771人、令和3年(2021年)24231人。人口41万人の富山市と人口3.1万人の根室市の16年間の人口減少は絶対数でほぼ同じ、減少率では13倍なのです。それでも、市庁舎の建て替えは、人口4.8万人の時に建てた庁舎の1.5倍の面積で建て替え中です。耐用年数が半分経過したときには、人口は1.3万人になっているでしょう。市庁舎はガラガラになります。

 富山県は根室の縁の深いところでして、根室に居住する「富山(とみやま)」姓の人たちのルーツは富山県です。漁業関係者に多い。日本海航路で北海道函館へ、そして太平洋航路で根室まで来たのでしょう。
 生徒に聞いてみたら、同じ学年に富山姓はいないそうです。小学校の同級生にも、高校の同級生にも富山姓がいました。仲の良かった高校同級生のカツエは漁師の娘でした。弥生町の彼女の家に遊びに行ったときに、「お汁粉食べるか?」と訊かれて、「うん!」といったら、大きな鍋からお玉で掬って、どんぶり一杯、「さあ、どうぞ」。あれにはびっくりでした。どんぶりでお汁粉食べたのあれが最初で最後でした。太るはずです。こんなこと書いてもあいつは笑いとばすだけで怒らないでしょう。根室高校美術部長、東京渋谷にビルをもっています。女傑でした。昔、大橋巨泉の深夜テレビ番組「11PM」に2度出演してました。

 一つ先輩の美術部長は同級生のお姉さん、「深窓のご令嬢」タイプでした。ずっと根室で絵を教えています。塾生の一人が、絵を習っていたことがあって、市立図書館で展示会をされたときに、一度見に行って、お話してます。高校生の時に美術部の予算折衝でお話して以来でした。わたしは生徒会会計で、すべての部の予算割り振りの決定権を持っていました。実績を見て公平に配分するだけですから、そんなにむずかしい仕事ではありません。ただ、折衝相手の部長は全員先輩ですから、ちゃんと査定理由を話して納得してもらわなければなりません。予算編成と帳簿付けと決算業務が生徒会会計の仕事でした。会長よりも実質的な権限が大きいのです。だから、根室商業時代からの遺風である「坊主刈り」の校則改正も自分で発案して、先輩二人(副会長)が「言い出しっぺのお前がやれ」で、できたのでしょう。もちろん、他のメンバーにも協力してもらいました。
 そんな経験があったので、どんな規模の会社に転職しても、最初は予算編成と管理を任されましたが、仕事としては同じでしたね。売上40億円の会社も350億円の会社も、120億円の会社も。企業人になってからのいくつか手掛けたプロジェクトのマネジメントも、仕事としては「校則改正」と変わりません。すべては根室高校生徒会で学びました。


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つるはせんねん

「書き手は脳にイメージしたことを、自分の使っている語彙で文章を紡ぎ出しますから、同じイメージを自分の脳内に再現してはじめて文章を理解したと言えるのです。自分の脳の動きを常に意識(イメージ)すること。
 こういうトレーニングは脳にイメージしたものを日本語で表現し、それを英作文するときにも役に立ちます。だんだん慣れたら、イメージがそのまま英語になります。日本語の媒介が必要なくなります。どこまでやるかはそれぞれの具体的なニーズで決まるのでしょう。」(ebisu先生の引用です)
発想としてはおっしゃる通りで、でもこういったことを言葉で表現されると改めてなるほど!と思いました。でもそれはとても難しいことです。自分勝手に咀嚼したつもりでも、何かしら取りこぼしてしまう。書き手の意図からは外れてしまうこともしばしばです。息子に、この短い夏休みの間に英作文の手ほどきをしていたところ、先生のこの文章に出遭い、そうそう!!って思っていたところです。
 少し前に同じ感覚に陥ったことがありました。今読んでいた書籍で、「老子と暮らす」(加藤祥造著)の中に、この筆者が、あるとき英文を読んでいるのに日本語を読んでいるような感覚に陥った瞬間があったというくだりがあります。この方は英文科卒で、翻訳のお仕事をされているようです。私が20歳のころ、アイルランド留学の帰りにヨーロッパ旅行をし、最後はオーストリアのなんとかっていう(忘れました、有名な空港ですけど笑)から日本へ帰国。その際に、空港で本を買ったんです。題名は「The sand of ...」これも覚えていません笑
これは小説でした。帰りの飛行機の中で夢中になって読みました。まるで、日本語を読んでいるような感覚に陥ったことは覚えているんです。
それで、さきほどの書籍のなかにあった感覚にとても共感し、さらに、先生の文章にもそのようなくだりが。

映画もよく観ます。国を問わず。留学帰りに尋ねたイタリアに心を奪われ、イタリア語を勉強しようと「英語から学ぶイタリア語」という書籍を購入(当時、英語には自信があったので、こんな学び方があるんだ!と)。もう30年ほど本棚に。そして、最近観たイタリア映画がとても気に入り、改めてその街並みやスピリットにやられ、その本を引っ張り出してきました。(そばに置いているだけです笑)
言語を学ぶことはその国の文化や生き方に触れること。
それが、今のわたしの考えです。
いかがでしょうか?
by つるはせんねん (2022-08-09 20:15) 

ebisu

つるはせんねんさん

こんばんわ。
外国語を学ぶことは人それぞれでいいのではないでしょうか。もちろん「言語を学ぶことはその国の文化や生き方に触れること」というのもその中の一つですね。

わたしは仕事でファッションやコンピュータシステム分野や医学分野などの先端の文献を読まなければならなかったので、語学は専門知識を身につけるための手段でした。だから、会話にはまるっきり興味がありませんでしたね。本を読むだけでした。

英作文も勉強の方法がわかりませんでした。
苦手ですから、会話文をベースにA4判1420頁の英作文トレーニング問題を作ってしまったのです。足りないものを補っただけなんです。
たくさん読んでたくさん書いているうちにわかってくることがあります。だから本当に楽しい。書かないと気が付かないことがいっぱいあります。毎日発見です。わずかのことしか知っていないことを、毎日思い知らされ、それが励みになるのです。

「後志のおじさん」というハンドルネームの方が、「30回音読、10回書きとる」、そういうトレーニングをずっと続けていると、英語の勉強の仕方を教えてくれたのです。それを生徒を相手に、ほどんどそのままやっているだけなんです。Hirosukeさんも同じようなこと言っていたような気がします。

語学はいまのところ情報収集の手段、だから脳にイメージしたものを日本語の媒介なしに直接英語にするというのは、わたしにもハードルが高いのです。そんな時間があったら、他に数学や経済学や他の興味のある分野でやるべきことがまだありますから、時間がもったいない。

1990年頃、染色体画像解析検査の会社を1億ドルで買う案件を処理したことがあり、ゴーの稟議を書いたら「おまえがやれ」となるので、米国で仕事をすることになる。国内で仕事していたかったので、マネジメントできる人材がいないでしょと、買収提案を断る稟議書を書きました。買収するほうを選択したら、英会話にのめり込んだでしょうね。米国のドクターを相手にマネジメントしなければなりませんから。強いニーズがあればやります。
逆に言うと、わたしは強いニーズがなければやれない質(たち)なのです。ほんらいは怠け者、性格なのでしょうね(笑)

もう一つ、文章を読むときには複数通りに読めるかどうかを検討します。曖昧な文章を書くことは誰だってよくあることなのです。複数の意味を持つ語彙は多い、逆に一つの意味しか持たぬ専用語彙はすくない。たとえば、to不定詞は意味が広いが、in order toは理由や原因を表すだけですから、複数の読みは必要なしです。

構文からはどう読めるのか、文脈からはどのように読めるのか、生成文法から見たら分解できる基底文は1種類なのか、それとも複数あるのだろうか?
それぞれが、複数の読みがあるかもしれません。

そのうえで、書き手はどのようなイメージを自分の脳に描いてこの文章を紡いだのだろうと考えます。

根室高校時代からの本を読む際の癖かもしれません。(笑)
高校2年生の時に背伸びして『資本論』を読んで数行が理解できずに、ああだろうかこうだろうかと一日考えていることがありました。数日考え続けることもありましたね。授業を聞いていても頻繁に雑談が入るので、頭の中で数行の文章を思い出して「反芻」してるのです。牛みたいなやつでした。干支は牛です(笑)
結局、100頁ほど読んで、森の中をさまよう感じがして、いずれ本格的に読んでリベンジしようと決意しました。
おかしいでしょ。リベンジするのに20年ほどかかりました。

公認会計士二次試験参考書を読むときも同じでした。根室高校では、公認会計士二次試験参考書で理解できない箇所を訊いても答えられる先生がいませんでしたから、独力で考えるしかありませんでしたね。自学自習、とってもいい環境でした。

大学では商学部会計学科の学生なのに、どういうわけか得意の原価計算ゼミはとらずに、哲学の市倉宏祐先生のゼミでしたから、テクストの読み方は相変わらず、ああも読めるし、こうも読める、では書き手の意図は?とこうですからね。『資本論』と『経済学批判要綱』を丹念に読みました。

日本語の文も英文も似たような読み方をしているのだと思います。

硬い本を読むときは別ですが、ほとんどは一通りの読みですんなり読んでいますよ。
生徒が違う読みをしてくれた時が愉しいのかもしれませんね。生徒を相手に遊んでいます。

「言語を学ぶことはその国の文化や生き方に触れること」

すばらしい。人生が豊かになり、そして価値観が広がりそうな言葉です。

大人の対話がとっても心地いい。投稿ありがとうございます。
by ebisu (2022-08-09 22:06) 

ebisu

英文を読んでいるときには気がつかなかったことが、作文すると細部の形の美しさ気がつくことがあります。
たとえば、比較表現。

①Our piano at home isn’t as big as yours.
②The culture of Japan is as rich and beautiful as that of England.
③To write Japanese is not as easy as to speak Japanese.
④At the hotel, I slept as well as at home.
⑤My speech wasn’t as inspirational as yours.
⑥To watch sorts is not as enjoyable as to play sports.
⑦This dress is as elegant as those of famous brands.

比較する部分が対をなしています。
①our piano ⇔ yours (✖your piano)
②the culture of Japan ⇔ that of England (the culture of England)
③to write Japanese ⇔ to speak Japanese (to speak it)
④at the hotel ⇔ at home
⑤my speech ⇔ yours (✖your speech)
⑥to watch sports ⇔ to play sports (to play them)
⑦this dress ⇔ those of famous brands

①の✖表現は冗長ですね。
②はこちら側の日本の文化に対してあちら側の英語の文化ですから、その意識が指定代名詞のthatを使わせた。
③の代名詞itを使ってもOKですがあなたはどちらを選びますか?
④はホテルと自分家を対比、ビジネスでおもてなしされるホテルと家庭の和やかな雰囲気が対比されてます。
⑤は①と同じですね。書き手は冗長さを避けたかった。
⑥は後ろのsportsをitに置き換えて書いてみると、バランスが崩れた感じがしませんか?どちらでも可です。
⑦はわたしには高等技に見えます。有名ブランドではないドレス(this dress)と有名ブランドのドレスを比べています。

比較表現は比較しているものの形に、書き手の美的な感覚が反映しているように見えます。そうした配慮をした文章を書きたいものです。
数学の問題でも同じ判断基準が有効です。複数の解き方が見つかったら、シンプルで美しい解法でやりましょう。英語の勉強も数学の勉強も深いところではつながってしまいます。

英文は、英作文問題#1167からピックアップしました。今日、#890回目をメールで配信するので、この問題の配信は2年9か月後です。
by ebisu (2022-08-10 20:29) 

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