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#4614 街路樹のナナカマドが真っ赤な実をつけてます:風邪の季節の始まり Sep. 14, 2021 [A8. つれづれなるままに…]

 北西の季節風が吹くようになりました、昨日の最低気温は13.9℃です。
 COVID-19の蔓延で、昨年同様に今年も蟹祭りもサンマ祭りもありません。町は静かです。
 毎日80-100%だった湿度も最低湿度が70%台があたりまえになってきたとたんに風邪がはやり始めてます。
 鼻水、微熱、COVID-19と症状の見分けはむずかしい。
 市立根室病院で検査できますが、3万円ほどかかると聞いてます。初診料も入ってのことだと思います。保険点数は1350点ですから13500円ですが、急を要することが多いでしょうから、市立病院で独自に検査体制を組んでいるのかもしれません。

 大手検査センターの類似の遺伝子検査は550点ですから5500円が妥当なところです。はやく妥当なラインまで保険点数を下げないと、患者負担も社会保険側の負担も大きすぎて、検査ができません。
 クラスターで濃厚接触者にカウントされたら、費用は政府もちですからタダ。濃厚接触者ではない人が、風邪症状が出たら、検査をするかどうか、3割負担でも10000円ですから、検査料金も重要なファクターです。
 北の方から風邪のはやる季節に移り変わりつつあります。COVID-19とただの風邪を見分けるために通常の料金での検査ができることが望ましいのではありませんかね?

<PCR検査原価情報>
 最大手の臨床検査センターSRLへ厚生労働省から問い合わせがあれば、社内秘扱いの原価情報を得られます。それに基づいてSARS-CoV-2PCR検査の保険点数を1350点から550点に変更したらいい。
 SRLはナンバーワン企業としてその社会的責任の重さを意識している企業です。
 1990年ころに染色体検査の原価情報を提供したことがあります。保険点数が低すぎるために他企業の新規参入がほとんど不可能でした。染色体検査分野ではSRLのシェアーは8割を超えていました。わたしは当時学術開発本部スタッフで担当取締役Iさんの「右腕」で仕事してました。当時SRLで導入した英国企業IRSの染色体自動解析装置を国内の臨床検査センター2社が導入した情報をつかんでいました。保険点数が低すぎて利益が出ないので、導入した企業の経営が悪化することがわかっていました。その2社にとっては死活問題でしたので、SRLの独占状態もよろしくないので、厚生省へ原価情報を知らせて保険点数をアップするように働きかけました。効果があってまもなく保険点数が200点(2000円)ほど上がりました。
 画像解析装置を導入した企業は2社とも消滅しています。羽村にあった企業は1999年にSRLが買収しました。わたしがその会社との治験合弁会社の経営を任されたとき、買収も四つの課題の一つでしたから担当しています。画像解析装置を導入した東北にあった会社も資本提携交渉をして3年間の約束で1993年に役員出向していますが、染色体検査を中心に実行可能な経営改善案を作成して、SRL創業社長の藤田さんへ改善案を文書にして報告し、実施の了解を得ようとしたところで、ストップ指示が出ました。改善案がよすぎたのです。ほんとうの話です。(笑)
 SRLの子会社関連会社でNo.1の売上高利益率15%を実現する内容でした。損益シミュレーションはSRLの一番いい時(売上高経常利益率12%)すら超えてました。1992年ころに関係会社管理部で仕事していたわたしは、千葉の子会社で業務系とラボの新システム導入にも本社側から責任者として関り、稟議書添付のシミュレーションを超える黒字転換をしていました。その面では社内で信用がありました。
 東北の会社は、SRL創業社長の藤田さん黒字転換なんかやれっこないと思っていたのです。3年間遊んで来いというつもりだったのかも。仕事してしまったのです。3年で黒字になんて社長特命での出向でした。藤田さん演技派、すっかり掌で転がされてしまいました。経営改善案を実行されては困るという事情が藤田さんの方にありました。子会社社長はSRL本社役員を兼務することが暗黙のルールでした。毛色の違う関係会社社長をSRL役員にはしたくなかったのでしょう。経営悪化したら、資本提携を出資へ切り換えて、過半数の株式を取得するつもりだったと思います。もちろん、それまでの役員には経営責任を取らせ、従業員はそのまま引き取るということ。数億円増資して累積損失を解消するくらいはどおってことはなかったのです。経営改革はそのあとで指示するつもりだったようです。調査して練り上げた経営改革案を実行すれば1年後には大きな黒字になるので、あわてて呼び戻されました。3年の約束が、たった15か月で出向解除。その代わり本社経営管理課長、社長室兼務、購買部兼務課長という3部署兼務の辞令が出ました。それぞれ特別な仕事が用意されていました。3部署兼務はまったく異例のことでした。後にも先にも事例がありません。東北の会社へは1993年にわたしの後任に3人出向役員を送り込みましたが、うまくいきませんでした。赤字の検査ラボの立て直しなんて送り込まれた三人には経験がありませんでした。ずるずると経営悪化、SRLは持ち株を他社へ売却、その後経営破綻。従業員がかわいそうでした。後味の悪い仕事です。


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